「敬愛する長老へのお手紙−『この世代』というのは1914年の出来事を見た世代ではないのですか」に対する返事

(7-22-99)

「敬愛する長老へのお手紙−『この世代』というのは1914年の出来事を見た世代 ではないのですか」に対する返事

  中沢啓介様へ
  お便り拝見いたしました。あなたは「世代」に関するものみの塔聖書冊子協会
(以下「協会」と記す)の教理変更にどうしても合点が行かないようですね。あ
なたは信頼しておられた司会者の兄弟から「『世代』の解釈は変わらない」と言
われたのに、急に協会が見解を変えたので狼狽しておられるようです。
  確かに、エホバの証人は95年まで世代とは字句どおりに解釈すべきだと考えて
きました。この見解は「楽園」の本、「偉大な人」の本などそれまでのすべての
本の中で支持されてきました。しかし、この件に関する「聖書」の見解はどうで
しょうか。聖書はわたしたちに終わりの日の正確な時を教えていません。それど
ころか、わたしたちがいつも目覚めていてその日を待つように勧めています。
(マタイ24:36−44、使徒1:6−8)ですから、マタイ24:34の「世
代」が字句どおりでなかったとしても別に驚くべきことではありません。それ
は、マタイ24:36にあるように、天の「父」が決めることなのです。
  では、協会はなぜ今になって教理を変えたのでしょうか。それは、残念ながら
私には分かりません。ですが、この変更によって協会が聖書を捨てたわけではな
いことは明らかです。かつて「ものみの塔」誌が述べていたように、「ものみの
塔」誌は決して不謬ではありません。残念ながら、誤りが在り得るのです。なぜ
なら、協会の奉仕委員は、不完全な人間だからです。では、協会が完全でないこ
とは、協会はエホバの霊を受けていないことになるのでしょうか。いいえ。そう
ではありません。そのことは、聖書の記述を見ると分かるはずです。かつて、ダ
ビデが姦淫の罪を犯した時、エホバはダビデに対する反逆を許されましたか。い
いえ。なぜなら、ダビデは姦淫の罪を深く悔い改め、その後も神のご意志を行っ
たからです。エホバはダビデが塵でできていることを覚えておられました。彼
は、完全な人ではありませんでした。ですから、その後もエホバの油注がれた者
であり続けたのです。ですから、協会も、不完全ながら、聖書の教理を固守して
いることから、エホバの是認を受けた組織であることが分かります。
  教理が変わることは、聖書の中で予告されていました。(箴言4:18)第一、
エホバの証人は教理によってエホバに献身しているわけではありません。聖書に
は、知識は廃されることがあるが、愛は消え去らないと述べられています。知識
は愛にいたる道具に過ぎません。肝要なのは、エホバに対する愛なのです。も
し、あなたがエホバに対する愛を抱いておられれば、「世代」に関する教理が変
わったからと言って、不満を抱く必要はないはずです。なぜなら、教理の変更に
よってエホバへの愛はますます増し加わるはずだからです。ですから、今度の教
理の変更によって、あなたがエホバやその組織である協会に仕えている動機が明
らかになったのです。あなたの動機はエホバの目に純粋ではなかったのです。そ
うだったとしても、がっかりなさらないで下さい。あなたもダビデのようにエホ
バに謙遜になれば、きっとエホバのほうから導いて下さるでしょう。わたしはあ
なたが再びエホバと歩まれるよう願っています。
   すべての栄光と賛美はエホバに帰せられますように。             
                                                    1999年7月21日,
                                                       K.M.

《編集者より》
このお便りは、「イエスはどのような神なのか−ヨハネの書1:1の解釈」に対する意見と同じ方から頂きました。前のご意見と一緒にして、著者である中澤啓介氏に回答をお願いしました。回答がもらえましたら、追って掲載します。ここでも、私のあなたに対する意見だけを書きます。

私はあなたのご意見自身が自己撞着(自分の言っていることに自分で矛盾していること)に陥っていると思います(もっともこれはあなただけの問題ではなく、エホバの証人全体の自己撞着ですが)。 あなたは、一方で、

協会も、不完全ながら、聖書の教理を固守していることから、エホバの是認を受けた組織であることが分かります。
と言いながら、もう一方で、
エホバの証人は教理によってエホバに献身しているわけではありません。
と言っています。 ということは、エホバの証人は「教理の固守」によって「組織」についてはいるが、教理に関係なくエホバに献身しているということでしょうか。そうであれば、「教理の固守」ではなく「教理の変更」があった時には、エホバへの献身は変わらなくとも、「組織」につく理由はなくなるのではありませんか。実際、多くの元エホバの証人は、エホバを愛するが故に、エホバの名を詐称する「組織」を離れただけで、かなりの人がこの組織とは別に「再びエホバと歩む」道を選んでいます。

今のものみの塔協会の「組織」がエホバの組織であるということ自体が、エホバの証人の最大の「教理」であることはあなたも認めるでしょう。その教理にもし変更があったら、あなたのエホバへの愛には関係なく、あなたの組織への愛を見直すべきではありませんか。「世代」の他、「忠実で思慮深い奴隷」、「1914年」、「終わりの時」は、すべてものみの塔協会が聖書に基づいて築き上げた、組織の存在そのものの基盤となる「教理」です。これらの教理と離れて、ものみの塔を「エホバの組織」と認識することはできません。その基盤となる教理に変更があったのですから、これは大変なことであることはあなたも認めるのではありませんか。

確かに人間の組織は、ものみの塔協会であろうと、キリスト教世界の教会であろうと、不完全で間違いを犯します。確かに大事なのは「エホバへの愛」であり、更に付け加えれば「キリストと隣人への愛」のはずです。「エホバの組織」を名乗り、その権威の故に、その自分たちの「不完全」な教えを、あたかもエホバの教えのように教えて、それに対する批判を禁じてきた組織が、ある時突然、「不完全だった」といってそのドグマを変えて、それでも同じように唯一の「エホバの組織」であると自称するのは、これまた自己撞着ではないでしょうか。もし、ものみの塔協会が自分たちを「不完全」であると本当に信じているなら、「1914年」も「終わりの時」も「忠実で思慮深い奴隷」も「輸血」も全て不完全である可能性があることを、エホバの証人全体に示し、いつかは「世代」と同じように変わる可能性があるから、「組織」の教えだけに頼らないように、という警告を出すべきでしょう。しかしそれはできません。なぜなら、どんなに不完全であろうと、どんなに間違っていようと、この組織が「エホバの組織」であるということが、全てに優先する「真理」であり、それがエホバの証人であるあなたの信仰であるからです。

あなたの手紙を読むと、あなたは意図的にか無意識のうちか、上に述べた自己撞着の議論に陥り、その上で 「肝要なのは、エホバに対する愛なのです」と自分自身に言い聞かせています。しかしその実は「エホバに対する愛」を、「組織に対する愛」、つまり不完全でも間違っていてもとにかくものみの塔の組織につくこと、にすり替える自己暗示にかけているのです。何よりも組織を愛し信仰しながら、エホバを愛していると自分に言い聞かせて、あなたはこの矛盾を切り抜けようとしているように、私には思えます。