ものみの塔協会の権威者とは ― 第二部
『生命』の引用をめぐって


はじめに
ものみの塔協会にとっての「権威者」フランシス・ヒッチング
フランシス・ヒッチングとはどのような人物か
ものみの塔出版物に共通して頻回に使われる引用の仕方
ものみの塔協会は何故このようなことをするのか

はじめに

第一部では心霊術者がものみの塔の聖書の解釈を支持する権威者として、広範に引用をされているのを見てきましたが、この第二部では同じようにいかがわしい「権威者」が、彼らの誇る「科学の本」に広範に使われているのを見てみたいと思います。先ずその前にその「科学の本」がどんなものであるかを簡単に見てみましょう。

ものみの塔協会は1985年、『生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か、それとも創造か』(以下『生命』と略、英文、日本文版とも同じ年に発行)と言う本を出版しました。この本は進化論を徹底的に批判し、人間はエホバの計画によって創造され、その将来もエホバの計画によってすでに決定されていることを、エホバの証人たちに徹底的に教えることを主題としています。本書の進化論に対する見方を端的に述べている部分を引用してみましょう。

わたしたちは、進化論がサタンの意図している事柄に役だっている事実をはっきり認めなければなりません。サタンは、神に反逆する点で、人々がサタンの歩みに、またアダムとエバの歩みに倣うことを願っています。悪魔に残されている『時が短い』いま、これは特に真実です。(啓示12:9ー12)ですから、進化論を信じるということは、サタンの関心事を押し進め、創造者のすばらしい目的に対して自らを盲目にすることになります。(『生命』p248)

この本の進化論に対する強い反発はほとんど感情的な憎しみに近いものとなっています。続けて引用してみましょう。

わたしたちがだまして金銭を、あるいは何かの所有物を奪おうとする人がいれば、そのような人に対しわたしたちは憤りを感じます。進化の教理と、その創造者に対してさらに強い憤りを覚えるのは当然なのです。その意図は、わたしたちからとこしえの命を奪い取ることにあるからです。

この引用を見て分かるとおり、『生命』の著者は進化論を、あたかも対抗する宗教のように考えており、『進化の教理』という聞き慣れない用語まで使用して、その感情的な憎しみを露にしています。

この『生命』の本はエホバの証人の間で頻回に「書籍研究」の本として使われ、広範に配布されましたので、エホバの証人以外の人でも目にとめた方は少なくないはずです。私の子供達がエホバの証人になったころ、それはちょうど1990年頃でしたが、彼らはちょうどこの本を勉強させられました。二人の子供達は日本でいえば小学校高学年と中学生でしたが、ちょうど科学に興味を持つ年頃で、この本を素晴らしい「科学の本」と思い、学校で読まされる本と同じか、それ以上に重要なものと見なしていたのを覚えています。彼らを指導していた長老の勧めで、長女はこの本を生物学の先生にプレゼントし、「先生がとても良い本だと言っていたよ」と私に報告したのをおぼえています。また何人かのエホバの証人の人、元エホバの証人の人の体験談の中にこの本のことがとりあげられ、「『生命』の本を研究で読まされ、よくわからなかった進化論の科学がすっきりわかるようになり、ものみの塔の出版物により関心を持つようになりました」というような話にであいました。

この『生命』の本は本当にそのような科学的な本なのでしょうか?恐らく、理科系の大学卒業の経歴のある方で、特に生物学、化学、考古学、確立論等に一応の知識があり、科学の方法論に経験のある方なら、この本の明らかに意図的な欺瞞を見抜くのに、大した時間と労力を必要としないでしょう。この本全体の信用性を細かく吟味することは別の記事で行う予定ですが、この記事ではこの『生命』の本に端的にあらわれている、ものみの塔協会の出版物に共通する重要な問題点を指摘してみましょう。それは、彼らが「権威者」として何度も引用する人間の質と引用の内容の正確さの問題です。



ものみの塔協会にとっての「権威者」フランシス・ヒッチング

フランシス・ヒッチングは、ものみの塔協会の出版物によれば、「進化論者」「科学者」「権威者」ということになっています。この人の引用は『生命』の本の中だけで11回、その他『目ざめよ!』誌や、他の本にも何回も紹介されています。たとえば次の引用は『聖書 ― 神の言葉それとも人間の言葉?』(1989年)からです。(太字は筆者による。)

進化の理論をどのようにして試してみることができますか。最もはっきりした方法は、化石の記録を調べて、一つの種類から別の種類への漸進的変化が本当に起きたのかどうかを見ることです。それは本当に起きましたか。多数の科学者が正直に認めているとおり、そのような事は起きていません。その一人フランシス・ヒッチングはこう書いています。「動物の主要グループの間をつなぐ連鎖を見つけ出そうとしても、そのようなものは全く存在していない」。(p106)

進化論にはさまざまな難問が内在しているにもかかわらず、今日、創造を信じるのは非科学的であり、まともなことではないとさえされています。これはなぜでしょうか。フランシス・ヒッチングのような権威者でさえ、自らの進化論の弱点を正直に指摘していながら、それでも、創造という考えを退けているのはなぜでしょうか。(p109)

これらの引用でわかる通り、ものみの塔協会はフランシス・ヒッチングを「進化論の弱点を正直に指摘」する「科学者の一人」であり「権威者」として一貫して扱っています。『生命』の本の中に11回出てくる引用もすべて、ヒッチングが進化論者でありながら、進化論を批判しその「弱点を正直に指摘」しているという前後関係の中でなされています。『生命』からいくつかの引用を見てみましょう。

進化論者で、「キリンの首」と言う本の著者であるフランシス・ヒッチングはこう述べています。「生物学の重要な統一原理として科学界に広く受け入れられているにもかかわらず、1世紀と4分の1を経たダーウィン説は、驚くほどの困難にぶつかっている。」(p15)

進化論者ヒッチングも同じようにこう述べました。「進化の理論をめぐる反目が爆発した。・・・・高度の立場でそれぞれにざんごうを掘って守り固めた賛成と反対の両陣営が確立された。侮辱のことばが迫撃砲のように飛び交った」。(p16)

その他、彼の引用は23、24、41(二回)、42、45、66、71(二回)の各ページに出ています(いずれも日本語版より)。それではこのものみの塔協会がこれだけ重要視しているフランシス・ヒッチングとはどのような人物なのでしょうか?



フランシス・ヒッチングとはどのような人物か

フランシス・ヒッチングはその著書「キリンの首」(1982年)で知られています。ヒッチングはその本において、進化論は事実であるがダーウィン説には大きな問題があるという立場を明らかにしています。それではこのヒッチングとはどのような人物なのでしょう。これに関しては、筆者の個人的友人でマサチューセッツ工科大学の博士号を持つアラン・フォイエルバッカー氏 《註1》が、徹底的に調査しましたので、その一部をここで紹介しましょう。

ヒッチングは彼の著書「キリンの首」の中では彼自身の学問的背景に関しては何も明らかにしていません。彼はその略歴の中でイギリスの王立考古学協会の会員と称していますが、フォイエルバッカー氏が直接、王立考古学協会に問い合わせ、彼が会員ではないことを確認しています。ヒッチングはまた謝辞の中で古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドの援助を受けて「キリンの首」を書いたように示唆していますが、フォイエルバッカー氏が直接グールドに問い合わせたところ、グールド自身がヒッチングとは面識もなく誰であるかも知らない言い切っているとのことです。更に動物学者でオックスフォード大学のリチャード・ドーキンスもヒッチングの本を書く手助けをしたように示唆されていますが、フォイエルバッカー氏の手紙に対してドーキンス博士は次のように返事を書いてきました。「私はフランシス・ヒッチングなる人物を全く知りません。彼が「はったり屋」であることをあなたが明らかにしているのなら大変結構なことです。というのも「キリンの首」は私がこの何年間の間に読んだ本の中で、最も馬鹿げていて最も無知な本の一つだからです。」

フォイエルバッカー氏の更に広範な調査の結果、ヒッチングが会員であるのは王立考古学協会ではなく、「心霊現象研究協会」「イギリス水脈占い師 (dowser) 協会」「アメリカ水脈占い師 (dowser) 協会」《註2》でした。彼の著書には「キリンの首」の他、「地球の魔力」「水脈占い (Dowsing) :プサイとの関係」「神秘の世界:説明できない事柄の図鑑」「詐欺、いたずら、超自然」「ダーウィンに代わって」がありました。彼は心霊現象、超自然現象、占い等に一貫して興味のある、日本で言うなら「自称評論家」というところでしょうか。彼はイギリスのテレビで、超自然現象、心霊現象をセンセーショナルに取り上げる番組の脚本を多数書いて、例えば「マヤのピラミッドのエネルギー」などという番組を出していました。

「キリンの首」では彼の主眼はダーウィン主義を批判することでしたが、彼自身は進化論をある種の宇宙の力で支配された法則として信じています。問題は彼のこの本の書き方と内容でしょう。皮肉なことに、『生命』の本と同様、この本もまた広範にいい加減な引用がなされています。彼の本に書かれた多くの内容は、「若い地球創造論者」という、地球は創世記で書かれているように文字通りの六日間で作られたと主張する団体の出版物から、その出典を明らかにすることなくそのまま丸写しにされているのです。「創造論/進化論ニュースレター」1987年9月10月号、15ページには次のような「キリンの首」に関する記事がのっています。

聖書的創造論協会について言及するなら、聖書的創造論雑誌の1983年1月号74ページには、1982年発行のヒッチング著「キリンの首」に関する興味ある批評がのっている。ヒッチングのこの本は強固として反ダーウィン主義を貫いており、多くの創造論者から熱狂的に賞賛された。(しかし彼は根本主義的創造論者をからかってもいる。)創造論者の一人マルコム・ボーデン(「進化論詐欺の起源」の著者)はその手紙の中で、ヒッチングは単に「情報を創造論者の文献から拾い集めた」に過ぎないことを指摘している。実際、この指摘は当たっている。ヒッチングは多くの創造論者の研究を好意的に引用している。しかしボーデンは、ヒッチングがボーデンの著書「猿人 ― 事実か嘘か」からいくつかの段落と図を、出典を言及することなく自分の本に取り込んでいる、つまり盗作をしていることでヒッチングを非難している。ボーデンは「ヒッチングの本はほとんど初めから終わりまで創造論者の意見を説明しているだけだ」と指摘している。ヒッチングはまた超自然現象家で、心霊的進化論を信奉している。彼の著書「地球の魔力」はとりとめもない娯楽のために書かれた、最初から最後まで地球を心霊的に解釈した本である。彼の関心の領域はこの他、宇宙の激変、アトランティス、ピラミッドの神秘、水脈占い、ESP(超感覚的知覚)、奇跡による癒し、占星術などがある。

このようにフォイエルバッカー氏の調査と原典の参照から明らかになったことは、フランシス・ヒッチングなる人物は、『生命』をはじめとするものみの塔の出版物が、証人の信者たちに繰り返し強調するような「進化論者」、「科学者」、「権威者」とはほど遠い人物で、その実態は超自然現象や心霊現象をテレビや通俗出版物を通じて興味を引く形でとりあげる一種のジャーナリストに過ぎなかったのです。



ものみの塔出版物に共通して頻回に使われる引用の仕方

このフランシス・ヒッチングの引用を通じてもう一つ明らかにしなければいけないことがあります。それはものみの塔協会が繰り返し繰り返し、ほとんどの本や雑誌で使用する、引用の意図的な歪曲です。ここでは『生命』の本の15ページを開いてその実際を確かめて見ましょう。

このページでは「攻撃の対象とされる進化(論)」《註3》という節が始まっています。ここで『生命』の著者は、様々な「権威者」を引用して、いかに進化論が「攻撃の対象」となっているかを示そうとしています。しかしここでこの著者は、少しでも進化の科学を勉強したことがある者なら誰でも知っている重要な基本的概念を読者に明らかにせず、意図的にそれをあいまいにすることにより、読者を原典に書いてあることと全く異なった結論に導こうとしているのです。その重要な基本的概念とは「進化」(evolution)と「ダーウィン主義」(Darwinism)とは全く異なる概念であるということです。言うまでもなく、「進化」は生物種が時間の経過とともに変化してきたとする仮説で、これに関して異論をはさむ生物学者はほとんどいないのに対し、「ダーウィン主義」はチャールズ・ダーウィンが進化の現象のメカニズムを説明するために提唱した説であり、確かに「ダーウィン主義」そのものは多くの生物学者が異論をはさんでいるのは事実でしょう。進化のメカニズムを説明する説は他にもたくさんあり、「ダーウィン主義」はその中の一つに過ぎないのです。そして『生命』の著者がここで引用している「権威者」たちの原典にあたってみるとすぐわかることですが、「攻撃の対象」となっているのは実はこの「ダーウィン主義」であって、一般的「進化」ではないのです。『生命』の著者はこの二つの異なる概念を巧妙に、一般の証人たちには気付かれない形ですり替えています。この節の最初から見てみましょう(『生命』日本語版15ページ)。

攻撃の対象とされる進化論《註3》

科学雑誌「ディスカバー」は今日の状況をこのように述べました。「進化論《註3》は・・・・・根本主義のクリスチャンから攻撃されているだけでなく、名の通った科学者たちからも異論を唱えられている。化石の記録を研究する古生物学者の間では、[ダーウィン説に対する一般的な見方とは]異なる見解が次第に広がっている」。《註4》

さあ、この引用では「進化(論)は・・・・・」と言う形で引用することにより、いかにも最後の「異なる見解が次第に広がっている」が「進化(論)」にかかるかのように読者の錯覚をさそっています。特に訂正される前の初期の版ではなおさらです。それでは次に、この「ディスカバー」誌の原文「カメかウサギか」という記事(1980年10月号、88ページ)を、残りは筆者の訳によって見てみましょう。ここでわかることは、「ディスカバー」誌は「進化論」そのものに疑問があると書いているのではなく、ダーウィンが提唱した進化のメカニズムに対して多くの疑問が投げかけられていることを紹介しているのです。

チャールズ・ダーウィンが1859年に出版した華々しい進化の理論は、科学と宗教の思想に驚くべき衝撃を与え、人間の自分自身に対する考え方を根本的に変えた。しかしこの尊重されてきた理論も根本主義のクリスチャンから攻撃されているだけでなく、名の通った科学者たちからも異論を唱えられている。化石の記録を研究する古生物学者の間では、ダーウィン説に対する一般的な見方とは異なる見解が次第に広がっている。ほとんどの議論は次の鍵となる疑問に集中している。すなわち「30億年の歴史を持つ進化が一定のペースで徐々に進んできたか、それともその過程は、長い変化の無い期間が短い急激な変化の期間によって区切られる形で進んできたのか?」という疑問である。つまり「進化はカメかウサギか?」である。ダーウィンの広く受け入れられてきた見方、すなわち進化は少しずつ這いずるようなゆっくりした速度で進んだという理論はカメの立場である。これに対し二人の古生物学者、アメリカ自然科学博物館のナイルズ・エルドリッジ、ハーバード大学のスティーブン・ジェイ・グールドはウサギの立場にかけているのである。(以下記事は続く。太字は『生命』が引用した部分。)

この原文から明らかなように「進化(論)は・・・・・」と『生命』の著者が引用しているのは実際は「チャールズ・ダーウィンの進化の理論は・・・・・」と引用すべきで、『生命』の引用の仕方では全く原典と異なった結論に読者は知らないうちに導かれてしまうのです。《註5》このように原典の前後の文脈を読めば、「ディスカバー」誌はダーウィンの理論に対する批判が高まっていることを述べていることは明らかであって、『生命』の著者の文脈をはずした引用の仕方は、明らかに読者を原典と異なった結論、つまり進化そのものに対する批判が高まっているという誤った結論に引き寄せようとする意図が見えます。

これにすぐ続く文章ではフランシス・ヒッチングの「キリンの首」の引用があげられていますが、事もあろうにこれもまた意図的な偽りの引用をしています。今度はそこを見てみましょう。同じく『生命』15ページからです。

進化論者で、「キリンの首」と言う本の著者であるフランシス・ヒッチングはこう述べています。「生物学の重要な統一原理として科学界に広く受け入れられているにもかかわらず、1世紀と4分の1を経たダーウィン説は、驚くほどの困難にぶつかっている。」

それではこの「キリンの首」の引用の前後関係がどうなっているかを見てみましょう。再びこの筆者が残りの部分を訳して、『生命』の引用を太字で示します。

生物学の重要な統一原理として科学界に広く受け入れられているにもかかわらず、1世紀と4分の1を経たダーウィン説は、驚くほどの困難にぶつかっている。進化とダーウィン主義はしばしば同じものを意味するととられている。しかしこの二つは別物である。過去二世紀にわたって集められた地質学、古生物学、分子生物学、その他多数の科学分野からの証拠を見る限り、生命が非常に長い時間の間に進化したことは事実である。神による創造を信じる多数の人々の議論にもかかわらず、進化が起こったという確率は科学的に見ればほぼ確実なこととなっている。これに対し、ダーウィン主義(あるいはその現代版である新ダーウィン主義)は進化の現象を説明しようとする理論である。この理論は一般の考えに反して、また多くの努力にもかかわらず、証明されたものではないのである。

ここに見るようにフランシス・ヒッチングは彼の著書の中ではっきりと「進化」と「ダーウィン主義」は区別して考えなければならないという進化の議論にとって最も初歩的な前提知識を説明しているのです。これに対して『生命』の引用はどうでしょう?『生命』の本の中にはこの全く初歩的な前提を読者に提示しないばかりか、この章は「攻撃の対象とされる進化(論)」 《英文:Evolution Under Assault》という題名の元に「進化」という一般科学概念と、「ダーウィン主義」という科学史上の一理論を意図的に混同させ、読者を原典と全く異なった結論に導いているのです。



ものみの塔協会は何故このようなことをするのか

ここまで見てくると、ある人達、特にエホバの証人の読者の中には「小さな問題を重箱の隅をつつくようにケチをつけているだけではないか。」「協会だって間違えることはあるし、完全ではあり得ない。もっと大事なことを見るべきだ。」と言う方が必ずいると思います。私のそれらの人々に対する答えはこれです。確かにこれは小さな一つの例かも知れません。しかしこれがほとんど全ての協会の出版物に繰り返し使われる常套の手口だったらどうでしょう?そうです、これは小さな例かも知れませんがまさしく氷山の一角なのです。この小さな例を元にして多くのものみの塔協会の出版物を調べてみて下さい。彼らが日常のように使う「読者コントロール」のための、非道徳的と言ってよい意図的引用の歪曲が、そこかしこに見いだされるのです。その歪曲の手口は、第一にこの例で見るように「権威者」でもない人間を「権威者」としてとりあげたり、第一部のヨハネス・グレーベルの例で見るように、ものみの塔協会そのものが信用のおけない人間と信者に教えておいた人間を、一方で「権威者」としてとりあげることです。第二の手口は文章の前後関係を意図的に切り離し、原典と全く異なった結論に導くために引用を使うことです。これらの手口はこれら、上に挙げた例に止まらず、数限りなく見られます。今後も順次、そのような例を紹介していきましょう。

しかしこれでも「何故このようなことをするのか」の疑問には答えていません。何故ものみの塔協会はこんな卑屈なことまでして出版物で特定のものの見方を読者に伝えるのでしょうか?それは究極の所、彼らの教義では「統治体」あるいは彼らの言う「忠実で思慮深い奴隷」が教えることが、一貫して他のどのような知識、見解よりも正しくなければならないからです。従って、どの出版物で取り上げられる話題の中でも、「忠実で思慮深い奴隷」が教える内容と一致している限り、他の出版物からの引用には問題はないのですが、もし少しでもその教えと異なる知見がある場合、協会の執筆者は、先ずその様な知見を全く無視して証人たちに知らせません。しかし『生命』の本のようにどうしても他の知見を紹介しない限り議論が進まない時は、やむを得ず引用を使います。その際に行われるのが上に述べた歪曲なのです。また、ものみの塔協会の奇妙な見解を支持する権威者はどこにもいないのに、どうしても自分たちの正しさを一般の証人の脳裏に焼き付けるために権威付けをしなければならない時、仕方なくいかがわしい権威者を引きずり出し、その上その権威者の原典の意図と異なる引用を平気で行うのです。

確かに『生命』の本は単なる進化論の議論だけかも知れません。しかしものみの塔協会が信者たちの信仰の核心となる、聖書の解釈のための引用でも同じ事をしているとしたら、あなたの信仰は一体何に基づいているのでしょう?第一部では実際、ヨハネ1:1のものみの塔独特の解釈を支持させるために、いかがわしい権威者を使っていることを、「ものみの塔」誌の記事そのものによって見てきました。このように見てくると、「忠実で思慮深い奴隷」が教えること自体が、それだけでは誰も説得できないような彼ら自身で創造した教えであり、それを何とか権威付けるために、いかがわしい権威と歪曲した引用を使わざるを得ないのではないでしょうか?これを機会によく考えてみて頂ければ幸いです。


《筆者註》
  1. 註1:アラン・フォイエルバッカー氏はエホバの証人の家庭に生まれて育てられましたが、ものみの塔協会の禁制を押し切って高等教育を受け、マサチューセッツ工科大学の博士号を得ました。彼の高等教育はエホバの証人の欺瞞を見抜かせる力となりました。現在オレゴン州ポートランドに住み(この筆者の家の近所)、テクトロニクス社の研究員の仕事のかたわら、ものみの塔協会の欺瞞を警告する活動をしています。元に戻る

  2. 註2:水脈占い師 (dowser) とは占い杖を使い、その不思議な動きから地下にある水脈、鉱脈を占いで探り当てる一種の占い師。元に戻る

  3. 註3:「進化論」と日本語訳されている英語の原文は evolution であり「進化」と和訳されるべき言葉なのですが、なぜか『生命』の日本語版では「進化論」と和訳されています。『生命』の英語原文では「進化論 」(theory of evolution)という言葉は「進化 」(evolution) という言葉と区別して使われていますが、日本語版ではこの二つの言葉をまぜこぜにして訳しています。ものみの塔の出版物の日本語版にはこのようないい加減な和訳が多いのも大きな問題ですが、これは別の記事にゆずります。元に戻る

  4. 註4:[ダーウィン説に対する一般的な見方とは]の句は『生命』の初期の版では断りもなく取り除かれていましたが、後の版では原典通りに戻されています。元に戻る

  5. 註5:英語の原文を見てみると、『生命』の引用では"Evolution" を主語にしているのに対し、 「ディスカバー」誌の原文では"Charles Darwin's theory of evolution" が主語になっています。このように二つの異なる概念を持つ主語をすり替えることにより、読者に気付かれないようにしながら引用されている文章の内容を変えてしまっているのです。元に戻る



村本 治筆 (ご意見、ご感想をお知らせ下さい)

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