日本支部コーディネーターの織田正太郎氏の事故死

長年ものみの塔協会日本支部のコーディネーターを勤めてきた織田正太郎氏が4月8日に海老名の日本支部で、事故のために亡くなりました。享年70歳でした。多くの報告を総合すると、織田氏は支部にある桜の花がきれいに咲いているのを見て、それを写真にとるために屋根にはしごをかけて昇っているうちに誤って落ちて頭と首に大怪我をしたということです。事故そのものを目撃した人はいなかったらしく、地上に倒れている織田氏が発見されたのは、事故からかなり時間がたってからだとのことです。救急病院に運ばれましたが、命をとりとめることはできなかったようです。

織田氏は1960年以来、海老名の本部(ベテル)につとめ、1975年以来支部監督の委員を務め、1983年には本間年雄氏に代わって、支部のコーディネーターになりました。以来、二十年以上にわたってものみの塔協会の日本における代表として、エホバの証人の最頂点に立って指導してきました。

なお、この事件の詳細はこれ以上こちらには入ってきませんが、もし本当に70歳の老人が、誰の監視もないままにカメラを持ってはしごを上って屋根から写真をとろうとしたとすれば、海老名の本部内における安全管理に重大な欠陥があった可能性はあると思います。最高責任者であり亡くなった本人である織田氏の判断力も問題にされなければならないかも知れません。ただ、事件の詳細がわからない以上、これ以上の批判は避けたいと思います。

(5-9-04)


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