エホバの証人と精神疾患


《目次》

1.はじめに
2.エホバの証人と精神疾患との関係の調査
3.エホバの証人の間における精神疾患の実態
4.ものみの塔協会の精神疾患に関する教え
5.エホバの証人が精神疾患にかかりやすい理由
6.精神疾患に苦しむエホバの証人の治療
7.終わりに−今後の課題


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1.はじめに

宗教と精神疾患との関係は、太古の昔から切っても切り離せないものでした。妄想、幻覚、癲癇(てんかん)、転換性障害などの、明らかな精神神経疾患に罹っている人々が宗教指導者の中にいること、精神疾患患者はしばしば神の代理人、あるいは逆に悪魔のとりついた人と考えられてきたこと、精神病の症状(幻覚、妄想など)に宗教に関係した内容のものが多いこと、また精神疾患の病状が宗教によって改善したり悪化したりすることは、広く認識されています。エホバの証人の宗教もこの例外ではありません。このウェブサイトでも、多数の現役、元のエホバの証人の方々から精神疾患に悩んでいるという相談を受けました。エホバの証人の宗教と精神疾患との関係の解説記事を取り上げる必要性はますます高まっていました。今回、日本のエホバの証人の方々から、日本のものみの塔協会支部の医師たちが、精神疾患に悩む証人たちに独特の治療法を試みているという情報を頂き、この際この問題に正面から取り組むことにしました。以下の記事は一般向けの解説記事であり、学術的総説ではありません。出来るだけ精神医療に関係のない方々にも理解しやすいように問題を解説してありますが、ある程度の精神医学の専門用語と概念を使用してあることをご了承ください。またこの記事は、実際に精神疾患にかかっている方々への助言のために書かれたものではありません。病気の診断と治療には、ぜひ専門の医師の診察を受けてください。

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2.エホバの証人と精神疾患との関係の調査

宗教と精神疾患、精神衛生との相互関係の研究は、精神医学の一つの分野であり、これまでにも多くの研究結果が発表されてきました。欧米での研究は大部分がキリスト教、ユダヤ教の精神病との関係ですが、宗教への献身は一般的に言って精神的にも身体的にも健康に有益に作用しているという傾向が報告されています。しかし多くの研究を分析してみると、その影響は宗教によって(例えばキリスト教とユダヤ教との違い)、宗教との関わり方によって(例えば宗教組織への関わりと個人的な宗教の実践との違い)、また病気の種類によって(例えば精神分裂病、うつ病、神経症などの違い)、健康への作用の方向も異なっています。またこのような研究には方法論的に解決を見ない幾つかの課題があります。例えば宗教の健康に対する影響を研究するのに、集会や教会への出席の数、祈祷の数や宗教文書を読む時間の数などを指標にすることの意味です。確かにそのような宗教活動への参加の強さの指標を使って、宗教の健康に与える影響を研究することは一つの方法です。しかし、宗教によって健康を損ねた人々は宗教活動が少なくなるわけで、そのような指標を使う限り、宗教活動の少ないことが健康によくないという、実態とかけ離れている、原因と結果とを取り違えた結論になります。逆に精神病を持つ人、あるいは精神病にかかり易い人ほど、宗教に救いを求めるとすれば、宗教信者の中に精神病者が多く見られるようになり、宗教が精神病を引き起こすように見えることもあります。このように、宗教と精神疾患との相互関係の研究には幾つかの方法論の問題が解決されていません。

エホバの証人の宗教と精神疾患との関係の研究でも、同じような困難があります。しかし、エホバの証人の間における精神疾患の実態を調べるにはそれも増して、幾つかの困難な問題があります。先ず第一の大きな困難は、エホバの証人の社会が閉鎖的であって、外部の研究者の調査を受け付けないことです。最近のものみの塔協会本部からの直接の指示にもあるように、協会はエホバの証人の組織を医学者、社会学者、心理学者などが研究することを極度に警戒し、そのような調査はほとんど禁止状態にあります。このため、近年では組織だったエホバの証人の実態の研究は不可能な状態です。

第二の困難は。エホバの証人とは誰か、の定義の問題があります。科学的研究には調査対象の定義があいまいでは研究の信憑性は得られません。ものみの塔協会はこの問題点を利用して、エホバの証人は誰を指すかを都合によって変えて、病んだエホバの証人の切り捨てをはかります。これはエホバの証人の犯罪者が出た場合に良く使われる方法です。エホバの証人の犯罪者に対して最初にものみの塔協会が述べる反応は、このような犯罪は真のエホバの証人は出来ないから、この人物は不活発な信者で本当のエホバの証人ではない、とすることです。つまり個人をスケープゴート(罪を個人に転嫁して、全体の罪を逃れようとする行為の英語表現)にしてものみの塔の組織の安泰を図ることです。この態度はエホバの証人の精神病患者にも常に向けられて来ました。最近のものみの塔の出版物にはこの傾向はさすがに少なくなっていますが、エホバの証人の間には、いまだに精神疾患は「霊的な弱さ」から起こる、あるいは「サタンの仕業」という迷信めいた考えが根強くあり、精神疾患のエホバの証人は一人前の証人とは見られないことがよくあります。従って、このようなものみの塔協会の定義を使う限り、真のエホバの証人にはほとんど精神病患者がいなくなることになります。しかし、もしエホバの証人の宗教と精神疾患との真の実態を調査するのであれば、エホバの証人の教えによってその生活が影響を受けた全ての人々を調査しなければなりません。元エホバの証人の中にはエホバの証人として鍛えられた物の見方、価値観から抜けられない人々がいます。しかしこれらの人々を全て含めて調査することは、方法的に非常に困難なことなのです。

第三の大きな困難は、エホバの証人の多くの精神病患者は、実際に医療の場に出て来る事が少ないことです。以下に見るように、ものみの塔協会は長年にわたって信者の精神病患者を、まず会衆の内部で処理するように指示したため、多くの患者は医師による診断と治療を受けることがありませんでした。また証人の患者本人も、ものみの塔の教えのために自分の「霊的な弱さ」を自分で責めるだけで、病気としての治療の必要を否定する傾向があります。自分がエホバの証人であるなら、ものみの塔協会の言うように「地上で最も幸福な人」であるはずだ、そうでないのは自分が霊的に弱いからだ、と自分で自分を責める限りのない苦悶に閉じ込めらるのです。それにより、これらの精神病のエホバの証人たちは、いたずらに病状を悪化させるだけでした。最近ではこの傾向はだいぶ改善したようですが、精神病を信仰の弱さに置き換えて、病気として認識せず、精神科医や心理療法士を信頼しない態度は一般のエホバの証人の間に今でも根強く見られ、エホバの証人の間における精神疾患の実態の把握を困難にしています。

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3.エホバの証人の間における精神疾患の実態

これまでに発表されたエホバの証人と精神疾患との関係に関する限られた論文の中で、最も多く引用されるのは、1975年に英国精神医学雑誌(British Journal of Psychiatry)に発表された、オーストラリアの精神科医、ジョン・スペンサー博士の研究です(John Spencer: The Mental Health of Jehovah's Witnesses. Brit. J. Psychiat. 1975; 126:556-559)。この研究では1971年1月から1973年12月の36ヶ月の間に西部オーストラリア精神医療サービス精神病院に入院した7546人の全ての患者を対照にして調査が行われました。この7500人以上の患者の中に50人のエホバの証人の信者がおり、これらの患者の診断と、一般の非エホバの証人患者の診断とを比較してみました。結果は次の表に見られる通りです。この統計では、ものみの塔協会によって発表された1973年のその地域のエホバの証人の人口と一般人口とを母数として、精神疾患の頻度を比較しています。

     

全入院患者数

人口千人当たりの患者数

エホバの証人患者数

エホバの証人千人当たりの患者数

全ての精神病

7546

2.54

50

4.17

精神分裂病

1826

0.61

22

1.83

妄想型分裂病

1154

0.38

17

1.40

神経症

1182

0.39

10

0.76

スペンサー博士はエホバの証人の間に精神分裂病患者が一般人口の三倍、妄想型分裂病患者の数は一般人口の四倍に近い多さで見られ、これらの数字はカイ二乗検定で0.001の統計的有意差であったと結論しています。

スペンサー博士の研究は、上に述べたエホバの証人の研究に伴う多くの制限を受けています。自分がエホバの証人であると言うことだけで、入院患者の全てのエホバの証人を把握できているかどうかは疑問が残る所です。上にも述べたように、エホバの証人の精神病患者には自責の罪業感が強くあり、自分の宗教を明かすことはエホバの組織に汚名を着せることになるという恐怖があり、それを隠す傾向があります。従って、実際の患者数はこれより多いかもしれません。またこのスペンサー博士の研究では他の宗教の信者の数の調査が平行して行われていないため、分裂病患者の多いのがエホバの証人に特殊な現象か、それとも他の宗教にも見られる傾向であるのかが明らかにされていません。

より最近ではワイスハウプトらが、20人の元エホバの証人の女性を調査し、組織に入っていた時と出た後とでの心理状態の変化を報告しています。(Weishaupt KJ, Stensland MD: Wifely subjection: Mental health issues in Jehovah's Witness women. Cultic Studies Journal 1997; 14:106-144)この比較的小規模の調査の結論では、これらの女性はほとんどが、ものみの塔の宗教に入っていた時に比べると組織を出た後の方が、精神的な問題による悩みが減り、また男性との対等感を持てるようになった、と報告しています。

上に述べたような多くの制約の理由で、近年ではエホバの証人の内部の実態を科学的に大規模に調査することはほとんど不可能になっていますが、スペンサー博士以前にはいくつかの大規模な研究が発表されています。それはエホバの証人の若い男子が、徴兵制度のある国で兵役を拒否して刑務所に入れられた際に、それらのエホバの証人の囚人たちの精神状態を調査した研究です。スイスのジャナー、アメリカのペスカー、スウェーデンのライランダーの研究が主なものですが、これらは1970年以前に行われた特殊な状況下での調査であり、どこまで一般のエホバの証人の状態を反映しているかは不明です。しかし、これら全ての研究はそろって、徴兵拒否をするエホバの証人の男子の中に精神異常を示す者が高い率でいることを示しています。

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4.ものみの塔協会の精神疾患に関する教え

ものみの塔協会の出版物は、伝統的に精神科医や心理学者を、キリスト教世界の僧職者、政治家、哲学者、進化論者と一緒にして、エホバに逆行して人を誤った方向に導く人々として避けることを教えてきました。次に引用する1963年4月15日のものみの塔誌の、「どこに助言を求めますか」という記事では、精神分析学を中心とする精神医学を「安全な導きではない」として否定しています。

*** 塔63 4/15 230-31 どこに助言を求めますか ***
精神的、感情的そして行動上の混乱にかんする科学と治療を扱うこの分野の医術には、高い料金と多くの診察がつきものです。精神分析なるものが、どれだけ科学的であるかは、だれにも確かにはわかっていません。どんなによくみても、不完全な点がたくさんあります。人々が正常な生活能力を得るのを助ける、という目的は悪いものではありませんが、そのいくつかの手段は間違っています。精神分析学者たちの中には、彼らの個人生活において、宗教を重要視している人たちもいく人かいますが、一般にいうと、この仕事をする人々は、神と人間との重要な関係を無視します。精神病学の権威のひとりであるフロイドは、宗教は大きな妄想であるから、人間はいつかそれを捨ててしまうと言っています。精神病学は、よい生活をするには、啓発された自愛だけで十分であるかのように、「汝自身を知れ」と力説します。精神分析学者たちは、神を無視するというよりも、罪の意識をもつ人たちに向かい、淫行、姦淫、男色それ自体は罪ではないと助言して、しばしば神に反対します。そういう助言はとかく「良心をまっ殺」しがちである、という非難は間違いではありません。

精神分析にはまた、分析者が、彼自身の価値を押しつけて、彼個人の理想と非個人的な真理とを混同してしまう大きな危険があります。患者は、往々にして、彼らの分析者を過大賛美するようになります。哲学教授で、精神分析アカデミーの会員であるアブラハム・カプランは、つぎのように警告しています。「ここで危険なのは、分析者が、患者からふり当てられる、全知の道徳権威、という役を引き受けるかもしれないことである」。しかし分析者は、最高の道徳の権威ではありません。それはカプランも文句なしに認めています。「精神分析学は、何が有徳でないかを、われわれに告げることはできない。それは、善悪の原理を演繹的に推論できるような前提を確立することはできない」。明らかに精神分析学は、ごく根本的な問題の解明に役立つものではありません。人々を助けて立ち直らせるとしても、人々を神の方に導くものではありません。歩けるだけでは十分ではなく、どこへ行っているかを知っていなければなりません。もし精神分析学が、私たちの行ないを裁かれる神の目から見て、何が善で何が悪いかを私たちに告げることができないなら、それは安全な導きとは言えません。

この記事はものみの塔協会の、精神医学に対する深い不信を見事に表しています。悲しいことに、ものみの塔の筆者は(そしてこの記事は統治体の検閲を受けているのですが)精神病の治療と道徳教育という全く次元の違う事柄を混同し、精神医学に道徳教育を期待すると言う、全く的外れな教えをエホバの証人たちに与えているのです。

同じような精神医学への見方は、次の「読者よりの質問」の「精神病医は、職業をかえなければ、バプテスマを受けられず、またエホバの証者の一人と数えられませんか」という質問の答えにも見られます。この記事では、そのような精神科医が献身後もその職業を続けるかどうかは「その人自身が決めるべき問題」とした後で、次のように述べています。

*** 塔63 8/15 511 読者よりの質問 ***
しかし、献身したクリスチャンでありまた精神病医である人は、必要以上の影響を及ぼして他のクリスチャンが天的な知恵を求めて監督のところへゆくかわりに、この世の知恵を求めて精神病医のところへ来るということにならぬように十分に注意しなければならないでしょう。聖書の知恵より精神病学のほうがすぐれているといったような態度をとらぬようにすべきです。精神病学や精神分析学以上にすぐれた助言を含み、私たちの人格をもかえる力があるのは聖書です。そして、聖書の知恵だけが人を永遠の生命に導きます。
ここでも精神医学は、聖書と対立するものという見方をとり、「この世の知恵」として低次元の知識として蔑視されています。次の「クリスチャンの助言を巧みに与えなさい」という記事では、心理学を「この世の知恵」として学ぶべきではないと教えています。
*** 塔63 6/15 372 クリスチャンの助言を巧みに与えなさい ***
神学校で学ぶ者の多くは心理学を研究するようですが、円熟したクリスチャンは、助言を巧みにあたえるという大切な努めを果たすために、それらのものに心を用いる必要はありません。心理学者同志の間にさえ、今日のキリスト教国の緒宗派間に見られるような混乱と不一致があるのです。それゆえに神の言葉を軽視し、もしくは歪曲するような結果になるくらいなら、そのようなこの世の知恵については何も学ばぬほうがはるかにましです。−コリント後、四ノ二。
確かに、キリスト教の教職につく人々は、仕事柄心の悩みを持つ人々を扱うことが多く、そのために心理学の初歩的な内容を学んで、それらの病める信者の助けにしています。これと対照的に、ものみの塔の指導部はこれと逆に、心の悩みを相談される長老たちに心理学を学ぶなと指示しています。このように心理学を「この世の知恵」として否定することにより、ものみの塔協会はエホバの証人たちに、自分の心も他人の心の働きもわからないまま、ただ無批判に上から教えられることを盲従する集団に保っていくことができるのです。確かに心理学をまともに勉強するなら、ものみの塔協会の指導の仕方が、いかに洗脳教育そのものであり、精神衛生にとって最も不健康なことを行っているかがたちどころに分かってしまう恐れがあります。信者に心理学を学ばせないことは、ものみの塔への信者たちの盲従を続けさせる一つの鍵とも言えましょう。

しかし、このような無意味な医療の戒律は、予防接種や臓器移植の禁止と同様、余りに社会常識を逸脱しているために、いずれは修正されなければなりませんでした。1975年7月15日のものみの塔誌の「読者からの質問」の欄では、「エホバの証人が精神科医の診察を受けるのはふさわしいでしょうか」という質問に答えて、次のように述べています。

*** 塔75 7/15 447 読者からの質問 ***
精神科医であろうと、他のどんな医師であろうと、クリスチャンがそうした医師の診察を受けるかどうかは、個々のクリスチャンが自分で決定すべき事柄です。
ここでは初めて、建前だけでもエホバの証人が精神科医の診察を受けることは構わないという姿勢を打ち出しています。しかし、この記事を読み進むとやはり精神医学、心理学に関する否定的な見方がほとんどで、多くのエホバの証人は精神科医への診察を躊躇するように導かれています。
*** 塔75 7/15 447 読者からの質問 ***
精神科医や精神分析医のすべてではないにしても、相当数の人は無神論者か不可知論者です。ある調査によると、インタビューに応じた精神分析医の過半数は、神に対する信仰は”幼稚な”もので、”現実とは”相入れないとするジークムント・フロイドの見解に同意しています。また人間は、「低い次元の生命形態から進化するさいに受け継いできた動物的本能」にかられて行動する、と考えている人も少なくありません。さらに、「精神病専門医」と題する本の中で報じられているように、「精神科医や精神分析医のほとんどが、性にかかわる行動を規制する現行の法律は余りにも厳しすぎると考え」ています。(187ページ)物事をこのようにみなしている人々の考え方に自分の生活を合わせたいと思われますか。
このように精神医療に関わる人々を全く否定するような見方を植え付ける一方で、ものみの塔は長老による病人の内部処理を勧めています。
*** 塔75 7/15 448 読者からの質問 ***
ヤコブ5章13−16節は、霊的もしくは感情的な面で問題をかかえている人はクリスチャン会衆の年長者たちを呼び、「油を塗って」もらう、つまり慰めとなる聖書の助言を与えてもらうように、また「自分のために祈って」もらうようにと告げています。その結果はどうですか。聖句はこうことばを続けています。「信仰の祈りが病んでいる人をよくし、エホバはその人を[失意の中から]起き上がらせてくださるでしょう」。当然のことながら益を受けるためには、霊的に病んでいる人は正直かつ率直でなければなりません。聖書の助言を求め、それに従うべきです。さらに、自分のためにささげられた祈りに調和して努力することが必要です。−ヤコブ1:25。このことは、クリスチャンの長老たちに大きな責任を課するものとなります。長老たちはエホバの導きを求めて熱心に祈りをささげるべきです。辛抱強さや愛ある関心を示すことにより、多くの場合問題の真相をきわめることができます。わたしたちの重荷を神に委ねるようにと神がどのように招いておられるかを理解するよう長老たちはそれら問題をかかえている人を助けるべきです。
この1975年7月15日のものみの塔の記事は、精神科医の診察を「自分で決定すべき事柄」として容認する一方、精神医療も心理学も全く知らない素人の長老たちに、心の病に苦しむ証人たちの内部処理を指示した点で、重要な記事となりました。長老の助言とエホバへの祈りが精神科医の診察と治療より重要であると言う見方はその後も一貫して教えられています。たとえば、次の1977年8月1日のものみの塔誌の「抑うつ状態に対処することは可能」という記事では次のように述べられています。
*** 塔77 8/1 451 抑うつ状態に対処することは可能 ***
特に、自分の抑うつ状態に何ら医学的な原因が見当たらない場合などは、どんな処置を施すことができるでしょうか。精神医学が治療に役立つ場合もありますが、本当に永続的で、最も優れた助けは聖書とクリスチャン会衆から得られます。なぜですか。人間の体と思いを創造された神は、人間の造りを知っておられるからです。…ですから、神の助言こそ、最良の精神療法なのです。それで、憂いに沈んだ人にとって一番大切なのはエホバに祈ることです。
このような精神医療の否定と、宗教的な治療、祈祷と長老の助言が第一の治療であるという見方は、その後も引き続き教えられています。次の1983年10月1日のものみの塔誌の記事、「神は精神障害をもつ人を気遣っておられますか」の中では、精神障害の治療に精神科医の診察と治療は全く述べられず、家庭での家族の看病、聖書の知識を取り入れること、祈り、会衆の長老の助言が治療の柱となっています。

次の引用はまず聖書の知識による治療です。

*** 塔83 10/1 29-30 神は精神障害をもつ人を気遣っておられますか ***
神の言葉の助け

精神障害者を看護する際に活用できる、神が備えてくださった方法は、病人が聖書から知識を取り入れるよう助けるという方法です。精神障害を持つ人々が、神の言葉の知識を得て考えを調節したために、緊張や苦痛が大いに和らいだ例もあれば、回復した人の例も時々見られます。なぜでしょうか。基本的に言って聖書は霊的導きを与え、人の心に希望を吹き込む本だからです。(ローマ 15:4、13)とりわけ希望は抑うつ状態にある人々にとって欠くことのできないものです。そして神の霊は強い希望と相まって、混乱している人が考えを調整して健全な道を取り戻すよう助けることができるのです。

ですから、定期的な聖書研究が有益であることはしばしば証明されています。頭が正常な考え方をしなくなると調整が必要です。遅れる時計や進む時計が調整を必要とするのと同じです。正確な時計に定期的に合わせるようにするなら、その時計はまだ有用です。エホバ神は聖書を通して人間に「正確な時計」、つまり正しい考えの規準を与えてくださいました。精神障害を持つ人がこの優れた備えを活用するよう定期的に援助を受けるなら、その不安な思いに慰めと信仰と希望がもたらされます。

次は祈りによる治療について。
*** 塔83 10/1 30-1 神は精神障害をもつ人を気遣っておられますか ***
祈りの力

精神障害のある人と定期的に祈りをささげることも、混乱した思いをよりよく整理する助けになるでしょう。神が設けてくださったこの備えは安全弁の役目をし、憂うつな考えを外に出してしまうことができます。使徒ペテロは「健全な思い」を持つことと「祈りのために目をさまして」いることとを結びつけています。(ペテロ第一 4:7)祈りは昼夜を問わずどんな時刻でも神に届きます。しかも神は「事ごとに」請願を行なうことを勧めておられます。それには精神上の問題も含まれます。―フィリピ 4:6。

祈りの効力は次に挙げる例を見ても分かります。ベルギーに住むある既婚の男の人は、子供の時から重い精神障害に悩まされていました。しかし、エホバの証人と聖書研究をすることにしました。そして次のように書いています。

「私は、エホバが唯一まことの神であることが分かるとすぐに、私が変わるように助けてくださいと祈りました。自分の振る舞いがひどく常軌を逸していることに気づいていたからです。その時まで、私は3度拘禁入院させられ、あらゆる種類の分析的検査を受けたにもかかわらず、精神医学的な治療は少しも効を奏しませんでした。医療の効果のないことに気づいてきた私は、治療を断わろうかとも考えましたが、それに代わるものもありません。

「鎮静剤を飲むのをやめると早速神経がひどく緊張し、食物をかむのがやっとという状態になりました。私は毎日何度もエホバに祈願しました。そしてその度に平和な気分になりました。聖書的な考えが思いに浮かぶのも大きな助けになりました。最初のうちそれは長く続きませんでしたが、私は忍耐しました。神の霊が私を本当に助けてくれていることが分かりました。月日がたつうちに発作の頻度も強さも徐々に減少してゆきました。闘いは勝利に終わりました! 今日では正常な生活を送っており、自分の責任を担うことができ、またクリスチャンの人格を養うことも可能になっているということを証言できます。私にできる最善の事柄は、同じような問題を抱えている人すべてに対し、エホバ神に心を向けて援助を受けるようにとお勧めすることです」。

次は会衆の長老による治療について。
*** 塔83 10/1 31 神は精神障害をもつ人を気遣っておられますか ***
クリスチャン会衆を通して示される気遣い

エホバが精神障害者に気遣いを示される方法がもう一つあります。つまりクリスチャン会衆を通してそれをされるのです。神はクリスチャン会衆に、長老たちが率先するという愛のある取り決めを設けておられます。長老たちは、「憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ、弱い者を支え、すべての人に対して辛抱強くありなさい」という助言に従うことに努めます。(テサロニケ第一 5:14)クリスチャンの長老たちは長年神の言葉を研究し、いろいろな問題を実際に扱った経験があるので、自分たちの所へ相談に来るどんな人でも助けることができます。長老たちは純粋な関心を示し、問題を持つ人が話す事柄すべてに忍耐強く耳を傾けます。性急に非難したり、その人の感情を軽視したりするのではなく、理解しようとする努力が大切であることを知っています。長老たち自身にも欠点や限界はありますが、それでも心から慰めや援助を与えることに努めます。病気が回復したベルギー人の男の人は、「長老たちは状況をいつもよく理解しておられたわけではありませんが、私の家族同様に私を支えてくださいました。長老たちが示してくださったその愛は忘れることができません」と述べています。

長老たちはまた、問題を抱えている人々がクリスチャン会衆の集会に出席するよう助けたいと思っています。集会は平和でまじめな雰囲気の中で行なわれますから、集会の益を得たいという気持ちのある人々は皆、集会で健全な交わりや心を静めるその雰囲気を楽しむことができます。

それではこのような素人の呪い療法のようなやり方で、悪化した場合はどうしろというのでしょうか。ものみの塔はここでも、決して精神科医への受診を勧めずに、次のように述べています。
*** 塔83 10/1 31 神は精神障害をもつ人を気遣っておられますか ***
神は永久の解放を意図されて、人間のこの不完全な状態が存在することを一定の期間許されました。しかし永遠にではありません! 聖書の約束によると、人間生活の不快な面はすべて、神の天の王国政府が地に対する神の支配権をもってサタンの支配に取って代わる時、完全に消滅します。―ダニエル 2:34、44。啓示 21:4。

そうです、エホバ神は間もなく、人間がかかる肉体の病気や精神の病気のすべての原因を取り除かれます。神は本当に気遣っておられるのです。

つまり祈りと長老の助言でよくならない病気は、端的に言えば「ハルマゲドンが来るまで我慢しろ」ということです。つまりものみの塔協会は、エホバの証人の精神疾患患者に対し、宗教的民間療法をすすめ、それでも効果がないのなら、「仕方がないからもうすぐ来るハルマゲドンまで我慢しろ」と教えているのです。この宗教の歴史上一貫して繰り返されてきたハルマゲドンの先延ばしを見れば、このような誤った精神疾患に対する教えが、どれだけの患者の病状を悪化させたり、自殺に追いやったりしたかは想像に難くありません。

しかしハルマゲドンの先延ばしと、組織内部の腐敗に伴うエホバの証人の精神疾患患者の増加は、もはや長老による素人療法の限界を超えていることがわかって来ました。1988年10月15日のものみの塔誌では、長老による治療と並べて、重症の例では医師に見せることが勧められるようになりました。

しかしここでも先ず、長老による治療の試みが勧められています。

*** 塔88 10/15 27 精神的な苦しみ―クリスチャンがそれに悩まされるとき ***
では、ある兄弟が異様な振る舞いをするようになったり、感情的な動揺をもらしたりしたならどうでしょうか。長老たちはまず、その人の気持ちを話してもらい、一体何に悩まされているのかを見定めようとするかもしれません。もしかしたら失業や家族内のだれかを亡くしたといった、何らかの個人的な不幸や非常にストレスの強い状況が原因で、一時的に平衡を欠いてしまったのでしょうか。(伝道の書 7:7)苦しんでいるその人は、孤独であるために少しふさぎ込んでいて、『慰めのことばをかけて』くれる人を必要としているのでしょうか。(テサロニケ第一 5:14)あるいは、その兄弟は何らかの個人的な弱点に悩まされているのでしょうか。もしそうなら、適切な諭しを与えると共に、神の愛と憐れみを確信するよう励ましてあげるなら、不安な気持ちを静めることができるかもしれません。(詩編 103:3、8-14)苦しんでいる兄弟と共に祈るだけでも、多くの良い事柄を成し遂げることができるかもしれません。―ヤコブ 5:14。

また長老たちは、苦しんでいる人に実際的な知恵を与えることもできます。(箴言 2:7)例えば、ある種の感情障害は食事と関連しているかもしれないことに、わたしたちは注目しました。ですから長老たちはその兄弟に、バランスの取れた食事をし、食事に関する極端を避けるようにと提案できるかもしれません。あるいは、長老たちは、苦しんでいる人が仕事上の大きな圧力を受けていて、規則正しく十分の睡眠を取ることなど、「一握りの憩い」から大きな益を得られることに気づく場合もあるでしょう。―伝道の書 4:6。

そして、このような素人療法でよくならない例では、医者に見せることが勧められるようになりました。これはそれまでの、精神医学の一方的な否定の態度に比べると、大きな方針転換と言えるでしょう。
*** 塔88 10/15 27 精神的な苦しみ―クリスチャンがそれに悩まされるとき ***
『医者を必要とする』人たち

しかし、苦しみがひどく、なかなか収まらないときには、「健康な人に医者は必要でなく、病んでいる人に必要なのです」というイエスの言葉を思い起こすのはよいことです。(マタイ 9:12)苦しんでいる人たちの多くは、医師に診てもらうことを渋ります。ですから、長老たちと身内の人たちは、信頼できる医師に精密検査をしてもらうなど、病院で診察を受けるようその兄弟に勧める必要があるかもしれません。モーリス・J・マーティン教授は、「体の病気でありながら、精神障害として表に現われる病気には実に多くの種類がある」と述べています。そして、本当に精神病が関係しているときでも、多くの場合、効果的な治療法があります。

ある長老の妻は、苦しんでいた夫が「兄弟たちの中に出ることを恐れ、集会に行きたくないと思っていたこと、……また、絶望的になって死にたいと思っていた」ことについて語っています。しかし、夫が専門医の診察を受けた後、その妻は、「夫はもうひどくふさぎ込むことはありませんし、集会から遠ざかっていたいとも思っていません。今朝は公開講演を行ないました」と、報告することができました。

明らかに、すべての状況がそのように簡単に解決されるわけではありません。科学は精神の問題のなぞを解き始めたにすぎません。正しい診断と治療を受けるには、長い複雑な過程を経なければならない場合があります。しかし、多くの場合、そうするだけの価値があります。

一番最近の、ものみの塔協会の精神疾患に対する見方は、1996年9月1日のものみの塔誌に掲載されています。ここでも、精神医療の専門家への不信は抜けてはおらず、会衆や家族での内部処理を優先させてはいますが、病気の種類によっては専門家に見せることの重要性も述べています。
*** 塔96 9/1 30 読者からの質問 ***
クリスチャンが精神衛生の専門家の診察を受けるのは賢明なことでしょうか。

幾つかの国や地域からの報告は、この「終わりの日」に感情的ならびに精神的な病気が増加していることを示しています。(テモテ第二 3:1)クリスチャンは、仲間の信者が病気になった時、深い同情を感じますが、病気の治療を受けるかどうか、また受けることにしたならどのような種類の治療にするのかに関して各自が決定しなければならないことを認めています。「人はおのおの自分の荷を負うのです」。(ガラテア 6:5)精神分裂病、双極性障害、重度の臨床的うつ病、強迫性障害、自傷行為や他のつらい障害にひどく悩まされている人の中には、専門家の正しい援助を受けて、かなり正常な生活を送ることができるようになった人もいます。

しかし、この一番最近の精神疾患に対する協会の指示でも、精神衛生の専門家への執拗な不信が表明されています。
*** 塔96 9/1 31 読者からの質問 ***
専門家の中には、聖書に基づく信仰によって課される制限はどれも不必要であり、精神衛生上有害な可能性があるとみなしている人もいます。同性愛や不倫といった、聖書が非としている習慣を是認しているかもしれず、それを勧めることさえあるかもしれません。こうした考えは、使徒パウロの言う、「誤って『知識』ととなえられているものによる反対論」の中に含まれています。(テモテ第一 6:20)それらの考えは、キリストに関する真理に反対するものであり、この世の「哲学やむなしい欺き」の一部です。(コロサイ 2:8)聖書の規準は明確です。「エホバに逆らっては、知恵も、識別力も、計り事もありえない」のです。(箴言 21:30)「善は悪である、悪は善である」と言う精神衛生関係の専門家との交わりは「悪い交わり」になります。彼らは、不安定な思いがいやされるようにするどころか、「有益な習慣を損なうのです」。―イザヤ 5:20。コリント第一 15:33。

《要約―ものみの塔協会の精神疾患に関する教え》

以上、ものみの塔協会の出版物を系統的に閲覧し、歴史的に精神疾患に対する態度がどのように変わってきたかを見てきました。1975年以前は、精神医学、心理学はエホバの教えに逆行する誤った「この世の知恵」として否定され、精神医療を受けることはほとんど禁止されていました。1975年になると、精神科医の診療を受けることは「個人の決定」に任せられると方針を変換しましたが、その一方で、聖書と祈祷、それに長老の助言によって組織の内部の素人による民間療法で、精神疾患を治療することが勧められました。この立場は1983年のものみの塔誌でも繰り返し強調され、その当時のエホバの証人のほとんどはこの方針に従って病状を悪化させていました。そして1988年になって初めて、ある種の精神疾患では「医者を必要とする」エホバの証人がいることを認識し、そのような患者は専門医に見せることをすすめるようになったのです。

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5.エホバの証人が精神疾患にかかりやすい理由

以上見てきたように、エホバの証人の間には歴史的に精神疾患患者が多く、ものみの塔協会自体が、上の1996年のものみの塔誌の引用にあるように、たとえエホバの証人のクリスチャンであってもこの「終わりの時」には精神疾患が増えていることを認めています。ここではなぜ、エホバの証人が精神疾患になりやすいのかを考えてみましょう。その理由には大きく分けて、二つの要因があります。その第一は、元々精神疾患になりやすい性格の人、精神病の病前性格を持った人、あるいは潜在的に精神疾患を持っている人が、より多くエホバの証人の教義に惹かれて信者になる場合です。エホバの証人の勧誘を受けても、多くの人々はこれを全く受け付けないのに対し、ある種の性格の人々は簡単に惹かれて行きます。これは特に自分で選んでエホバの証人の「真理に入った」人々に多く見られます。第二の理由は、エホバの証人の教義とものみの塔協会の体制そのものが、信者を精神疾患に追いやったり、潜在的にある精神疾患を助長し、悪化させる問題です。これは、自分で選んで信者になった人々の他に、エホバの証人として子供時代から育てられた人々にとって、特に深刻な問題です。

エホバの証人になり易い性格

ここでは、エホバの証人に惹かれていく人々に共通の性格は何かを考え、それが精神疾患とどうつながっているのかを考察します。

エホバの証人の教義の根本的な問題

ここでは、エホバの証人の教義とものみの塔組織の体制の根本に、精神疾患を誘発し、それを助長する要素があることを見ていきます。 戻る

6.精神疾患に苦しむエホバの証人の治療

ここまで見てきたように、エホバの証人の間の精神疾患の問題は、輸血拒否による死者の問題と同様、宗教に基づく誤った医学の見方により、多くの犠牲者を出してきた深刻な問題であることを示しています。ここでは、このようなエホバの証人の精神医療の実態に基づき、エホバの証人、元エホバの証人、家族、医療関係者がどのようにしてこの問題に取り組むことができるかを考察してみます。

過去の過ちの認識

病気の治療にとって大事なことは、まず冷静な目で現実をしっかり認識することです。ものみの塔協会が使う宣伝文句である「エホバの証人は地上で最も幸福な民」などという幻想を捨て、現実にはいかに指導部の誤りにより、多くのみじめな精神疾患の犠牲者を出してきたかを冷静に認識し、深い反省の上に今後、同じ過ちを繰り返さないような努力を始めることが、第一歩でしょう。苦い過去の過ちに、オブラートをかけて砂糖をまぶして、あやふやな言い訳と正当化や美化で葬り去る限り、同じ過ちは決してなくならないでしょう。この際、エホバの証人は精神医療に対する偏見と差別を拭い去る必要があります。もちろん、精神医療に無条件に信頼を置く必要はありません。全ての医療と同様、患者としての知識と権利を十分認識しながら、注意深く医療を受ける必要があることは言うまでもありません。しかし、ものみの塔の教えてきたように、精神医療だけを「この世の知恵」として別の医療から切り離して避けることは、全く根拠のないことを素直に認める時が来たと言えるでしょう。今までの誤った教えに対する反省と認識が組織の指導部から発表されて、初めて一般のエホバの証人が、堂々と精神医療の現場を訪れて助けを求めることができるようになるでしょう。

それと同時に、ものみの塔は現在でも行われている、長老による素人判断による精神疾患の対処を、直に止めさせなければなりません。現在、ものみの塔は長老に心理学の勉強を禁止しておきながら、長老たちにどの証人の患者が医者を必要としており、どの証人の患者が長老の助言と祈りで対処できるかを素人判断させています。教育も資格もない、まして心理学の初歩も知らない長老たちに、このような最初の判断を任せることの危険は、場合によっては患者の自殺につながり、文字通り「致命的な教義」となっています。

早期発見早期治療

ほとんど全ての病気がそうであるように、精神疾患も早期発見早期治療が病気の予後を左右します。診断と治療が遅れれば、病気は進行し治療はより困難になり、社会復帰は遅れる他、自傷他害の危険も増えてきます。長老による患者の治療方針の選択は、この第一歩で大きな誤りをもたらすのです。精神疾患の可能性のある患者が会衆に見られる場合、長老は自分の素人判断を捨てて、まず専門家に受診を勧め、その結果に基づいて、真に医者を必要とする患者と、長老の「牧羊の業」だけで対処できる患者とを判別するべきでしょう。長老の素人判断で、誰が医者を必要とする患者かを決める方針は直に止めさせなければなりません。

精神疾患の治療における宗教の役割

一般に宗教の信者が精神疾患の治療を必要とする場合、その患者の宗教を考慮して治療を進めることは精神医学界でも認められています。たとえばアメリカ精神医学会(APA)のガイドラインでも、患者の人生に対する重要な文化的、宗教的な影響を考慮することを勧めており、キリスト教会でも信者の精神科医、心理療法士が信者の信仰に沿った診断と治療を行なっています。これに対し、エホバの証人に理解を持つ精神神経科医は極端に少なく、ものみの塔協会は、一般の精神科医療への受診がものみの塔の間違いを気づかせる「世の知恵」を植え付けることを恐れる余り、精神疾患患者の内部処理に躍起になっています。もし本当に内部処理を目指すのであれば、ものみの塔協会はエホバの証人の心理療法士や精神科医を養成し、信者の治療に当たらせるべきでしょう。しかし、それは行なわれていません。上に述べたように、ものみの塔の第一の関心は将来の「王国」と「楽園」であり、どうせ破壊されるこの世の現状を改善する方策などは念頭にないのです。外部の精神医療関係者を強く警戒するだけで、それに代わるものは資格を持たない素人の長老による宗教的治療と、先延ばしの「楽園」を目の前にぶら下げて元気付けることが精一杯なのです。

しかし最近、日本のエホバの証人の間では試験的に、エホバの証人によるエホバの証人への精神療法的な治療の試みが始まっているという情報があります。詳しくは、「試験的に始まっているエホバの証人のカウンセリングプログラム」とそれに関連したニュース記事、「日本で行われているエホバの証人のカウンセリングプログラム」を参照して下さい。インナーチャイルドという民間療法的なやり方ではありますが、どのような形にせよ、ものみの塔協会が本当に内部の精神疾患患者に内部から治療の努力を始めたとすれば、これは画期的なことでしょう。

しかし、エホバの証人の精神疾患患者の治療を、エホバの証人の宗教内で信仰を強める形で行なうことが、本当に患者のためになるのかどうか、これは精神医療関係者の間でもう少し議論を進める必要があるでしょう。冒頭に述べたように、他の宗教では宗教への関与は一般的に言って、精神衛生によい影響を与えることが研究からわかっていますが、これがエホバの証人の宗教に当てはまるかどうかは大きな疑問です。これまでの研究でも、ある種の宗教はある種の精神病に対しては、病気を悪化させる方向に働いていることが報告されています。限られたエホバの証人の精神衛生に関する研究を見る限り、また上の第4章、第5章で見たように、エホバの証人の教義と宗教活動自体に精神衛生に有害なものがあることは明らかであり、エホバの証人の宗教が原因で精神疾患にかかった患者を、更にその宗教の奥深くに引きずり込むことは、治療的とは言えないでしょう。そのような患者には、病因となるエホバの証人の環境から切り離すことが治療的かもしれません。

その一方で、中にはものみの塔協会のような誇大妄想的絶対指導者を必要とする患者がいることは確かで、そのような精神的に独立が難しい患者では、ものみの塔のような心の支えを取り除くことは困難かも知れません。そのような患者は、単独で社会に生活していく精神的な能力も強さもなく、ものみの塔のような絶対的指導者に全てを託す事によって、何とか社会的機能が保たれている人たちかも知れません。このような依存心の強い人々は人類の歴史を通じて普遍的に存在し、そのような人々がいる限りエホバの証人あるいはそれに類似する宗教は続くでしょうし、その存続意味もあるのです。そのような人々を宗教の外で治療することは不可能かもしれません。

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7.終わりに−今後の課題

以上、エホバの証人の精神疾患に関して、歴史的展望と現状分析を行なってみました。精神医療の側から見れば、最も重要な今後の課題は、この宗教が精神病患者を生み出したり、潜在的患者を悪化させ発病させているのかどうか、あるいは逆にこの宗教が精神病を克服するのに役に立っている場合があるかを、科学的方法で正確に調査する必要があります。このような調査は、ものみの塔協会の正式な協力がない限り不可能です。その調査結果は今後、エホバの証人の精神疾患を予防したり治療したりするのに大きく役立つことでしょう。このような調査は他の宗教では宗教組織の指導部の協力を得て行なわれ、学術雑誌に発表されて宗教信者の精神医療の貴重な指針となっています。ものみの塔協会が本当にエホバの証人の心の病を気遣い、それらの人々の福祉を真剣に考えるのなら、自分たちの都合で勝手に何度も先延ばしにしてきた「楽園」の到来を口実にして問題を棚上げにするのでなく、今すぐ直に精神医学の専門家と提携して、実態調査と適切な処置を開始するべきでしょう。もし、このまま現状維持を決め込むのであれば、ものみの塔協会は輸血拒否と同様に、精神疾患に関する「死に至る教義」を教える宗教として、社会的糾弾をまぬかれないでしょう。

 

参考文献

  1. Koenig HG, McCullough ME, Larson DB: Handbook of Religion and Health. 2000 Oxford University Press
  2. Koenig HG (ed): Handbook of Religion and Mental Health. 1998 Academic Press
  3. Bergman JR: Jehovah's Witnesses and the problem of mental illness. 1992 Witness Inc.
  4. Spencer J: The Mental Health of Jehovah's Witnesses. Brit. J. Psychiat. 1975; 126:556-559
  5. Weishaupt KJ, Stensland MD: Wifely subjection: Mental health issues in Jehovah's Witness women. Cultic Studies Journal 1997; 14:106-144

文責:村本 治 (医学博士・アメリカ精神神経医学専門医委員会認定医)

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