ものみの塔協会、1914年の年代計算を放棄する方向へ

1998年9月15日のものみの塔誌は、「あなたは今の時代に目ざめていますか」という主題で、三つの研究記事を特集しています。これらの記事を詳細に研究したエホバの証人の間には、ものみの塔協会の大きな教義の変換の一環として、幾つかの新しい重大な見解が示されていることが指摘されています。

その最も顕著なものは、1914年の教義を支える年代計算の放棄でしょう。これまで1914年の教義の大きな柱は、西暦前607年にエルサレムがバビロンのネブカドネザル王によって崩壊させられ、それから「七つの時」すなわち「異邦人の時」あるいは「諸国民の時」が始まって、それが1914年に終わったという年代計算に基づく主張でした。しかし、誰でも歴史や考古学の本をひもとくなら、どこにも西暦前607年にエルサレムが崩壊したことを裏付ける記述が見つからないことに気付きます。実際、エルサレムがバビロンのネブカドネザル王によって崩壊させられたのが西暦前607であるという主張は、ものみの塔協会が自分たちの作った教義を、聖書に基づくかのように見せて正当性させるために作られたこと以外、どこにも学問的な根拠のないことは、少しでも勉強志向のあるエホバの証人であれば、誰でも気がつく問題でした。

しかし、ものみの塔協会は、その1914年の教義が余りにも全ての教義の要となっているため、西暦前607年という年を何が何でも押し通さざるを得ず、従ってこれに関して疑問を持ち、その誤りを指摘したエホバの証人たちを排斥処分にしてまで、この西暦前607年という年を固守してきました。詳しくは、別のページに掲載した、「異邦人の時再考」を書いたカール・オロフ・ジョンソンの「序」を読めばそのへんの詳しいいきさつが理解できるでしょう。

しかし、その後1990年代の大学教育解禁をきっかけに、若いエホバの証人に高等教育を受ける人が増えるにつれ、ものみの塔協会も古代史に関して、それまでの荒唐無稽な年代を主張し続けることが不可能になってきました。エホバの証人研究者の間には、この教義もまた時間の問題で廃止されるであろうとの見方が広がっていました。今回の9月15日号のものみの塔誌の記事は、この路線の第一歩と言えるでしょう。

このものみの塔誌では、「時の計算ではなく、出来事」(14頁)として、何とそれまで年代計算の拡大解釈をすることを警告してきたエホバの証人の批判者たちの言葉を、まるで自分たちの言葉とするかのように、聖書の預言の成就は年代計算によって知らされたのではないことを、聖書の事例に基づいて説いています。ジョンソンらの、内部批判勢力のエホバの証人が、1980年代にこのような見解を、忠告としてものみの塔の指導部に与えたとしても、彼らはそれを無視し、批判勢力を処分したに過ぎなかったことでしょう。しかしそれから10年以上の歳月は、ものみの塔の年代計算が荒唐無稽で無恥をさらけ出すものであることを誰の目にも明らかにしました。(詳細は「異邦人の時再考」を参照。)このような圧倒的な真実と証拠の前に、ものみの塔協会は、「聖書に基づく」と主張してきたが、しかしその実は自分たちの捏造である、西暦前607年の教義を静かに撤回していくのです。興味あることに、この三つの特集記事を通じて、1914年は依然として強調されていますが、西暦前607年に関しては一言も触れられていません。

1980年代から1990年代前半まで家庭聖書研究の教材として使われてきた「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」では、その第16章全体を使って、いかに西暦前607年から1914年という教義の中核となる年が計算されるかを、詳細に教えていました。1995年以降の教材である「永遠の命に導く知識」では、この計算はたったの半頁に短縮されており、いかに協会が西暦前607年から少しずつ遠ざかろうとして来たかがわかります。今回のものみの塔誌の記事は、この傾向の延長線上にあり、いずれ協会は西暦前607年という荒唐無稽で無恥な年代計算を一切無視し、昔の「古い光」として反古にされた他の教義と同様、いずれは一般のエホバの証人の心から消え去ることを意図していると考えられます。

この号のものみの塔誌のもう一つの重要な点は、1914年という年の意義の再確認です。年代計算そのものは反古にしつつも、1914年という年の持つ意味は変更しないという、教義の一部の修正でこの局面を乗り切ろうとするものみの塔協会指導部は、1914年が年代計算に基づくものでなく、その時に起きた出来事に基づく年であることに強調点を変更しています。従ってその9頁では、今まで何度も繰り返されてきた、1914年を境にして戦争、飢饉、地震、疫病、不法が増したという、ものみの塔協会の主張を再度強調しています。また、この号の裏表紙の目立つ場所には、1914年の教義が変更にはならないのだということを強調するかのように、「諸国民の定められた時」(「異邦人の時」)が1914年に終わったという、ますます根拠の薄くなった教義をあらためて繰り返しています。

しかし、ものみの塔協会の主張するように、戦争、飢饉、疫病、地震などの出来事が、本当に1914年を特別な年として、歴史上際だった年としたでしょうか。実はこの歴史的出来事に基づく1914年の教義は、西暦前607年の年代計算に基づく1914年の教義と同様、客観的な根拠を欠いているのです。ものみの塔協会が主張する、「1914年を境として戦争、飢饉、疫病、地震などのしるしが現れた」という教義が、いかに根拠のないものであるかは、次の記事「終わりの日のしるし」とは何か?を研究して下さい。歴史を少しでも本気に調べれば、ものみの塔協会の主張する「終わりの日の特色」が実は、ほとんど全ての時代に共通する「特色」であることがわかるのです。

(8/23/98)