本間年雄氏の排斥について

6月27日の読者の広場への投稿にありましたように、日本支部の元監督である本間年雄氏が最近排斥されたそうです。排斥の理由の詳細を伝える確かな情報は今の所こちらに届いていませんが、幾つかの私的なメールの話を総合すると、それらの情報に共通のものがありますので、ここに不確かな情報であることをお断りして掲載します。

一つの説によると、本間氏は、大変事業に熱心であり、日本支部の資金を投資に回して運用していたそうです。その説によると本間氏は野村證券と密接な関係にあり、一時は寄付で集まった協会の大量の資金を株式投資に回して利益をあげていたそうですが、株価の暴落と共に協会の日本支部に対して多額の損失をもたらしたと言うことです。その責任をとらされて排斥されたという説があります。

もう一つの情報は、本間氏の問題は王国宣教日本版の2000年7月号の次の記事に述べられているというものです。次にその記事を引用します。

1 兄弟たちと接する際、築き上げるのにふさわしいことを行いたいと 思います。これには、兄弟たちの霊的な益を守るため気を配ることが関 係しています。もしある製品やサービスの宣伝に関係した世俗の仕事に 携わっているなら、兄弟たちのつまづきとなることは何一つ行わないよう に注意する必要があります。−−コリ二6:3、フィリ1:9,10
2 一部の兄弟たちは、さまざまな投機的事業に関係し、仲間のクリス チャンを対象に、顧客を集めようとしました。ある販売組織は、そこで働く 人たちに、あらゆる人を顧客になる可能性がある人とみなすように勧め ますが、その中には自分と同じ宗教に属する人々も含まれます。兄弟 たちの中には、ある事業に参加するよう勧める目的で、証人たちの大き な集いを組織した人もいます。自分の投機的事業を促進するため、仲間 の信者たちに頼まれてもいないのに、商品やパンフレット、インターネット 上の情報やカセットテープを送った人もいます。クリスチャンが神権的な つながりを用いたり、霊的兄弟たちを利用したりするのは、ふさわしいこ とでしょうか。いいえ、ふさわしくありません。--コリ一10:23,24、31-33
3 兄弟たちは用心する必要がある:  これは、クリスチャン同士商行為を行ってはならないという意味では ありません。兄弟と商取引をするかどうかは、個人的に決める事柄で す。しかし、金銭欲を刺激する事業を始めて、仲間の信者に共同経営 者や出資者になるよう誘う人もいます。そうした投機的事業の中には、 失敗して、当事者たちに多額の損失を被らせるものも少なくありません。 事業に参加した人は手早くもうけたいという動機で参加したかもしれま せんが、それを企画した人は、事業が失敗しても自分に責任はない、 と考えるべきではありません。事業が成功しない場合、兄弟たちの 霊的また身体的な福祉にどのような影響が及ぶかを、あらかじめ慎重 に考慮すべきです。神権的な責任のある立場に就いている人は特に、 自分の手掛ける世俗の事業に関して用心深くなければなりません。 仲間の兄弟たちは、そのような人に敬意を抱いて期待し、かなりの 信頼を寄せるかもしれないからです。その信頼を裏切るのは良くない ことです。ほかの兄弟たちの敬意を失うなら、神聖な奉仕の数々の 特権は取り去られるかもしれません。
4 わたしたちの目標は、「すべてを、築き上げることを目ざして行う」 ことであるべきです。(コリ一14:26)会衆内に商業活動を持ち込んだ り促進したりする事柄は、行わないようにしなければなりません。そ のような事柄は、わたしたちの集まり合う聖書的な理由とはまったく 関係がないのです。--ヘブライ10:24,25

この説によりますと、本間氏はある事業を始めて他のエホバの証人を巻き込んだが、その後事業が失敗し仲間のエホバの証人に損失を与えたという理由だそうです。いずれにしても、これらの説には詳細で具体的な情報は含まれておらず、現在の所、これらの説は単なる憶測に過ぎないことを強調しておきます。排斥の理由は、普通本人が公表しない限り、その理由をはっきりと知ることは困難ですので、本間氏が自由の身になった所で発言をして下さることを期待したいと思います。

なお、本間年雄氏については1998年のエホバの証人の年鑑、113ページから114ページにかけて詳しい記述がありますので、ここに引用します。

日本人の兄弟たちが一層重い責任を担う

1952年以来支部の監督であったロイド・バリーは、エホバの証人の統治体の成員として奉仕するため、1975年4月に日本を去りました。兄弟は、1949年に8人の伝道者からスタートした親権組織が、3万人を超える熱心な王国宣明者へと成長する間、熱心に働きました。兄弟が去るにあたり、支部の監督は、当時工場の監督として奉仕していた日本人の兄弟、本間年雄に委ねられました。本間兄弟の能力について、工場で彼を補佐していた人はこう言いました。「年雄は、何もせずに傍観して、何をすべきかだれかに一から十まで教えてもらうのを待っているような人ではありませんでした。仕事を与えて、『これがわたしたちの向かう方向です』と言えば、困難な仕事でも行なうことができました。良い組織者であり、人にやる気を起こさせる人でした」。もう一つの組織上の変更は1976年2月に行なわれました。世界中の他のすべての支部と調和して、日本支部を監督する責任は、一人の支部の監督ではなく、兄弟たちからなる委員会に任されることになりました。最初に任命された5人は、本間年雄、織田正太郎、池畑重雄、田中祺一郎、ジェームズ・マンツでした。この新しい取り決めは日本の兄弟たちにすぐに受け入れられました。というのは、集団で物事を扱い、決定の過程で意見の一致を図るという考え方によく通じていたからです。委員の一人は後にこう述べました。「支部委員会の取り決めにより、兄弟たちは円熟した兄弟たちの一団を組織の代表者とみなして彼らに頼ります。このことは、兄弟たちの注意を個人にではなく神の組織に向ける結果になりました。重大な決定を下さなければならない時、この取り決めにより、さまざまな背景や能力を持つ霊的な男子の一団がそれを考慮し、聖霊と神の言葉の導きを求めることができます」。1983年1月には、1960年2月以来ベテルで奉仕してきた織田正太郎が本間兄弟に代わって調整者になりました。この時、本間兄弟には2歳になる息子がいたので、家族を養うためにその立場を退きました。

(7-26-02)