2003年度の医療上の宣言および継続的委任状の書換

2002年に中止された医療上の宣言および継続的委任状の書換が、少なくともアメリカでは2003年の1月の集会において再開される予定です。2002年は、ものみの塔協会の書類が整わずに中止されました。今回は日本でも同様の書き換えの手続きが行なわれると思われます。

問題の「医療に関する事前の指示および継続的委任状」の内容ですが、2000年6月15日のものみの塔誌の方針変換を受けて、血液を「主要成分」と「分画」とに分けて、「主要成分」は拒否しなければならず、「分画」は受け入れてよいことを明確にすると共に、貯蔵した自己血を自分に戻すことの禁止を再確認した内容となっています。一体主要成分とは何で、分画とは何で、どうして一方は受け入れてよく、もう一方は禁じられているのでしょう。この疑問をはっきりさせずに、人の命を左右する「医療に関する指示」は署名できないはずです。

ここで問題なのは、血液の全ての「成分」は、主要であるかないかに拘わらず、全て「分画」であることであり、何が「主要」で何が「主要」でないかは、全くの人為的な区分で、医学的にも論理的にも、また聖書的にも全く根拠がない区分であることです。詳しくは「血液成分とは−エホバの証人は血液の何を拒否しているのか」のページを参照して下さい。たとえば、2000年6月15日以来、ヘモグロビンが受け入れてかまわない「分画」となりましたが、これは受け入れてはならない「分画」である赤血球の97パーセントを占めています。赤血球は薄い皮の袋につめられたヘモグロビンと言うことができます。薄い皮の袋に入ったままのヘモグロビンは受けてはならないが、袋から出したヘモグロビンであれば受け入れて構わない、というのがものみの塔の教えるエホバの掟ということになります。

ものみの塔協会が「エホバの掟」として広めているこの教えが、いかに荒唐無稽の矛盾の産物であるかは次の例を考えればすぐわかるでしょう。エホバはアダムに対して、「このりんごを食べてはいけない」と命令した時、アダムはりんごの皮をきれいにむいて、中身だけを食べてしまったとしましょう。エホバはアダムに対して、「りんごを食べてはいけないと言ったのにどうしてあなたは食べたのだ」と尋ねると、アダムは、「りんごの皮をむいて中身の『分画』だけを食べました、私は『分画』を食べただけでりんごは食べていません」。このような馬鹿げた言い訳が通じるのは、ものみの塔協会の統治体がもたらす「エホバ」だけでしょう。ヘモグロビンは赤血球にとってりんごの中身以上に主要で大きな「分画」なのです。

もし血液の分画を受け入れてよいのであれば、どの分画であろうと構わないはずです。なぜなら、エホバは血液の分画の中で何が主要であり何が主要でないかに関して沈黙しているからです。97パーセントを占める分画が「主要」でないというのは、ものみの塔協会の人間が創作した荒唐無稽の教義に過ぎません。

逆にエホバが本当に血液から全て避けなさいという掟を与えたとするなら、どのような分画であっても、それを受け入れることは、掟に反しているのは明確でしょう。りんごの皮をむいて中身だけ食べておいて、「分画」だから「りんごは食べていない」と言って平気な顔をすることがエホバに認められると、ものみの塔の指導部は本気で信じているのでしょうか。

ものみの塔の輸血拒否の教義は、ますますパリサイ人の形式的な律法遵守の姿勢そのものとなっていることが明白になってきました。イエスの時代のパリサイ人は、律法を形式的に守って自己満足に陥っていましたが、その実イエスが指摘したように、彼らは律法の本来の精神を忘れていたのでした。ものみの塔協会も、輸血拒否の「血を避ける」という律法を形式的に守るために、「分画」という抜け穴を作り、りんごの皮をむいて食べるという実質的な律法違反を奨励しながら、それでも律法は守っているのである、という自己満足に陥っているのです。

あなたはこのようなものみの塔協会の統治体の人々の自己満足に、自分の命を出血性ショックによる死によって捧げたいと思いますか。エホバが全ての血液を受けることを禁じていると、あなたが真に信じているのなら、それは仕方がないことかも知れません。しかし、統治体自身が認めているように、「分画」は受けても構わないという解釈は可能なのです。この点をしっかり考えて、無意味な無駄死にをしないように準備して下さい。「たとえ統治体が間違っていても、エホバは私の信仰を認めて赦してくれる」などという幻想は棄てるべきでしょう。なぜなら、あなたの目の前に統治体が自分たちの政略でこのような「抜け穴律法」を作っている証拠がある限り、あなたがそれを無視することは、故意にエホバでなく人間の掟に従っていることになるからで、エホバの赦しを期待することは無理があるからです。

いざと言う時にあなたの命を救うための「医療に関する事前の指示および継続的委任状」の記入例

それでは、あなたが自動車事故で救急病院に運ばれた時、どうしたら出血性ショックで無駄死にすることを避けることができるでしょうか。以下に、「医療に関する事前の指示」の記入に関して少し工夫をこらすことによって、医師に対してあなたの命を救う方法を与えることができることを示します。もちろん、これは一つの例であって、実際にはあなたが全ての内容を吟味し、聖書の内容ももう一度見直した上で決定すべきことであることをおぼえて下さい。

先ず、第一部−医療に関する指示の(2)では、中ほどの「これは医療上の状態にかかわりなく、全血および血液の主要成分(赤血球、白血球、血小板、血漿)を受けないことを意味しています」という文章の中で、「および血液の主要成分(赤血球、白血球、血小板、血漿)」の部分を二本線で消して、その上にあなたの署名を小さく記入します。

次に(5)「血液由来の医薬品[下の三つの選択肢の中から一つに自分の署名をする]」では(c)「その他。この点に関する私の指示を以下に記します。」に署名し、その下の記入欄に、「血液の分画のすべてを受け入れます。」と記入します。

最後に(6)「自己血が関係する医療上の手法。ただし、後で私や他の人に注入する目的のために自分の血液を貯蔵することはしません。」の項目では、(b)「手術中や手術後の治療に際し、自己血の関係するいずれの手法をも受け入れます。」に署名します。

なぜこのような工夫が必要であるかを説明しましょう。(2)での最大の混乱の原因は「主要成分」という訳のわからない、医療現場で使われない言葉が使われていることなのです。従ってこれを削除して医師の混乱を除きます。そして(5)において「血液由来の医薬品」を全て受け入れることを明白にします。これは「血液成分とは−エホバの証人は血液の何を拒否しているのか」のページに詳しく説明したように、現在の「血液由来の医薬品」は「主要成分」というあいまいな概念で分類されておらず、どの「分画」を使うかによって分類されているからです。従って、医師がこの患者は「分画」であれば全て受け入れると理解すれば、直に使える治療法の選択肢は広がります。しかし、何が「主要成分」であるかを考え出すと、定義があいまいで医師として混乱して適切な処置ができなくなるのです。たとえば赤血球を使った「分画」では、ヘモグロビン(ヘモピュア−)や照射洗浄赤血球などは全て「分画」として使うことができ、治療がやりやすくなります。また(6)では、緊急手術時に、輸血用の血液が間に合わない時、取りあえずあなたの出血した血を集めて濾過した上で再度あなたの体に戻すことが可能になり、これも医師の治療の選択肢を広げます。(これは自己血の輸血の一種ですが、統治体によれば、これは許されることになっています。)医師の側から見れば、このようにして署名した指示書では、拒否しているものは全血の輸血と事前に貯蔵した自己血の輸血だけとなります。現代の医療技術からすれば、これらを拒否しても治療は充分可能です。

医療上の指示証書といわれる携帯用のカードにも全く同じ記入をして下さい。以上のように署名した「医療に関する事前の指示」は常に携帯し、万が一事故にあって病院に運ばれた時には、直に医師に見せられるようにしておきます。そして、必ず上に記入した「血液の分画のすべてを受け入れます」という部分を指し示し、エホバの証人だからと言って治療をあきらめないことを暮々も伝える必要があります。

もし長老や会衆の指導者があなたの医療上の指示書を検閲しようとするなら、あなたは医療上のプライバシーを理由にしてそれを拒否する権利があることを伝えましょう。これは法律で守られているプライバシーの権利であり、あなたがどのような医療を受けるかは、第三者の会衆の指導者が首を突っ込む事柄ではないはずです。しかし、それでも「立会証人」として仲間のエホバの証人がこれを見て、異議をとなえた場合には、はっきりと「私は輸血を拒否しています。私が受け入れることを合意したのは『分画』だけです」と伝えましょう。それでももし、あなたに不当な圧力がかかるようであれば、どうか匿名で結構ですからこちらへ報告して下さい。

(12-31-02)