「兄の集会参加の顛末」

(11-19-03)

久しぶりに投稿します。
父が1ヶ月入院したため、経済的に余裕がなくなったことは前にお知らせしたとおりです。
ですから私は今年度は休みは取れないと覚悟してました。9月半ばだったころ、兄は10月
に連続3日休みを要求してきました。私はそれは無理と答えたら、憤って文句を言いまし
た。兄自身も余裕がないのはわかっているはずなのですが、それでも無理強いしてくるの
に理解できませんでした。そのときは、単に文句だけで終わりましたが、後日はもっと我
を通してきました。
俺はエホバの証人だぞ、自分はなるべく協力しているなどをいい放って不満を述べていき
ました。自分のことをクリスチャンとは言わず、教団名を出してきました。金をだすから
何とかしろとも言いました。そういう兄の言動を見て、私は情けなくなりました。確かに
兄の言っていることは不当なことではありません。休みをとる余裕のない我が家の仕事の
あり方に問題はあります。しかし、それでも兄の要求を快く受入れる気持ちにはなりませ
んでした。ある宗教に属しているから特別扱いしようとは思いません。毎週3回も会合に
参加し、去年は何回も休みをとって出ていることを考えれば、今年その集会に参加できな
くても、問題はないはずです。後日、集会の内容を知ることはいくらでもできます。
だいたい聖書に、集会に参加することが何をおいても大事とどこに書いているのでしょう
か?集会に参加しない、できない人間は救われないとどこに書いているのでしょうか?イ
エスやイエスの弟子たちは、集会の参加の度合いで、信仰の深さを測ったのでしょうか?
律法を守ろうにも守れるほどの余裕のない人々に対してイエスはどういう態度をとってき
たのでしょうか?
結局、父に兄のことを話したら、金を払わなくても良いし、休みを取らせればよいと言っ
て、兄は10月に3日間出て行きました。
 
兄が帰った後、我が家の経営のあり方を少しでも改善しないといけないと思いました。家
族それぞれの考えがどうであれ、少しでも余裕が持てるようにしないといけません。ただ
し、余裕があっても兄のせかせかした生活はなおらないでしょうね。余裕のある分を証人
の活動にさくでしょうから、忙しさはさほど変わらないでしょう。

《編集者より》
これは「証人の兄を持つ者から」の投稿をされた方からの、その後の進展です。集会への参加が、家族の都合や他の人間関係より優先される理由は、ものみの塔協会が集会への参加を第一と教えることの他に、エホバの証人達の集会への強い心理的依存があります。多くの元エホバの証人の証言が物語るように、ものみの塔協会は、信者たちに外部の「この世」に対して軽蔑と恐怖の心を巧みに植え付け、その見返りとして、集会やエホバの証人同士の交流の中に救いを求めさせるのです。これが長年にわたって心の底に叩き込まれると、集会から離れると一種の「分離不安」の気持ちが台頭してきて、どうしても集会に戻らざるを得なくなります。一種のマインドコントロールです。このようなエホバの証人の組織依存心を変えるのは非常に困難です。鍵となるのは「自分の頭で考える心」だと思います。このサイトでも「物事をありのままに考える」とか、「真実を(組織と独立に)求めたい」というような言葉が使われますが、夫々そのような組織依存から離れようとする、「目ざめた」エホバの証人たちの気持ちを表しています。あなたのお兄さんがそのように変わることが、最も大事な第一歩であると思います。