エホバの証人の組織と活動


はじめに
エホバの証人の宗教組織
組織の資産
財源
宗教活動

はじめに

ここではエホバの証人の組織の構造と、信者の信仰生活の概要を解説したい。しかし先ず最初に、「エホバの証人」と「ものみの塔」という言葉の定義を解説する。これらの言葉はエホバの証人の外部の人々が様々な意味で使っており、混乱が見られることもある。

エホバの証人: 英語の「Jehovah's Witness(es)」の訳。大きく二つの意味で使われている。

  1. この宗教の信者個人、あるいは信者の集合
  2. 宗教名

エホバの証人は自分たちだけがクリスチャンであると教えられ信じているから、その意味では彼ら特有の宗教名を作る必要はないが、これでは他のキリスト教(彼らの言う「キリスト教世界」)と区別が出来なくなるので、彼ら独特の宗教を区別する意味で「エホバの証人」を宗教名として使う。まず大部分のエホバの証人は「自分の宗教は何か」と尋ねられれば「エホバの証人」と答えるはずである。

この宗教の信者は、C.T.ラッセルによる創始期には、自分たちを「聖書研究者」(Bible Students)と呼んでいた。「エホバの証人」の名前は第二代会長ラザフォードの考案による。1931年彼は、自分の指揮に従わずに創始期以来のラッセルの伝統を受け継ぐ信者の一部を切り離して、自分の追随者を区別するために「エホバの証人」の名前を発表した。

ものみの塔: 英語の「Watchtower」あるいは「Watch Tower」の訳で、やはり多くの意味で使われている。

  1. 「エホバの証人」の宗教活動を実行させるための、会社組織、すなわち「ものみの塔聖書冊子協会」の略。
  2. 「ものみの塔聖書冊子協会」発行の雑誌名。
  3. 「エホバの証人」の宗教の中央集権的な宗教権威の総称。
  4. 「エホバの証人」の宗教の別名。上に述べたように、エホバの証人自身は自分の宗教を「エホバの証人」と呼ぶが、この名前の性質上「人」を指しているのか「宗教」を指しているのかが分かり難いこと、2)と3)の関係からこの名前の方が良く知られていること、などからエホバの証人以外がこの宗教を呼ぶとき、「ものみの塔」あるいは「ものみの塔宗教」(Watchtower Religion)と呼ぶことがある。

「Watchtower」と「Watch Tower」: この宗教の創始期には、雑誌名も会社組織名もともに「Watch Tower」が使われていた。しかし1931年に雑誌名が「Watchtower」に変更された。会社名の方は親会社である「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会」(Watch Tower Bible and Tract Society of Pensylvania)が現在に至るまで「Watch Tower」を使用している。一方1939年にニューヨークで創設されたニューヨーク法人の子会社は1956年に「ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会」(Watchtower Bible and Tract Society of New York, Inc.)と名付けられ、ここでは「Watchtower」が使われている。もちろん日本語ではこの違いは分かる由もない。

エホバの証人の宗教組織

最高権威

エホバの証人の教義では、もちろん、この宗教の最高指導者は、エホバであり、その下にイエス・キリストが直接人間の最高指導者を指導していることになっている。

統治体

「この地上」での最高指導者は、統治体といわれる、白人男性の12人から18人(時によって変化し、現在12人)の長年の経験のある信者の中から選ばれたグループが、絶対的権威をもって世界500万人のエホバの証人の生活のほとんど全てを支配している。これらの指導者たちはマタイの福音書24:45-47に自分中心の独自の解釈を加え、自分たちが「忠実で思慮深い奴隷」として「油塗られた残りの者」の中から選ばれて、イエスがこの地上の関心事を独占的に託している、と信じている。この教義は、この宗教の中央集権的絶対権威である統治体の権威を正当化する根幹となるものである。この宗教的権威を端的に模式で表したのが、1971年12月15日のものみの塔誌749頁(日本語版1972年173頁)に掲載された次に示す図である。


ものみの塔誌1971年12月15日749頁(日本語版1972年173頁)に示されたエホバの証人の組織

統治体員のほとんど全員は、その一生をエホバの証人の組織の高位の役職で過ごしたものばかりであり、高等教育を受けた者はいない。議事はもちろん秘密であるが、その決定には成員の三分の二以上の賛成が必要とされていることが知られている。議長は固定しておらず、持ち回り制がとられている。

統治体の委員会

統治体はその下に幾つかの委員会とその実行部門を従えている。統治体員は幾つかの委員会に配属され、他の委員とともに、様々な実務を行う。

  1. 司会者の委員会

    統治体議長直属の委員会で、統治体が何を審議し、決定するかの重要な判断を下す。災害や各地での迫害などにも対処する。

  2. 執筆委員会

    雑誌、本の執筆は全てこの委員会の決定により、執筆部門が行う。

  3. 教育委員会

    ギレアデ学校、各地の宣教学校、開拓者学校、大会プログラムなどの内容を決定する。

  4. 奉仕委員会

    世界各地の支部、地域区、巡回区、会衆の状態を把握して、監督や開拓者の配置を指導する。

  5. 出版委員会

    世界各地の印刷出版業務を指導する。出版、発送の他、工場建設の指導も行う。

  6. 人事委員会

    世界中のベテル(ブルックリン本部と各国支部)の人事を取り扱う。ベテル奉仕の希望者はここで承認を受ける。

会社組織

エホバの証人はその創始期以来、会社組織を中心として活動を行って来た。1881年、最初に設立されたのがシオンのものみの塔冊子協会であり、これは1896年、ものみの塔聖書冊子協会と名前を変更した。1955年には、ペンシルバニア州で登録された法人組織として「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会」(Watch Tower Bible and Tract Society of Pensylvania)と変更し、この会社が現在の世界中のものみの塔協会の親会社として、世界中のものみの塔協会の会社運営を支配している。なお、歴史的に見て、ものみの塔聖書冊子協会は最初ペンシルバニア州で創設されたが、その後1939年に本部をニューヨーク・ブルックリンに移したために、別のニューヨーク州に登録された子会社「ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会」(Watchtower Bible and Tract Society of New York, Inc.)が登録された。ニューヨーク法人はアメリカ国内の運営にあたる支部となっているが、現在この二つの会社はブルックリンの本部の中で混然と存在し、それらの違いは、法的な登録上の違いだけで、実務上は一体として活動している。

歴史的に見て、ものみの塔聖書冊子協会とエホバの証人の宗教的権威とは、ほとんど同一であった。1970年代のノア会長の時代までは、会社の会長がすなわち宗教的な最高権威であり、会社の七人からなる理事会がそのまま統治体を兼ねていた。1971年になり、統治体は拡大され、理事会以外のメンバーが任命されるようになった。更に1975年には、統治体は組織全体の(エホバとキリストに次ぐ)最高権威であり最高決定機関とされた。そして、それまでの最高権威であった法的組織である会社の会長や理事会は、その下におかれることになった。この時点で、会長の職権は法的組織である会社の運営の最高責任者であり統治体の一員ではあるが、宗教的権威としての最高決定権はなくなった。もっとも、会社の会長、理事はすべて統治体員であり、統治体が「一枚岩」として動く限り、この変更は名目だけのものであり、現在でも会長の絶大な権威は続いている。

ものみの塔協会の会社も、一応法的な会社組織を保つため、会長、理事会(役員会)、株主(出資者)、株主総会(年次総会)がある。1944年までは、誰でも10ドルを出資すればこの株主になることができ、ものみの塔協会の運営に投票権が与えられた。しかし、宗教的権威が一体となっているこの組織が、10ドルの出資で誰でもその運営に参加できるということは、明らかに指導部にとっての脅威であり、崇高な宗教権威の裏付けとしてはお粗末であった。1944年にこの制度は定款の変更によって変えられ、以後協会の株主(shareholder 協会の訳語は「出資選挙人」)は500人以下に制限され、もはや出資額によるのでなく、理事会が選ぶ忠実なエホバの証人の男子で、その大部分は全時間奉仕者に限られることになった。

なお、アメリカにおける非営利法人、会社の定義についての詳細は記事の終わりにアメリカの非営利会社組織についての注解をつけたので、参照されたい。

支部および会衆の組織

興味あることは、このような複雑な組織構造は、奇しくもエホバの証人が最も蔑視するカトリック教の組織構造と酷似していることである。

ローマ・カトリック教とエホバの証人の宗教組織の相似点

ローマカトリック教会の組織

エホバの証人の組織

ローマ法王(Pope of Rome)

ものみの塔協会会長

枢機卿(College of Cardinals)

統治体

ローマ教皇庁(Curia Romana)

統治体の委員会

バチカン

ブルックリン・ベテル

大司教(Archbishop)

地域監督

司教(Bishop)

巡回監督

大祭司(Archpriest)

主宰監督

祭司(Priest)

長老

助祭(Deacon)

奉仕の僕

宣教師(Missionary)

開拓者

平信徒(Laity)

一般のエホバの証人

確かに、ローマ・カトリック教と、エホバの証人の役職との間には大きな違いがあることも確かである。例えば、ものみの塔協会の会長はローマ法王のようなカリスマ的な権威を表面的には示さない。またカトリック教ではこれらの役職者はすべてそれを職業としているのに対し、エホバの証人では一部の全時間奉仕者と言われる者(統治体、統治体の委員会、ベテル勤務者、支部委員会、特別開拓奉仕者など)を除いて、すべて世俗の職業に就いて自らの生活をたてながら、これらの役職を行っている。しかしこのピラミッドの形をしたブルックリン(バチカン)を頂点とする世界的な多重階層官僚組織は偶然の一致ではない。両者とも、聖書の中に描かれている教会構造を形式だけを重視して現代の組織の中に形式的に持ち込んだ結果である。

エホバの証人はよく、自分たちの宗教には他のキリスト教のように僧職者と平信徒の区別がないことを強調し、誇りにしている(例えば「エホバの証人神の王国をふれ告げる人々」35頁)。しかしその実、その役職の階層化はカトリックと並ぶ非常に強固に確立したものとなっている。階層の下位にある者は階層の上位にある者に絶対に服従することを要求される。巡回監督や地区監督の訪問は会衆にとってVIP訪問の一大行事なのである。上位の者に服することがすなわちエホバ(あるいはエホバの組織)に服することと同じと見なされるからだ。女性がどのような役職に就くことも許されないのも、これらの二つの宗教に共通である。

組織の資産

世界本部

エホバの証人の世界本部(ベテル)はアメリカ・ニューヨークのブルックリンにある。1909年にラッセルがペンシルバニアからこの地に本拠を移して以来、長年の間に近隣のビルや土地を買い集め、現在では約2平方キロの一等地に、オフィス棟、多数の工場群、約6000人の奉仕者を収容する多数のビルやホテルが散在している。


斜線で示した大きな道路はすべて高速道路。
地図の上の方でイースト・リバーを横切る二本の橋は、
右がマンハッタン・ブリッジ、左がブルックリン・ブリッジ。


この部分をマンハッタン南部とブルックリンの航空写真から見る(クリック)

この中で一番古いのは、現在工場群の中心である117 Adams Street(地図の黄色の建物)であり、ここがラッセルが最初に開いた本部であった。その後、次々に近隣のビルを買い上げて工場を拡張し、この一角はほとんどものみの塔の工場で占められるようになった。これらの工場では、雑誌を除く全ての書籍の印刷・製本が行われている。更に1969年にはスクイブ製薬会社から25, 30 Columbia Heights (地図の赤色の建物)のビルを買い上げ、現在の本部の事務棟にした。現在この二つのビルを統治体とその委員会の多くが使用している。一方、宿舎の方も、近隣の古いホテルやアパートを次々に買い上げ、124 Columbia Heights (地図の緑色の建物)を中心とするベテルホームはベテル家族(本部無給労働者の別称)の住居として、地下のトンネルでつながれている。1983年には360 Furman Street (地図の青色の建物)をやはりスクイブ製薬会社から買い取り、発送基地として使用している。

世界本部に働く者は、世界中のエホバの証人の中から人事委員会で選ばれて任命される。任期は様々で、多くの者が、ほぼ一生をそこで過ごしている。衣食住の必要は全て協会から支給されるので、世俗の楽しみを追求しない限り、快適な生活は保証されている。ベテル奉仕者の多くは、印刷工場や農場での単調労働に従事し、それ以外に一般のエホバの証人と同じ量の集会と伝道活動を行う事を要求されるので、余暇というものは年に決められた日数の休暇以外はほとんどなく、一ヶ月に支給される一律90ドルの小遣いでも、特にそれを使うだけの必要もないと言われる。

その他のニューヨーク地区の施設

支部

現在世界中に約100カ所以上の支部があり、それらはブルックリンの本部を少し小型にした、ほぼ似たような機能を果たしている。日本では神奈川県海老名市にベテルが存在する。それぞれの支部では、その地域の奉仕、教育、人事、出版、建設などに関する指導が行われると共に、それぞれ独自の言語のための印刷工場が併設されている。出版物の各国語への翻訳もまた支部の大きな仕事である。これらの支部と工場の建設は、直接ブルックリンの計画と指図で行われる。これらの支部のベテルにも、ブルックリンと同様、無給の全時間奉仕者が働いている。世界中のベテルで働くこれらの全時間奉仕者は一万五千人を越す。

王国会館

会衆が集まるための建物であり、多くの場合一つの王国会館を二つ以上の会衆が共用している。会衆が会館を建設するか借りるかは、地元が決定する。建設は地元の会衆、監督たちと支部ならびに本部との協議で決定される。建設に際しては大抵の場合、大人数のエホバの証人の無償労働力と、地元のエホバの証人の寄付と業者による材料の提供を受け、低いコストと短時間の速成建設によって行われる。協会は金曜日に建設を開始して、日曜の夕方には会館が完成するというこの工法を誇りとしているが、これは人件費が無償であるからこそ出来る方法であり、普通の建設業者がこれを行ったとすれば、莫大なコストの増加になる他はない。一度王国会館が作られると、それは協会の資産に加えられる。従って、世界的に大量の王国会館を増やしていること自体がそのまま、協会の資産の爆発的な増加となっている。

大会ホール

エホバの証人は巡回大会、地域大会など、年に幾つかの大会を開き、巡回区ごと、地域区ごとに会衆が集まらなければならない。地域大会は年に一度であり、しかも一万人を超える信者が一堂に会するために、普通は野球場、競馬場などの大きな既存の施設を借り上げて行うが、巡回大会は年に何度も開かれることから、自分たち専用の大会ホールを建てるところも多くある。これも、多くの地元のエホバの証人の無償奉仕によって建設された後、協会の資産となる。

財源

ものみの塔協会が、どのようにしてあのような豊かな財源を維持できるのかは、部外者の多くにとっては謎である。ものみの塔協会の伝統的な財源は、家から家への伝道によって売り歩く文書の売り上げであった。これは現在でも続く最も大きな財源であるが、協会は近年、この点をあいまいにし、その財源はあくまで自発的な寄付に基づいていることを強調している。確かに、少なくともアメリカ国内では1990年2月の特別の通知の後、文書を販売することは、形式上中止となり、長年ものみの塔誌や目ざめよ誌に印刷されていた一冊あたりの値段は消えた。しかし、その実、文書を渡す一方で、寄付をすることが強く勧められいる。

1990年以降協会が神経を尖らして、寄付を強調し、販売という言葉を使用しない真の理由は、1989年のテレビ伝道者、ジミー・スワガートの汚職事件に端を発している。スワガートはものみの塔協会と同様、大量の宗教文書を販売し、その売り上げを脱税していた。彼の場合、ものみの塔協会と違って販売はテレビを通じて行われたが、宗教上の文書の販売と言う点では全く同じ条件であった。一般にアメリカでは、宗教書に限らず書籍雑誌の訪問販売には、多くの州で税がかけられて来ており、一般の教会の売店でキリスト教徒が宗教書や聖書を購入する時にも、教会の売店は必ずそれに伴う税金を収めており、宗教書であるからという理由で免税の対象にはなることはない。それにもかかわらず、ものみの塔協会はその雑誌、書籍の売り上げに長年の間、一切税金を払うことはなかった。

興味あることに、他のキリスト教会のスキャンダルをいち早く取り上げて、いかに自分たちの組織だけが正しいかの材料に使うことを常とするものみの塔の雑誌は、何故かこのスワガートのスキャンダルを一度も取り上げなかった。それもそのはずである、エホバの証人の訪問販売は長年一切の税金を払っておらず、スワガートの脱税と非常に近い危険なことを行っていたからであった。

キリスト教世界の汚職を鬼の首を取ったように宣伝する代わりに、ものみの塔協会は、アメリカ最高裁に対して、彼らの家から家への伝道は訪問販売ではないことを強調する手紙(amicus curiae 法廷助言)をいち早く送っている。この法廷助言は、スワガートの弁護を意図したものでは無かったが、宗教活動に伴う文書の販売は課税すべきではないというその論理の帰結は、自ずとエホバの証人の最も侮蔑するキリスト教世界のテレビ伝道者(TV evangelist)を弁護するという、奇妙な結果にならざるを得なかった。それにも関わらず、1990年1月17日ジミー・スワガートの有罪判決が下るや否や、ものみの塔協会はそれまでの方針を180度変換し、翌2月の全国の王国会館での集会で一斉に、それ以後文書は一切販売しないことが緊急通達されたのだった。

確かに、仮にエホバの証人がそれまでの家から家への宗教書籍の訪問販売を続けていたら、その税制上の協会の負担は莫大なものになっていたに違いない。ある人の計算によると、スワガートと同じ率でものみの塔協会に課税追徴金を課すると、その総額は650万ドルに登ると言われる。この一見気前のいいエホバの証人たちの無料書籍配布も、その裏を見ると、実に綿密に計算された節税(脱税?)対策に過ぎないのである。

しかし、これにより、ものみの塔協会は本当に課税を免れるのだろうか。確かにエホバの証人の伝道者がものみの塔協会という登録された非営利宗教法人を代表して寄付を集めるのであれば、それは法的に非課税になるであろう。しかし、個々のエホバの証人は、ものみの塔協会を代表して家から家への伝道を行っているのだろうか。実は協会自体がそうは認めていないのである。興味あることは、もしこれらの全てのエホバの証人が法人を代表して働いているとすると、法的にはそれに伴う障害保険などの多くの雇用関係に関する責任が協会に降りかかってくる。「王国宣教」1989年2月号では、伝道者に対して彼らが「ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会」を代表しているのではないことを通達し、彼らが名刺や身分証明書を見せる時には、協会の名前を書かず、ただ地元の会衆の名前を書くように指示している。その理由の説明を見ると、証人が事故や事件に巻き込まれた時、協会がその責任を取らないことがその意図であることがわかるのである。

しかしもし個々のエホバの証人が非営利の宗教法人を代表して寄付を徴収していないとすると、彼らは協会とは独立した徴収人となり、非営利法人の税制上の特権を使用できないはずである。エホバの証人は個人個人がそれぞれ、非営利団体の登録をしない限り、現在の寄付集めはそのまま脱税行為を行っている可能性が出てくるのである。この点に関して、アメリカ国税庁(IRS)は未だ本格的には取り組んでいない。多分他の多くの課税問題と同様、多くの法的な係争が予想され「やぶ蛇」になる可能性があり、今の所はこれを静観していると思われる。

それではこのような「販売」から「寄付」への転換により、協会の収益は減ったのであろうか。これは協会の会計が公表されないので確かなことは分からない。しかし、寄付の強化により収入は増えることはあっても減ることはないのである。王国会館、大会会場、ベテルなど、エホバの証人の集まるところには無数の寄付箱が置いてあり、多くの証人はそれを無視して通り過ぎることに強い抵抗を感じる。彼らは先ず、王国会館の文書カウンターで配布用の文書を受け取る時に、それに見合った額の寄付をすることが要求される。1996年11月号の「王国宣教」には本、聖書、CDなどに分けてそれぞれの目安となる値段を記して、それに見合う額の寄付を要求している。(日本語版の同じ記事には金額は書かれていない。)そして伝道者がそれらの文書を配布して得られた寄付は、再び会館の寄付箱に入る。従って、この制度によると協会は文書を配布するエホバの証人からと、配布を受ける一般の人からと、二重に寄付をとる仕組みになっているのである。

エホバの証人は、自分たちの会衆が教会と違って献金のためのお皿や袋を回さないことを誇りにしている。彼らはすべての経費が自発的な寄付でまかなわれていることを強調する。しかし、エホバの証人への寄付の圧力は、お皿や袋とは比べ物にならない大きなものである。金銭、物品、無償労働力などの提供は、いわゆる奉仕と言われる家から家への伝道と同様、彼らの救済にとって欠かせないエホバへの忠実さと、「忠実で思慮深い奴隷」すなわち協会の最高指導者への忠誠の、最も大事な尺度と考えられているからだ。

寄付以外の大きな財源は、その莫大な資産とその運用であろう。ものみの塔協会が株式、債券などに莫大な投資をしていることは、金融界からの情報で知られている。しかし、何よりもこの世界「企業」の財政を支えているのは、何万人に登る無給労働者の数であろう。多くの事業が、原材料の調達から実行まで、書籍の出版にせよ、施設の建設にせよ、食糧の生産にせよ、有り余る無給労働力を駆使して、一般社会では考えられない極端に低い原価で行われているのである。

宗教活動

エホバの証人の活動は基本的に一週間に5つの集会をこなし、さらに奉仕と言われる家から家への伝道活動に出ることにある。

  1. 「ものみの塔研究」

    毎週一時間、その週の「研究記事」と言われるものみの塔の特定の記事を全員で読む。質疑応答の形をとって内容を反復することにより、ただ読んで納得するだけでなく、反芻して頭にたたき込むことが要求される。積極的に司会者の質問に挙手をして答え、模範的な答を記事の中から探して答えることが、この会の重要な目的である。

  2. 「公開集会」

    普通、ものみの塔研究と前後して開かれ、両方で2時間の時間をとるように指示されている。これは聖書を使った講演であり、その会衆の長老や、ゲストである他の会衆の長老が当たる。どの聖書の箇所を使い、どのような話をするかについての指示は与えられており、講演者の全く独自の話をすることは許されない。

  3. 「奉仕会」

    この会の内容は、毎月「わたしたちの王国宣教」という内部向けの文書で詳しく決められている。いかに野外奉仕(家から家への伝道)を効率よく行うか、それぞれの時点で何に重点を置くべきかなどが、全国一斉に細かく指示される。45分から一時間。

  4. 「神権宣教学校」

    宣教の方法を教育する会。野外奉仕や集会で効果的に話しができるよう、実地訓練や筆記テストなどを通して一人一人のエホバの証人を雄弁な伝道者に仕立て上げていく。

  5. 「会衆の書籍研究」

    会衆内の証人たちが、「群」と呼ばれる小さなグループに分かれ、信者の家庭で週に一回一時間、指定されたものみの塔発行の書籍を一緒に読んで研究する。

野外奉仕

これらの集会の他に、野外奉仕が彼らにとっては重要な宗教活動になっている。エホバの証人は、キリスト教の根幹である、信仰による救済を一応は認めてはいるが、「業の無い信仰は死んだものなのです」(ヤコブ2:26)という言葉を強調し、救済にとってこれらの伝道の業を行うことが必至であると信じている。すなわち、彼らにとって家から家への伝道活動はその信仰の手段であると同時に、目的なのだ。

各地の支部は各会衆毎に、この野外奉仕に出かける区域を地図の上で綿密に割り当てている。更に会衆内では群という、より小さなグループが、更に細かい区域の割り当てを奉仕の僕から与えられる。これにより、全国にもれなくエホバの証人の伝道者が行き渡るように配置される。未割り当て地区には特別開拓者たちが派遣されることもある。この割り当てられた地区を、会衆のエホバの証人は普通二人一組で、計画的に戸別訪問をする。その手口は、化粧品などの訪問販売員と非常に似ており、まず家人の興味を引き起こさせ、会話をつなげながら、文書を読むようにし向けていく。多くの場合、会話の話題は、世の中が段々に悪くなり、住み難くなっていること、そしてその解決は聖書の中にあること、が中心となる。各世帯の反応は綿密に記録され、後の再訪問に備える。 少しでも興味を示す家人には、積極的に再訪問が行われ、そこで次に述べる「家庭聖書研究」の勧誘が行われる。

家庭聖書研究

野外奉仕において、エホバの証人に興味を示す人を見つけると、その家庭を定期的に訪問し、私的な「聖書研究」が始まる。「無料で宗派にとらわれない聖書研究をしてみませんか」というのが、最も無害に聞こえる勧誘である。しかしその実、この家庭「聖書」研究では聖書はあくまで副読本として使われ、主に使われるのは、協会がそのために特に作った教本である。現在この本は「永遠の命に導く知識」というものである。この研究は、研究そのものが目的ではない。あくまで、未信者を集会に出席させ、さらにバプテスマを受けさせる過程の第一歩として位置づけている。特に最近の本部からの指示では、この研究は長々と続けるのではなく、6ヶ月をめどに早めに切り上げ、未信者を会衆の集会に参加させることに重点が移されている。このように、バプテスマを受ける前にエホバの証人と研究している信者を研究生と呼ぶ。このような研究生は、長老たちの判断で信仰の強さが十分であるとされると、野外奉仕活動に参加を許されることもある。これを「バプテスマを受けていない伝道者」と呼び、バプテスマを受ける一歩手前の信者として、会衆から更なる励ましを受けることになる。

野外奉仕報告

エホバの証人の伝道活動そのものが、宗教活動の手段であると同時に目的であることを如実に示すのが、個人個人のエホバの証人が必ず提出を義務づけられている野外奉仕報告カードである。これは週単位、あるいは月単位で、全ての奉仕活動に参加した時間数の合計、再訪問(これには家庭聖書研究も、単に以前に関心を示した人の訪問も含む)、配布した書籍、小冊子、雑誌の数などを詳細に報告するものである。奉仕時間の総計の中には、家から家への伝道の他、街頭での伝道、いわゆる非公式の証言と言われるたまたま会話の中で伝道をした場合、家庭聖書研究、電話、手紙書きなどの時間も含めてよいことになっている。最近の一部のエホバの証人はe-mailでエホバの証人を宣伝したり、newsgroup などに書いたりすることも、この時間に含めている者もいる。家から家への伝道の場合、その地域まで出かける行き帰りの時間は含まれないことになっており、最初の家の訪問から最後の家の訪問までの時間が記録されることになっている。その他、親がまだバプテスマを受けていない子供に教える時間は週に一時間まではこの報告時間に含めてよい、などの実に細かい細則が決められている。

この野外奉仕報告は、会衆の書記によって個人個人の記録に載せられる。この記録は伝道者の記録カードと言われ、それぞれのエホバの証人の会衆内での一種の成績表となる。一人のエホバの証人が会衆を変わる時は、前の会衆の書記がこの記録を直接次の会衆の書記に送り、記録カードの記録が連綿と続くことになる。このカードを会衆の長老や巡回してくる監督が見ればたちどころにそれぞれのエホバの証人の信仰活動の活発さがわかってしまう。エホバの証人の間では信仰活動の活発な信者のことを「霊的に強い」と表現し、「霊的な強さ」がエホバの証人として最も重要視される美点の一つである。従って、個々の信者は自分の伝道者記録カードの内容を常に向上させる心理的圧力を背負っているのである。これもまた、飽くことなく続くエホバの証人たちの奉仕活動への重要な駆動力なのであろう。


著者注:アメリカの非営利会社組織について

アメリカの nonprofit organization (非営利非課税法人)はIRS(米国国税庁)のsection 501(c)(3)によって規定された、慈善事業、宗教、教育、科学、アマチュアスポーツなどのための団体である。これらの団体はcorporation (会社)になることもできるし、corporation以外、例えば foundation (財団)や trust(信託)などの形をとることもできる。ものみの塔協会はこの中で、非営利の corporation の形をとっている。一般に法人が corporation になることを、incorporate という言葉であらわすが、これは、法律に基づいて、法人がcoporationを形成するという意味の動詞。よくアメリカの会社の名前の最後に「.Inc」とついているが、これはその会社が法律によって corporation として登録されていることを意味する。Incorporate は必ず州の法律で行われ、全ての米国の corporation はいずれかの州に登録(charter)されている。この原則は営利会社も非営利会社も同様である。多くの営利会社は Delaware 州に登録しているが、これはこの州が会社結成に非常に自由な州の法律をもっているからだ。どの州に登録してあっても、その会社の活動は米国全土で行える。ものみの塔協会は、本文にも書いたようにペンシルバニア州とニューヨーク州で登録されている。

Corporation が株を発行するかどうかは州によって異なる。ある州は incorporate する条件として株の発行を義務づけているが、他の州は自由である。Corporation の発行する株には沢山の種類がある。株の発行がcorporation の形成の上で重要なのは、corporation が複数の人間の協力で出来上がっているという原則に基づくからで、そのために株が所有権や利益や責任を分散する簡単な手段になるからだ。Corporation にはprivately-held とpublic corporation の二種類がある。前者は例えば、一族郎党だけで株を分け合って、その中だけで取引が行われるような場合、後者は株式市場に上場されて、一般人が取引に参加出来る場合。どのような株をどれだけ発行するかは、理事会が決定できる。Class A, Class B, preferred, などの株が有名だが、例えば投票権だけのある株、投票権のない株、配当なし、配当あり、等さまざまである。一株の値段も色んな形で決められる。特に私的な会社(privately-held corporation)の場合はほとんど、どのような株を出すことも理事会の一存でできる。ものみの塔協会も、自分たちの会社を外部から乗っ取られたり牛耳られたりしないように、その株には特殊な制限をつけている。

Nonprofit corporation の最大の規制は、その株がどのような個人の利益にもならないこと、全ての会社の利益は元の非営利の目的にすべて還元されることだ。従って、その株は発行されたとしても、営利会社の株とは全く意味が異なり、会社の所有権や配当は主張できない(またそのような形の株の発行は許されない)。しかし、配当や資産の所有権を主張しない株は存在することができ、そのような株の最大の目的は、理事会選挙の時の投票権を与えることになる。ものみの塔協会の「株主」(「出資者」)はまさにそのような人々をさしている。

ものみの塔協会の corporation を「株式会社」と訳すことの妥当性には確かに議論の余地がある。これは日本の株式会社の概念がアメリカよりも狭いため、日本人が受ける株式会社のイメージは利益を追求する商行為を目的とする法人となり、確かにアメリカの nonprofit corporation のイメージとは一致しないかも知れない。従って、この記事ではものみの塔協会の組織を「株式会社」とは訳していない。しかし、アメリカでIRS(米国国税庁)が決めている nonprofit の定義は、何も商行為=営利として商行為を全て禁止してはいない。それどころか、多くの nonprofit の団体が商売をして儲けている。ここにIRSの規定を全てコピーするわ けにはいかないが、その会社(あるいは団体)の設立が、慈善事業、宗教、教育、医療、アマチュアスポーツ等々幾つかの領域で、その目的がはっきりしており、その会社の利益は全て、個人でなく、会社の設立の目的のために使用するという条件を満たせば、商売をして利益を上げることは構わない。従って、ものみの塔協会も、その書籍雑誌の売り上げで莫大な利益を得てきたが(少なくとも1990年までは)、それらは全て彼らの宗教活動に還元されているため、「非営利」の範疇に入るのである。このように、ものみの塔協会は、株を発行し商行為を行っているのであるから、株式会社と呼んでも、全くのお門違いとは言えないのである。

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