神は一つの組織を使って業を行うのでしょうか?


アダムから大洪水まで
大洪水からシナイ山まで
イスラエル人はどのように組織化されていたでしょうか?
シナイからサミュエルまで
悪い考えが根付く
二つの王国、一つの組織?
イエスは「イスラエルの失われた羊」のために送られました
神はどのようにイスラエルと意思の疎通を行ったのでしょう?
キリストの時代の始まり
使徒たちは「統治体」であったでしょうか?
エルサレム「会議」は「新しい光」の源だったでしょうか?
神の聖霊は初期のクリスチャンと共に働きます
神は個人と同時に、一つの組織も使って業を行うのでしょうか?
組織とは一体何でしょう?
「私に来なさい」
これからどこへ行けばいいでしょう?
あとがき

 ものみの塔は、神がその僕に伝達し指示を与えるのに常に一つの組織を使って来たと主張します。その教えによれば、今日、その神の唯一の組織はエホバの証人であり、彼らはその統治体とその法的な代表者であるものみの塔聖書冊子協会が、神によって任命された神と人間とのあいだの「伝達の経路」であるとしています。彼らエホバの証人は、神がその地上の関心事をその組織を通じて指示し、その組織の外側には救いも神の恩寵の可能性もないと教えられています。「霊に導かれた神の組織」の権威を認めることは、エホバの証人のバプテスマの必要条件にまでなっているのです。

 ものみの塔協会本部の幹部は、印刷物やその代表者を通して、定期的に詳細な指示を世界中何千に及ぶエホバの証人の会衆に与えています。彼らは野外奉仕を指導し、教義や組織に関する解説の調整を行い、宗教上や世俗の事柄を支配する規則や規制を与え、これに従わない者に対する懲罰の仕方を定めています。本部の幹部はまた、野外の代表者たちから定期的な報告を受けています。(注1)

 ものみの塔の出版物で使われる「エホバの組織」という言葉は、ただのエホバの崇拝者たちの集まり以上のものを意味します。この言葉にこめられた意味は、神が常に、地上の神の民の全体の中から選ばれた個人か、小さなグループに権威を与えて、神から直接与えられた情報や指示を、その他の神に承認された僕に与えたり、分配したり、解釈させており、神はその承認された「伝達経路」以外では個人個人とは独立した関わりを持つことはない、ということなのです。

 そこで、このページで考察してみたいのは次の疑問です。神は、特別の代理人からなる小さなグループの人々によって地上で運営されている、一つの組織を通して業を行い、これを無視したり、迂回したりすることは本当に許されないのでしょうか?聖書はこれについて何と言っているでしょうか?

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アダムから大洪水まで

 神はアダムとエバには直接話されました。神は彼らを祝福し、彼らに神が何を望んでいるかを指示しました(創世記1:28−30)。彼らが罪を犯した後は、神は彼らに質問し、彼らと蛇に直接、判断を宣告しました(創世記3:9−19)。神はカインとアベルによって捧げられた犠牲を別々に判断しました。そしてカインが間違った態度を示すと、神は個人的に彼に指導を与え、罪に対して警告しました。彼がその兄弟を殺した時には、神はカインを個人として裁きました。(創世記4:6−15)

 長年の族長時代の間には、子供を産み、数を増やし、地上に満ちるようにという、神の人類に対する命令を守ることにより、神の民は集められるより、もむしろ散らされました。神を中心的な場所で崇拝したり、グループとして定期的に神からメッセージを得てそれをその他の人々に伝えるような、神の僕の集団に関する記述は、一貫してどこにも出てきません。

 神が地上の不義な者たちを洪水によって一掃しようと決めた時、神はノアを選んで人間と動物の種族を保存するための指示を与えました。神はノアに直接話しました。(注2)「義の伝道者」(ペテロ第二2:5)としてノアは予言者、すなわち神のメッセージを仲介する人として活動しました。洪水の後、ノアはその家族のために神に犠牲を捧げましたが、これはその後何世紀にもわたって継続される一つの型になりました(ヨブ1:5)。家族の長が神の前にその家族を代表し、それによってこの限られた意味での聖職者あるいは仲介者の役目を果たしたのです。

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大洪水からシナイ山まで

 大洪水の後、神は「子を産んで多くなり、地に満ちよ」という命令を繰り返しました(創世記9:1)。そして神は個人個人に直接話したり、天使や、予言者の夢や幻を通して意思の疎通を行いました。予言者は神からメッセージを受けると、それを人々に伝えることを義務づけられていました。反逆者のグループが話し合って巨大な塔を建てようとした時、その理由の一つは「地の全面に散らされることのないように」との恐怖でした。エホバ神は少なくともその時点では、その「地に満ちよ」という命令に従わせるために、全地の言語を混乱させました(創世記11:4、8)。

 何百年後、神はその友だちで、優れた信仰の人、アブラハムに対し、彼が「大いなる国民」になるであろうと約束しました(創世記12:2)。この選ばれた家系は、神の特別の配慮を受け、約束されたメシアが出てくることになっていました。このことは新たな、より「組織化」された人類との伝達の方法の始まりを意味するでしょうか?

 アブラハムの家系が大きくなる過程でも、神はその僕たちと直接意思の伝達を行いました。そのような人々には、一時的、あるいは長期的に予言者の役割を果たした人々が含まれていました。しかしそのような人々でも、一人の人間が全てを知っていたり、神がただ一つの「経路」あるいは奴隷を使って業を行っている様子はありませんでした。たとえば、族長で予言者であったヨセフは、、まだ少年として父と一緒に住んでいた時、将来を予告する霊感を受けた夢を見ました。ヨセフはエホバによりエジプトへ送られ、ヤコブの家系を一つの国民に育て上げる準備をしました。しかしこの時、エホバはヤコブに、彼が族長で予言者であるにも関わらず、何をやろうとしているかは知らせませんでした(創世記42:36)。神の導きにより、75人のアブラハムの子孫がエジプトに移りました。430年後にエジプトを出た時、その数は何百万になっていました。

 神がその民をエジプトでの奴隷の身から解放しようとした時、神は燃える茂みを通してモーセに個人的に話し、エホバの名前の後ろにある意味と力をイスラエル人とエジプト人とに示すために、モーセに奇跡を行う力を与えました。これらのイスラエル人がシナイの荒野で簡単に金の子牛の崇拝を受け入れたり、その他の信仰の弱さを示す様子から見ると、彼らは、グループとして、彼らの先祖アブラハムが行っていた純粋な崇拝の習慣を保ってはいなかったことを示しています。

 イスラエル人はエジプトを離れた後、神と特別の契約関係に入りました。彼らは律法を受け取り、それによって彼らの道徳的、世俗的、また宗教的な事柄が決められていくのでした。ものみの塔は、これらの事例が、エホバの証人たちが「この世」特にキリスト教世界から解放され、地上の「伝達の経路」を通して中央化した指示を受け、その結果現在の彼らの組織化された形に築き上げられていった過程と平行しているとしています。イスラエルは、高度に組織化された、ものみの塔協会の一つの「型」あるいは模式として使われているのです。しかしこの模式は本当にその通りでしょうか?モーセの律法はエホバの証人を今日支配しているような中央化した統治機関を作り上げたでしょうか?

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イスラエル人はどのように組織化されていたでしょうか?

 モーセは真の意味で神とイスラエル人との間の「伝達の経路」でした。彼は聖書の中で「仲介者」と言われています(民数12:7、ガラテア3:19)。その役割において、モーセはイエス・キリストの前兆でした(申命18:18、19;使徒3:19−23と比較)。モーセはイスラエル人を指揮し、予言者でした。彼の後継者ヨシュアは指導者ではありましたが仲介者でも予言者でもありませんでしたし、モーセの兄弟アーロンもその子孫の聖職者たちもそうではありませんでした。これらの人々も、またその他の部族のメンバーも、レビ人も、すべて宗教的な役割を果たすだけで、管理者や預言者ではありませんでした。それでは誰がイスラエル人を指導していたのでしょう?

 イスラエルの国民は実際は一つの家族であり、中央化した政府は必要なかったのです。彼らは家系によって「組織」されていたのです。イスラエルでは長老と「幾百、幾千の部族の長」たちは、人気投票で選ばれたのでもなければ、神によって任命されたのでもありません。彼らは代表する民の身内の者なのです。それぞれの部族は家族の集まりであり、共通の祖先から出ており、密接に血がつながっていました。

 モーセの律法はイスラエル人に道徳的、宗教的規範を与えました。その律法は日常生活のあらゆる場面で起こる罪深い考えや行いを広範に規定し、またそのような罪に対処する具体的な処置を与えました。しかしこの律法は人間の作る政府や統治体を設定はしませんでした。この律法の元ではイスラエル人は個人の良心によって導かれることになっており、人間の支配者が警察力やその他の力によって政府権力を行使することにはなっていませんでした。罪人や違反者に対する処罰は、それぞれの地域共同体の中で、それぞれの人々自身によって長老たちの指導の元に行われました。聖職者たちはそれに伴う捧げものやその他の宗教的儀式を指導しました。それぞれの個人は自分の行動に対し、神と自分の家族とその地域共同体とに対し責任をもったのです。これは真の意味での神権的な形の政府でした。すなわち神ご自身がすべての地上の王に代わって支配していたのです。この形の政府はうまくいったでしょうか?

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シナイからサミュエルまで

 約束の地に入った後、イスラエル人は約350年間、人間の王や中央化した政府を持ちませんでした。「そのころイスラエルには王はいなかった。自分の目に正しく見えるところを各自が行っていたのである。」(裁き人21:25)このような神権的な体制は混乱にはなりませんでした。結果は大変好ましいものであったことが証明されています。

 神は時に応じ、必要に応じて裁き人を選びました。彼らは指導者でしたが、それは政治的というより軍事的な意味でした。ある時は二人以上の裁き人がいました。また別の時には全く裁き人はいませんでした。彼らは特別な統治的権威を持っていたわけでもなければ、イスラエル人に対する王としての役割を果たしたのでもありません。そこでは神のみが唯一の支配者だったからです。裁き人の書の最後の章では、特に暴虐な罪に対してこの体制でどのように正義が行われたかを示す、特異な興味ある話が載っています。

 聖書の記録によると裁き人の時代の三分の二以上の時は、その地は平和でした。裁き人が出てイスラエルを敵から解放した後では、平和であった時代は40年間にわたる期間が三回と、80年間にわたる期間が一回ありました(裁き人3:11;3:30;5:31;8:28)。裁き人の時代が終わった後ではこんなに沢山の平和な年があったことはありませんでした。実際この期間には、聖書はただ一人の予言者、デボラという女性予言者のみがイスラエルに送られたと伝えています。それでは何が起こってこの状態が変えられて、その地に平和を続けることができなくなったのでしょう?

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悪い考えが根付く

 結局の所、イスラエル人たちは王を望むようになりました。彼らは目に見える中央化した政府が欲しかったのです。どうしてでしょう?何世代にもわたって平和と繁栄をもたらした神権的な形の統治がうまくいかなかったからでしょうか?そうではありません。それでは彼らを背教から守るためですか?そうでもありません。それではどうしてでしょう?彼らはこう言ったのです。「そして私たちは、やはり私たちも、諸国民すべてのようになり、私たちの王は私たちを裁き、私たちの先に立って出て行き、私たちの戦いを戦わなければなりません。」(サムエル第一8:20)それは彼らがその周りにいる異教の国々と、ただ同じようになりたかったからなのです。この考えは自己中心的、世俗的、非神権的でありました。そして神はまさにその通りに言いました。サムエルはイスラエルが彼を予言者として拒否したと思いましたが、エホバ神はそれを正しました。神は、彼らの王の要求は、神が彼らの王であることの否定である言いました。神はイスラエルに対し、中央化した形の政府は多くの困難に至るであろうと警告しましたが、彼らはそれでも神が人間の王を与えるように要求し続けました。(サムエル第一8−10章)

 神はこの要求を受け入れました。神は先ず有能で立派な人間であるサウルを最初の王に選びました。しかし時が経つに連れて、サウルが選ばれた理由であったよい性質は腐敗していきました。神はサウルを拒絶し、代わりに少年ダビデを次のイスラエルの王に選びました。ダビデは「神の心にかなう」(第一サムエル13:14)人間に成長しました。しかしこれだけの素晴らしい推薦を受けた人でも重大な欠陥がありました。ダビデの統治は個人的なスキャンダルと家族の悲劇によって損なわれました。

 ダビデの息子ソロモンは「全ての人間の中で最も賢い人間」と呼ばれました。彼の40年間の統治は平和と繁栄と幸福で知られていますが、彼もまた、年をとるにつれて神に忠実でなくなりました(列王第一11:4−6)。その結果、ソロモンの息子レハベアムが王座に就くと、エホバは国民を、北の十部族からなるイスラエルと、南の二部族からなるユダとの二つの王国に永遠に分裂させてしまったのでした(列王第一11:9−13)。

 ここにイスラエルを支配する中央化した政府は惨めにも失敗したのでした。神がご自身で王を任命したにも関わらず、その支配はほんの三世代しか続きませんでした。このユダヤの歴史の中でこの時点以降、イスラエル人と二十世紀のエホバの証人とを比較することは、更により困難で複雑化していくのです。

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二つの王国、一つの組織?

 二つの王国に分裂した後、ユダヤ人にとって全てのことが完全に変わってしまいました。ユダの王国はダビデの子孫が引き続き王座に就きましたが、イスラエルの王国では幾つもの王朝ができ、時にはその変わり目に血なまぐさい戦争が起こりました。かれら二つの王国は外部の敵と戦う一方、自分たち同士でも戦いました。それぞれの王国には独自の王の系統がありました。北の王国はエルサレムではなくサマリアに崇拝の中心を設定しましたが、それは二部族の国の領土にありました。そして彼らはレビ人の祭司の多くをレビ人以外の祭司に入れ替え、そのことが偽りの崇拝に彼らを導いたのです。

 この当時のユダヤ人の間での政治状況を、中央化した統治構造を持つ一つの調和した組織になぞらえようとすることは、想像を絶することです。一つの国が神に忠実であり、他の国が神に不忠実であったという問題ではなく、悪い王はそれぞれの王国に同じ様にいました。神は一つの王国との対応を拒否してし、もう一つの王国とだけ対応するということはしませんでした。神は予言者をそれぞれの王国に送りました。どちらの王国でも不義な王がいたときには邪悪なことが一杯になりました。逆に義を求める王の元では、一般により純粋な崇拝の形に戻り、神の祝福もありました。

 北の王国は紀元前8世紀の半ばにアッシリア王シャルマネセルによって永遠に滅ぼされました。その後彼らの子孫の一部は、北部パレスティナにある昔の首都であるサマリアに戻りました。イエスの時代には彼らはサマリア人と呼ばれ、仲間のユダヤ人からは嫌われていたのです。

 北の王国が滅びた後、南の王国ユダでは、良い王や、悪い王が出続けました。しかしついに紀元前6世紀になり、神は彼らを、その不忠実の故に、ネブカドネザル王よってバビロニアに捕囚に取られることを許したのでした。この捕囚の後、比較的小さなグループのユダヤ人がエルサレムに戻り、神殿を再建し、ユダヤの祖国に再度自分たちの国を確立したのです。しかし他の多くの者たちは二度とパレスティナの地に戻りませんでした。

 神がその友アブラハムに、その子孫が一つの国民になると約束した時から、イエスが来るまではほとんど二十世紀の期間がありました。その間イスラエル人たちは時々は信仰深く一致して崇拝を行っていました。これは特にイスラエルが王を持つようになる前の何世紀かの間にありました。しかしどのような時にも彼らは、今のものみの塔の組織に、形でも機能でもわずかでも似ているような中央化した統治体を持つことは、決して無かったのです。しかしそれでもこの全体の期間の間、彼らは神の選ばれた民でした。どうしてそれがわかるでしょうか?

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イエスは「イスラエルの失われた羊」のために送られました

 イエスが登場してくる時代になるまでには、イスラエルの国民は組織化とはほど遠い状態になっていました。彼らは外国人によって支配されていたのです。彼らは純粋な崇拝を行っていませんでした。彼らの大部分は(十部族の王国に残された者とバビロニアの捕囚の後パレスティナに戻らなかったユダヤ人の大多数の子孫)は地球全地に散らばりました。これらの散らばったユダヤ人たちは多くの国や支配者によって統治されていました。信仰においても彼らは分裂していました。彼らは律法に粉飾を加え追加したため、たとえば安息日の単純であった命令でさえ、ほとんどそれに従うことを不可能にしていました。エルサレムで行われた崇拝は商業主義と無意味な儀式や形式主義で腐敗していました。

 このような状況の中でも、イエスの宣教の業は異邦人にではなく、ユダヤ人とサマリア人に向けられていたのです。何故でしょう?それはイエス自身の言葉にあるように、彼は「イスラエルの家の失われた羊」(マタイ15:24)に遣わされたからです。彼らの不忠実と背教にも関わらず、彼らはそれでも神の選ばれた民でした。そして彼らが最終的にメシアを拒否した後で初めて、彼らの「家は彼らのもとに見捨てられた」のでした(マタイ23:38)。

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神はどのようにイスラエルと意思の疎通を行ったのでしょう?

 聖書には、神がいかにその民と意思の疎通を行ったかの例が沢山出てきます。神はある人には直接話し(創世記46:1−4;ヨシュア8:1)、ある時は天使を通しました(裁き人6:11−24;13章)。その他の人は、予言者も含めて幻や夢を受け取ったこともありました(列王第一3:5−15;9:1−9;イザヤ1:1;アモス7:1−9;エゼキエル1:1)。しかし大部分の神のメッセージは予言者を通して伝えられました。ヘブライの1:1では「神は、昔には、多くの場合に、また多くの方法で、預言者たちによってわたしたちの父祖に語られました」とあります。

 預言者は神の民が一番不忠実な時に最も頻回に現れました。彼らは単純に神からのメッセージをもらい、それを他の者たちに伝えました。これらの神からのメッセージは、神の民が偽りの崇拝から離れるように警告し、律法を守り、真の崇拝を行うことを、預言者を通して命じました。これらの預言者はだれが任命したのでしょうか?彼らは国の指導者や、聖職者や他の預言者によって選ばれたのではありません。彼らは神自身によって、また聖霊によって任命されたのです(民数11:24−29)。

 律法の中には預言者の任命の規定はなく、また預言者を公式に権威付ける手続きもありませんでしたから、自分が預言者であると称する人間が確かに神を代理する人であると決めることは、一人一人の個人のイスラエル人に任されていたのです。律法には真の預言者を見分ける三つのしるしが書いてありました。1.預言者はエホバの名前によって語ること。2.預言は実現すること。3.預言は真の崇拝を勧めること。(申命18:20−22;13:1−4)

 聖書の記載によれば、預言者の仕事は彼らに権力や名誉をほとんど与えませんでした。預言者たちは人気がありませんでした。彼らのほとんどは神の選ばれた民によってひどく扱われました。多くの者が国の指導者により、無惨に迫害されたり殺されたりしました。

 神の預言者たちは一度でも中央化された機関として組織され、イスラエルの国民に指示を与えたでしょうか?聖書は預言者たちのグループについてサムエル第一10:5、10;列王第二2:3、5と4:38などの何箇所かで言及していますが、これらのグループは決して神からの決められた「伝達の経路」として活動したことはありませんでした。実際ある時は、ある預言者たちは他の預言者たちのことを知りませんでしたし、他の真の崇拝者のこともしりませんでした。

 たとえば、北の王国が不忠実になった期間に、預言者エリシャは自分だけがイスラエルの中でただ一人バアルにひざをかがめて崇拝しなかった者と信じていました。しかし神は彼に対して「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておいた。すべてそのひざがバアルにかがまなかったもの、皆その口がそれに口づけしなかった者である」と明らかにしました(列王第一19:18)。これらの信仰深い人々は、権力の座にいた油をそそがれた王には忠実でない者と見なされていたにちがいありません。しかしこれらの人々は、どのような形のグループにも組織されてはいませんでした。これらの人々は、神の不忠実ではあっても神の選ばれた民である人々の中にあって、静かに忠実な神への個人的信仰に生きていました。

 キリスト以前の全ての時代を通して、国の指導者が忠実であるか否かに関係なく、神に忠実な信心深い個人がいたことを、聖書は伝えています。このことはイエスが現れる直前まで続きました。シメオンという義なる預言者は幼少のイエスを見て聖霊によって与えられた預言の成就を見ました。女預言者アンナのことも述べられています。(ルカ2:25−38)

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キリストの時代の始まり

 イエスの到来は、神と人との間の新しい伝達方法の開始というより、新しい代弁者の登場と言った方がふさわしいでしょう。ヘブライの1:2は「これらの日の終わりには、(神は)み子によって語られました。神は彼をすべてのものの相続者に定め、また彼を通して事物の諸体制をつくられました」と言っています。イエスはこの地上に、彼の関心事を代表する目に見える組織を確立しようとしていたのでしょうか、それとも個々の一人一人の個人のクリスチャンが「キリストの代理をする大使」(第二コリント5:20)になるように希望していたのでしょうか?

 イエスが注意深さの重要さを勧めるたとえ話をした時、「ペテロがこう言った。『主よ、この例えはわたしたちに話しておられるのですか、それとも、みんなにもですか』。すると主はこう言われた。『主人が、時に応じてその定めの食糧を与えさせるため、自分の従者団の上に任命する忠実な家令、思慮深い者はいったいだれでしょうか。主人が到着して、そうしているところを見るならば、その奴隷は幸いです。真実をこめてあなた方に言いますが、主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう』。」イエスはこれに続いて忠実でない奴隷の様々な可能性を示した後、結論として、『その時、自分の主人の意向を理解していながら用意せず、またはその意向にそって事を行わなかったその奴隷は、何度も打ちたたかれるのです。しかし、理解していなかったために打たれるべきことをした者は、少なく打たれます。実際、だれでも多く与えられた者、その者には多くのことが要求されます。そして、人々が多くをゆだねた者、その者に人々は普通以上を要求するのです』と言いました(ルカ12:41−48)。

 ものみの塔はこの部分と平行しているマタイ24:44−51のイエスの修辞的質問を、彼らがただ一つの「忠実で思慮深い奴隷」であり、「主人のすべての持ち物」を委れられているという権威を握る根拠として使っています。しかしこのマタイのたとえ話をそれと平行する上記のルカ12:41−48と比較してみるなら、様々な奴隷がいくつもの宗教組織を指していて、それぞれの組織がその知識の度合いによって、様々な責任を要求されるということになりますが、これは非常に困難な解釈です。この部分はやはり、個々のクリスチャンが、常に他人、特に他のクリスチャンに対する適切な態度をとることの重要さを意識して、常に誰もが、上位の主人に答えなければならない日が来ることを覚えるべきことを奨励しているとするのが、最も意味が通じるのです。

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使徒たちは「統治体」であったでしょうか?

 もしイエスが、それを通して聖書の漸進的理解を明らかにするような「伝達の経路」を確立したいと考えたなら、その忠実な使徒たちこそ、そのような「新しい光」が示されるはずでしょう。しかし聖書の記録はそうではないことを示しています。確かに使徒のある者たちは、霊感を受けて記録された聖書の、キリスト教の発展の記録の中で登場してきます。しかし、聖書の一部の記述に関わったのはそのうちの、マタイ、ペテロ、ヨハネ、の三人に過ぎません。12人使徒のその他の者たちはキリスト教の発展と拡張の過程で、例えばパウロ、バルナバ、シラス、テモテなどに比べると、それほど顕著な存在ではありませんでした。そして大部分の霊感を受けて書かれたキリスト教聖書は12使徒以外の者たちにより書かれました。その執筆者の中で特に重要なのはパウロですが、それ以外にもマルコ、ルカ、ヤコブ、ユダなどが含まれます。

 イエスの誕生、死、そして復活は多くの預言を成就しましたが、それは使徒たちの時代の宗教指導者の期待とは異なった形で行われました。そのためにクリスチャンたちは、それを理解する手助けが必要でした。イエスが救世主であるという真理は、初期のクリスチャンたちにどのようにして明らかにされたのでしょう?ルカの24:13−35によれば、イエスは復活した同じ日に、エマオに向かう途中の二人の弟子に現れて、「モーセとすべての預言者たちから始めて、聖書全巻にある、ご自分に関連した事柄を彼らに解き明かされた」のです。これらの二人の弟子は12使徒ではなく、一人はクレオパという名前であり、もう一人は多分その妻でした。このヘブライの預言がいかにイエスに当てはまるかの完全な説明は、神の啓示の一つの顕著な例でした。イエスは彼らとともに食事をした後、彼らを後にしました。この二人の弟子は直ちにエルサレムに帰り11人の使徒に会って、イエスと会ったことを話しました。彼らがその話をしている時に、イエスはその集まりの真ん中に現れたのでした。

 イエスは天に昇られる前に、彼が全ての事柄に自分が責任を持つ権威を与えられていることを11人の使徒たちに示されました。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。それゆえ、行って、すべての国の人々を弟子とし、父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し、わたしがあなた方に命令した事柄をすべて守り行うように教えなさい。そして、見よ、わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです。」(マタイ28:18−20)

 イエスは死を前にして、使徒に対して、彼が天に戻った後、彼の地上での役目を引き継ぐ援助者、あるいは助言者を送ることを約束しました。「そしてわたしは父にお願いし、父は別の助け手を与えて、それがあなた方のもとに永久にあるようにしてくださいます。それは真理の霊であり、...あなた方はそれを知っています。それはあなた方のもとにとどまり、あなた方のうちにあるからです。」(ヨハネ14:16、17)その後、更に聖霊の役割についてイエスはこう語っています。「しかし、その者、すなわち真理の霊が到来するとき、あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。彼は自分の衝動で話すのではなく、すべて自分が聞く事柄を話し、来たらんとする事柄をあなた方に告げ知らせるからです。その者はわたしの栄光を表すでしょう。彼はわたしのものから受けて、それをあなた方に告げ知らせるからです。」(ヨハネ:16:13−15)

 この聖霊の働きは、イエスが戻って来て新しく造られた教会を組織し、聖霊の任務、すなわち使徒たちに食物を与え、彼らを「導いて真理をことごとく悟らせ」、イエスの代理として話すことを引き継ぐまでの、初期のクリスチャン教会の出発から一世代位の間の、短い期間に限られていたのでしょうか?そうではありません。イエスは聖霊が彼らとともに「永遠に」いると言っており、代わりの者はいらないのです。

 イエスは復活後、聖霊を通して常に彼の使徒たちと継続的に連絡を保っているため、イエスがその指図や指導のために、使徒たちを指導して中央化した人間の代理者たちによるグループを形成する必要はなかったのです。イエスが「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)と言った時、イエスの意図は他にはなかったことがわかります。

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エルサレム「会議」は「新しい光」の源だったでしょうか?

 ものみの塔は、福音が世界中に広まり始めた都市である、エルサレムの会衆の長老たちが、ちょうどエホバの証人の統治体のような役割を果たして、他の会衆のクリスチャンにとって重要な事柄を決定したり、真理の理解の増加の源としての役割を果たしたりした、と述べています。ものみの塔によれれば、エルサレムの長老たちは、割礼に関する論争が起こった時に、そのような役割を果たしたと言います。本当に聖書はそのように教えているでしょうか?この割礼の論争の発展と解決の過程で、エルサレムの会衆の役割はどのようなものだったでしょう。イエス自身と聖霊はどのように働いたでしょうか?使徒15:1−35とガラテヤ2:1−14を読んでその記録を調べてみましょう。

 「使徒たちの活動」の書によれば、この論争は、一部の人がエルサレムから(あるいは「ヤコブのもとから」ガラテヤ2:12参照)アンティオキアにに来て、パウロが異邦人の信者に教えたこともなかった、何か新しい教えを教え始めた時に始まりました。エルサレムからもたらされた「新しい真理」とは何だったでしょうか?彼らは「モーセの律法が必要としている割礼を受けなければあなた方は救われない」と教えたのです。この教えはイエスがパウロ自身に示された、人は信仰のみによって救われるという教えと、真っ向から反するものでした。パウロはこの「新しい教え」に強く問題を提起しました。しかし、エルサレムから来た人々は、彼らが自分が正しいとして譲りませんでした。そこで、パウロとバルナバはエルサレムに行き、この問題に関して使徒や長老と会うことにしました。ガラテヤ書のパウロ自身の記述によれば、彼は直接、主の指示を受けてエルサレムに行きました。そこで分かったことは、一部のユダヤ人のクリスチャンが実際に、割礼は救いにとって必要であると教えていたことでした。

 パウロ自身がガラテヤの会衆に送ったこの状況に関する記述によれば、彼はそこで会衆の「おもだった人たち」、すなわち主要な長老たちと個人的に会見しました。彼は「自分が諸国民(異邦人)の間で宣べ伝えている良いたよりを彼らの前に示しました」。これらの神に仕える人々は、聖霊の導きに従って、自分たちが間違っていたことを認め、パウロを通してキリストから与えられた訂正を受け入れました。そして、より大きな集会で、それを指導している他の長老たちと一緒に全員が、聖霊の導きのもとで、正しい見方に到達したのでした。そこで彼らはアンティオキアの異邦人に対して特別に宛てた、陳謝の手紙を書き、ユダヤ人と異邦人との間の平和のため、また彼ら自身の健康と繁栄のため、避けるべき事柄を示したのです。(注3)

 この集会から何か新しい理解が生まれたという証拠はどこにもありません。エルサレムの長老たちは指示を与えたというより、訂正させられたのでした。この記述は、エルサレムに「統治体」の人々がいて、規則やきまりを作って他のすべてのクリスチャンに伝えていた、という証拠を示すことにはなりません。むしろ実際は、その正反対であることを示しています。ここに見られる証しは、明らかに神の聖霊が信仰ある個人を通して働き、クリスチャンの会衆を間違いに陥らないように導いていることを示しています。

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神の聖霊は初期のクリスチャンと共に働きます

 イエスは「高い所からの力を授けられるまでは」エルサレムに留まるように使徒たちに命令しました(ルカ24:49)。その時はペンテコステの時に来ました。ペテロはそこで発言して、ヨエルの預言をそこに起こったことに当てはめました。その預言の中には、クリスチャンの時代の時のすべての時に実現される次の事柄が含まれていました。「そして終わりの日に、わたしは自分の霊の幾らかをあらゆるたぐいの肉なる者の上に注ぎだし、あなた方の息子や娘たちは預言し、あなた方の若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。そして、わたしの男奴隷の上にも、女奴隷の上にも、わたしがその日に自分の霊を注ぎ出し、彼らは預言するであろう」(使徒2:17、18)。この預言は神が、キリスト以前の時代と全く同じ様に、聖霊を通してクリスチャンたちと直接、幻や、夢や、預言者によって、意志の疎通を行うと言っているのです。聖書の記録はこの通りになったことを示しているでしょうか?

 「使徒たちの活動」の書には、ヨエルの預言が成就していることを明らかに示す多くの記述があります。そこには、初期のクリスチャン会衆において、イエス自身の他、聖霊や、天使や、幻、夢などが大変活発に関わっていたことが示されています。これには、個人の改宗の経験、会衆の拡大、使徒や宣教者の選択と導き、会衆を偽の教えによる腐敗から守ること、クリスチャンたちを艱難と試練を通して励まし助けること、そしてその後何世紀にもわたって、クリスチャンが必要とするすべての基本的な情報となる、キリスト教聖書の記録と保存の導きなどが含まれていました。キリスト教の成長する中で、その基本的な部分でイエスと聖霊の直接の導きと指示のなかったものはありませんでした。

 フィリポとエチオピアの宦官の例を見てみましょう。フィリポはサマリアで神の言葉を宣べ伝えていました。その時、天使が彼をエルサレムからガザへ下る道に行かせました。その途中で彼はエチオピアの宦官に会いました。聖霊がフィリポに指図して、宦官のいる兵車に行かせました。フィリポが宦官にバプテスマを授けた後、神の聖霊がフィリポを去らせました(使徒8:26、29、39)。

 コルネリウスという、神を畏れる信仰心のあつい人の例を見てみましょう。彼は幻で神の天使を見、天使は彼にヨッパへ人を送ってペテロを連れてくるように指示しました。一方ペテロは屋上で祈っているうちに恍惚状態になり、それまでは汚れたものと考えられていたものが、清いものであると言う声を聞きました。聖霊はペテロにコルネリウスから使わされた人たちのことを教えました。ペテロはコルネリウスの家に行き、そこに集まった多くの人々に福音を宣べ伝え、彼らはクリスチャンとなったのです(使徒10:1−46)。

 イエスご自身がサウロを改宗させました(使徒9:3−6;15)。サウロ(パウロ)は、聖霊の影響のもとにユダヤ人以外の人々の間にクリスチャンのたよりを伝えるのに、弟子たちの間で飛び抜けて優れていました。彼はたくさんの会衆を始めました。誰がパウロにこれらのことをするように言ったのでしょうか?それはエルサレムの会衆でしたか、あるいは彼の宣教旅行の出発地であったアンティオキアの会衆だったでしょうか?いずれでもありませんでした。サウロとバルナバが宣教師として任命され、送り出されたのは聖霊の具体的な指示によったのでした(使徒13:1−4)。

 記録によりますと、パウロによって宣教された人たちは、エルサレムやその他の地の長老のグループよりは、自分でキリスト自身を仰いで導きを得ることを指示されました。パウロが、真夜中すぎの奇跡的な牢からの開放の少し後、フィリピの牢番に対して語った時、彼は看守と「その家の人たち全部に」ただ主の言葉を語ったっだけでした。そして夜明け前には、彼の家族全員が(多分子供や使用人も含めて)バプテスマを受けました。パウロはその後で、地元の会衆に彼らを導いて、その「訓練」を終えるように言ったでしょうか?いいえ、そこには一つも会衆はありませんでした。そこにいたのは、ただ、もう一人最近改宗したばかりのリディアという女性がいるだけでした(使徒16:30−34)。

 これ以外にもたくさんの例が挙げられますが、それらの教える点は明らかです。初期のクリスチャンを導く最も重要な役割を果たしたのは、人間や人間のグループではなく、イエス・キリストご自身と聖霊であったということです。パウロとその随行者たちを宣教旅行の間、導き、危険から救い、彼らの努力の結果であった諸会衆へ霊感を受けた手紙を書かせたり、また監督を任命したのも、みな聖霊の導きによりました(使徒20:28;32,33)。

 クリスチャンたちも、イスラエル人と同様、本物の預言者と偽預言者とを見分け、それらの教えを見分ける方法を持っていました。使徒ヨハネがこの問題について語った時、彼は決して組織による承認などには触れていません。彼はむしろ、「霊感の表現」(新世界訳)あるいは「霊」(新共同訳等)を試してみるように言いました。「イエス・キリストが肉体で来られたことを告白する霊感の表現はすべて神から出ていますが、イエスについて告白しない霊感の表現はどれも神から出たものではありません。しかもこれは、来るであろうとあなた方が聞いていた反キリストの霊感の表現であり、今やそれはすでに世にあるのです」(ヨハネ第一4:2−3)。ヨハネは、霊や、神からであると言われるメッセージの内容を判断する基準として、その預言の出所や、預言者の行動に注目してはいません。むしろ、預言者は、その注目する内容によって判断されるのです。つまり、もしその注目する点がキリストとその救済の業であればそれは神からのものであり、そうでなければ反キリストからのものなのです。啓示19:10も参照して下さい。

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神は個人と同時に、一つの組織も使って業を行うのでしょうか?

 神が常に個人を通して、ご自分の意志を伝達していたことを示す圧倒的な証拠が示されると、ある人はこう尋ねるかもしれません。神は、ある事柄については個人を対象として意志の疎通をされ、それ以外の事柄については預言者としての役割を果たすような神の是認した一つの組織を通して、意志を疎通している可能性はありますか?この考えは、一つの組織が人間と同じように振る舞えるという考えに基づいています。一つの組織と交わっていると、その構成員はその影響で、指導者の見方をまねし、似たようなやり方で自分を表現し、一致したやり方で行動します。そうなると、組織になにかそれ自体の「心」があるように思えてきます。しかしそれは違います。組織が独立した考えや、感じ方、あるいは意見を持つことはあり得ないのです。それは一人の人間のような独立した存在ではないのです。

 個人が集まってその努力を寄せ集め、ある仕事を遂行したり、目的を達成したり、交わりを分かち合ったりしたいと希望する時、組織は形成されます。大きな組織もあれば、小さな組織もあり、緻密に組織されたものがあれば、緩やかに組織されたものもあります。そのグループの構成員は、商売をする目的で法的な団体を形成するかもしれません。指導者や代表者を任命し、その構成員に様々な仕事を割り当てるかもしれません。彼らはまた、運営方法や行動の規則を確立し、その目的達成の過程でそれらに従わせるかもしれません。確かに一つの組織が何かを達成するという表現は聞かれますが、実際には組織のどのような活動も、その個人個人の構成員が一人あるいは一緒になって行う仕事と切り離すことはできません。すべての考えや行動は個人から来るのです。その構成員と切り離しては、組織はどのような発想を起こすことも、伝えることも、実行することも全くできないのです。つまりどのような意志伝達も、「組織」から来るものは、たとえどんなにその構成員が一生懸命にグループを代表して話すように努力したとしても、実際にはそれは個人から出ているのです。このことはまた、真面目なエホバの証人が時にどんなに努力して、ある事柄についての「組織の見方」を見極めようとしても、書いてある内容と話される内容とが食い違っているために、それが非常に難しいことであることの理由でもあります。それは、異なった人たちが異なった見方を持って、伝達内容を作り出しているという、単純な理由によるのです。

 組織はただ単に、あることを行う方法を提供するだけのものです。組織には、それ自体の見解も、記憶も良心もありません。組織には愛も憎しみもなければ、感情や感覚もありません。行うことが正しいか間違っているかということもありません。組織はそれ自体では何もできないのです。そこにいる人間のみがこれらの事を行うのです。そして人間が神と関係を持つ時(あるいはその意味では誰との関係であっても)、それはただ一人で行われるのです。

 第二次世界大戦の後、ナチスの組織は戦争犯罪の裁判にはかけられませんでしたが、その組織と関係した個人個人が裁判にかけらました。組織が犯罪を冒したり、処罰されたりするのではありません。組織ではなく、人間が責任を持つのす。それだからこそ、イエスが栄光のうちに戻って来る時のことについて述べた時、彼は「羊飼いが羊をやぎから分けるように、人をひとりひとり分けます」と言いました。それに続けて彼は、その裁きの基準を、組織の規則や信条に対する盲目的な忠誠ではなく、個人の行いに基づかせることを示しました(マタイ25:31−46)。

 このことは何も、組織というものがそれ自体間違っているとか、悪いものであるとかと言うことではありません。ただ、組織は組織であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

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組織とは一体何でしょう?

 英語の組織に当たる言葉「Organization」はギリシャ語の言葉オルガノン(organon)に由来しています。この言葉は手段、器具、道具といった意味です。つまり、組織は単なる人の集まり以上のものを意味します。道具や器具と同様、組織はある目的を達成したり、組織そのものの外にいるあるグループに対して影響を与えるために作られます。この組織という言葉は商売、政治活動、労働組合活動などに関係して最も頻回に使われます。これらの活動ではみな、多くの個人の資質を集めた力に依存して、それを使って、一人の個人では達成することの困難であるようなある目的を達成するのです。

 コンコーダンス(聖書用語索引)によれば、オルガノンという言葉は聖書には一度も出てきませんし、またその概念も聖書にはありません。道具、手段などと訳されているヘブライ語は文字通りの意味に使われており、これらの言葉が、神の是認した崇拝者たちを集合的にさして使われている所は聖書にはありません。むしろ、聖書の中ではクリスチャンは「会衆」「教会」「体」などと呼ばれていますが、この存在理由は、その「体」そのものの中にあるのです。確かに彼らは、「体」の外にいる人々に影響を及ぼすかもしれませんが、真のクリスチャンが生きている理由と目的は、その「体」の頭であるイエス・キリストのみなのです。個々の信者と頭であるイエスとの強力な個人関係は、ギリシャ語新訳聖書の中で繰り返し強調されています。

 聖書の中の信者の集まりに関する記述とは対照的に、ものみの塔の出版物においては、神が宣教の業や、審判の発表や、その他の活動を行うための道具として使うという、「目に見える組織」の概念が非常に強力に重視されています。そこには商業、政治、労働組合などの組織に共通して見られる特徴が常に見られます。指導者の小さなグループが、他の組織の構成員のために決定をして指示をする権限を与えられ、構成員はそれに文句や質問をすることなく従うことが要求されます。そしてこれも商業、政治、労働組合に共通していますが、組織そのものに対する忠誠が重要な概念になります。このような状況では、個人的な良心や判断は「一致」(その実際は「一律」)に比べて重要ではなくなります。組織の指導部に従わなければ、それはもはや組織ではなくなるからです。

 これの意味するところは、組織の唯一の権威は、組織の規則と決まりに従う何人かの個人の心の中にあるということです(ローマ6:16と比較して下さい)。組織の代表者によって作られた指示に従うことが、組織への忠誠と考えられるようになります。しかし、実はそれは組織への忠誠ではなく、ただそれらの指示を作り上げた、何人かの個人への忠誠に過ぎないのです。組織はそれ自体の意志はありません。組織には人格はなく、独立した意志も知性も能力もないからです。しかしこの単純な事実は、多くの個人が努力を寄せ集めることによって巨大な仕事が達成できる証拠を突きつけられると、とかく見失われがちです。しかし巨大な建物の数々や、その他の物質的な達成は、神を感心させませんし、神の支持や祝福を得られるとは限らないのです(創世記11:6)。

 宗教組織の指導者が目に見える「成功」のしるしを見せて、それが神が彼らを祝福している、あるいは神が彼らの仕事を後ろ盾をしていると言う時、わたしたちは、その言葉に圧倒されたり、だまされたりするべきではありません。神の能力と手段は絶対に限りがありません。神は、彼の手段を増やす目的のために、建物や、印刷機械や、金銭的援助を必要としていませんし、あたかも神には自分ではできないことがあるかのようにして、組織の機能を使う必要など一切ないのです。

 神には、組織が持つような限界はありません。たとえば、組織の規則やきまりはグループ全体の人々の行動を規制する最もよい妥協の産物かもしれまんが、そのグループのある個人にとっては不当なものであるかもしれません。それに対して、神は全ての人に個人個人にあった指示を与えて下さいます。わたしたちは、天にいる父が、われわれ個人個人の必要を知っていて、一番よくあった方法でそれを与えてくれるという事実に信頼をおくべきでしょう(マタイ6:31−33;ヨハネ第一5:13−15,20)。

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「私に来なさい」

 使徒たちの死後何世紀にもわたって、たくさんの宗教組織が作られて来ました。多くの場合、それらの意図は大変真面目であり、例えば信徒の交わり、迫害からの避難、そして信徒を偽りの教えから守ろうとする努力などがありました。しかし、時が経つに連れ、元の創始者は死に、会員は増加し、活発で影響力のある会員は遅かれ早かれ、元々の組織や交わりを形成した目的を見失いました。彼らは、イエスがその弟子たちの必要を満たすことが出来ることを信じられず、責任感にかられて、あるいは金銭的な利得、名誉と権力などを得られる機会に動かされて、組織の崇高な目的の裏で他の人たちに対する統制を強める工作をします。この過程が熟成すると、究極的には、どれほど恐ろしい結果がもたらされるかは、歴史のページの至る所に、血と涙でつづられています。これらの組織は、自分たちがキリストを代表すると称し、キリストの名において話す権威を持つと主張するかも知れません。自分たちが聖書を解釈する権利を有すると宣言し、彼らの解釈に反対するものは誰でも排除するかも知れません。彼らはまた、聖書の純粋なメッセージを自分たち自身の考えで置き換え、人間的な手段、たとえば組織に入っていれば安全であるというような約束によって、会員の数を増やすかもしれません。彼らは組織の会員数を保持するために、恐喝や脅迫、強制、を行い、会員に規則や掟を課したり、忠誠や金銭的支持を要求し、まじめな人々を権威者の恐怖によって威嚇するでしょう。

 これらのすべての行為はイエス・キリストに大きな不名誉をもたらします。イエスは、彼の真の追随者が行う愛ある行為について詳細に話した後、次のように警告しています。「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では、彼らはむさぼり食うおおかみです」。そしてイエスは、「その実によって」すなわちその行いによって、「彼らを」組織としてではなく、個人として「見分けるでしょう」と言っています(マタイ7:15−20)。だからこそ、組織の成長や大きさは必ずしも神の是認や祝福を意味しないのです。それはイエスが「多くの偽預言者が起こって、多くの者を惑わすでしょう」(マタイ24:11)と言っている通りなのです。

 何も組織そのものが悪いと言っているのではありません。組織は時間やエネルギーやお金などの資源を分配する経路を与えることが出来ます。しかし、宗教組織が間違った人たちの手の中に入ると、その資源はイエス・キリストとその贖罪の業を尊ぶ以外の目的に使われるかも知れません。その様な状況で、もし組織の中の個人たちが組織の指導部でなく、自分の良心に従うことを選ぶと、彼らは他の組織の構成員たちとの間に軋轢を生じます。そうなると、組織の指導部は彼らを脅迫するかもしれませんし、彼らに「危険分子」とレッテルを貼って他のメンバーに警戒させ、ついには追放するかもしれません。

 これは何も新しいことではありません。もしある宗教団体のメンバーが私たちを憎み、組織の指導者の代わりに神とその一人子に従うことを、自分の良心に従って選んだがゆえに私たちを「背教者」と呼び、その結果として彼らの交わりの中から私たちを排除するのなら、次のイエスの言葉は私たちにとって心の安らぎとなります。「いつでも、人々があなた方を憎むとき、またいつでも、人の子のために人々があなた方を締め出し、非難し、あなた方の名をいとわしいものとして退けるとき、あなた方は幸いです。その日には歓び踊りなさい。ご覧なさい、天においてあなた方の報いは大きいからです」。(ルカ6:22,23、ヨハネ第三9、10と比較)

 ペテロは次のように言いました。「わたしは、神が不公平な方ではなく、どの国民でも神を恐れ、義を行う人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」(使徒10:34,35)。パウロはこう付け加えています。「実際のところ[神]は、わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」(使徒17:27)私たちの神に対する答は、どのような場所でも、どのような時でも行われますが、それは個人に基づいたものであるはずです。神は、私たちを一人一人の人間として、その一人子の血によって買い取られました。神は私たちが一人一人自分の罪を悔い改め、赦しを受け、イエスの元へ行くことを望んでいるのです。イエスは「わたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう」(マタイ11:28)と言いました。

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これからどこへ行けばいいでしょう?

 聖書によれば、キリストの前の時代には、神は預言者を通じて人類と話し、キリストの時代には一人子を通してそれを行いました。聖書の中にはどこを探しても、神が特別の代表者である召使いのグループを地上において確立し、そのグループを通して業を行い、日常的に彼らに神のメッセージを明らかにしたり、その意志を他の信者たちに伝えたりする執行機関としての役割を果たさせたという証拠は、その面影すらも一切ありません。それだからこそ、聖書の中には、信者に対してそのような是認された代表者のグループを見いだして、それに対して忠誠と服従を示すことを推奨しているところは、一箇所もないのです

 私たちは神に対する自分の責任を他人に移すことはできませんし、またこれまで見てきたように、組織がそのような責任をとることもできないのです。パウロは「わたしたちは各々、神に対して自分の言い開きをすることになるのです」と言いました(ローマ14:12)。神に対して私たちが自分の生き方に関する言い開きをするその日には、組織に対する忠誠の記録は、神に対する信仰と、それに伴う他人に対する、特にイエスの追随者たちに対するよい行いの立派な記録の代わりには、到底なり得ないのです。

 ここに示された結論は、もしそれが受け入れられた場合、ものみの塔の組織との関係を継続して行くべきかどうかを考えている人々にとっては、問題を生じるかも知れません。もしその人たちが組織を出ようと考えた時、どこへ行ったらよいのかと迷うかもしれません。たとえ、ものみの塔の組織との間にどんなに深刻な教義上の不一致があったとしても、離れることに伴う多くの結果、特にそれが教義上の問題が理由である場合には、ほとんど確実に友達や家族からの断絶と、誹謗やゴシップが起こることを考えると、そっとそのまま留まっていようと思うかもしれません。特に「真理」を求めて他のグループや教会に行き、その新しい教会は一つの教義では正しいけれど、「全体の真理」が正しいわけではないことを見ると、そのような嫌な思いをして組織を去る価値はない、と思うことでしょう。いくつもの宗教組織の間を渡り歩いて、「真理」を求め歩くことは実りがなく、挫折感に陥るかもしれません。しかし、それが唯一で最善のものみの塔に代わるものではありません。実際、決断は組織を選ぶことであるべきではないのです。どうしてでしょう?

 ものみの塔の出版物は、真の宗教は「真理の全て」を教えるものでなければならない、もし一つの教えでも間違っていれば、その教え全体があやしい、と教えています。ものみの塔の見方によれば、「真理」とは「正しい教え」あるいは「正確な説明」であって、現実と合致し、人間の論理と聖書の引用を使って、科学者や数学者が物質的な宇宙の法則を、確立された数学や物理学の原理や方法を使って説明するのと同じ様なやり方で、「証明」されたり支持されたりする解釈なのです。

 しかし、この方法は神を知るのに使うことはできません。パウロはそのような知識に対する見方に警告を与えました。「自分はあることについて知識を習得したと考える人がいるなら、その人はまだ、知るべきほどにも[それを]知っていません。しかし、人が神を愛しているなら、その人は[神]に知られているのです。」(コリント第一8:2、3)パウロは、神を愛することが事実や聖書の聖句を知ることより遥かに重要であることを、明快に示しています。誰も、どの人間の団体も、従って教会や宗教団体などの、どのような組織も、神とそのやり方について全てを知ることはできません。ですから誰も、聖書の聖句の「正しい」説明を探したり、教義上の立場を「証明」したりして「永遠の命に至る真理」見つけることはできないのです。聖書の言う「真理」はそのような所には見つけられないのです。

 イエスは「わたしは道であり、真理であり、命です。わたしを通してでなければ、だれひとり父のもとに来ることはありません」と言いました(ヨハネ14:6)。従って、聖書の意味で「真理」を知ることは、先ず、神の一人子であるイエス・キリストを、救い主、仲介者、主、そして王として素直に受け入れ、彼を自分の生活の中に招き入れることによって、関係を築き上げていくことから始めなければなりません。イエスの多くの弟子たちが、彼の教えの幾つかを理解できずに去って行った時、イエスは12使徒に「あなた方も去って行きたいと思っているわけではないでしょう」と尋ねました。ペテロはそれに答えて「主よ、わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは、あなたが神の聖なる方であることを信じ、まら知るようになったのです」と言いました。イエスの使徒たちは、イエスを離れてどこかに「真理」を探しに行こうとはしませんでした。イエスの質問に対するペテロの答は、彼がイエスの質問を、何処に行くかということではなく、誰を信頼するかの問題であると理解していたことを示しています。使徒たちは、永遠の命に至る教えを得るのに、イエス以外のどのような人間も、人間のグループをも信頼できないことを知っていました。

 使徒ヨハネは私たちが、「神のみ子が来て、真実な方について知ることができるよう」、そして「み子イエス・キリストによって、真実な方と結ばれて」おり、「この方こそまことの神であり、永遠の命」であることを知ることができるような、知的な能力を与えられたことを保証しています(第一ヨハネ5:20)。

 ヨハネはこれに続けて、「子供らよ、自分を偶像から守りなさい」(21節)と続けました。どうしてこのような警告が必要だったのでしょう?それは、イエス・キリストの代わりに、他の人や宗教組織に従ってしまうことが余りにも容易だったからです。ものみの塔の出版物は、聖書がイエス・キリストについて言及するのと同じ用語を使って、自分たちの組織を言及します。エホバの証人は「組織にいる」という意味で「真理にいる」と言います。ものみの塔の組織は、イエスが自分自身で司ると言われた地上の「王の全ての関心事」を、自分たちが司っていると述べます。自分たちが、神の聖霊や祝福と指図の経路であり、純粋な教えの唯一の源であり、神の是認された指導者であり敵からの守りである、などと言って、これらの能力を一つの組織に帰することは、偶像崇拝以外の何物でもないのです(出エジプト32:4と比較)。そして、イエス・キリストの代わりに一つの組織に注意を向けさせる人たちは、明らかに偽預言者なのです。

 どのような人間や人間の集団からの権威を持った主張にも、決して惑わされてはなりません。イエス・キリストにのみ従って下さい。彼は「天と地におけるすべての権威を与えられている」のです(マタイ28:18)。このような確固とした土台に基づいて、他のクリスチャンとの交わりを求めましょう。神は確実に、そのような他の真のクリスチャンを見つけだす手助けをしてくれ、あなたはその真のクリスチャンと共にキリストの愛に属し、それを享有する純粋な歓びを分かち合い、神の聖霊と聖書により、永遠の恩恵に導かれるのです。


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あとがき

この小冊子は、元エホバの証人であり、1968年から1980年までニューヨーク・ブルックリンのものみの塔本部の職員であったトム・キャビーン氏によって書かれました。

この文書の全体あるいは一部を、著者の承諾なしで複写して配布することは、それが料金を徴収しないで行われる限り、構いません。

日本語の訳に際しては、聖書の引用は原文ではNIVが使われていますが、訳文ではものみの塔協会の新世界訳を使用しました。

ご意見、ご質問は下記の著者、または訳者までお送り下さい。
Tom Cabeen
c/o 57 Plains Road, 3rd Floor
Milford, CT 06460-2573
U.S.A.

(c) Thomas W. Cabeen All Rights Reserved


1.このように地球上のあらゆる場所に分かれて散らばったメンバーに対し、中央の集団から定期的に指示が与えられ、定期的な報告を受けるという、この種の世界規模の組織は、ほんの二世紀前でも不可能でした。「世界規模の組織」そのものが、過去一世紀前後の通信の広範な改良によって出てきた比較的最近の概念なのです。

2.ものみの塔はノアの箱船を自分たちの組織と比較します。それによれば、箱船は当時地上で義にかなった人々を集めて洪水の破壊から守るための、救済の取り計らいであったと言います。しかしここで注目に値するのは、ノアただ一人が、創世記の記述でも、あるいはイエスやペテロの洪水に関する言及の中でも、義にかなった人として特に述べられているだけです(マタイ24:38;ペテロ第二2:5)。確かにノアの妻と三人の息子と三人の義理の娘はノアと一緒に洪水から救われましたが、聖書の中にはどこにもノアの家族全体が義にかなっていたという記述はありませんし、箱船に入れたのは義にかなった人々だけであったという記述もありません。アブラハムの時代になって初めて、エホバはセムの神と具体的に言及されています。箱船に入った人の一部はノアのお陰で救われ、また人類を保存するためにに救われたようです。後になって、全ての義にかなったロトの家族とその親戚は、ソドムとゴモラの破壊からの救いを神から与えられますが、しかし、彼らが特に真の崇拝に強くついていたわけではありませんでした。

3.この手紙の中で異邦人たちは、「偶像によって汚された食物」と「絞め殺された動物の肉」から避けるように勧められました。しかし、後にパウロは肉やその他の食物に関して言及し、それらを避けるのは良心の決める事柄であり、クリスチャンにとって、他人のつまずきとなる行為を避けることが、その主要な動機であることを明らかにしています(ローマ14:14、20、21;コリント第一1:19−33参照)。



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