「TV ディレクターより感謝と質問」

(4-19-04)

お疲れ様です。と有難うございます。元エホバの証人です。
「精神疾患」の項を読んで全て自分に当てはまってしまうので
、自分の性格がそもそも悪かったのか、と恨んでしまう始末で
す。「信じやすい」性格はどうしたらいいのでしょう?宗教を
信じてしまう人は「弱く」そうでない人は「強い」人なのでし
ょうか?

私はエホバにはまる前に、もともと超常現象に興味がありまし
た。日本では、そうしたTV番組が非常に多く、またディスカバ
リー(科学?)チャンネルなどでもそうした事例は世界的に紹
介され、決して否定されることは無いのですが、先生はどう考
えてらっしゃるのですか?

《編集者より》
確かに人間には、あいまいなものを確信して信じ込んでしまう人と、あいまいなものはあいまいなものとして常に確かめようとする人とがいるようです。宗教を信じる人が全て前者であるとは限りません。あいまいなものから出発して、確かな事柄を発見して証明するのが科学者の役目ですが、そのような科学者であっても宗教を信じる人は沢山います。逆に無批判に何でも信じ込んでしまう人でも、宗教に入らない人もいます。ただ、私の経験ではエホバの証人には一般に、あいまいなものを確信してしまいやすい性格が共通にあるように思います。(これはわたしの「あいまいな」印象であって、正確なデータによって示されたものではありませんので、「確信」しなくて結構ですが。)あなたもおっしゃるように、超常現象に対する興味とか、アメリカのエホバの証人の間で特に根強い人気のあるUFOの話であるとか、エホバの証人の間でよく流行っているねずみ講のようないかがわしい会員制の商品販売などは、その反映であると私は思っています。その他、ちょっと体調を崩すと「自分は死ぬような病気にかかっている」と確信する心気症なども、エホバの証人の人々を診療しているとよく見ることがあります。このように、あいまいなものから出発して確信に飛躍をする人々にとって、聖書の解釈は最も適しています。2000年以上の昔に書かれた曖昧模糊とした、様々な解釈が可能な文書を読むうちに、一つの解釈を思いつくと、他の解釈は打ち消され、それが確信となってしまう過程、これはエホバの証人の信仰の典型的なパターンです。「忠実な思慮深い奴隷」が教団の指導部を指していると言う、自分中心の妄想解釈が確信になるのはその見事な例です。

それでは、どうしてある人々はこのようにあいまいなものから簡単に確信に飛躍してしまうのに、別の人々は慎重に全体を見渡してあいまいなものはあいまいなものに対応した判断を下すのでしょうか。今の所、このメカニズムはわかっていないと思いますが、神経精神医学の非常に重要な研究課題であると思います。これは私見ですが、幼少期の親からの教育が重要な役割を果たしているのではないかと思います。あいまいなものを確信して、インチキ商法や新興宗教のとりこになった親の子供たちは、やはり親と似たようなあいまいなものへの反応を示すようです。また、成長期には教育が大きな役割を果たすと思います。初等教育から高等教育まで、科学的な見方と思考法を訓練された人々には、このようなあいまいなものへの確信は少ないようですが、教育を受けない人、教育を受けてもそれを身につけられなかった人々には、この傾向が強いようです。