エホバの証人の世界に蔓延する児童の性的虐待事件(Child Sexual Abuse)

児童の性的虐待は、世界的に蔓延する陰湿な犯罪です。家庭内、託児所、幼稚園、そして教会や寺院などの宗教施設を中心に、多くの児童がその犠牲となっています。肉体的な苦痛と傷の他に、この犯罪は児童の精神的発達に取り返しのつかない傷を与え、被害者の多くは、一生その傷口の痛みを背負って生きていくことになります。被害者の多くが精神的不安定を来し、精神病になったり、性的不能者になったり、自らが虐待者に変身したりします。犯罪者の中に幼児時代に性的な虐待を受けたという事例が多く報告されています。アメリカでは性的虐待を含む幼児虐待の問題が深刻なため、多くの州で幼児虐待を目撃したり、それに関した情報を知るものは、警察や児童保護局に報告する事が義務づけられており、報告を怠ることはその事自体が犯罪となる可能性があります。実際アメリカの医師たちは、幼児の行動や身体所見に少しでも幼児虐待の兆候が見られる時は、直に警察に報告しています。児童性的虐待の犯罪者に対しては懲役刑が課せられ、出獄後もその行動は厳しく監視される体制が整っています。このような厳しい処置が必要なのは、この犯罪がほとんどの場合習慣的に繰り返され、放置すればするほど被害が広がっていくという現実があるからです。

ものみの塔の児童性的虐待に対する見解

ものみの塔協会は、その雑誌、「ものみの塔」、「目ざめよ!」の両誌を通じて、児童性的虐待が憎悪すべき邪悪なことであることを一貫して教えてきました。そしてこのような邪悪な行為が蔓延していることが、終わりの日のしるしであると述べています。たとえば、次の1995年の目ざめよ誌の記事では、「幾つかの具体的な証拠を分析して,わたしたちが終わりの日にいると言えるかどうか,調べてみましょう」として、児童性的虐待について次のように述べています。

*** 目95 4/22 6 わたしたちは終わりの日にいるのですか ***
『敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となる』―テモテ第二 3:5。

聖書の真理には人生を変える力があります。(エフェソス 4:22-24)しかし,極めて罪深い行為が宗教を隠れみのにして行なわれる場合もあります。悲劇の一例は,僧職者による児童の性的虐待です。ニューヨーク・タイムズ紙によると,米国のある法律家は「司祭にいたずらされたと言う依頼人のために,27州で係争中の訴訟200件を扱っていると語って」います。実際,これらの僧職者が示している敬虔な専心という形,つまり見せかけはどれも偽善にすぎないことが,彼らの邪悪な業によって暴露されています。(目ざめよ 1995 4/22 6頁)

ここで注目されることは「極めて罪深い行為が宗教を隠れみのにして行なわれる場合」であり、ものみの塔協会が過去数十年一貫して取り上げて来たのは、報道機関が取り上げるキリスト教世界の中で僧職者を中心に行われてきた性的虐待問題でした。これに関するものみの塔協会の出版した記事は余りに多くあり、ここでは全てを引用できないくらいです。代表的な幾つかの最近の記事を引用してみましょう。

*** 塔97 5/1 6-7 不完全な世における信頼性 ***
アイルランドの一修道会の長を最近辞任した人の場合はこの点をよく例証しています。インディペンデント紙によると,この人は「小児愛者である司祭の児童虐待を知った後かなりの間,引きつづき子供相手の仕事に従事させていた」ことを認めました。この記事はその虐待が24年間にも及んだことを説明しました。司祭は4年の投獄になりましたが,この司祭の監督者が道義上の忠誠を欠いて処置を取らなかったことによって,その年月の間に子供たちが負わされた苦しみはどれほどだったでしょう。(ものみの塔 1997 5/1 6-7頁)

*** 目94 3/8 28 世界展望 ***
オーストラリアでは,カトリック修道会で性的虐待を受けた被害者たちが,キャンベラ・タイムズ紙の言葉を借りれば,オーストラリア法律史上最大規模の集団代表訴訟に踏み切ろうと結束している。このほど,子供のときに被害を受けた人たちを代表する一団体は,損害賠償の支払いを命じる250通以上の令状の発行を求める訴状を提出した。訴えによれば,虐待は1940年代から1980年代までの間に行なわれ,令状に名前が挙がっている主要被告人の中にはカトリック大司教が数人含まれている。マリスト会の修道士の一人は,性的暴行ですでに有罪判決を受けている。この件で被害者を代表する弁護士は次のように述べた。「我々は氷山の一角と取り組んでいるにすぎない。向こう数年間に相次いで訴えが起こされる可能性がある。すべての修道会は注意したほうがよいだろう」。(目ざめよ 1994 3/8 28頁)

*** 目93 4/8 31 司祭による小児性愛の被害者は告発する ***
司祭による小児性愛の被害者は告発する

「過去10年間に約400人のローマ・カトリック司祭が,児童を性的に虐待したかどで教会または当局に訴えられた」と,US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は伝えています。最近,その種の虐待の被害者たちが米国イリノイ州のシカゴ近郊で全国集会を開きました。多くの人が,小児性愛の司祭から受けた被害について率直に語りました。

しかしNCR(ナショナル・カトリック・リポーター紙)は,話し手たちが会議全体を通して,もう一つの点を繰り返し述べたことを指摘しました。「第一の虐待は性的なものである。第二の,そしてさらに大きな苦しみを伴う虐待は心理的なものである」。この第二の虐待は,教会が被害者に耳を傾けようとせず,告発を真剣に受け止めないで,罪を犯した司祭をかばうために配置換えという処置しか取らない場合に生じます。(目ざめよ 1993 4/8 31頁)

*** 目94 9/8 29 世界展望 ***
僧職者による虐待が暴露される

カトリックのキリスト教学校修士会会員に関するカナダ最大の性的虐待調査の一つが終了した。オンタリオ州アルフレッドの「セントジョゼフス・スクール」やオンタリオ州アクスブリッジのセントジョンズ・スクールから「700人余りの被害者が名乗り出た」と,トロント・スター紙は報じている。「キリスト教学校修士会会員の29人を含む,30人に対して」訴えが起こされた。「他の16人も生きていたなら告発されていたことだろう」と,スター紙は付け加えている。被害者たちは,「子供のころ,自分たちの世話を任されていたローマ・カトリック助修士階位の黒服をまとった成員からたたかれたことや性的暴行を加えられたこと」を今でも思い出しては嫌な気持ちになる。スター紙は,公の調査が行なわれなければ,神に仕えていると称する者たちがなぜ年若い少年に性的虐待を加えるのか,その理由を知らずに終わることになるかもしれない,と述べている。

*** 目91 4/22 29 世界展望 ***
ナショナル・カトリック・リポーター紙によると,ニューファンドランド州政府は,マウント・キャシェル孤児院で起きた子供に対する性的虐待事件の犠牲者に損害賠償金を支払うことを約束した。まず1975年に警察は,孤児院を運営している“クリスチャンの兄弟たち”の中に,院内の少年を身体的また性的に虐待している者たちがいるという訴えについて調査を行なった。捜査は打ち切られ,訴えられた者のうち二人がニューファンドランドを去ることに合意し,他の3人が孤児院を出たが,一人も逮捕されなかった。しかし1989年に捜査が再開され,現在“クリスチャンの兄弟たち”のうち8人が児童虐待罪に問われている。

確かに、児童性的虐待は多くの宗教団体の内部での深刻な問題です。幾つかの宗教団体、特にローマ・カトリック教会、イギリス聖公会などでは、活発な内部告発が続いています。

エホバの証人は会衆を清く保つのか

このように多くの宗教に共通に蔓延する児童性的虐待の問題は、ものみの塔協会の雑誌の中で瀕回に大きく取り上げられていますが、それではものみの塔宗教は例外なのでしょうか。エホバの証人は、ものみの塔協会が主張するように、いつも「会衆を清く保つ」ことを行っており、同じような問題は抱えていないのでしょうか。ものみの塔の出版物を読む限り、読者はキリスト教世界の腐敗に比べて、エホバの証人の会衆だけは例外的にこのような腐敗がなく、従って内部告発も聞いた事がない、という印象を受けます。そしてこのことは、腐敗したキリスト教世界に辟易した人々が、エホバの証人に惹かれる一つの大きな理由となります。しかし、本当にエホバの証人は例外なのでしょうか。これに対する答えは、以下に集めた各地の報道を見てみる事で、与えられるでしょう。

トーマス・マックスウェル

イギリス、スコットランドのアロア会衆に所属し、エホバの証人として30年間活動してきた小児性愛者。60才。会衆内の12才の少女に対し1994年から96年にかけて性的虐待を続けてきた。アロアの裁判所で最近有罪の判決を受けたが、その時点では彼は未だにアロア会衆からは排斥されていなかった。マックスウェルはスコットランドの西にあるハリス島に移り住み、懲役を免れたためにイギリスの世論の批判の的になり、今年8月にイギリスの主要報道機関(タイムズ、BBCなど)で大きく取り上げられる事となった。BBCのインタビューを受けた会衆の長老ロバート・ミランは、「マックスウェルはいずれ審理委員会にかけられて排斥されるかもしれない」、と語った。BBCニュースの英文の記事とマックスウェルの顔写真は、このリンクで見ることができる。(BBC News, August 14, 2000, The Times, August 15, 2000, 他)

ラリー・ベーカー

アメリカ、メイン州、ジェファーソン会衆に所属するエホバの証人。1989年から1992年にかけて同じ会衆に所属する当時12才のブライアン・リースに約30回にわたり繰り返し性的虐待を与えたことにより、1993年に逮捕され、有罪が確定し、6ヶ月の懲役に服している。この事件が最近有名になり報道機関の注目を集めたのは、現在23才になるブライアン・リースが、ものみの塔協会と、会衆の指導的立場にあった長老たちを相手取って、会衆内での性的虐待が行われていたことを知りながら、それを放置していたとして、監督責任を問う訴訟を起こしたことによる。その訴えによると、ベーカーはリースに性的行為を繰り返し始めた1989年以前にも、同じ会衆の少年に性的いたずらをしていた前歴があるにもかかわらず、会衆とものみの塔協会はベーカーに対して個人的に注意を与えて長老の役を降ろすだけで、会衆内のエホバの証人たちにその犯行を公表して排斥処分にすることを怠った。このために、会衆はベーカーが犯行を繰り返すことを防ぐ事ができず、その結果リースは繰り返して虐待を与えられ、精神疾患の治療を受けなければならなかった。リースの訴えによると、ベーカーはリースに性的な行為を繰り返している期間に長老に復帰したという。最近、メイン州の州最高裁判所は、ものみの塔協会の信教の自由を盾にした弁護を認め、リースの訴えを却下する判決を下した。ものみの塔協会側は、会衆内での懲罰処分は宗教活動であり、その秘密を守る事は信教の自由によって守られるべきであるとして、ベーカーの犯行を公表して正式の排斥処分を取る必要はないと主張した。リース側は、連邦最高裁に上訴する予定といわれている。(Portland Herald, May 12, 1998, October 20, 1999, 他)

ロバート・スーター

オーストラリア、シドニーの近くにあるバルゴウニーにあるコリマル会衆に所属するエホバの証人、1978年から80年にかけて5回にわたり、同じ会衆内の二人の児童に対し性的行為を行った。今年になって犯行が明らかになり、スーターは犯行を認め、ウロンゴング市の地方裁判所で懲役5年の判決を受けている。地方裁判所ゴールドリング裁判長はその判決の中で、会衆の長老たちが、スーターの犯行が会衆内で明らかになった後でも、そのことを警察に通報せず、逮捕が遅れた事を強く非難している。スーターの犯行は1990年にすでに会衆の指導者に知られていたが、スーターはその後5年間もエホバの証人を続け、ついに1995年に排斥になった。オーストラリアの警察は当時の会衆の指導的立場にあった長老たちを、報告を怠った罪で起訴する事を断念したが、ゴールドリング裁判長はその長老たちが起訴される事を望むというコメントをつけている。(Illawarra Mercury, August 5, 2000)

ウェイド・ポイナー

アメリカ、ワシントン州、ウッドランドにあるウッドランド会衆に所属するエホバの証人。1991年以来同じ会衆内の9人の男児に対して性的行為を繰り返していた容疑で1997年5月に逮捕され、犯行を自白した。ポイナーは長老の息子であり、被害者の母親は児童の報告でポイナーの犯行を知ったが、会衆内で長老が対処していると信じて警察に報告しなかった。(Longview Daily News, June 13, 1997)

清く保たれているはずのエホバの証人の会衆になぜ児童性的虐待は蔓延するのか

これらの報道を読むと共通している背景は、会衆やものみの塔協会が児童性的虐待者の存在を知りながら、断固とした犯罪の予防措置をとっていないことが、裁判や報道を通じて始めて明らかになったことがわかります。メイン州の裁判でものみの塔協会の弁護士が述べているように、協会は、性的虐待者を会衆内でどのように扱うかは信教の自由であり、会衆内外に公表して事件再発を予防する必要はないという立場をとっています。オーストラリアの裁判長が叱咤したように、会衆はこれらの犯罪者が司直の手により適切な処分を受ける事を妨げてきました。

この記事の最初に述べたように、ものみの塔協会はその出版物の中で、繰り返しキリスト教世界の中で起こっている児童性的虐待事件を、「極めて罪深い行為が宗教を隠れみのにして行なわれる場合」(目ざめよ誌1995 4/22 6頁)として非難し続けてきました。しかし、裁判所で繰り広げられたものみの塔協会の責任回避は、まさしく「信教の自由」の隠れみのによって、犯罪者をかばい、その犯行が会衆内で繰り返される事を許していた事をもの語っています。「教会が被害者に耳を傾けようとせず,告発を真剣に受け止めないで,罪を犯した司祭をかばうために配置換えという処置しか取らない」(目ざめよ 1993 4/8 31頁)というカトリック教会に対する非難の言葉は、そのまま一時的に長老の職を解かれただけのメイン州のベーカー長老や、犯行が明るみに出た後もエホバの証人を5年間も続けていたオーストラリアのスーター兄弟の事例に当てはまることでしょう。

ものみの塔協会は伝統的に、会衆内の不祥事は出来るだけ公表することなく、会衆内で隠密に処分することを勧めてきました。その理由は「エホバの組織」の名前を汚す事になる、というものでした。従って多くの同じような事例は、日の目を見ずに一般人に知られる事なく闇から闇へと葬り去られています。上に引用した事例はすべて、裁判沙汰で世間の注目する所となり、報道関係者の取材によって始めて公表されたものばかりです。世界各地で繰り広げられる同じようなパターンを見ると、これらが氷山のほんの一角に過ぎないことがわかります。そして裁判になって公表されるケースがいかに少ないかは、次のものみの塔の記事の引用に端的に語られています。

*** 目93 4/8 31 司祭による小児性愛の被害者は告発する ***
しかし興味深いことに,23州にわたって司祭の小児性愛の被害者150人を助けている前述の米国の弁護士は,裁判に持ち込むことを望む依頼人には会ったことがないと述べています。各個人はまず,「教会の司牧機構の中で」正当に扱われることを求めました。結論としてNCRは,「虐待の被害者は,最初の手段としてではなく,最後の手段として法廷に行くようだ」と述べています。

ここまで見てくると多くの読者は、ものみの塔協会は一貫して他宗教の児童性的虐待を憎悪すべき邪悪な事として非難し、会衆を清く保つ事の重要性を教え続けてきたからには、会衆内の児童性的虐待者には断固とした処分をとるはずだ、と考えるのは当然でしょう。1997年1月1日のものみの塔誌は、この問題を取り上げ、その中で初めて間接的ながら、エホバの証人の会衆内にもこの問題が存在することをほのめかしています。その中では、バプテスマを受けたエホバの証人が児童性的虐待行った場合の対処の仕方が書いてあります。そこには、上に引用した報道記事を確認するように、これらの犯罪者を直に処分しないことが述べられています。

*** 塔97 1/1 28 邪悪なことは憎悪しましょう ***
子供にわいせつなことをした人についてはどうか

バプテスマを受けた大人のクリスチャンが子供にわいせつなことをするとしたらどうでしょうか。そういう罪を犯す人は,エホバから決して許してもらえないほど邪悪なのでしょうか。必ずしもそうではありません。イエスによれば,許されないのは『聖霊に対する冒とく』です。またパウロは,真理を知っていながら故意に罪を習わしにする者には罪のための犠牲は何も残されていない,と述べました。(ルカ 12:10。ヘブライ 10:26,27)ですが,聖書のどこにも,子供を―近親姦にせよ何にせよ―性的に虐待する大人のクリスチャンは許されない,といったことは述べられていません。確かに,その人が心から誠実に悔いて行ないを改めるなら,その罪は洗われて清くなります。しかし,それでもなおその人は,自分の培った良くない肉的衝動と闘わなければならないかもしれません。(エフェソス 1:7)また,必然的な結果が残るかもしれません。

これに続いて、会衆はこれらのエホバの証人が法律によって処罰されることをかばうことはしない、とは述べていますが、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの国で義務づけられている、再発防止のための警察や児童保護局への通報は全く述べられていません。これについてはものみの塔の記事は次のように述べています。

*** 塔97 1/1 29 邪悪なことは憎悪しましょう ***
確かに,子供にわいせつなことをする人すべてがその罪を繰り返し犯すわけではありませんが,繰り返す人は少なくありません。また,会衆としても,だれが再び子供にわいせつなことをしそうで,だれがしそうでないかを,心を読んで指摘できるわけではありません。(エレミヤ 17:9)ですから,パウロがテモテにあてて書いた,「だれに対しても決して性急に手を置いてはなりません。また,他の人の罪にあずかる者となってはなりません」という助言は,子供にわいせつなことをしてきたバプテスマを受けた大人に関して特に当てはまります。(テモテ第一 5:22)会衆の子供たちを保護するためにも,子供にわいせつなことをしてきたことが知られている人は,会衆内の責任ある立場に就く資格がありません。また,開拓者になることや他の特別な全時間奉仕を行なうこともできません。

すなわちこれらの犯罪者のエホバの証人は、会衆の責任ある立場にはつけないものの、エホバの証人としての伝道者の資格は守られるのです。これと「教会が被害者に耳を傾けようとせず,告発を真剣に受け止めないで,罪を犯した司祭をかばうために配置換えという処置しか取らない」(目ざめよ 1993 4/8 31頁)というカトリック教会に対する非難と本質的な違いがあるのでしょうか。

エホバの証人も例外なく同じ問題を抱えるのか

このように見てくると、エホバの証人の社会も、他のキリスト教諸教派と同じように、児童性的虐待の深刻な問題を抱えて対処に苦労していることがわかります。キリスト教諸教派がこれらの犯罪者をただ切り捨てるのでなく、内部において立ち直りをはかろうとしてきた努力も、1997年1月1日のものみの塔誌に書かれた、直に排斥にしない方針と共通したものがあります。

それではものみの塔協会は、キリスト教諸教会と同じように不完全な人間の組織の一つに過ぎないのでしょうか。確かにこの件に関する限り、ものみの塔協会は何も特別なことはないように見えます。それではなぜ、ものみの塔協会はここまで児童性的虐待事件を使って他の宗教を攻撃することに躍起になっているのでしょう。この答えの中に、ものみの塔宗教の真の病根と腐敗の根源があるのです。

その第一は、ものみの塔協会の出版物が極端に偏った情報提供により、この問題に関してエホバの証人を初めとする読者に全く現実離れした印象を植え付けていることです。このような偏った情報は、ものみの塔協会の他宗教への攻撃には最も重要な武器となります。もしものみの塔協会が、たとえば「目ざめよ」誌の「世界展望」の中で、キリスト教世界で起こる不祥事を取り上げるのと同じ熱心さで、エホバの証人の世界で起こっている不祥事を取り上げれば、恐らく毎号のように世界各地で起こっている、エホバの証人の性的不祥事が出て来る事でしょう。ものみの塔協会は、この記事で取り上げた報道機関に大きく取り上げられた不祥事だけでなく、全ての懲戒処分の記録を持っていますから、この記事ように氷山の一角を取り上げるだけでなく、氷山の全体を見る事ができるはずです。

ではものみの塔協会はなぜこれらの不祥事を「信教の自由」の隠れみのの中にひた隠しにするのでしょうか。そこにものみの塔協会の第二の病根があります。それはプライドです。かなりのメンバーがすでに老人性痴呆に陥っていると言われる統治体が、全てをコントロールするものみの塔協会の内部に不祥事がないはずがありません。この団体の中央集権的体制を考えれば、末端の不祥事を中央が統制しきれないのは当たり前でしょう。しかし「エホバの唯一の組織」を自称する指導者にとって、その名前とプライドは何者にもかえられない重要なことになります。従って会衆内での犯罪の予防と司法当局への協力よりは、不祥事をひた隠しにすることを選ぶことになります。

そして第三の病根は内部批判を許さないことです。確かにキリスト教諸教派や他の宗教団体(ユダヤ教、モルモン教など)も同じ問題を抱えています。しかし、ものみの塔協会の腐敗が他の宗教に比べてより進んでいる理由は、内部からの改革運動を指導者が禁圧しているからです。カトリックを始め他の宗教はこの問題の存在を素直に認め、その実態を曝け出して指導者の責任を追及する動きがあります。エホバの証人の内部にそのような動きがあるでしょうか。これは有り得ないことです。児童性的虐待者を排斥しないにもかかわらず、内部の腐敗を告発するものは、エホバの組織に逆らった者としてたちまち処罰されるからです。

今後多くのエホバの証人が、自分の宗教のこのような腐敗に目覚めて、内部批判の声を挙げることが望まれます。


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