エホバの証人の人種差別

はじめに

現代の数ある宗教の中では、エホバの証人は人種差別がないことを自分たちの誇りとしていることでは有名である。確かに、ものみの塔誌や、目ざめよ誌には、様々な人種の信者たちが楽しく語り合い、調和した組織を楽しんでいる姿が強調されている。エホバの証人の世界大会では、全ての人種の信者が同じ組織の兄弟姉妹として、同胞愛を分かち合っている姿は、多くの信者に強い感動を与えることは事実である。たとえば次の目ざめよ誌の記事はこの見方を端的に述べている。

米国ルイジアナ州ニューオーリンズでエホバの証人の大規模な大会が開かれた時、ステイツ・アイテム紙は次のように報じました。「老若入り混じった白人と黒人のエホバの証人が、五日間にわたって学び、経験を共にするために参集したルイジアナ・スーパードームでは、兄弟愛がみなぎっていた。……証人たちの間には人種差別の問題……がない」。(目ざめよ1982 年1月8日15頁)

しかし、この宗教はその歴史の中で、本当に他の宗教と違って、人種差別を行わず、最初から神の前には人はみな平等であると考えていたのであろうか。単一人種で構成される日本のエホバの証人の方々には、この問題は向こう岸の火事のようなもので、決して問題意識には上らないことであり、従って「人種差別のない素晴らしい宗教」という美点のみが強調されるのも無理はない。この記事ではエホバの証人が、ものみの塔協会の教えるような人種差別のない宗教とは程遠い存在であり、過去において「真理」として教えられた協会の教えが極端な人種差別に基づき、しかもその伝統は一部、現代のものみの塔の組織にも受け継がれていることを、協会の出版物や他の研究資料から示す。

黒人はのろわれた人種

ものみの塔宗教はその創始期から、黒人が聖書に記録された特別な人種であるという教義を教えてきた。

黒色人種は、創世記9:22,25にその特別な堕落の状態が述べられているハムの子孫であると考えられる。(ものみの塔誌1898年8月1日230頁)

ノアがカナンに与えたのろいは、黒色人種の起源でした。ノアが「カナンはのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」と言った時、彼は有色人種の将来を考えていたのでした。黒人は過去にも現在でも召し使いとなる人種です。しかし現代の二十世紀においては、私たちはみな、仕えるということを真の光の中で見ることができるようになり、人生の本当の喜びは他人に仕えることであることを発見しています。世界中で、有色人種のよい召し使いより優れた召し使いはいません。そして忠実に仕えることはこの世の中で最も純粋な喜びの一つなのです。(黄金時代1929年7月24日702頁)

ここに述べられているのは創世記9章20-27節に出て来る、ハム(カナンの父)の末裔がのろわれた民族になるいきさつであるが、ものみの塔は、ノアによってのろわれた、このハム族が現在の黒人の起源であると信じ、それを教え続けていた。黒人は本来、奴隷や召し使いとなるべき人種であり、そのことを喜ぶべきであるという教えは、ものみの塔宗教の出版物の中で何度も繰り返して強調されている。そして第二次世界大戦が終わり、世界中に人権擁護の重要性が認識されつつあった1952年の時点でさえ、ものみの塔誌には次のような差別的な黒人の見方が書かれている。
私たちの黒人の兄弟たちは大きな喜びです。かれらの人種は柔和で教えやすく、かれらの中から高い率の神権宣教の増加が見られます。(ものみの塔誌1952年2月1日95頁)
ここでもまだ、黒人は「よい使用人」「教えやすい人種」という型にはまった見方から抜け出ていない。

もちろん、現在のものみの塔の指導部は、黒人がのろわれた人種であるという教義を捨てている。

カナン人は人種の上では白人でしたから、そののろいはハムの別の息子クシの子孫である黒人とは全く関係がありませんでした。こうした神の言葉の誤った解釈が、黒人に多大の辛苦と苦しみを臨ませる原因となってきたのです。(目ざめよ誌1982年2月8日22-3頁)
しかし、この「神の言葉の誤った解釈が、黒人に多大の辛苦と苦しみを臨ませる原因」となったのは、まさしくものみの塔の教えであったことは一切語らないのである。

黒人は人類の不完全な形

また、エホバの証人は黒人が欠陥のある人種で、やがて来るハルマゲドン後の新しい体制では、彼らは完全な人種に変わると教えてきた。新しい体制では黒人も「元の人類の完全な形」に戻ると教え、その「人類の完全な形」は白色人種でヘブライ語を話すというものである。しかし、本当に黒人は白人に変わらなければ「完全」にならないのだろうか。ものみの塔宗教の創始者ラッセルは次のようにものみの塔誌に書いている。

今しばらくすると、千年王国が開始され、そこでは全ての人類の復元が行われるでしょう。その復元とは、罪によって一時的に失われてしまった、神が「非常によい」とした元の大いなる基準に従って、心も体も形も色も、メシアの王国の力でその完全な形に戻されることです。(ものみの塔誌1914年4月1日110頁)
次のものみの塔誌の記事には、何が完全な人種の色であるかがはっきりと書かれている。
復元によりエチオピア人の肌は変えられるか?

次のニューヨーク・ワールドの記事は、このような記事で私たちが見た三つ目のものです。これらの記事はまもなく来るはずの復元の過程を示しています。記事は次のように書いています。

「彼は黒人から白人にゆっくり変わっていった」

パーカースバーグ・ウェストバージニア、9月8日
よく知られた聖書の質問、「エチオピア人は肌を変えられるか、豹はその斑点を変えられるか」に対する答えの生きた証拠は、ワシントンカンファレンスのAME教会の一つ、ローガン記念教会の牧師、ウィリアム・H・ドレーパー牧師に与えられた。ドレーパー師はかつて炭のように黒かったが、今は白い。彼の教会の人々は、彼の色が変わったのは祈りが答えられたからだと言う。何年も前のこと、ドレーパー師は白人に雇われていたが、もし彼の雇い主のような白人になれたらどんなに幸せだろうかとよく話していたという。白人に仕えている間に、ドレーパー師は宗教を経験したのだ。

その時以来、彼は白人になれるように常に熱心に祈った。三十年前に彼の祈りが聞かれ始めた。彼はまず、顔にちくちくする感覚を経験した。よく調べてみると、ピンのような小さな白い斑点がいくつもできているのを見つけた。彼は奇病にかかったのではないかと心配したが、ちくちくする感覚以外には、何も異常を感じなかった。徐々に白い斑点は大きくなり広がって、三十年以上を経過した現在では、ドレーパー師には一つも肌の黒い部分がないのである。(ものみの塔誌1900年10月1日296-7頁)

1904年のものみの塔誌にも、次のような白い肌の優越を強調する記事が出ている。
復元の教義は次のような疑問を出した。人はどのようにして完全な形に戻されるのか、どの肌の色が元の色なのか。現在答えは与えられている。神はエチオピア人の肌の色をその時に応じて変えることができるだ。ミズーリ州スレーターの教育長、H.A.エドワード氏によると、ミズーリ州ニューフランクフルトの9才の黒人の少年ジュリアス・ジャクソンは、1901年の9月に白くなりはじめ、現在19才で完全に白い。彼はこれは決して白くなる皮膚病ではなく、新しい白い肌は他の白人の子供たちと同じように健康であり、この少年は一度も病気したことがなければ薬ものまなかった、と述べている。(ものみの塔誌1904年2月15日52-53頁)

もちろん、ここでエチオピア人と書かれているのは、エレミヤ13章23節の引用であり、黒人の代表として語られている。また、ここにえがかれている症状は白斑症と言われる皮膚病の典型的な症状であるが、いかにものみの塔がまもなく来る「復元」の時に、黒人が白人に変わるべきであると信じていたかがよくわかる。確かに、ものみの塔はこのような記事によって、差別されていた黒人に希望を与えようと考えていたのだろうが、他の社会問題に対する態度と同様、ものみの塔は現在ある人種差別を変える努力は全くせず、むしろ現状の「使用人として適した」黒人の立場を維持することをすすめた。そして「すぐに来る」新しい体制で人種の違いが解決されることに希望をつなぐだけであった。この態度は、他のキリスト教教派がこの間社会に根づく人種差別を取り除くことに力を注ぎ、その後の人種差別撤廃に貢献してきたのと対照をなすものである。

黒人と白人との異なる扱い

ものみの塔宗教はその初代会長ラッセル、二代目会長ラザフォードを通して、更に1950年代に入るまで、集会や奉仕は人種によって分かれて行われていた。ものみの塔誌の次のラッセルのことばは、彼が作り上げた宣教の道具である「創造の写真劇」が、白人の信者にしか見せられなかったことへの抗議に対する説明である。ラッセルはあくまで黒人と白人とを隔離する必要を主張していた。

再び申し上げますが、「写真劇」が黒人の方々のためにだけ上演できるような場所を見つけることができるなら、私たちは喜んでそのような企画をしたいし、そうする人々に協力したいと思っています。(ものみの塔誌1914年4月1日110頁)

当時黒人は、白人と同じように開拓奉仕を行うことを許されなかった。その理由は次のように述べられている。

その理由は、私たちの判断では黒人の方が白人より低い教育を受けているからです。黒人の多くは、私たちが行わなければならない読解には全くむいていません。従って私たちの結論は、黒人の会衆に配られる文書の半分以上は全くの無駄に終わっており、非常に少しの割合でしかよい結果を生まないという見方に基づいています。(ものみの塔誌1900年8月15日122頁)
このように、エホバの証人の間には、黒人は特別に劣った人種であり、聖書や協会の文書を読んでその深い意味を理解する能力に欠ける特別の人種として扱われていた。もし黒人の問題がその教育の低さであれば、黒人にもっと教育の機会を与えればよいと考えるのが当然だが、ものみの塔はそのような努力は勧めていない。

この黒人と白人の分離はアメリカの南部では1970年代まで続き、会衆は白人と黒人とで分離され、巡回大会や地区大会でも同じ会場で行われた場合でも、黒人の席と白人の席はロープで仕切られ分離されていた。ものみの塔協会はこの当時の人種隔離の方針を、当時アメリカ南部で行われていた人種隔離の条令に従っていただけだとして、自分たちの責任をのがれて法律のせいにしようとする。しかし歴史を見てみると、当時すでにマーチン・ルーサー・キング牧師を初めとするキリスト教徒の多くが、この人種隔離の政策をキリスト教徒の良心に基づいて反対し、不従順の態度をとっていた。エホバの証人と言えば、国旗掲揚、国歌斉唱、徴兵、家から家への伝道の権利などで、法律に挑戦し不従順の態度をとり、裁判で争ってきた歴史を持つ。もしエホバの証人の指導部が真に人種差別は間違った政策であると信じていれば、たとえ条令がどうであっても、少なくとも自分たちの会衆や大会では「白人に限る(white only)」というサインをはずすことができたはずである。しかし、エホバの証人は自分たちの内部の社会の中でさえ、この人種隔離政策を守り続けた。このことは、ものみの塔の指導部がいかに人種差別を当然のことと考えていたかを物語るものと言えよう。

ものみの塔のこの人種隔離政策支持の態度は、人種差別を含む全ての社会問題が、「新しい体制」が来ない限り解決されないという考え方による。つまりその裏を返せば、「新しい体制」が来るまでは何も改善する必要はない、という態度である。これは次の引用によく現れている。この記事では人種問題の解決がどのように来るのかを論じている。

ある人たちは国際連盟が来るべき解決策であると考えています。しかしこれは空しい希望です。なぜなら国際連盟は白人が支配しているからです。その解決は、約束されたメシアの王国を通してのみ来るでしょう。そこでは、ユダヤ人のクリスチャンも諸国民のクリスチャンも、黒人、白人、褐色や黄色人種もすべて最高の希望と最も高貴な望みを達成するでしょう。(黄金時代1926年7月26日681頁)
この「待つだけで何もしない」態度が誤りであったことは、この後の70年間に世界、特にアメリカや南アフリカで起きた、現代の人種問題の大きな変化を見れば誰の目にも明らかである。この変化は、マーチン・ルーサー・キング牧師のような血の犠牲による白人黒人を通じた献身的な努力と、特にキリスト教諸教会の努力により達成されたものであった。現在のエホバの証人の間に人種差別が撤廃されているとすれば、それは決してものみの塔指導部自身の努力によるものではない。かれらが手をこまねいて待っている間に、外のキリスト教世界を含む社会と法律が改善され、人種差別撤廃の波がエホバの証人の社会にも浸透したに過ぎないのだ。

ものみの塔の人種差別は単に「光が足りなかった」からか

はじめに述べたように、現在のエホバの証人は、自分たちの宗教は他の宗教と比べて人種差別がないことが美点の一つと教えられて信じている。彼らには上に述べたような、自分たちの宗教が過去に犯してきた、黒人を差別し、劣った人種と規定し、彼らを隔離してきた歴史は決して教えられない。現在のエホバの証人に彼らの人種差別の歴史を示せば、先ず間違いなく返ってくる答えは、「組織も時には間違いをしてきたが、それは光が足りなかったからで、今は光が増してきて、そのような間違いは正されている」というものだ。

確かに宗教団体が人間の作った組織である限り、間違いを犯すことは避けられないであろう。そのことだけを取り上げて、昔の傷を突っつきまわすことは確かに避けるべきことかもしれない。しかし、ものみの塔協会は他のキリスト教諸教派の人種問題に対する歴史をどのように述べているだろうか。

キリスト教世界の諸教会はいつも「すべての人を平等に」扱ってきたでしょうか。カトリック教会とルーテル教会が“至上人種”を生み出すヒトラーの企てをどのように支持したかを考えてください。また、カトリック教会は何世紀にもわたり、黒人はのろわれた人種であると教えてきました。ジョン・F・マックスウェルは、自著「奴隷制度とカトリック教会」の中で、この見解は、「1873年、『全能の神がカム [ハム] ののろいを遂に彼らの心から取り去られるように』と法王ピウス9世によって、『中央アフリカのみじめなエチオピア人』のための祈りに免罪符が付けられるまで続いたようである」と述べています。(下線は本誌)しかも教会組織の中には、今日に至るまで公然と人種差別を行なっているところがあります。(目ざめよ誌1982年5月8日15頁)
驚くべきことは、ものみの塔協会はここで、カトリック教会の「何世紀にもわたる」人種の偏見が1873年の時点まで続いていたことを指摘して、「キリスト教世界の諸教会」の人種差別を非難しているのに対し、自分たち自身のものみの塔協会が、少なくとも1929年の時点で「黒人はのろわれた人種」であると教え、その後も1970年代まで人種隔離政策を支持してきた歴史には全く言及していないのである。つまりカトリック教会が、黒人はのろわれた人種であるという教義を法王の公式見解により捨て去った後、少なくとも50年近くの間、ものみの塔協会はこの教義をエホバの証人に教え続けたのだ。しかしこの目ざめよ誌の記事にはそのような事実は全く語られていない。このような一方的な情報の配布は、ものみの塔指導部が、一般のエホバの証人はものみの塔の真の歴史に目をつぶっていることを見越しているからだ。一般のエホバの証人は自分たちの宗教が、キリスト教世界の諸教会よりもひどい人種差別をしてきたことを自覚する機会は全くない。

ここまでは、ものみの塔の黒人差別の問題に重点をおいて解説してきたが、実際の人種攻撃という点から見れば、黒人の問題はものみの塔の指導部のユダヤ人に対する偏見に比べれば、はるかに程度が軽いと言わざるを得ない。次の「義なる政府」と題する記事は、二代目会長ジョゼフ・ラザフォードによって書かれたが、そのようなユダヤ人への強い憎しみがぶつけられている。

利益の追求、良心の欠如、自己中心で知られ、世界の金融と商業の大きな部分を支配している、ユダヤ人と称する人々は、この新しい地球の支配者とは決してならないであろうことを、しっかりと認識しなければならない。神はこのような自己中心的な人々にこのような重要な地位をあたえるような危険を冒さないであろう。(黄金時代1927年2月23日343頁)
このエホバの証人指導部の強い反ユダヤ人の態度は、ラザフォードにナチスドイツの指導者ヒットラーに対して、そのユダヤ人迫害の政策を賞賛する手紙を書かせることになる。

現代のエホバの証人と人種

現代のエホバの証人の人種構成を正確に知ることは不可能であるが、1993年に行われたコスミンらによるアメリカ全土の宗教調査によると、過半数の52%のアメリカのエホバの証人が、黒人かヒスパニック系の白人以外の人種であることがわかっている。この割合は、他のキリスト教系の諸宗教と比べると格段に高い(たとえば長老教会7%、モルモン6%、聖公会10%、メソジスト24%、バプテスト31%)。このようにエホバの証人の多数が黒人である理由の一つに、現代のエホバの証人の間での人種差別の欠如が挙げられている。確かに黒人のエホバの証人は、世俗世界ではビルの清掃人に過ぎなくとも、エホバの証人の会衆の中では長老として白人も含めた他のエホバの証人から、エホバに選ばれた奉仕の僕として尊敬と権威が与えられるからだ。このエホバの証人の制度は、黒人の自尊心に強く訴えるものがある。

確かに現代のエホバの証人の間には、公然と人種差別を行う者はいなくなっているかもしれない。しかしそのこと自体は何もエホバの証人に特徴的なことではない。現在の主要なキリスト教教派は、ほとんど全てが人種や肌の色に関係なく全ての信者の平等な扱いをしている。しかし、これらのキリスト教会と比べてエホバの証人がはっきり異なるのは、その宗教の最高指導部に黒人を含む非白人を締め出していることである。エホバの証人の統治体は、その最初から英語を話すコーカサス系(白人)の男性に限られており、この伝統は全く変わっていない。アメリカにおいて多数派をしめる黒人のエホバの証人や、急成長を遂げるアフリカ、中南米、アジアのエホバの証人の数を考慮すれば、世界のエホバの証人の中で占める白人の割合は、恐らくその三分の一にも満たないであろう。しかし、その最高指導部は百パーセントが英語圏の白人なのである。

終わりに

一般に知れ渡っている、エホバの証人は人種差別のない団体という見方は、確かに現代の一般のエホバの証人の社会には当てはまるかもしれない。しかし、その歴史はエホバの証人が、他のキリスト教教派と同様か、それよりひどい人種差別、偏見、人種隔離を、つい最近まで行ってきたことを如実に示している。最近のものみの塔の出版物は、自分たちの宗教のこのような歴史を一切語らず、自分たちには人種差別がないことを宣伝し、キリスト教世界の教会の人種差別の歴史を攻撃しているが、これは欺瞞と偽善に満ちた行動である。ここで見てきたように、ものみの塔の過去の出版物は、覆い隠しようのない人種差別の言葉で満ちている。もし光が足りなかったための過ちであるなら、ものみの塔はなぜ他の宗教の過去の「光が足りなかった」過ちを攻撃し、自分たちの過去の過ちを隠すのであろうか。世界のエホバの証人の中では白人は少数派であるのに、その最高指導部は過去の伝統に従って百パーセント白人であるという事実は、この宗教が真に人種差別から抜け出るのに、まだ長い時間を必要とすることを物語るものであろう。


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