「初めて肉声を聞いた気がしました」

(7-24-04)

興味深く記事を拝見しております。

我が家にエホバの方が冊子を持って来られるようになってから、かれこれ4〜5年に
なります。暇なときに『目めざめよ』をペラペラとめくるくらいですが、なかなか面
白い記事もあります。

1年ほど前のことでした。それまで主に中心となって冊子の説明をしてくれた方が、
いつもとは違う力強い声で「近く、母の看護のために引っ越すことになりました」と
おっしゃったのです。その方はいつも抑えたような声で世界が終末に向かっていると
いう内容のことをしゃべっておられたのですが、そのときだけは妙に声に力があり、
気のせいか目にも輝きがありました。
「介護となると大変ですよね。ご家族で引っ越されるのですか?」と伺ってみると
「ええ。主人と一緒に行きます。自分の母親ですから、最期はきちんと面倒みようと
思っています」と、はっきりと私の目を見て答えて下さいました。それはまるで、
 …近所にいるふつうのおばさんのようでした。今までは、年齢にそぐわない清廉さ
を身にまとっていたように思えたのですが、そんな衣を脱ぎ捨てたかのように思えま
した。その日はエホパのエの字も出ず、世の不正を訴えるわけでもなく、高齢者介護
について世間話を2〜3分交わす間に、これまで見せたことのない様な笑顔まで見せ
てくれました。互いの健康を願って別れましたが、私はそれまで感じたことのない彼
女の逞しさを短い会話の中から感じました。初めてその方の肉声を聞いた思いでし
た。母を支えなければならないという心の張りが全身に漲ってたのでしょうか。宗
教っていったい何だろうと思わされる体験でした。

その方が、お母様の介護をきっかけにエホバの奉仕を止めたのか、引っ越した先の地
域で続けておられるのかわかりませんが、早くから普通のおばさんであってくれた
ら、もっと普通に会話ができたのに残念だったなとしみじみ思います。非常に誠実で
立派な方でしたから。といっても先方は普通の会話を望んでいないのでしょうね。

今いらしている方も、何か鎧をまとっているように感じています。
1〜2ヶ月に1度、顔を合わす程度ですが、入信する気がない場合には、冊子をもらう
ことを拒否した方が良いのでしょうか? 『目ざめよ』は質のよい冊子だと思うので
すが。

《編集者より》
非常に興味深い観察だと思います。私は最近の著書の中で書きましたが、組織化された宗教(ものみの塔宗教はその代表のようなものですが)は一つの仮面だと思っています。皆で一緒の色と表情の仮面をつけて、自分たちは一つの組織に属するのだ、と一斉に行動して見せますが、その仮面の下にある一人一人の心を完全に統一して一色に塗り替えることは出来ません。(それを無理やりにやろうとするのが、一部の宗教につきもののマインドコントロールです。)あなたの所に来ていたエホバの証人が、ある時に活き活きとした声と表情で自分の生活を語る時、あなたはきっと彼女のエホバの証人という「仮面」の下にある、彼女本来の実際の人間を見たのではないでしょうか。これも私が著書に書いたことですが、組織宗教の最大の病根は、「仮面人間」を大量に作り上げて、仮面の下にある本来の人間性を殺してしまうことにあるのです。宗教団体の壁を超えた裸の人間同士の温かいふれあいは、宗教の仮面を取り外すことから始まると私は信じていますし、それが私の著書で提唱したことです。あなたの体験は、その意味で私の提唱を裏付けるように思えました。今来ている人も「何か鎧をまとっているように感じる」というのは、同じ様にその人が「組織人間」であって、自分本来の人間性を押し殺しているからでしょう。このような「組織人間」(それは団体人間でも党人間でも国家人間でも同じですが)が、グループになって固まり、個人個人の人間性を疎外していることが、現代社会の病根であると私は信じています。なお、『目ざめよ』は質のよい冊子では決してありません。頻回に科学関係の記事を載せていますが、その観点は偏っていたり、ある場合には全くの間違いであったりしています。宗教団体がなぜ、科学や社会問題に関する記事を書く必要があるのでしょうか。それは宗教の教義だけの雑誌では余りに退屈で、あなたのような一般の人を惹き付けられないからです。あなたのように『目ざめよ』は質のよい冊子と思ってエホバの証人に興味を持ってくれる人が出てくれば、それで『目ざめよ』誌の目的は達成しているのです。