エホバの証人は聖書に基づく良心によって投票を拒否してきたのでしょうか?

ものみの塔誌1999年11月1日号28頁の読者からの質問は、「エホバの証人は投票をどう見ますか」という記事を掲げ、そこで「このような個人の良心の問題の場合、クリスチャンは、エホバ神のみ前で各自の決定をしなければならない、ということです」として、投票に関して五つの否定的な要素を掲げつつも、投票に参加するかしないかは個人の決定に任せるという新しい方針を打ち出しました。

この事例は、エホバの証人が一体何に従ってその信仰生活を送っているかを端的に考えさせる良い機会を与えています。一体これまでエホバの証人は何に基づいて投票を拒否してきたのでしょうか。

ものみの塔誌1970年10月15日号633頁(日本語版1971年1月1日号25頁)は「崇拝の自由を拒否するカメルーン」という記事をかかげ、その中でカメルーンのエホバの証人が投票を拒否したために、過酷な虐待を受けたことを詳細に報じています。

逮捕された婦人たちは打たれ、一婦人はひどい暴行を受け、五度も息が止まった。なかには病人もおり、絶望視されている。男子は残酷にも意識を失うまで打たれ、ある者は、最初二十回、次に百回打たれ、さらに三度目にも相当打たれた。偽りの告発を受け幾百人もが逮捕され、留置所の、便所のない独房に一週間余拘禁された者もあれば、小さな換気口がわずか一六個しかない長さ二.五メートル、幅二メートル、高さ三メートルの独房に十二人が監禁された。何日間も食物や傷の手当てを受けなかった者もいる。

カメルーンのエホバの証人は何故このような残酷な仕打ちを受けたのでしょうか。この記事はその理由を次のように述べています。

ルイ・マンダン知事は、三月二十八日、選挙当日、午前七時に知事室に出頭するよう、エホバの証人全員に命令しました。証人たちは命令に服しました。投票所の門を開く合図のサイレンが鳴るや、車に乗って先頭に立ったマンダン知事は、証人たちの身分証明書全部を手にかかえて、100メートルほど先の投票所まで自分のあとについて来るようにと合図しました。強制投票をさせようとする知事の意図を知った証人たちは、車について行くのをやめ、家に戻ってゆきました。その晩と翌日、数人の証人たちが逮捕されたのです。 (ものみの塔誌日本語版、1971年1月1日25頁)

この記事では一貫してエホバの証人が、カメルーンを始めとする世界各国で、「聖書で訓練された良心」あるいは「聖書に基づく立場」によって、投票を含む政治活動に参加するのを拒否していると述べています。この状況は、ナチスドイツの強制収容所においてエホバの証人に起こったことと類似しています。いずれも、エホバの証人は「エホバの組織」の打ち出した方針を死守することで、エホバを第一にしていると信じていたのでした。

歴史的にエホバの証人は、どのような政治活動に参加することも一切禁止されてきました。それは、ヨハネ17:14の、「わたしが世のものでないのと同じように、彼らも世のものではないからです」という言葉の「世」が、現代の政治体制を意味していると解釈することによっています。彼らは地上の政府ではなく、エホバのみを主権者として認めるので、地上の政治体制には協力できないという解釈を教えられてきました。『あなた方自身と群のすべてに注意を払いなさい−使徒20:28』という、長老の為の会衆運営マニュアルによれば、投票を含む政治活動に参加することは、排斥に値する罪であるとされています。エホバの証人が排斥された場合、その人物はエホバの証人である家族や友人から絶交の扱いを受けなければならず、「霊的に死んだ」状態と見なされます。

カメルーンで多くのエホバの証人が、絶望視される病人や怪我人を出しながら死守した投票拒否の態度は、この三十年の間にどのように変わったのでしょうか。1989年のものみの塔誌では、投票する人々は「欺かれ」、「不安定な魂」として「腐敗の奴隷となっている」人々であると教えています。このような表現で教えられるエホバの証人の誰が、「良心の問題」として投票に行く可能性など考えたでしょうか。

真理の正確な知識を退ける人たちは,便宜主義の道を選ぶ傾向があります。彼らはもはや,クリスチャンの集会に定期的に出席したり,家から家の宣教に参加したりする責任を受け入れません。再び喫煙を始める人さえいるのです。クリスチャンの中立という問題や血の誤用に関し,他の人たちとは異なる考えを持つ者として目立つことがもはやなくなるので,喜ぶ人もいます。何という自由でしょう!「野獣」の政党の一つに投票することさえできるのです。(啓示 13:1,7)こうして一部の人たちは欺かれ,不安定な魂として,「それらの者に自由を約束しながら,彼ら自身は腐敗の奴隷となっている」人々によって,正確な知識のまっすぐな道からそらされ,間違った道に導かれていきました。―ペテロ第二 2:15-19。(ものみの塔誌、日本語版1989年12月1日13-14頁)

次のものみの塔誌の記事では、ナチスドイツ当時のエホバの証人の態度を述べた本の引用として、次のように書いています。

……[他の宗教]と比較すると,彼らは世俗的な世の是認や報いを求めたり,自分たちがその世の一員であるとは考えたりしないという意味で,世のものではない。すでに別の世,つまり神の世に属しているので,政治的には“中立な民”である。……彼らは妥協を求めたり申し出たりはしない。……軍務を行なうこと,投票すること,ヒトラーに敬礼することなどは,この世の要求を神の要求よりも優れたものとみなすことを意味したであろう」。(ものみの塔誌、日本語版1986年9月1日21頁)

この記事ではこの引用を全面的に肯定しながら、投票をすることがヒトラーに敬礼するのと同じ、「この世の要求を神の要求よりも優れたものとみなすことを意味」することであるとしています。ものみの塔誌は読者に対して、答えが明らかである次のような質問も投げかけています。

わたしたちは今日、過去のこれら忠実なしもべたちと同じように感じるでしょうか。国の法律や地域社会の圧力が、国家の象徴の前で頭を下げることや、崇拝行為としてそれに敬礼すること、政治指導者に投票すること、あるいは国家の計画を支持することを避けられないものにしているように思えるとき、わたしたちは妥協して失格者となり、命をを目ざす競争からわき道にそれるでしょうか。それともイエスや初期のクリスチャンたちと同じように行動するでしょうか。(ものみの塔誌、日本語版1975年11月15日688-9頁)

一体どのエホバの証人が、この質問に対して、投票は「個人の良心の問題」と言って「妥協して失格者となり、命をを目ざす競争からわき道にそれる」と教えられたことをするでしょうか。

彼らは「額と手に印を」つけていません。すなわち、国家の奴隷であることを示すようなものを持ってはおらず、またその世俗的で、往々にして獣的な諸活動の遂行に積極的に手を貸すこともしません。彼らは政治上の要職につくように立候補したり、あるいは政治上の候補者のために投票したりしません。(ものみの塔誌、日本語版1974年3月15日165頁)

この文を読むエホバの証人は、「政治上の候補者のために投票」することは「額と手に印をつけた国家の奴隷」となることを意味すると読むことでしょう。

このように、エホバの証人は一貫して、投票をすることはすなわちエホバが絶対的に禁じていることと教えられて来ました。だからこそ、カメルーンのエホバの証人は命を懸けて虐待に耐えながら、必死で投票を拒否してきたのでした。しかし、彼らは本当にエホバのご意志に従って投票を拒否していたのでしょうか。

ものみの塔誌1999年11月1日号は、次のように述べています。

国で選挙が行われている時、あるエホバの証人は投票所に行き、別の証人は行かないのを見て、つまずく人がいるかもしれません。『エホバの証人は一貫していない』と言うかもしれません。しかし、人々は次の点を認めなければなりません。つまり、このような個人の良心の問題の場合、クリスチャンは、エホバ神のみ前で各自の決定をしなければならない、ということです。(ものみの塔誌1999年11月1日号29頁)

この記事の中では、何と六回も繰り返して、投票するかしないかは個人の良心によって決めるべきことである、と書かれています。一体何が変わってこのような「新しい光」と言われる組織の方針の変更が起こったのでしょうか。この記事でも、1971年のカメルーンの記事と同様、「聖書で訓練された良心」あるいは「聖書に基づく立場」によってエホバの証人が行動していることを示しています。それでは聖書に書かれていることがこの三十年の間に変わったのでしょうか。そんなことはもちろんありません。三十年前と今とで聖書の真理に何か決定的な違いがあって、人々の命を懸けた「聖書に基づく立場」が変わったのではありません。

この間に変わったのは、エホバの証人の世界的な指導者である、統治体の多数決の決定なのです。何のことはない、過半数の統治体員が、ついにこれは「妥協して失格者となり、命をを目ざす競争からわき道にそれる」行為ではなく、「個人の決定」に任せても構わない行為にすべきである、と考えを変えたからです。もちろんエホバの証人は、統治体のみがエホバのご意志を行っているから、エホバから統治体への指導が変わったのだ、と自分に言い聞かせて苦し紛れの理由付けをするかもしれません。しかし統治体の老人の頭にのみ、テレパシーのようにエホバの司令が来て途端に「聖書に基づく立場」が変わるのでしょうか。そのような「信仰」は本当に聖書に書かれていることと調和するのでしょうか。それとも人間の指導者に盲従するカルト信者と同じ態度でしょうか。

この間の現実をよく調べてみると、この変更が「エホバのご意志」でも「聖書の真理」でもなく、ただ世界の政治状況に妥協した政策変更に過ぎないことがわかります。昨年(1998年)九月のニュースで紹介したように、ものみの塔協会はこの数年、ヨーロッパを中心に政治的圧力にさらされて、これらの国々で投票拒否のそれまでの立場を妥協せざるを得ない状況に置かれていました。このまま行けば、従来の一貫した投票拒否と、これらの国々で始められていた妥協的投票協力の姿勢との矛盾の説明に迫られることは目に見えていました。ものみの塔協会は、皮肉なことにこのような「世」の体制の圧力によって、自家製の「聖書に基づく立場」を変えたのです。1999年11月1日の「新しい光」、「新しい理解」はこのような「世」との妥協の産物なのです。この事実は、エホバの証人の信じさせられている「エホバの真理」が、実は、ものみの塔協会という極めて「世的」で「政治的」な団体が、自分たちを取り巻く政治的な状況に従って作り上げたただの政策に過ぎないことを端的に物語っています。


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