エホバの証人輸血事件で、ものみの塔協会代表者が朝日新聞に談話

《朝日新聞識者の見解の問題点》

2月21日付けの朝日新聞は、エホバの証人の輸血裁判に関して「各界の識者」の意見を特集しました。そこには、「医療と人権の問題に詳しい弁護士」光石忠敬氏(54)、「神戸学院大教授(生命倫理法学)」石原 明氏(64)、「東京都済生会中央病院外科部長(心臓血管外科)」 亀田 正氏(58)、「カトリック中央協議会事務局長」森 一弘氏(59)、「北里大名誉教授(小児科学・生命倫理学)」坂上正道氏(71)らと並んで「ものみの塔聖書冊子協会」有賀友則氏(33)の「望みに沿う治療法で」と題する談話が載っています。

これらの「識者」の談話は概ね、患者の権利の尊重と医師の救命義務との兼ね合いを論点としていますが、不思議なことにこの編集者が医師として活動している欧米で問題になりつつある観点が、どの「識者」からも指摘されていません。それはエホバの証人に限らず、医療行為を拒否する宗教団体の特殊性が、インフォームド・コンセントを成立させる必須条件と抵触するという事実です。

《本当にインフォームド(情報を与えられた)であるか》

その第一の抵触条件は、患者が治療に関して、反対意見も含む全ての情報を吟味する能力と機会を持つという大前提です。エホバの証人は、その出版物やものみの塔協会や会衆の幹部を通じて、輸血に関する害悪と副作用のみを強調して繰り返し教えられ、輸血の安全性や、他の治療法では達成できない利益に関する情報は与えられていません。彼らはこのようなバランスをとった情報を与えようとする彼らの批判勢力や元信者との接触を厳しく禁じられています。これではインフォームド・コンセントの「インフォームド」(情報を与えられる)という条件が成り立っていないのは明らかです。

《本当に自発的な決断であるか》

その第二の抵触条件は患者の意志決定に際して家族、友人、医師を含む他人の心理的圧力を受けていなという「自発性」が大前提となることです。この前提が、患者の自発的な意思決定にどれだけ重要であるかは、次の例を考えれば明らかでしょう。すなわち、老人性の痴呆が始った夫である患者に、生命保険の受取人である妻が、安楽死のよい面ばかりの情報を与えて夫に安楽死に同意させた場合、患者の理解能力が限られている可能性、患者に与えられた情報がバランスがとれておらず一方的な情報であった可能性、生命保険受取人として妻が患者の夫に与えるかもしれない隠された心理的圧力などの理由で、直ちにこの老人患者の安楽死の同意をインフォームド・コンセントと決定することはできません。この患者の同意に関してどのような条件が揃って初めてインフォームド・コンセントが成り立つかという議論は、この編集者が医師として働く米国オレゴン州が、アメリカで最初に医師の処方による尊厳死を住民投票で認めて以来、日常的な議論の対象となっています。

エホバの証人は本人の意思で輸血を受ければ、教団から排斥処分を受け、家族友人からは断絶され、復活の希望を絶たれ永遠の死しか残されていないと教えられています。多くの元信者の証言は、その恐怖と心理的な圧力は信者にのみしか理解できない圧倒的なものであることを示しています。エホバの証人の患者の治療に際し、輸血の可能性が医師から話されると、直ちに「医療機関連絡委員会」と呼ばれる教団の幹部が患者に代わり医師との交渉に介入し、患者には輸血を徹底的に拒否し、医師には絶対に輸血しないように働きかけます。英米圏の医師の間では、このようなものみの塔聖書冊子協会の方針は、患者個人の自発的なインフォームド・コンセントの基本条件を侵害するものとして、懸念の声が上がっています。元エホバの証人の証言以外にも、教団や他の信者に対して秘密を守る条件で輸血を受け入れるエホバの証人の存在が医学文献上の症例報告で知られています。これらの事実はエホバの証人の「自己決定」にマインド・コントロール宗教の心理的圧力が大きく介入している可能性を物語っています。

《ものみの塔協会代表者の欺瞞的発言》

以下にコピーした談話によると、ものみの塔協会の有賀氏は、エホバの証人は「成分輸血、貯蔵した自己血による輸血も受け入れない」が「血液の貯蔵を伴わない自己血輸血や、血漿分画製剤の使用を受け入れる」と述べ、その理由は「エホバの証人は聖書に忠実でありたいと願っている」からであるとしています。しかし聖書に精通した者でなくとも「成分輸血は受け入れてはならないが血漿分画製剤は受け入れてもよい」と聖書が命令していないことは常識で判断できます。実際聖書には、血を食べることに関して、ある条件の下では避けることが勧められていますが、人命を救うための医療に血を使うことはおろか、「成分輸血、貯蔵した自己血」に関しては聖書に何の言及もありません。それなのに、これらの医療行為があたかも「聖書に忠実」であるが為に避けなければならない事柄であると信者や一般人に信じさせるこの教団の欺瞞的体質こそが、この輸血拒否問題の本質なのです。

このものみの塔協会の有賀氏の一言を見ても、ものみの塔協会が聖書の大義名分の元に信者に対して根拠の無い、恣意的な医療に関する教義を信者に対し命懸けで守ることを要求していることが目に見えます。ものみの塔協会は歴史的に予防接種や臓器移植を、同じように聖書に基づくという理由で、エホバの証人に命をかけて拒否させていました。現在ではこれらの医療行為を拒否する理由は聖書に書かれていないと認めており、これらの医療行為を受けるか受けないかは個人の自由意志(「良心の問題」)で決定してよいと教えています。しかしその裏を返せば、暗黙のうちに協会は輸血拒否は自由意志で決定できない問題であることを論理の帰結として信者に教えているのです。自由意志でない医療に関する決定をどうしてインフォームド・コンセントと受け取ることができるのでしょうか。

エホバの証人の輸血拒否は予防接種拒否、臓器移植拒否と同様、組織が決定したただの方針に過ぎませんが、この有賀氏の発言にはからずも端的に示されるように、ものみの塔協会は信者が聖書に忠実であるためには教団の方針を命懸けで守らなければならないと信じさせているのです。信者は元信者などの批判勢力との接触を厳密に禁止され、情報統制と心理的圧力の中で生死にかかわる医療上の決定を下さなければならないのです。この判決を機会に、欧米のエホバの証人輸血拒否問題でも表面化しつつある真の問題点、すなわち信者のマインド・コントロールに基づいた誤った情報と心理的圧力のもとでの医療決定が、真のインフォームド・コンセントになり得るかの議論が活発化することが望まれます。

(2/25/98)

(朝日新聞1998年2月21日より)

患者の決定権か救命か
「同意なき輸血」に賠償命令−私はこう見る−

望みに沿う治療法で
ものみの塔聖書冊子協会 有賀 友則氏(33)

 意義深い判決だ。患者の信教の自由、自己決定権を認めたのみならず、その患者が重視していることは特によく説明すべきだというインフォームド・コンセントのありかたを示したのは、エホバの証人に限らず患者と医師の信頼関係を促進させるものといえよう。

 私たちが輸血を受け入れないのは、宗教上の真摯(しんし)な信念にもとづいている。聖書は、血は命を表す神聖なもので淫行(いんこう)や偶像崇拝と並んで「血を避けるように」と説く。エホバの証人は、血を輸血という形で取り入れることも、聖書の教えに反すると解釈する。成分輸血、貯血した自己血による輸血も受け入れない。だが多くのエホバの証人は、術中回収式や希釈式など、患者の循環系と離脱せず、血液の貯蔵を伴わない自己血輸血や、血漿分画製剤の使用を受け入れている。

 エホバの証人は聖書に忠実にありたいと願っているのだ。無輸血治療は医学界の潮流とも調和するものだと考える。

 私たちは、輸血に関するトラブルを未然に回避するため、主要都市に医療機関連絡委員会を設立し、全国の主な医療機関を訪問して理解を求めてきた。

 医療機関側も、エホバの証人の意思を尊重するガイドライン作りが進み、輸血はエイズや肝炎など感染症の危険を伴うとの認識も広がり、無輸血で安全な治療を行う研究も進んでいる。私たちは決して医療を否定しているのではない。輸血以外の最善の治療を受けて、行きたいと願っているのだ。

 エホバの証人がもし無断で輸血されたとしたら、その信者は女性が強姦(ごうかん)されたと同じように感じ、一生の心の傷となるだろう。本人の判断で輸血を受け入れた場合は、その患者はエホバの証人でなくなるという選択をしたことになる。

 エホバの証人は輸血以外の治療を選択し、結果的に命を失っても医師の責任を問わない。そのための免責証書も持っている。輸血以外に救命の手段がない場合が実際にどれだけあるのか。輸血拒否と死を容易に結び付けるべきでないという研究報告もある。

 無輸血治療が進歩した現在、輸血拒否は「命か信仰か」の選択ではなく、「いかに生きるか」という治療法の選択肢のひとつになったと考えている。