東大医科研付属病院の輸血拒否訴訟に対する最高裁判決下る

東大医科研付属病院で輸血拒否の意志を表明したにもかかわらず、手術中に輸血をされたエホバの証人が医師、病院と国を相手に起こしていた訴訟の判決が2月29日に最高裁で下りました。以下は時事通信、朝日新聞の記事からの引用です。

「同意なき輸血」の賠償確定=エホバの
証人訴訟−最高裁判決(時事通信)


 宗教団体「エホバの証人」の女性信者=故人=が、手術の際に無
断で輸血され精神的苦痛を受けたとして、国と東大医科学研究所付
属病院の担当医らを相手に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3
小法廷(千種秀夫裁判長)は29日、「患者が宗教上の信念から、輸
血を伴う医療行為を拒否した場合、このような意思は人格権の内容
として尊重されなければならない」という初判断を示した。その上で、
医師らの説明義務違反を認定、国や病院側に計55万円の支払いを
命じた2審判決を支持し、上告を棄却する判決を言い渡した。これに
より、女性信者側の勝訴が確定した。  

[時事通信社 2000年 2月29日 13:06 ] 

■医師の説明義務を重視 輸血訴訟で最高裁判決 緊急時など課題も <解説> 信仰上の理由から輸血を拒否した「エホバの証人」の信者が 自らの意に反して輸血されたことを争った今回の訴訟は、患者 の意志を尊重すべきか、それとも医師の救命義務を重くみるの か、という二つの価値のぶつかりあいをどう考えるのかという観 点で議論されることが多かった。 (1面参照)  これに対し、この日の最高裁判決は、信仰上の理由から輸血 を拒否する意志は人格権の一つとして尊重すべきだと言明しな がら、医師がまず、患者に治療方針を説明して適正な手続きを 踏むことの大切さを説いたとみることができる。医師の説明義務 違反が不法行為になることは判例上確立されており、輸血拒否 をめぐるケースでも例外ではないことを確認したといえるだろう。  今回のケースで、患者は入院してから手術に至るまでの約一 ヶ月間、医師に「信仰上の理由から輸血をしないでほしい」と繰り 返し訴え、手術直前に「輸血をせずに重大な結果が生まれても 医師の責任は問わない」とする免責証書を医師に渡している。 最大の問題は、それでもなお、医師側から「危険な事態が起きた 場合は輸血も考える」との方針が伝えられなかったという「手続き 違反」にある。最高裁はそこを重くみた。  治療方針の説明を受けなかった結果、患者は、被告側病院での 治療を受けるのをやめて転院するなどの選択の機会を奪われて しまった。それは、医療の主体として治療方法を選ぶという患者の 「自己決定権」の侵害にほかならない。  判決は、患者の人格権から導き出される「インフォームド・コンセ ント」(十分な説明に基づく同意)などの適正手続きを医療現場で 定着させていこうとする流れに沿うものだ。  ただし、今回のケースのように治療方針を説明するのに十分な 期間がある場合とは違って、他の施設への転院を促す余裕もなく、 輸血治療以外に救命方法がないようなぎりぎりの状況で、救命義 務のある医師はどうすべきか。患者の意に反して輸血して責任を 問われるのか、不当な行為として免責されるのか。こうした問いに 、この日の最高裁判決が直接答えたわけではない。医療現場での 議論を一層深めていく必要があろう。(豊 秀一)

患者の意志を医師があくまで尊重しなければならないという点では、この判決は現代の医療法制の主流にあったものと言えるでしょう。患者の基本的な選択の自由が尊重されなければならないというこの判決要旨は一般的に言って歓迎されるべきでしょう。しかし残念ながら、裁判所はこの輸血拒否の裏にある別の自由が蹂躪されている問題には一切言及しませんでした。それはエホバの証人の組織の内部で、患者一人一人が輸血を受ける選択をする自由がないという問題です。エホバの証人にとっては、たとえ命を失うとしても輸血を拒否するというただ一つの道しか開かれていません。いえ、確かに正確に言えばエホバの証人でも輸血を受ける決断を全くできないわけではありません。しかし、その行為を公に表明した時の代償がどのようなものかを考えれば、このような選択は不可能と言っていいでしょう。確かに一般社会において、全ての人に医療上の選択の自由は与えられ、医師はそれを尊重すべきでしょう。しかし、その自由を奪われた人々が社会の一部に組織として存在する時、その人たちの自由を守る真の方法は、ただ組織の言いなりになることでしょうか。この点は裁判所が審理するには余りに深い問題かも知れません。しかし、人々がこの判決を超えてその奥にある真の問題点に気づくことを願ってやみません。

(2-29-00)