「ものみの塔員でなければ救われないという教え」について−「イエスを恋い慕う者」より

(12-8-03)


こんにちは。
つい先ほど知った情報ですが真偽を教えてください。
エホバの証人談によると、聖書を知らずに亡くなっている私たちの先祖も、千年統治の期
間に復活して選別の機会をあたえられるというのです。
現在、中途半端にしか聖書を理解していなくても、義人として生きている人は、エホバの
証人ではなくても、復活するそうです。
なぜなら、裁く方は神だから。私たちは不完全なので心の内までは見ることができないが、
神はその人の心を見られて判断されるからと云う説明でした。
しかし復活した後、彼らにも聖書全体を理解する機会をあたえられ、千年の終わりに最終
的な試みが臨んで裁かれます。その時にはもうひとつの巻物が聖書に加えられているそう
です。
聖書の知識を理解することは、生き残る人々の必至事項になっていますが、 
「ものみの塔員でなければ救われない」
という教えではないことにびっくりしたのです。
彼らは独自の聖書解釈をもっていますが、裁くのは人間ではない、と言っています。つま
り、彼らの聖書解釈にも限界があるということを認めているようにも受け取れました。
私は彼らにだまされているのでしょうか。
それとも理解者になりかけているのでしょうか。
この話は彼らの教えで間違いないのでしょうか。

《編集者より》
引き続き「研究生の一人として」の疑問を頂きました。真摯に模索しておられる姿に敬意を表します。あなたの知った情報については、ものみの塔誌1993年5月15日号の読者からの質問、「真のキリスト教を現在受け入れないまま,大患難が始まる前に死ぬ人々は復活させられますか」に詳しく書かれています。エホバの証人の伝道を退けた人々は(例えば私のように、はっきりとエホバの証人の教えに反対を表明している人間は)、復活はなく永遠の滅びしかないと教えていますが、はっきりと理解していない人、エホバの証人の教えを聞く機会のなかった人は、復活することになっています。しかし、復活した後ではものみの塔の教えに従わない限り滅ぼされるわけで、やはり最終的にはものみの塔の教えに従わない限り、救いはないということになります。あなたの言う「ものみの塔員でなければ救われないという教え」はどの時点での救いかにかかっています。確かに、直ぐに来ると教えるハルマゲドンの大艱難では「ものみの塔」に明確に反対していない限り生き残れると教えているので、「ものみの塔員でなければ救われない」とは言えません。しかし、最終的な裁きはものみの塔の教え(これが聖書の教えと一致していると信じる限り)に従うことにかかっているので、結局は早いうちにものみの塔に従った方が安全であるという結論になります。

なお、「裁くのは人間ではない」というのは、聖書を読めば誰でも直ぐに読めることで、何も新しいことではありませんし、聖書を読むものなら誰でも得られる結論であって何も「彼らの聖書解釈にも限界があるということを認めている」わけではありません。問題は、ものみの塔の人間が裁くのではなく、ものみの塔の人間が、誰が救われるか誰が救われないか、を勝手に予想して教えていることです。ものみの塔が「エホバの唯一の組織」としてそのような予想を立てれば、その予想に反した人間に救いがないと結論されるのは、当然ではないでしょうか。ここでも実質的に「ものみの塔」が裁いていることになっているのです。


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