エホバの証人輸血事件で、エホバの証人側が勝訴

《世界の大勢に従った判決》

以下にコピーした朝日新聞の記事の通り、東大医科妍の輸血訴訟は、東大、医師側の逆転敗訴となりました。この判決は、日本の司法界が欧米先進国の後を追い、エホバの証人の言い分を裁判の場で認める方向を示したものと言えるでしょう。このような判決は日本では初めてと言われますが、アメリカ、イギリス、カナダなどの、いわゆるEnglish Common Lawを基調としている国々では恐らくこの20-30年間、定着しており特に目新しい判例ではありません。その意味では、この高裁判決は一審判決よりもより現在の世界の常識に沿った判断と言うことができるでしょう。判決の中で述べられている「公序良俗に反して無効」に反対する三点に関しても、常識的な判断と言えるでしょう。更に、「尊厳死を選択する自由も含めて、各個人が有する自己の人生のあり方は自らが決定するという自己決定権に由来する」とする考えも、最近の English Common Law の国々での考え方、すなわち autonomy (自己決定権)、informed consent(情報を与えられた上での合意)という医療倫理の大きな柱を踏まえています。

《問題点》

しかし、この大勢に従った判断にも大きな問題が残されており、これは、欧米での同じような判決に対する批判の理由ともなっています。その最大の問題点は、informed consent はあくまで患者が自由意志で、十分な情報を与えられ、外圧を逃れて判断を下した場合に成立するという、informed consent の前提条件が成り立っているかどうかの吟味です。東京高裁も含め、多くの判決はエホバの証人が輸血拒否の決定を医師に伝える場合に、どのような心理状態で行われるかを吟味することがありません。多くのエホバの証人が、本人の意思で輸血を受ければ排斥処分を受け、家族友人からは断絶され、復活の希望を絶たれ永遠の死しかないと教えられ、心理的に大きな圧力を受けていることを第一に認識する必要があります。第二には、エホバの証人が血液の医学的、聖書的意義と、輸血の利益と危険について、医学的にも聖書学的にも、ものみの塔協会の一方的な情報のみを与えられ、それに代わる「別の見解」を得てそれを吟味する機会を奪われていることです。この二点を考案するなら、1)心理的圧力からの自由、2)正しい情報を吟味する自由、の二つの informed consent の大きな前提条件が、エホバの証人で成り立っているかどうか、大きな疑問が提出されます。このような観点からのエホバの証人の輸血拒否に対する新たな判断は、English Common Law の国々でもようやく緒についたばかりです。

《今後の課題》

このようなより深い観点からのエホバの証人の輸血拒否の考察は、今の日本の司法界にそのまま直輸入するのは困難が伴うでしょうが、最近のカルト・マインドコントロールに関する理解が広まるにつれ、カルトメンバーの自由意志が真の自由意志であるのか、彼らの informed consent(情報を与えられた上での合意)が真に十分な情報を与えられた上での合意であるのか、についての吟味がこれから司法界、医療倫理の専門家の間で広く議論されることが期待されます。

(2/9/98)

(朝日新聞1998年2月10日より)

■同意得ぬ輸血に賠償命令──「エホバの証人」
 「患者側に自己決定権」と東京高裁が逆転判決 

 「エホバの証人」の信者だった千葉県内の主婦(昨年8月に死亡)の遺族4人が、「信仰上の理由から輸血を拒否したのに、手術の際に無断で輸血を受けて精神的な苦痛を受けた」と主張して、東大医科学研究所付属病院側に総額1200万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は9日、原告の請求を部分的に認める逆転判決を言い渡した。稲葉威雄裁判長は「医師には、ほかに救命手段がない事態になれば輸血する、という治療方針の説明を怠った違法がある」と述べた。こうした判断に基づき、原告敗訴の一審判決が変更され、病院を運営する国と医師の3人が合わせて約55万円の支払いを命じられた。

 この裁判は、輸血拒否者への輸血をめぐり、患者が医師の責任を問う初めてのケースとして注目された。控訴審では、(1)原告と医師の側で「輸血以外に救命手段がない事態になっても輸血をしない」という合意はあったか(2)医師は非常事態には輸血をするという治療方針を持ちながら説明を怠ったのか――が主な争いになった。

 高裁判決は、エホバの証人の信者が輸血を承諾した治療ケースがあることや、この主婦と担当医のやりとりなどを踏まえ、「絶対に輸血はしない」という合意はなかったと判断した。

 ただし、こうした合意があった場合の効力については、「公序良俗に反して無効」とした一審判決とは反対の判断を示した。その理由として▽輸血しないことを条件に手術を受けても他人の権利は害さない▽輸血しないことを条件にした手術で死亡した例があるが、刑事訴追を受けていない▽輸血なしで手術を行うことを認める医療機関が出てきている、などの点を挙げた。

 判決はさらに、医師の説明義務違反の有無について検討。「今回のような手術を行うに際しては、患者の同意が必要であり、それは尊厳死を選択する自由も含めて、各個人が有する自己の人生のあり方は自らが決定するという自己決定権に由来する」との判断を示した。そのうえで、「医師団は場合によっては輸血をして手術を行う必要が出てきたと判断した時点で、輸血を行うことを説明すべきだった」と結論づけた。

 被告側は「輸血の必要性を説明すれば、手術を拒否されると思ってあえて説明しなかっただけで違法性はない」と主張していたが、稲葉裁判長は「被告の主張は患者の自己決定権を否定するものだ」と退けた。

 判決によると、この主婦は悪性の肝臓血管腫と診断された1992年6月、エホバの証人の信者の医師から、東大医科研を「無輸血手術をする病院」として紹介された。この主婦と家族は同年9月に手術を受けるに際して、信仰上の理由から輸血はできないと医師に伝えたが、医師は手術時に出血性のショック状態にあったことを理由に輸血を行った。当時余命1年とみられていた主婦は、手術後約5年たった昨年8月に死亡した。主婦は93年6月に提訴し、昨年3月に東京地裁が請求を退ける判決を言い渡し、控訴していた。

 ◆「説明と同意」、司法も後押し

 《解説》「エホバの証人」の信者が医師らの責任を問いかけた裁判で、東京高裁は9日、人生のあり方は自分で決めるという患者の自己決定権を重視して、同意を得ずに輸血したのは違法との判断を示した。医療現場で築かれてきたインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)の考え方を、司法の場で正面から取り上げ、患者の側に立って後押しする意味を持つと言える。

 一審判決は「生命を救うためにした輸血は、(同意がなくても)社会的に正当な行為で違法性がない」という立場をとった。しかし、こうした考えは、「救命のためという口実さえあれば、医師の判断を優先させることで、患者の自己決定権を否定することになる」(高裁判決)ともいえる。専門家の間では「インフォームド・コンセントの考え方を大きく後退させる」との批判があった。

 医療現場では、「どんな場合でも輸血を受けない」というエホバの証人の信者への対応が、患者側に立って進められてきた経緯がある。日本医師会の生命倫理懇談会は1990年、輸血をしないことを条件にした手術を行うこともやむを得ないとする見解を示した。患者の意思を尊重して緊急時でも輸血しないとの見解を発表した医療機関も、少なからずあった。

 今回の高裁判決は、こうした医療現場の動きに沿うものと言える。患者の自己決定権から同意の必要性を導き出した判決は、さらに踏み込んで、「人はいずれは死すべきものであり、その死に至るまでの生き様は自ら決定できる」として、「尊厳死を選択できる自由をも持つ」との判断も示した。医療現場への影響が注目される。(豊 秀一)