仏教の葬儀に参加して・・・(七転八起)

(4-28-02)

まず、自分の経験を語る前に「静かなる嵐の息子」さんの投書に感謝
いたします。私も子供が組織に残っているので、貴方とは逆ですが、
希望を持ち続ける励みとなりました。どうか、あなた方の経験を引き続き
公開していただければ、嬉しく思います。
 
前回の神社の儀式に加え、今回は地区で葬式があり、役員をしている
私共は、葬式の段取り(葬儀屋のしない部分)を任されました。田舎な
ので、2回の食事(200食分)を作り、提供すること、会場の設営、受付
遺体の火葬などを地区の人々で行なうので、陣頭指揮をすることになり
ました。
 
これまでも、この土地に来て20回近く葬儀があったので、証人であった
時は、食事の手伝いは行ないながらも葬儀には参列しませんでした。
その態度が地域の人の不興を買って、作業をしている間もいろいろ小言
を言われてきました。また、地域の人と距離を置いた態度が相手にも伝
わるので、親しく打ち解けるのが困難でした。
 
ところが、今回は断絶していたし、役員だったので焼香はしなかったけれ
ど式には参列しましたし、作業の間中、忙しく立ち働き指示を出したりして
いました。効率よく動いたので、いつもより1時間早く終えることが出来、
地域の人々からお褒めの言葉をいただきました。さらに、これまでより、
親しく言葉を交わすようになってきました。
 
これまで、証人として避けていたことが意味の無いことだったと、痛感し
ています。どの宗教儀式も本質はあまり変わらないと思います。特に
葬式は故人の死を悼み、残された家族をいたわるのが本来の目的なの
で、それゆえに多くの人は宗教の枠を超えて、隣人の葬儀に参加するの
だと思います。今回もサタンの影響など全く感じません。
むしろ、隣人と平和な関係を築けたことの安堵感で満たされています。
 
ものみの塔から離れた方達の今後の参考になればと思い経験を綴って
みました。(私自身は両親が亡くなった時は無宗教の葬儀をするつもりで
す。すでに、両親の同意も得ていますし、葬儀屋にも問い合わせをしたり、
インターネットで無宗教の式次第を検索してプランを印刷しています。)

《編集者より》
儀式や偶像は世界中の全ての宗教につきものです。これはエホバの証人でも例外ではありません。毎年春に行なわれる記念式は宗教儀式ですし、集会や大会や奉仕はそれに参加することに大きな信仰の意義がかかっている点で一種の儀式です。確かにエホバの証人は神の偶像は使っていませんが、世界中の本部や支部の立派な建物や印刷工場や出版物にエホバの祝福の徴を意味付ける点では、「物」に信仰を置いている点で、偶像崇拝と本質的に同じだと思います。儀式と偶像は人類共通の宗教行動であり、形は変わっていても、参加する人々の心の状態に共通するものがあります。葬式は結婚式と並んで、最も普遍的に行なわれる儀式であり、宗教の形は変わっていても人々の心の中身は共通しています。同じような思いやり、同情と尊敬を持てば、別の宗教の儀式に参加することは全く構わないことであると私も思っています。