アトランタでの銃乱射大量殺人犯とエホバの証人との関係に関する報道

7月29日にアメリカ、ジョージア州アトランタで銃の乱射大量殺人事件が起こり、犯人は結局自殺しましたが、その遺書の中から、犯人がエホバの証人の集会にも積極的に参加し、反対する妻をおして、エホバの証人になろうとしていたという事実が報道機関の調査でわかりました。

先ず、事件の概要を、毎日新聞の記事のコピーで紹介しましょう。


                                                                 1999.07.30

         【ニューヨーク29日川西和夫】米ジョージア州アトランタのオフィスビルの株取
        引仲介会社で29日(日本時間30日)、銃の乱射事件が発生、9人が死亡、12
        人が負傷した。また、容疑者の妻子3人も自宅から遺体で見つかった。容疑者
        の男は現場から逃走した後、自殺した。「デートレーディング」と呼ばれる株取
        引で損失を出し、逆恨みの末に事件に及んだ可能性があり、警察当局が詳しい
        動機を調べている。米国では、12人が死亡した今年4月のコロラド州の高校で
        の銃乱射事件に並ぶ悲劇となった。

         警察当局によると、男はアトランタ南郊に住む化学技師、マーク・バートン容疑
        者(44)。29日午後3時(同30日午前4時)ごろ、アトランタのオフィス街のビル3
        階にある株取引仲介会社「オールテック・インベストメント・グループ」支店に短
        銃3丁を持って入り、「ハロー」と声をかけ、「相場が下がっている」と言いながら、
        支店長らに短銃を乱射した。さらに向かいのビルに移り、別の株取引仲介会社
        でも乱射した。

         通報を受けた警察当局が現場周辺を捜索。最初の会社で4人、次の会社で5
        人が死亡し、計12人が負傷しているのを見つけた。

         警察当局はバートン容疑者を捜すため大規模な捜査網を敷いたが、同日午
        後8時ごろ、同市北西約50キロのガソリンスタンドで停車中の容疑者の車を発見
        した。包囲されたバートン容疑者は、車中で銃で自殺した。

         この間、警察当局はアトランタ南東26キロのヘンリー郡ストックブリッジで同容
        疑者の妻子3人の遺体を見つけた。警察は、バートン容疑者になぐり殺されたと
        みている。

         同容疑者が行っていたデートレーディングは、主にインターネットを使って株
        を売買するシステムで、持ち株をその日のうちに処分することから、デートレー
        ディングと呼ぶ。

         株高による株取引ブームが続く米国で急速に成長しており、トレーダーは500
        0人を超えるとも言われている。一日に何回も取引を行い、これで生計を立てる
        人もいるという。

この事件の後、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、などの主要新聞、タイム、ニューズウィークなどの週刊誌が、犯人バートンの犯行を告白する遺書を公開しました。この遺書を読んだ、アメリカのエホバの証人関係者は、直ちにこの犯人とエホバの証人との関係を考えざるを得ませんでした。それというのも、大部分のアメリカ人は、神(God)、主(Lord)という言葉を使うのに、犯人バートンはその代わりにエホバ(Jehovah)を神の名前として使い、幾つかのエホバの証人の用語(エホバの証人の間では「神権用語」という)が使われていたからでした。

ワシントンポストの記事によれば、バートンはこの事件の少し前から、以前のバプテストの信仰を離れ、エホバの証人の会衆に出入りしていたと言われます。ニューズウィーク誌の記事によれば、株取引がうまく行かず心のすさんでいったバートンはエホバの証人の会衆を訪れ、長老に助けを求めました。名前を明かさないことを条件にニューズウィークの会見に応じた長老によると、バートンは金銭問題で妻に逃げられ、ギャンブルをやめることができないと告白したと言われます。その長老は、バートンが株取引の熱にとりつかれていた、と語っています。彼の愛する聖書の引用は、啓示の書21:4、の「もはや死はなく、嘆きも叫びも苦痛ももはやない」という、エホバの証人が一般によく引用する聖句であったと書かれています。

また、ニューズウィークの取材によると、殺害された妻リーアンの父は、バートンとリーアンとの間では金と宗教との二つの問題で言い争いが絶えなかったと言われます。バートンはリーアンにエホバの証人になることを強く迫ったのに対し、リーアンは強く抵抗していたからでした。

バートンがどの程度エホバの証人としての活動をしていたかは、報道の内容からはこれ以上知ることはできません。しかし、その遺書には、エホバの証人の影響がありありと見えます。例えば、"this system of things"(この事物の体制)、"I know that Jehovah will take care of all of them in the next life"(私はエホバが次の命ですべてを面倒みてくれることを知っている)、"If Jehovah is willing I would like to see them all again in the resurrection" (もしエホバのご意志なら、復活してみんなにもう一度会いたい)、などの表現では、英語の書き方の中でも、ほぼエホバの証人の間に限られて使われる表現です。ちなみに、何人かのアメリカの元エホバの証人がこの遺書を分析しましたが、これらの表現の中で、一つだけ完全に献身したエホバの証人がほとんど使わない表現は、"next life"(次の命)で、これはエホバの証人であれば、"the new system"(新しい体制)という表現を使うのが普通だからです。しかし、それ以外はアメリカのエホバの証人の間で口癖のように繰り返される表現ばかりで、他の一般人が使うことはまずありません。なお、バートンの遺書のコピーはニューズウィークから取られています。

アメリカのエホバの証人研究者の間では、バートンは恐らく家庭聖書研究まで行ったがそれ以上進歩せず、正式のエホバの証人にはなれなかったのであろうと推測されています。上に述べた好んで引用する啓示の書の聖句や、この事物の体制を憎み、復活に幸せを求めて死を選んだという行動に、エホバの証人の教えの影響を指摘する見方もありますが、大部分は、彼のエホバの証人への関与と彼の行った恐るべき犯行との関係は薄いのではないか、という見方をとっています。

(8-7-99)


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