アメリカ空軍パイロットの謎の墜落死は、エホバの証人の教えの圧力によるものと判断される

1997年4月2日、アメリカ空軍パイロット、クレーグ・バトンは爆撃訓練のためにアリゾナ州の基地を飛び立ったが、なぜか彼のA−10だけが編隊をはずれ、コロラド州のロッキー山脈のゴールド・ピークの山頂付近に激突しているのが発見されました。機体に異常のあった様子もなければ、パイロットが墜落前に異常を報告した様子もなく、離陸直後に編隊と全く別の方向へ飛行していったその行動は、謎に包まれ、墜落の原因についての憶測が飛び交っていました。空軍の事故調査委員会は飛行機の残骸とパイロットの遺体を回収し、その事故の原因を調査していましたが、最近その結論を報道機関に発表しました。

アメリカのCBSの報道によると、空軍事故調査委員会はバトン飛行士が意図的にロッキー山脈に飛行機を激突させたとの結論を出したそうです。その調査結果には、飛行士の元エホバの証人としての暗い影が、その原因に関係していることが結論されています。その調査結果をまとめると次のようになります。

バトン飛行士のこの最後の飛行は実は、彼の最初の実弾爆撃訓練でした。彼にとって、これは人殺しの技術訓練と考えられました。彼は友人に「僕は人を殺す方法を学んでいる」ともらし、訓練の成績は下がっていったと言われます。この事故の数日前、バトン飛行士は、熱心なエホバの証人である父親と母親の訪問を受けており、この時両親は彼の実弾訓練を強く非難したと言われます。調査団は事故の後、バトン飛行士のベッドの枕元に、ものみの塔の本が開かれて残されてあり、そのページにはアブラハムがその一人息子を火に焼く捧げ物として殺そうとする聖書の創世記22章の話が書かれていました。彼のルームメートによれば、バトンはこの話に衝撃を受けていたようだと言われます。

ルームメートの証言によると、事故の前夜、母親からバトンに電話があり、その電話のあとでバトンは非常に動揺していたと言われます。彼の教官の証言によると、バトンは飛行前の最後の打ち合わせに遅刻して出てきており、不安の表情を隠しきれませんでした。飛行記録によれば、バトンは離陸直後から編隊を離れ、一直線に衝突したコロラドのロッキー山脈へ飛行しています。事故調査委員会はこれらの証言と記録から、バトンが、両親の強い非難と職務上の責任の板挟みになり、自殺をはかったか、あるいはアブラハムの息子のように、最後の瞬間にエホバに救われることを願っていたのではないか、としています。

以上がCBSにより報道された事故調査委員会の報告の要旨ですが、バトンの遺書が残されてはいないので、これはあくまで証言や証拠に基づいて行われた調査結果で、確実なことは永遠に明らかにはされないでしょう。しかし、厳しいエホバの証人の両親に育てられた息子が、エホバの証人としては厳しく禁止されている軍人となり、実弾訓練に参加しなければならない状況では、彼の心に対処しきれないほどの大きなストレスがかかったことは想像に難くありません。

なおその後に出たニューヨーク・タイムズの報道によると、エホバの証人の両親はものみの塔協会を通して電話記者会見を行い、両親がバトンの空軍での仕事を非難したことを否定、協会幹部もエホバの証人は兵役を拒否するが外部の人が兵役につくことを非難はしない、と声明を出しています。しかし、バトンと同じようにエホバの証人の両親に育てられて、青年期に入りエホバの証人の宗教を去り、両親の宗教と会わない行動を選択した子供たちは、この声明がいかに現実からかけ離れているかを知っています。たとえエホバの証人の両親が表向き、子供のこのような自由な選択を許したとしても、ことが軍人としての実弾訓練のような最も厳密にエホバの証人として禁止されている行動に関しては、親としての子供に対する様々な形の圧力が続くことは周知の事実だからです。 (12-10-98)


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