ものみの塔協会の権威者とは ― 第一部
心霊術者との密接な関係


はじめに
ヨハネ1章1節の翻訳をめぐって
ヨハネス・グレーベルの「新約聖書」
ものみの塔協会のヨハネス・グレーベルによる「権威づけ」
ものみの塔協会のヨハネス・グレーベルとの絶縁
ものみの塔協会はグレーベルの心霊術との関係を知りながら、28年間一般証人たちをだまし続けた
むすび


はじめに

エホバの証人に「あなたは霊媒、心霊術、心霊現象を信じますか?」と尋ねてみて下さい。きっとその証人は「とんでもない。私達は一貫してそのようなものはサタンから出たものとして離れています。」と答えるでしょう。実際ものみの塔協会の多くの出版物ははっきりとそのことをうたっています。例えば「聖書から論じる」の289ページにはこう書かれています。

心霊術。定義: 人間の霊の部分が肉体の死後も生き続けており、通常は霊媒を介して、生きている人と交信するという信仰。すべての物体と自然現象には霊が宿っている、と信じる人もいます。呪術は、悪い霊に源を発するとされる力を利用する術です。聖書ではいかなる形態の心霊術も強く非とされています。

確かにこの態度はエホバの証人の間では一貫しているように見えます。しかし本当にそうでしょうか?この記事ではものみの塔協会が心霊術や心霊現象を信奉する人達を、自分たちの根拠のない主張を支持してくれる数少ない権威者として繰り返し引用している事実を、「ものみの塔」の記事そのものの中から調べてみましょう。ものみの塔協会は少なくとも二人のそのような人間と関係を持ってきました。それらは、心霊術者となった元カトリック司祭で、ものみの塔協会がその特異な聖書の翻訳を正当化するために引用し続けたヨハネス・グレーベル、そして占い、超自然現象、心霊現象を信奉していながら、ものみの塔協会からは進化論の権威者として広範に引用されているフランシス・ヒッチングです。この第一部ではヨハネス・グレーベルをとりあげます。フランシス・ヒッチングについては第二部をお読み下さい。

これらの事例で注目しなければならない最も重要な点は、ものみの塔協会が、一方で信者に、心霊術や霊媒に近づくことを強く戒めておきながら、自分たちはよく知られた心霊術や霊媒の信奉者を、それと知りながら、何年間も自分達の根拠の薄い教理や奇妙な聖書の翻訳を正当化する為の権威者として引用し続けた事実なのです。これらの例では、ものみの塔協会の露骨な偽善(信者に一つのことを真理として教えながら自分たちは反対のことをしている)が白日の元に明らかにされているのがはっきりと確認できます。

もう一つの重要な教訓はものみの塔協会がその出版物の中で頻回に使用する引用の信用性です。「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌では多くの権威者や他の出版物が引用されますが、彼らの引用は頻回に、その前後関係を無視したり故意に変えたりして使用され、原典の意図とは全く異なった結論を支持させる為に使用されていることが多いことはよく知られています。そしてもう一つのものみの塔協会の引用に関する欺瞞は、彼らが引っぱり出してくる「権威者」の本態です。この記事で見るように、ものみの塔協会は何人ものいかがわしい「権威者」を使用して読者を奇妙な教理の世界に引きずり込むのです。ものみの塔協会の引用がいかに信用のおけないものであるかをよく確認して頂きたいと思います。いかがわしい権威者を使わなければ正当化できない教理、それは同じ様にいかがわしいものではないでしょうか?

この第一部では心霊術者ヨハネス・グレーベルと、ものみの塔協会との密接な関係を取り上げますが、その前に先ず彼らがこのようないかがわしい権威を使わざるを得なくなった、その奇妙な聖書の翻訳を見てみましょう。



ヨハネ1章1節の翻訳をめぐって

ヨハネ1章1節はエホバの証人の聖書「新世界訳」では次のように訳されています。

「初めに言葉があり、言葉はと共におり、言葉は神であった。」

ここには「言葉」と「神」という二つの重要な単語が登場します。ここで「言葉」と象徴的に言及されているのはイエス・キリストのことであることはこの先を読み進めば明らかになり、この点はエホバの証人も含め誰も異論のないところです。興味深いことにこのように日本語に訳すと「言葉=神」、つまり「イエス・キリスト=神」であることは何の抵抗もなく読みとれます。ちなみに「新共同訳」では次のように訳されています。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」

このように見る限り「新世界訳」でも「新共同訳」でも本質的な違いはありません。しかしこれではものみの塔協会にとっては困るのです。というのは、エホバの証人の教理の記事で詳しく述べるように、彼らは三位一体を否定し、従ってイエス・キリストが神であることを否定しているからです。彼らの教理ではイエス・キリストは「最も偉大な人間」ではありますが神の被造物に過ぎず、神ではあり得ません。このエホバの証人独自の教理を反映して正当化するため、彼らはキリストの神性に言及している聖書の多くの箇所を微妙に訳し変えています。実はこのヨハネ1章1節はそのような箇所の一つなのです。

上で見たように、日本語ではこの微妙な訳し換えは分かりませんが、英語ではこれが実にはっきりしています。ここでは英語でどのように訳されているかを見てみましょう。先ずエホバの証人の「新世界訳」です。

"In [the] beginning the Word was, and the Word was with God, and the Word was a god."

このように二回出てくる「神」は最初と二回目とでは違う形で訳されています。最初の「神」は God であり唯一の神を示しますが、二回目の「神」は不定冠詞 "a" をともなった小文字で始まる god で、これを意訳すれば「不特定多数の神々の一つ」という意味になります。つまりエホバの証人の訳では「イエス・キリスト=不特定多数の神々の一つ」となり、まさしくエホバの証人の教理にあった翻訳ができあがります。(ものみの塔協会はこの点を日本語訳に反映するために、最初のGodを下線つきで「」と訳し、全能の唯一神をあらわすようにしており、二回目の「神」には下線を付けず、それによって区別しています。)

次に英語圏で広く使われている訳、King James Version、New International Version、Revised Standeard Version を引用しましょう。英語圏で使われているほとんどの聖書訳は、この部分の訳では一致しています。

"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God."

これらの訳では最初と二回目の「神」は同じものと解釈され、「イエス・キリスト=神(God)」であることが簡明直截に示されています。

この記事ではどの翻訳が最もギリシャ語の原典に近いかを論じることが目的ではありませんので、ここでは事実を紹介するにとどめ、エホバの証人の翻訳の誤りを論じることは別の記事にゆずります。ここではものみの塔協会が、このような一般の聖書の翻訳では行われていないような特殊な翻訳をしたことを何とか正当化するために、奇妙な「権威者」を引きずり出してきた事実を次に見てみたいと思います。



ヨハネス・グレーベルの「新約聖書」

ヨハネス・グレーベルは1920年代のドイツで、カトリックの司祭として活動をしていましたが、心霊術に深く関わるようになります。彼は交霊会(seance) に参加し霊媒者を通して霊と交信するようになります。その経験から彼の信じるキリスト教の教理も変化していきました。興味深いことに彼の信仰は、現在のエホバの証人の教理に非常に近いものに変わっていったのです。彼は霊媒の助けによって現在あるキリスト教が腐敗してしまっており、霊媒との交信によってのみ聖書の本当の真理が得られるようになると信じるようになります。その結果彼は、キリストは神でなく神に作られた霊の最高のものであるという、エホバの証人の教理に似た結論に達します。彼もまたエホバの証人と同じように三位一体、地獄、キリストの肉的復活を否定する教理を作り上げたのです。

当然のことながらグレーベルのこのような逸脱は、カトリック教の司祭としての職を続けることを不可能にしました。彼は司祭を辞職するとともに、1932年、彼の自分の教理を「霊界との交信:その法則と目的」という本にして発行しました。そして1937年、彼は自分の教理を正当化するために独自の翻訳による「新約聖書」を発行したのでした。この「新約聖書」の序文の中でグレーベルは、はっきりと彼の霊界との交信が彼の魂を揺り動かした、と述べています。まさしくこのグレーベルの翻訳した「新約聖書」こそが、ものみの塔協会が何度も自分たちの翻訳を正当化するために引用しているものなのです。上に述べたグレーベルの教理の近似性から考えて、彼の翻訳がものみの塔協会の「新世界訳」と似たように訳し変えられているのも不思議ではありません。



ものみの塔協会のヨハネス・グレーベルによる「権威づけ」

それではものみの塔協会がヨハネス・グレーベルをどのように取り上げているか見てみましょう。先ず1962年発行の冊子「言葉 - それは誰ですか?ヨハネによる」の5ページでは(英文版よりの筆者訳):

前ローマ・カトリック教会祭司、ヨハネス・グレーベルの翻訳でも同様である・・・

と記して例の "a god" を使った「新世界訳」と全く同じ翻訳を掲げています。

1971年発行の「聖書理解の助け」(英文版よりの筆者訳)1669ページでも次のように「新世界訳」を支持する翻訳としてグレーベルを引用しています:

前ローマ・カトリック教会祭司、ヨハネス・グレーベルの翻訳(1937年版)ではこの文章の中で二回目に現れる "god" を "a god" と訳しています。

ものみの塔協会がグレーベルによる権威づけを使うのはヨハネ1章1節だけではありません。もう一つ繰り返し引用される解釈はマタイ27:52、53です。ここではイエスの処刑後、地震とともに聖人達が墓から復活する様を描いています。ここでは、エホバの証人の教理であるイエスや聖人達の肉体的復活の否定(この肉体的復活は、彼らの教理ではこれから来るハルマゲドンの後に起こらなければならない)を支持させるため、この節は肉体的復活を意味してはいないと彼らは解釈させます。これを正当化するためにも彼らはヨハネス・グレーベルを何度も引用しています。例えば前述の「聖書理解の助け」1134ページではマタイ27:52、53の解釈に言及し、これは復活を意味するのでなく、地震によって死体がただ放り出されたことを意味するだけだと述べた上で、グレーベルの「新約聖書」を引用しています(英文版よりの筆者訳)。

ヨハネス・グレーベルのこれらの聖句の翻訳(1937年)では次のようになっています:『墓は開かれ、多くの葬られていた死体は立ったまま放り出された。この姿勢のままこれらの死体は前進し、都に戻る途中で通り過ぎた多くの人々に目撃された。』

ヨハネス・グレーベルもエホバの証人と同様イエスの肉体の復活を否定しました。興味あることは、ルカ24:36ー39で弟子達が実際に目に見える、触れられるイエスを描写している事実を何とか彼の教理と矛盾させないために、グレーベルはこのイエスの姿を霊的体の物質化(materialization)と呼んで復活と区別しています。そしてこの「霊的体の物質化」の教理はそのままエホバの証人によって、イエスの肉体的復活の否定の教理としても使われているのです。(「聖書から論じる」p382参照)

1975年10月15日の「ものみの塔」誌639ページの「読者からの質問」でもやはりこのマタイ27:52、53の解釈を取り上げ、やはり「放り出された死体」の解釈が正しいとしてグレーベルの上の翻訳を引用しています。また1976年4月15日の「ものみの塔」誌231ページではグアテマラの地震で墓から死体が出てきた雑誌の記事を取り上げ、イエスの時代もこれが起こったのであって復活は起こらなかったとした上で、再びこのグレーベルの上の翻訳を、彼らの解釈を支持するものとして引用しています。



ものみの塔協会のヨハネス・グレーベルとの絶縁

このようなものみの塔協会のヨハネス・グレーベルへの依存は誰の目にもとまるようになり、批判はどんどん広がりました。特に1980年代前半の協会の動乱期には多数の批判勢力がこの問題を取り上げました。協会は静かにグレーベルの引用をやめましたが、それでは収まりませんでした。ついに1983年4月1日(日本語版では7月1日)の「ものみの塔」の「読者からの質問」で、彼らはグレーベルを引用することを止めたことを短く公表しました。ここでは日本語版の31ページから引用してみましょう。

読者からの質問

近年、「ものみの塔」誌で、元カトリック司祭、ヨハネス・グレーベルの翻訳が使われなくなったのはなぜですか。

この翻訳はマタイ27章52節と53節およびヨハネ1章1節に関する「新世界訳」および他の権威ある聖書翻訳の訳文を支持するために時折用いられていました。しかし、ヨハネス・グレーベル訳の「新約聖書」の1980年版の序文に示唆されているとおり、この翻訳者は難しいくだりをどのように訳すべきかをはっきりさせるため、「神の霊界」に頼りました。そこにはこう書かれています。「彼の妻は神の霊界の媒介として、しばしば神の使者からグレーベル牧師に正しい答えを伝える器となった」。「ものみの塔」誌は、心霊術とそのように緊密な関係を持つ翻訳を利用するのはふさわしくないと見ています。(申命記18:10ー12)「新世界訳」の中の前述の聖句の翻訳の基盤をなしている、古典に関する学識は確かなものであり、その理由でグレーベルの翻訳をよりどころにしなければならない理由はありません。ですから、グレーベルの「新約聖書」を用いなくなったことにより失われたものは何一つありません。

これだけ見ると、ものみの塔協会は、あたかもグレーベルが心霊術と関係があることを知ったので、それを引用するのをやめたに過ぎないと言っているように見えます。実際、多くのエホバの証人は、「協会は確かに不適切な人を引用してきた、その間違いに気づいた時にそれを正したのだからこれは何も目くじらをたてるような大きな問題ではない」と考えています。しかし本当にそうなのでしょうか?そうではないという証拠は古い「ものみの塔」誌の中に見いだせるのです。



ものみの塔協会はグレーベルの心霊術との関係を知りながら、28年間一般証人たちをだまし続けた

それは1955年10月1日の「ものみの塔」603ページに極めて明白に記されています。この記事は「聖書は『死後の生存』に関して何と言っていますか」と題しており、何ページにもわたってハルマゲドンを生き残って通過する証人がどうなるかを、ものみの塔の教理に基づいて解説したものです。その中では「ローマ・カトリック教、ギリシャ正教、プロテスタントの区別無くキリスト教界全体は『魂の不滅』という非キリスト教的教義を教えているが、これは心霊術に基礎を持つものである」と述べた後、特にローマ・カトリック教と心霊術との密接な関連性をいくつかの例を上げて詳しく述べています。そしてこの中で、そうです他でもない、私達にとってなじみ深くなったあのヨハネス・グレーベルのことが詳しく書かれているのです。その部分を英文版からの筆者の翻訳で紹介しましょう。

これ(カトリック教の教え - 訳者註)は心霊術を迎え入れるものであり、ローマ・カトリック教の国々ペルー、コスタ・リカ、キューバ、ハイチなどでの状況はローマ・カトリック教がこの広がりつつある危険(心霊術のこと - 訳者註)の防波堤になっていないことを示しています。このような国々ではカトリック教徒の90パーセントまでが心霊術や呪術信仰をローマ・カトリック教信仰と混ぜ合わせ、これらの二つの宗教を同時に信仰して何の反対も罰則も僧侶から受けることがありません。従って前のカトリックの僧職者であったヨハネス・グレーベルが心霊術者になり、「霊界との交信:その法則と目的」 (1932年、マコイ出版社、ニューヨーク)という本を出版したのも全く驚きではないのです。その序言の中で彼は典型的な誤りを述べています。「最も重要な心霊的な本は聖書である。なぜならその主要な内容は現存する人間を超越した者のメッセージに依存しているからである。」

更にその翌年の1956年2月15日の「ものみの塔」誌の中の「邪悪な霊的力に勝利をおさめる」と題した記事では、さらにヨハネス・グレーベルの「新約聖書」の内容を詳しく紹介しています。再び英語版の筆者訳でその部分を見てみましょう。

ヨハネス・グレーベルはその1937年に著作権登録された「新約聖書」の翻訳の序の中で次のように言っています。「私自身はカトリックの僧侶であり、48歳になるまで神の霊の世界と交信できる可能性などは信じられなかった。しかしその日は来た。私は自分の意志によらずこのような交信の第一歩を踏み出した、そしてその経験は私の魂の根底をゆるがすものであった・・・・ 私のこの経験はドイツ語と英語であらわされた『霊界との交信:その法則と目的』と題する本の中に述べられている。」(15ページ、2、3節)彼のローマ・カトリック教の伝統を守って、グレーベルの翻訳は金の葉の十字架がその堅表紙につけられて製本されています。上に言及されている本の序言の中で、この元僧侶は次のように語っています。「最も重要な心霊的な本は聖書である。」この考えの元でグレーベルは彼の新約聖書の翻訳を非常に心霊的なものにするように努力しています。

つぎの節ではグレーベルのヨハネ第一の手紙4章1〜3節の翻訳がいかに心霊を重視して翻訳されているかを示した後、この「ものみの塔」誌の記事の筆者は次の結論に達しています。

極めて明白なことは、この元僧侶グレーベルの信じている心霊が、彼の聖書翻訳を助けていることであります。

この引用から次の4点が明らかになります。

  1. ものみの塔協会はヨハネス・グレーベルが心霊術者であることを1955年の時点ではっきり認識していた。

  2. ものみの塔協会はヨハネス・グレーベルの聖書の翻訳もまた心霊術に基づいていることを1956年の時点ですでに認識していた。

  3. それにもかかわらず、ものみの塔協会は1983年に批判に耐えかねて公開の記事で認めるまでの28年間、ヨハネス・グレーベルの訳した「新約聖書」を自分たちの特異な翻訳を正当化し、支持するものとして引用し続けた。

  4. しかしその一方で一般のエホバの証人には心霊術を厳しくいましめ、心霊術と混じり合っているという理由でローマ・カトリック教を初めとするキリスト教界を攻撃し続けた。



むすび

エホバの証人の指導部の欺瞞、偽善、そして時には明白な虚偽は数え上げたらきりがありません。ものみの塔協会はこのような批判に直面すると「誰でも間違いはする。光が足りなかっただけだ。キリスト教界の間違いに比べれば大したことはない。間違ったら直せばいいではないか」という態度を繰り返してきました。しかし、このヨハネス・グレーベルの事例は単なる「間違い」だけだったのでしょうか?あなたも協会の出版物を自分の目で見て、この「神の唯一の地上の組織」を自称する団体が、28年間にわたって故意の偽善行為により一般のエホバの証人を欺き続けてきたのかどうかをよく調べて頂きたいと思います。

最後にフランスの有名な文学者、アンドレ・ジードの偽善者に関する格言をあげてこの記事を終わります。

真の偽善者は自分の欺瞞を感じなくなる。彼は誠実さをもって嘘をつく。

村本 治筆 (ご意見、ご感想をお知らせ下さい)