「『ある光景で感じたこと』−エホバの証人に対する差別と迫害」を投書された方へ

(1-12-06)


確かに仕事を手際よくすることと信仰とは関係ないでしょう。でもエホバの証人たち
の世間一般の人々に対する態度はどうでしょうか?
エホバの証人たちは自分たち以外の人々を「この世の人たち」と呼び、交流することを
拒絶し、軽蔑すらしています。何か邪悪な事をしたわけでもないのに、「ものみの
塔」の教えに関心を示さないという理由だけで敵視しています。おもしろいことにエ
ホバの証人たちの多くが「この世の人たち」の収入に依存して生きています。又、伝
統的なキリスト教徒たちと友好関係を築くどころか、彼らを非キリスト教徒たち以上
に忌み嫌い、彼らは悪魔サタンの支配下にあると思っています。元二世ならその事が
よくお分かりのはずです。
エホバの証人たちが世間一般の人々に対してそういう態度を取れば、必然的に世間一
般の人々もエホバの証人たちに対して拒絶的にならないでしょうか?忌み嫌われる原
因を最初に作っているのはエホバの証人たちのほうです。

業種によっては日曜日に出勤しなければならないことがあります。そのような企業で
人を採用する時に日曜日に出勤できるかどうか人事担当者が聞くのは至極当然な事で
す。(でもそういう場合には普通別の曜日に代休が取れるようになっているはずで
す。毎週日曜日に出勤しなければならない場合には別の曜日が定休日として設定され
ているはずです。)その人事担当者はうっかり「その宗教の方は迷惑だから帰ってく
ださい。」と言ってしまったのでしょうが、日曜日は教会に行っているから出勤でき
ないと言っていたとしも(そのように言っていればきっとカトリック教徒かプロテス
タント教徒だと思われたでしょう。)やはり断られたでしょう。(不思議なことにエ
ホバの証人たちは教会に行くとは言わずに集会に行くと言います。それだけでも異質
な感じがします。)何か習い事をしているから日曜日には出勤できないという理由で
もきっと断られたことでしょう。エホバの証人だからという理由で断られたと思って
いるのなら被害妄想も甚だしいです。多くのエホバの証人たちに見られる特徴の一つ
です。

あなたは、「一番の問題は統治体とその組織であり、個人ではないはずです。」「悪
いのは組織であります、個人ではありません。」とおっしゃいますが、そういう宗教
団体にとどまっているのはやはりその個人です。誰かが強制したわけでもなく、あく
までその個人の意思によるものです。
たとえ誕生した時からあるいは幼少の頃から「ものみの塔」の教えの中で過ごすこと
を余儀なくされた人でも、物心が付いて「統治体」のやり方に疑問を感じた人は自分
の意思で不活発になったり断絶したりしてその組織から離れて行っています(あなた
もその一人でしょう)。その事はこのサイトに寄せられる多くの元エホバの証人たち
からの投書を見ても分かります。

信じている宗教や所属している宗教団体によって人を判断するのではなく、何を信じ
てどういう日常生活を送っているかによって人を判断する世の中になればいいと私は
思っています。

《編集者より》
これは「『ある光景で感じたこと』−エホバの証人に対する差別と迫害」に対するものです。あなたと前回の投稿者の違いは、強調点の違いだけで、あなたの最後の文は、前回の投稿者も全く賛成する論旨であると思います(私も賛成です)。違いは、宗教団体にとどまっている個人を宗教団体によって判断するのか、個人の人として判断するのかの違いでしょう。あなたの論旨を徹底すれば、宗教団体にとどまっていてもいなくても、人を個人として判断すべきであるということになるでしょう。組織に留まっている証人には様々な理由があると思います。その中にはあなたの言うような、組織の教えを盲目的に信仰して他宗教の信者を忌み嫌う人もいますが、そうでない、より公平な見方をする証人もいると思います。一概にエホバの証人であるという理由で差別や偏見をもって扱うことには私は反対です。


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