ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係

背景

ものみの塔協会が第二次世界大戦前夜のナチス・ドイツにおいて、当時独裁者と しての地位を固めつつあるアドルフ・ヒトラーに対して協力を申し入れていた 事実を知る人は意外に少ない。たとえばごく最近の「目ざめよ!」誌1995年 8月22日号ではホロコーストを特集し、エホバの証人のみが一貫してヒトラー の政権に対して反対したのに対し、それ以外のキリスト教諸教会は、カトリック もプロテスタントも皆同じようにナチス・ドイツに協力したか、あるいはその蛮 行を黙認していたことを繰り返し述べています。そしてこの違いが「キリストの 真の追随者を見分ける」ことになると強調しています。その中の記事の引用を見 てみましょう。

「エホバの証人はナチスの不敬虔な要求を断固として拒否することにしました。こうして、証人たちは勇気をもって大胆に語り、ナチズムが実際に邪悪であることを暴露したのです。エホバの証人は、ヒトラー万歳と叫ぶことを拒みました。」
(『恐れることなく大胆に語ったのはなぜか』「目ざめよ!」誌1995年 8月22日号 p4)
「最も勇敢だったのはエホバの証人で、彼らは初めから、自分たちの教義に元づく徹底的な反対の立場を公に表わし、それゆえに苦しみを受けた。彼らはナチ国家との協力を一切拒んだ。」
(『諸教会が沈黙していたのはなぜか』「目ざめよ!」誌1995年 8月22日号 p14)

しかし本当にエホバの証人はこのように一貫してナチス・ドイツの独裁政権に反対していたのでしょうか?本当に彼らは「ナチ国家との協力を一切拒んだ」のでしょうか?この点を徹底的に調べたのがカナダ、アルバータ州のレスブリッジ大学の歴史学教授でエホバの証人の歴史を研究テーマとしているジェームス・ペントン教授です。しかしこの研究には何も暴露記事めいた秘密資料を掘り起こす必要ありませんでした。ものみの塔協会が「沈黙」しているヒトラーとの協調関係は他でもない、ものみの塔協会自身の出版物の中にしっかりと記録されていたのです。しかもこの記録に残されている協会の重要な方針を知る現在のエホバの証人はほとんどいません。このことはいかに証人達が、協会が知らせたいことだけを知っているかを示すよい例ではないでしょうか。

ベルリン大会宣言

1933年4月、当時国家総統の権力を握ったヒトラーは反対勢力の鎮圧に乗り出しました。他の多くの宗教団体とともに、ものみの塔協会もこの対象になり、マールブルグにあった協会の支部もナチスにより占拠され、一時的に協会の機能は停止されました。この事態に対応するため、同年7月、当時の協会の会長であったラザフォードは、後に次期会長になるノアを伴ってベルリンに出向き、ウィルマースドルフ体育館で約7000人(数字は年鑑による)のエホバの証人を集めての大会が開かれました。この大会において「全会一致」で採択され、何百万部と印刷されてドイツ中に配布されたのが「宣言」でした。エホバの証人年鑑1933年の127ページからは、この間のいきさつが細かに記されており、このベルリン大会の「宣言」の全文がのっています。この中で協会の首脳部が、ヒットラーと、当時迫害を受けていたユダヤ人に対してどのような態度を持っていたかが明白に記されています。重要な部分を少し下に紹介してみましょう。(訳文はこの筆者による。)なお、この1933年のエホバの証人年鑑の記事の原文は、全文を英文で他のウェブサイトで見ることができましたが、その後このサイトとの連絡が途絶えておりますので、コピーを本サイトに移しましたので、詳しく調べたい方は参照下さい。。

ユダヤ人に対して:

「私達(ものみの塔協会)は敵から、私達がユダヤ人の資金援助を受けているという虚偽の非難を受けています。これは全く真実からかけ離れたことです。今の今まで私達はユダヤ人からは一銭たりとも寄付を受けたことはありません。私達が忠実なイエス・キリストの追随者で彼が世界の救世主であると信じるのに対し、ユダヤ人はイエス・キリストを全く拒絶し、彼が神によって使わされた世界の救世主であることを断固として否定しています。このことをとっただけでも私達がユダヤ人から援助を受けていないことを証明するのに十分な証拠であり、従って私達に対する非難は悪意に満ちた虚偽であり、私達の最大の敵であるサタンから出たものと思われます。」
「この地球の最大の、そして最も圧制的な帝国は英米帝国です。これはイギリス帝国とその一部であるアメリカ帝国とをさしています。この英米帝国の中で大事業を築き上げて遂行し、多くの国の人民を抑圧し利用してきたのが商業にたずさわるユダヤ人達です。この事実は特にロンドンとニューヨークという大事業の拠点で明らかです。このことはアメリカでは特に顕著で、ニューヨークでは次のようなことわざが出来たくらいでした。『ユダヤ人が所有し、カトリックのアイルランド人が支配し、アメリカ人がつけを払う』。私たちはここに述べた人々と戦うものではありません。しかし、聖書に示された神の命令に忠実であるエホバの証人として、私達はこれらの人々に関する真実に注意をうながさざるを得ません。それは神とその目的とを人々が知るようになるためなのです。」

ものみの塔協会の出版物とナチス政府の関係について:

「現在のドイツ政府(ナチス政権)は抑圧的な大事業家に対して断固として反対を宣言するとともに、宗教が国家政治に悪影響を与えることにも反対してきました。この立場はまさに私達の立場と一致するものであります。私達はさらに進んでその出版物を通じて、抑圧的な大事業家と宗教の政治的悪影響の存在する理由を述べています。聖書はこれらの抑圧的な勢力がサタンから出たものであり、それからの完全な解放はキリストの元での神の王国であることを明白に述べているからです。従って私達の出版物と活動がこの国家の平和と安全にとって危険で脅威となることなど決してありえないのです。」
「エホバ神とその人類に対する慈愛に満ちた計画を知ることは人間にとって最も重要なことです。なぜなら神はその言葉の中で、神の言葉への理解と見識のない所では人々は滅びると宣告しているからです。(箴言 29:18)。私達はその命と物質的な存在を、人々が神の言葉の理解と見識を得られるようにするための仕事に捧げてきました。従って、私達の出版物と活動がドイツ国家の平和と安全にとって脅威となることは決してありえないのです。私達はドイツ政府が支持 する原則に反対するのでなく、それらの原則を忠実に支持し、エホバ神がイエス・キリストを通じてそれらの原則を完全に実現し、人々に平和と繁栄と最大の希望を与えるであろうことを示しているのです。
「私達の本や出版物を注意深く調べてみると、現在のドイツ国家政府によって打ち出された崇高な理想は私達の出版物の中に提示され、支持され、強く強調されていることがわかります。そしてエホバ神はこれらの崇高な理想が来るべき時において、全ての正義を愛し、神に従う人々によって達成されることを示しています。従って、私達の出版物と活動が現在のドイツ国家のこれらの原則にとって脅威となることはあり得ず、逆に私達はその様な崇高な理想の最強の支持者なのです。このことがまさしく、正義を望む全ての人々の敵であるサタンが私達の仕事を誤り伝え、この国において私達の活動を行うことを妨害しようとする理由なのです。」

このベルリン大会宣言の結論は、ものみの塔協会の理想がいかにヒトラーの理想と一致するかを強調した後で、当時ヒトラーによって開始されたエホバの証人の宗教活動と出版物の禁止処分を解除するように懇願しています。

ものみの塔協会がヒトラーに送った手紙

更に興味深いのは、この大会宣言と一緒に、協会のドイツ支部が直接ヒトラーに送った手紙が史料として残されていることです。この手紙はものみの塔の公式出版物では、わずかに『エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々』の693ページに内容を紹介することなく、一言触れられているに過ぎません。ペントン教授はその全文をドイツ語の原文と英語訳の両方で公開しています。ここではそのコピーを読むことが出来ます。(この手紙のコピーと写真を掲載していたドイツ・ライプチッヒのウェブサイトは現在リンクがはずれております)。その手紙をここに要約すると次のようになります。

  1. エホバの証人に対する弾圧はカトリックから来たものである。
  2. 現在の政府のエホバの証人に対する弾圧はその出版物を誤解していることによる。
  3. 添付されている私達の大会宣言を読まれれば総統閣下(ヒトラー)は私達の理想と閣下の理想とが一致していることが明白にわかるはずである。
  4. エホバの証人は伝統的にドイツに友好的であった。私達の雑誌「ものみの塔」と「聖書研究」はアメリカにおいて反ドイツ宣伝活動に参加しなかった理由で発禁になり、7人の役員は1918年に投獄されたのである。私達のこの反ドイツ宣伝活動に対する反対の立場が、私達がアメリカのカトリックとユダヤ人の反感をかっている理由である。
  5. 大会に集まった5000人(手紙の数字による)のエホバの証人は全てドイツ政府の崇高な理想を支持しそのために戦うことを確認した。
  6. 私達の出版物の中に政府に非協力的な面があるとすれば、それはドイツ国家に不当な圧力をかけている英米帝国の指導者を想定したものである。
  7. 私達は閣下がキリスト教界の関係者の関与しない特別委員会を召集して私達の理想を公平な目で検討していただくことを希望する。そうすれば私達の活動がナチス綱領の第24条で活動が許されている宗教団体にあてはまることがわかるであろう。

この手紙の中には先ず明白な虚偽が語られています。それは上記の第4項目です。確かにラザフォードと7人の役員達は1918年に投獄されたましたが、それは反ドイツ宣伝活動に参加しなかった理由によるのでしょうか?それはものみの塔協会の本『エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々』の70ページにも書かれているように、ラザフォードが当時出版した『終了した秘義』の中で僧職者たちをこき下ろしたことから反感を買ったことが原因でした。その罪は扇動罪でした。これを「反ドイツ宣伝活動に参加しなかった理由」と嘘の記述をしているところは、当時のものみの塔協会の指導部が、なりふり構わずヒトラーに取り入ろうとしたことの現れでしょう。

ペントン教授の論文には、当時ものみの塔のドイツ支部で働いていたエホバの証人がこのベルリン大会に参加した時の情景を描写した文章が添付されています。それによると、この大会では会場にナチスの「かぎ十字」の国旗が掲げられ、歌詞は変えられているものの、ドイツ国歌のメロディーが歌われたそうです。このことはドイツのエホバの証人の大会では前にも後にもありえないことでした。

歴史的意味

ものみの塔協会が沈黙を守る、このナチス・ドイツとヒトラーに対する協調の申し出は何を意味するのでしょうか?先ずドイツのエホバの証人の方々に公正を期するため、ここではっきりと確認したいことは、確かに一般のエホバの証人の多くは、ナチス・ドイツに対して迎合することなく自分たちの信仰を貫き、強制収容所に送られ処刑されました。従ってここに紹介する、ものみの塔協会とヒトラーとの知られざる関係は、そのようなエホバの証人たちの勇気ある行動を否定するものではありません。問題は協会指導部の一貫した不正直、不誠実な態度にあります。

最初に述べましたように、ものみの塔協会はその出版物の中で繰り返し、「エホバの証人のみがナチス・ドイツに対して一貫して反対し、それ以外の宗教はカトリックもプロテスタントも全てナチス・ドイツに迎合した、そしてそのことが真のキリストの追随者を見分ける点である」と述べてきました。しかし、これらの記事には、ものみの塔協会自身が同じようにヒトラー政権のご機嫌を伺って取り入ろうとする努力をしたことは全く触れられていません。この不正直、不誠実はどこから来るのでしょう?それがまさしくこの宗教団体の根本にある信者への情報統制とマインド・コントロールの基本にあるものなのです。協会は信者が指導部に対して忠実になるような記事のみを繰り返し繰り返し与える反面、別の面で全く異なった見方が出来るような場合にはその情報を厳しく統制しているのです。

確かにこのヒトラーとの関係は、エホバの証人の長い歴史の中のほんのひとこまかも知れません。ものみの塔協会は自分たちの信教の自由を守るために必死であったのでしょう。その結果が指導部に、あのような反ユダヤ人の人種差別を支持し、ヒトラーに迎合する卑劣な態度に追いやったのかも知れません。多分、他のキリスト教宗派でも同じようなことがあったのでしょう。プロテスタントでもカトリックでもナチスに迎合する動きと、一貫して抵抗する動きがありました。極度に異常な当時のドイツの体制内では、多くの人々が判断を狂わされ、盲動に走ったのでした。エホバの証人もその例外ではなかったのです。

ものみの塔協会はこの自分たちの過去の過ちを率直に認めて、他の宗派に対する悪意に満ちた攻撃をやめるべきでしょう。自分たちが特別な団体であるという不正直な宣伝を信者に対して与えることをやめ、他のキリスト者と同じように戦時中の自分たちの過ちを率直に一般の証人達の前に示して、神の赦しを求めるべきではないでしょうか?

もちろん歴史が語るように、ものみの塔協会のこの卑劣な申し入れはヒトラーにより一蹴され、この後まもなくより過酷なエホバの証人への弾圧が行われました。何とも皮肉なことは、このヒトラーの残忍な態度が今のものみの塔協会の指導部を救っていることになったのです。もしヒトラーがこの時にエホバの証人の協調の申し入れを受け入れていたらどうなっていたでしょうか?ものみの塔はヒトラーの御用宗教に成り下がり、戦後、ものみの塔協会の弁解の余地はなくなっていたことでしょう。不正直なもの同士が助け合うことになる、何とも不思議な歴史の巡り合わせと言えるかも知れません。