元エホバの証人二世からエホバの組織に対する疑問−続き

(1-27-99)


どうもすいません、 1月13日付、”元エホバの証人二世からエホバの組織に対する疑問” と題する記事を書いた
本人で御座います。  改めて自分で読み直してみると、文書は乱れ、不適切な表現、怒りまくった記事となっている事に
気づきました。  ここのホームページを見つけ、非常に興味深い内容が沢山記載されている事に気づき、
様々な観点から見たエホバの証人に対する意見は、ほぼ毎日愛読しております。  また、このホームページに書かれている
議論を冷静に読むと、本当の背教者とは一体どっちなのか、という疑問に対する回答も、非常に簡単にわかる事に気づきました。
結果として、精神的にも落ち着きを取り戻しつつあり、村本さんには大いに感謝申し上げたい次第で御座います。
にもかかわらず、この1月13日付の記事は、もうちょっと丁寧に表現できなかったものかと後悔しております。 
当初は、10年以上エホバの組織から離れていた私が、色んな苦しい思い出を一生懸命隠そうと自分の心の奥にしまい込んで
いながら、完全に忘れることが出来なくって、いまだに眠れぬ夜を過ごしていた自分の不満がいっきに出てしまったものだと
思っております。 乱丁ですいませんでした。
 
しかしながら、本当に現役のエホバの証人に回答を聞いてみたいものです。 ただ、私が自分の経験と知識、またエホバの
証人に対していまだに感じる事として 察っするのは、恐らく回答はしないと思います。 以前自分の知る元エホバの証人にも
生じたことなんですが、現役の証人として、どうしても回答できないこと、回答して不利になる事についての議論は一切
しないのが“エホバの証人”です。  組織内でも、“エホバに対して私たちと同じ愛を持てない人間と話す、あるいは議論する
事は賢い事でしょうか?” と何度も長老が言っていたのを思い出します。 つまり、自分達の考えが本当に正しいのかどうか
を確かめる事も“愚か”な行為である為、ここの皆さんもよく言うように、神や聖書に対する信仰ではなく、“組織”に対する
信仰以外何でもないんですねぇ。  自分の考えが明らかに真実であり、自分の聖書の解釈が完全に真実であると感じるならば、
同じ考えを持たない人間で別の解釈をしている人間こそが話して議論しなければいけない相手なんじゃないですか?
だってエホバの証人の観点から言うと、そういう人がいるからこそ、そういう間違った教えをしているからこそ、教えられている
何にも知らない人間を説得するより、教えている間違った人たちとまず議論して相手を正す事が先決ではないのでしょうか?
でもそれはしない。  なぜですか?  それは、議論しても必ずしも勝てる自信がないからです。 ”私達には神がついています”、
であれば、神は力を貸して下さるのではないんですか?  だってそこで相手を説得しなければ相手は滅びちゃうんですよね?
であれば、前にも言ったように、生まれてこない赤子の名前すら覚えている神は、エホバの証人の証言力には力を貸して
なんとか相手を説得できるように、いわゆる”不思議な力”を貸出すはずでしょう?  そうしないなら、相手は滅びちゃうんですよね。
でも、実際そんな力はない、説得が下手な人は相手の議論に負ける、だから、”避けましょう” なんですねぇ。 
 
ですから、たぶんエホバの証人の方はこういう内容には便りをよこしてくれないと思います。 また現にくれたとしても、
冷静な立場、第三者の立場になったとしても、再度突っ込みたくなるよな穴だらけの説明しかしてくれないんですよね。
だから自分も最終的には、勝手にやって下さい、としか言えなくなるんです。 0歳から18歳まで現役頑張ってきた
人間としても。
 
でも、村本さんのこのホームページはいつまでも愛読し続けます。 現に、自分と同じ立場になってしまった数多くの人間に
ここを紹介することによって、精神面で楽になっている人間も既に沢山おります。 これは、村本さんの犠牲的な行為そのものの
おかげです。  本当に感謝しております。 今後も頑張って下さい。 
 
某二世より、

《編集者より》
今までの所、あなたの投稿に対してのはっきりした回答は現役のエホバの証人から頂いておりません。あなたの指摘されるように、エホバの証人にとっては沈黙も一つの意思表示なのでしょう。確かにエホバの証人は、幾つかの教義の明らかな矛盾には沈黙を守るしかありません。しかし、エホバの証人の中にも沈黙を守らずに誠実に矛盾を考え祈り、聖書と照らし合わせた真摯な人もいました。もう少し時間をかけて待ってみましょう。


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