「エホバの証人記者クラブ」の「投票は解禁されたのか」に対する反論

「エホバの証人記者クラブ」と題する無名の主宰者によるウェブサイトは、「投票は解禁されたのか」という記事を掲載し、このウェブサイトと編集者を名指しして批判している。その記事は、JWICの「エホバの証人は聖書に基づく良心によって投票を拒否してきたのでしょうか」の記事を詳細に反論したものだ。何人かの読者から、これに対する反論を行うように要請されたので、ここにこの「反論に対する反論」を掲載して読者に問題点を明らかにしたい。

1950年のものみの塔誌の引用について

まず、「記者クラブ」は「ものみの塔」誌(英語)、1950年11月15日号、445,446頁の引用をあげて、1950年にすでに、投票を義務づけられている国では投票所に行くことができる、という教えが出ていることから、1999年11月1日の「読者からの質問」は教義の変更ではなくそれまでの教義の確認であるとしている。

「ものみの塔」誌(英語)、1950年11月15日号、445,446ページはこう述べました。「カエサルが市民に投票を義務づけているところでは・・・・・・ [ 証人たち ] は投票所に行き、投票用紙記入所に入ることができる。そこでは、投票用紙に印を付けるか、何を支持するかを記入するよう求められる。投票者は、投票用紙について自分の望むところを行なう。それで今、神のみ前にいる者として証人たちは神のおきてに調和し、自らの信仰にしたがって行動しなければならない。投票用紙をどうするかについて指示するのはわたしたちの責任ではない」。(ものみの塔1999年11月1日29頁)
「記者クラブ」はこの部分を使って次のように述べている。

「ものみの塔」誌自身が指摘しているように、投票に関するこの教理は1950年以来変更されていません。しかしながら、何らかの理由により、村本氏はこの記述の存在を意図的に無視しているように見えます。

しかし単純に考えれば、もし教義がこの50年間に変更していないとすれば、なぜ50年も前の記事を引用してきて、それ以後のもっと最近の記事で、この教義の変更がないことを示すことができないのか、と疑問に思うのも当然であろう。その理由は、実はそのような教えはその後の50年間、一切ないからだ。「記者クラブ」がここで述べていないことは、ものみの塔の教えの多くは時間と共に二転三転することである。この1950年の記事の14年後の1964年5月15日のものみの塔誌は、次のように書いている。

政治選挙の場合にどんな態度をとるべきかという事は、円熟したクリスチャンにとって少しも問題ではありません。全体主義の国では法律によって投票が義務づけられていることも多く、家から投票場まで連れて行かれる場合さえあります。民主主義の国でさえも、投票が法律上の義務になっている国があります。どの国においてもエホバの証者は政治に参加しません。エホバの証者はこの世のものではありません。(ヨハネ、一七ノ一四)従って選挙のさいに投票に参加しないのです。彼らは政治の問題で自分たちの中立の立場を妥協させません。−ものみの塔(英語版)1964 年5月15日308頁

確かにこの記事でも、もし投票所に連れて行かれることになれば、無効投票をするように教えているが、たとえ国や法律が義務づけていても、「どの国においても」投票に参加しないことが第一の教えになっている。ここにはどこにも、「選挙に立候補した人に個人として投票するかどうかについて、エホバの証人は各自、聖書によって訓練された自分の良心と、神および国家に対する自分の責任に関する理解に基づいて決定します」(ものみの塔1999年11月1日29頁)などという柔軟性のある指導はなく、無条件で「投票に参加しない」ことを宣言している。この1964年の記事を読んだエホバの証人が「それでは」と言って自発的に投票所へ行って無効投票をすることを考えるだろうか。

そして1970年のものみの塔誌では、「エホバの証人は聖書に基づく良心によって投票を拒否してきたのでしょうか」の記事に紹介したように、カメルーンで義務づけられた投票場へ行くことを拒否したエホバの証人が迫害されたことを詳細に述べている。しかし、その記事には1950年11月15日の記事の引用は一切されておらず、「投票所に行くことにした人がいても、それはその人の決定です」(ものみの塔1999年11月1日29頁)とカメルーンのエホバの証人に、迫害を受けずにすむ方法の選択があったことも一切述べていない。この記事は終始カメルーンのエホバの証人の妥協しない態度を賞賛しており、当然エホバの証人はこれを手本として自分達の投票に対する絶対拒否の態度を決めてきた。

他にも「記者クラブ」が引用しないものみの塔の記事で、政治的な投票を無条件で否定している所はいくつもある。「エホバの証人は聖書に基づく良心によって投票を拒否してきたのでしょうか」の記事で紹介したように1974、1975、1986、1989年のものみの塔誌はすべて、無条件で投票に参加することを否定している。

投票に関する教えは1950年以来変わっていないという主張について

このように見てくると、一見「記者クラブ」の言うように、1999年11月1日のものみの塔の記事は、1950年の教えに戻り、その間の無条件投票参加拒否の教えから、「投票が義務づけられた国では、投票の内容に関係なく少なくとも投票場に[自発的にでも強制されてでも]行くことは構わない」という教えに戻ったように見える。しかしこれは「記者クラブ」の言うように過去50年間教義の変更がないことを意味するのであろうか。少なくとも「未信者である夫がエホバの証人の妻に投票に行くことを強いる場合に投票に行くことを誰も批判すべきではない」、という教えは日本の国に最もよく適応される状況であるが、このことに言及した教えは1999年11月1日以前には一切ない。実際、日本の未信者の夫で妻を投票に連れて行こうとした時に、素直に妻が従ってきたという経験をした夫が1999年以前にどれだけいたであろうか。もし1999年11月1日の教えが新しいものでないとすれば、日本の未信者の夫の多くはエホバの証人の妻が素直に投票についてきたのを経験しているはずであるが、これはこの50年間の現実の体験であろうか。読者のエホバの証人を妻に持つ夫の体験を聞きたいものだ。

このように「記者クラブ」が混乱しているのは、ものみの塔の教えに一貫性がないことに起因している。このようなものみの塔の不可解な一貫性のない教えを理解する鍵は、「記者クラブ」が意図的に明らかにしていない1950年11月15日の記事の全体の内容である。この記事は「上位の権威への服従」と題して、ローマ13:1-7に言及されている「上位の権威」が何をさしているのかを論じるのが主題なのだ。歴史的に見てエホバの証人は最初、この「上位の権威」を大多数の聖書の解釈者と一致させて、この世の政府、あるいは人間の支配者、と解釈していた。しかし「光が増えた」ことにより第二代会長のラザフォードの時代の1929年に「上位の権威」は神とイエスキリストをさすという解釈に変えられた。この1950年11月の記事は、このラザフォードのもたらした教義を詳細に解説したものである。そこでは、キリスト教世界がいかに「上位の権威」の解釈を履き違えてこの世の政治権力に服従してしまったかを糾弾し、いかにエホバの証人の当時の「上位の権威」の解釈が正しく、キリスト教世界の解釈が間違っているかを強調している。

しかし、この間違っているはずのキリスト教世界の解釈はなんと1962年に、何事もないかのように新しい光としてエホバの証人の教義に取り入れられている。この間のいきさつは、ものみの塔協会自身が書いた歴史に、「光はいっそう輝きを増す」と題して次のように語られている。

*** 告 147 10 真理の正確な知識において成長する ***
そのような漸進的な理解は,彼らの現代史の初期に限られていたわけではありません。それは現在までずっと続いています。例えば,1962年には,ローマ 13章1節から7節の「上位の権威」に関する理解に調整が加えられました。

多年にわたり,聖書研究者たちは,「上にある権威」(欽定)とはエホバ神とイエス・キリストであると教えていました。なぜでしょうか。「ものみの塔」誌(英文),1929年6月1日号と6月15日号は,世俗の様々な法律を引き合いに出し,ある地域で許されている事柄が別の地域では禁じられているということを示しました。また,神が禁じておられる事柄を行なうよう人々に要求したり,神がご自分の僕たちに命じておられることを禁止したりする世俗の法律にも注意が向けられました。聖書研究者たちは神の至上の権威に敬意を示したいと真剣に願っていたので,「上にある権威」はエホバ神とイエス・キリストであるに違いないと考えました。それでも世俗の法律には従いましたが,まず強調されたのは神への従順だったのです。これは大切な教訓でした。そのおかげで彼らは,世界が騒乱に巻き込まれたその後の時期に力を得ることができました。しかし,ローマ 13章1節から7節が述べている事柄については,はっきり理解していなかったのです。

何年も後に,その聖句の文脈や,聖書の残りの部分全体を考慮に入れた意味などが入念に再検討されました。その結果1962年に,「上位の権威」とは世俗の支配者たちであることが明らかになりました。しかし,「新世界訳」の助けにより,相対的な服従の原則もはっきり理解されました。 世の政府に対するエホバの証人の態度はそれによって大きく変化したわけではありませんでしたが,聖書の重要な部分に関する理解は確かに訂正されました。その過程で,エホバの証人各自は,神と世俗の権威の両方に対する責任を本当にしっかり果たしているかどうかをじっくり考える機会を得ました。「上位の権威」に関するその明快な理解はエホバの証人を保護する役目を果たしました。国家主義や民族主義が高まり,より大きな自由を求める叫びが上がったために,暴力行為が発生したり新しい政府が作られたりした国々では特にそう言えます。−「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」147頁

しかし「告げる人々」の記事が意図的に隠して教えないことは、この同じ「上位の権威」の解釈が1929年代以前にはエホバの証人の解釈であったことであり、それがラザフォードにより1929年にキリスト教世界の解釈として捨て去られたことである。実際、「神の目的とエホバの証人」(1959年英文、91頁)には、このような以前の「上位の権威」の解釈を「偽りの教理と慣行」の例として挙げて、「組織から一掃される」必要があったとしている。従って光の譬えを使うのなら、これは何も1962年に光が増したのではなく、以前に有害な光としてごみ処理場の穴に埋められていたものを、掘り返して泥を払っていかにも新しい光のように見せかけているだけなのだ。

それではこのような「上位の権威」の解釈の二転三転の歴史と、「記者クラブ」が強調する1950年11月の記事の内容とはどのような関係があるのだろうか。端的に言うなら、1950年の記事は、現在では偽りの教理と考えられているものを教えている記事なのだ。もし現在、この1950年の記事の筆者が生きていて同じ事を会衆で教えれば、彼はたちまち「偽りの教え」を教える「背教者」として排斥されるであろう。「記者クラブ」がそれ以後に繰り返されるものみの塔の記事の教えを無視して1950年の記事に固執し、1999年11月1日の記事が1950年の記事を引用してあたかも教理に変更が無いかのように粉飾をはかるのは、このような偽りの記事の中に前後を切り離して現在再利用できる部分を見つけたからだ。再び譬えを使えば、有害ごみ処理場からこっそりと再利用可能な部品を見つけてきて、それが有害ごみであることを知らせずに再利用しているに過ぎないと言えるであろう。

選挙人登録について

「記者クラブ」は選挙人登録については、エホバの証人は問題なく行ってきたと主張する。

しかし、そもそもこの記事は選挙人登録については一言も触れていませんし、それ以前に、選挙人登録に関するエホバの証人の教理上の立場も変化していません。 たとえば日本では、国民は成人すると自動的に選挙登録されますが、エホバの証人はそのことを受け入れ、異議を唱えていません。 以上の事実から明らかなように、投票に関するエホバの証人の見方は変わっていません。

これは「記者クラブ」の外国の選挙制度に関する無知の反映に過ぎない。確かに日本の公職選挙法では、選挙管理委員会が住民登録台帳を元に有資格者をほぼ自動的に選挙人に登録してしまう。従って日本人で住民登録をして資格があれば、積極的に行動を起こさなくとも選挙人登録は終了してしまう。エホバの証人は住民登録に反対するわけではないから、彼らも自動的に選挙人に登録される。しかしアメリカやヨーロッパなどの外国では事情は全く異なる。選挙人登録は決して役所が自動的に行ってはくれない。自分で必要な書類を作成し、証明する書類を添付して正式に申し込まなければならない。これは結構面倒な手続きで、申込者が積極的に行動を起こさなければならない。アメリカやヨーロッパの自動的に選挙人登録をしない国々で、どれだけのエホバの証人がこのような面倒で必要も無い選挙人登録をしてきたというのだろうか。この筆者の住むアメリカでは、少なくとも選挙人登録をしているエホバの証人は、信者になる前に登録した人々を除いて、皆無である。これに対しごく最近、少なくともドイツやフランスでは、政治情勢に押されて自発的に選挙人登録をするエホバの証人が出てきているのである。もし無条件で投票に参加しないという態度が一貫しているのであれば、なぜこの時点で面倒で必要も無い選挙人登録を始める必要があるのだろうか。上の「記者クラブ」の主張は彼の無知の暴露か意図的な欺瞞でしかなく、この疑問に答えることはできない。

統治体は情報を提供するだけ、という主張について

「記者クラブ」は統治体の役割について次のように主張している。

この記事において統治体が念頭に置いている責務とは、判断を下すのに必要な聖書の情報を提供することにより、エホバの証人一人一人が聖書的に正しい判断を行えるよう援助することです。これは「教理上のインフォームド・チョイス」と呼べるものです。エホバの証人の統治体ができるのは、あくまで必要な情報の提供です。つまり、「この問題について聖書はこのように述べています」とか、「この問題にはこの聖書のこの原則が関係しています」といった具合に述べることです。ですから、聖書からはっきりと結論が導けるような場合を除き、エホバの証人個人に代わって統治体がエホバの証人の行動を決定することはあってはなりません。

この一見常識的で柔軟に見える統治体の役割に関する主張には、実は重要な問題が内在している。それは、上の「記者クラブ」の引用にある、「聖書からはっきりと結論が導けるような場合を除き」という条件だ。聖書からはっきり結論を導ける問題に関しては、誰もが同じように行動するのは当然だ。エホバの証人であろうがなかろうが、統治体がなんと言おうと、人殺し、盗み、嘘をつくこと、これらは全ての人が一致して同じ行動をとるはずだし、それが現実になっている。問題は、上に述べた投票の例や上位の権威の解釈などのように、人によって場合によって聖書の解釈が異なる場合である。一体誰が、「記者クラブ」の言う「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」かどうかを決めるのだろうか。エホバの証人個人が、自分の良心に基づいて上位の権威は何をさすかを決めることができたのだろうか。もちろんこれは否である。ただ一つ統治体のみが、どこまでが「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」かを決めることができる。エホバの証人がいくら個人で聖書を勉強し、自分の聖書に基づいた良心を訓練して、ある問題が「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」かどうかを判断しようとしても、もしこれが統治体によって決められていれば、そこには個人の良心の自由もなければ、自分の意志の表示の自由もない。

興味あることに、「記者クラブ」はその記事の最後に「クリスマスケーキを食べるか食べないか」の疑問を例として取り上げて、エホバの証人が「戒律主義」でなく聖書の原則をわきまえて自分で考えて対処していることを説明しようとしているが、そこで「記者クラブ」は次のように書いている。

これまで、エホバの証人の統治体は、クリスマスケーキを食べることについては何も見解を発表していません。ですから、エホバの証人は、聖書によって訓練された良心に基づき、この問題をすべて自分自身で扱わなければなりません。しかし、聖書の見方を知っているなら、どのように考えるべきかについて、エホバの証人が悩むことはないでしょう。

ここでエホバの証人の行動を理解する決定的な鍵は、「統治体は…何も見解を発表していません、ですから、エホバの証人は、聖書によって訓練された良心に基づき、この問題をすべて自分自身で扱わなければなりません」という表現だ。この言葉を別の言葉で言いかえれば、「統治体が見解を発表していれば、その問題は自分自身で扱ってはならない」となる。つまり統治体が見解を発表したことに関しては、エホバの証人は聖書によって訓練された良心に基づいて行動するのではなく、統治体の見解に盲従するしかないのだ。これこそ、人間の指導者に対する盲従であり、戒律主義以外の何ものでもない。「記者クラブ」はその後で幾つかの条件と聖書の教えとを考慮し、ある場合にはクリスマスケーキを食べても構わないが、ある場合には食べてはならないと結論している。しかし同じ考察を統治体がものみの塔の「読者からの質問」で書いて発表し、「円熟したクリスチャンは従ってクリスマスケーキを食べることをしません」と結論したらどうなるであろうか。「記者クラブ」の言う通り、その時点では統治体がクリスマスケーキに関してはっきりした見解を発表したことになり、エホバの証人はもはや自分の頭で考える余地はなく、盲目的にクリスマスケーキの戒律に従うことになっていたであろう。

そのような盲目的戒律主義の実際的な例は、誕生日の祝いの例によく見られる。聖書を一度でも読んだことがある人であれば、聖書のどこにもはっきりと誕生日を祝うことを禁じている箇所はないことを知っている。従って多くの聖書に従う人々は個人個人の聖書に培われた良心に基づいて、誕生日を祝うか祝わないかを決定している。それに対し、エホバの証人に関しては誕生日を祝うか祝わないかは統治体のレベルですでに決定されていて、そこに良心に基づいた決定の自由は許されていない。「記者クラブ」の言うようにもし、統治体は誕生日に関してただ「聖書はこのように述べています」と教えるだけなら、誕生日はただ聖書の中で二個所、否定的な文脈の中で述べられているだけで、大部分の理由は聖書以外の引用によっているのだから(「論じる」の本によれば、誕生日を祝わない理由は、「キリスト教と教会の最初の3世紀間の歴史」、「インペリアル聖書辞典」、「シュベービッシュ・ツァイトゥンク(ツァイト・ウント・ウェルト紙の別刷り雑誌)」、「誕生日に関する伝承」などの本の記述によっており、聖書の引用にはどこにもクリスチャンが誕生日を祝うべきではないとは書いていない)エホバの証人の間に「聖書に訓練された良心に基づいて」誕生日を祝う人がいるはずである。ちょうど「記者クラブ」がクリスマスケーキについて多くの要素を考えたように、誕生日の祝いについても多くの要素を考えることができる。たとえば、「エホバはファラオやヘロデのような派手な祝いは好まないので避けよう、しかし人が誕生したことを祝うこと自体にエホバが反対していないことはルカに書かれたイエスの誕生の喜ばしい記載を見てもわかる、ヨブとその息子達は誕生日をエホバに感謝する日として祝い、そのことをエホバは是とした、従って私はヘロデのような派手な祝いはしないが、ヨブのように家族と共に自分の生まれたことをエホバに感謝する日として祝おう」とあるクリスチャンが聖書に培われた良心に基づいて結論しても、クリスマスケーキの例と同様に個人の決定として許されるはずである。しかし現実にはエホバの証人は百パーセント誕生日を祝わず、公然と誕生日を祝ってそれを会衆内で悔い改めなければ、その証人は排斥になるのだ。それはなぜか。エホバの証人は統治体が見解を発表したこについては、聖書に培われた良心に基づいて別の見解をとることができず、盲目的に戒律として従わなければならないからだ。

もう一つの簡単な例を挙げれば、輸血、特に成分輸血の問題がある。もちろんエホバの証人以外の聖書を読む人間は、輸血禁止が「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」であるとは結論できないのであるから、輸血を受けるか受けないかを「聖書に訓練された良心に基づく決定」でなく「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」としてしまうこと自体にそもそも大きな問題があるのだが、ここでは百歩譲って聖書の「血から避ける」という言葉が現在の医療行為としての輸血をも含む禁止であることが「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」であるとしよう。それでは一体、血漿の使用を禁止することがなぜ「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」になるのであろうか。血漿とは血液の液体成分であり、水とアルブミン、グロブリン、フィブリノーゲン、などの蛋白質、凝固因子、無機質の合わさったものである。これらの個々の血液分画は「教理上のインフォームド・チョイス」として個々のエホバの証人の個人的判断によって受けるか拒否するかを決めることができる。しかしこれらの「インフォームド・チョイス」を組み合わせただけの血漿になると、「聖書からはっきりと結論が導けるような場合」となり、全てのエホバの証人は拒否しなければならない。しかし、誕生日の例より更に始末の悪いのは、統治体が血漿を禁じてその分画を禁じない理由を「この問題について聖書はこのように述べています」と聖書から示すことができないのだ。ここでは聖書に一切関係なしに、統治体が血液成分のどの分画は禁じられており、どの分画は禁じられていない、という教理を作り上げ、それをエホバの証人は個人の良心に関係なく「聖書に基づく真理」と思い込んで盲従し、その人工の「戒律」に従って命を落としているだけなのだ。

このことは「記者クラブ」の上にのべた主張が全くの欺瞞であり、表向きは柔軟で個人の良心を尊重するように見せかける統治体が、実はその本質において聖書の解釈を独占し、その独特の解釈で自分達の絶対的な権力を聖書から正当化し、世界中の何百万というエホバの証人の文字通り命を支配している「羊の皮を着たおおかみ」あるいは「砂糖の衣を着けた毒薬」に過ぎないことを端的に示している。そして、いかに最近の教理変更がカルト色の脱色をはかるものであったとしても、このように人間の指導者に命をかけて絶対の服従をちかうエホバの証人は、その本質において他のカルト集団と変わりはないのである。

「エホバの証人の専門家」という表現について

「記者クラブ」はJWICのこの編集者を名指しして、「“エホバの証人の専門家”を自認する人たち」と述べてるが、私は自分自身が“エホバの証人の専門家”と自認したことは一度もないし、決してそのようには思っていない。私はエホバの証人に興味を持ち研究をしているが、専門家ではない。エホバの証人の専門家はエホバの証人自身であるべきだ。自分の宗教の「専門家」にもなれない者がその宗教の信者になっていて、エホバの証人になったことも、なる積もりもない人間をつかまえて「エホバの証人の専門家」などと呼ぶのは笑止のさたとしか言いようがない。

「新しい光」という表現について

「記者クラブ」は次のように書いている。

また、故意にせよ偶然にせよ、エホバの証人のことをよく知らない人たちに誤解を与えるような表現を多用する人もいます。一例として、村本氏が今回の事例で用いた、「新しい光」という表現について考えてみましょう。エホバの証人は、何かと誤解の原因となるこの表現をめったに使いませんが、“専門家”たちはこの表現を多用しています。先に紹介した村本氏の記事では、「このような「新しい光」と言われる組織の方針の変更が・・・」という言い回しが用いられました。では、この語をエホバの証人はどのように用いているでしょうか?「ものみの塔ライブラリCD-ROM」を用い、収録されている1980年以降のものみの塔出版物の中から「新しい光」という語を検索すると、この語はわずか8回しか使われていないことがわかります。これはたいへん少ない数字です。

これに関しては「記者クラブ」は部分的に正しいと言える。確かに現代のエホバの証人の間では「新しい光」(New Light)を教理の変更に適応することは少なくなっている。最近では「新しい理解」、あるいは「光」を使うなら「輝きを増した光」という表現の方が広く使われているようだ。しかし、一昔前、特に1970年以前、特に1950年代の出版物には「新しい光」が「忠実で思慮深い奴隷」が発表する新しい教理、教理の変更を意味する言葉として瀕回に使われていた。なぜ昔一般に使われた「新しい光」という表現を最近になってものみの塔が使用しなくなってきたのかは不明である。協会の言う「反対者」、「背教者」が瀕回な教理の変更を批判するのに余りに多く使ったために、元々「神権用語」であったものが今では「政治的に正しくない差別用語」に変化してしまったと私は考えている。しかしこの表現は「記者クラブ」の主張するような「誤解を与えるような表現」では決してなく、ものみの塔の出版物で瀕回に使われた公式の用語なのだ。「記者クラブ」が1980年以前の出版物を詳細に調べてみれば、彼の主張が誤解に基づいていることがわかるであろう。


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