現役バリバリのエホバの証人です

(12-10-96)。

(前略)
 エホバの証人情報センター、拝見させていただきました。特にヒッチン
グに関する記述は非常に興味深いものでした。

 きっと驚かれるかもしれませんが、私は現役バリバリのエホバの証人で
す。証人の2世ですが、昔から協会の教えの不自然なところに薄々気付い
ていたものの、これまでなかなか行動に移せませんでした。
 でも最近、いろんな資料を調べていくうちに、協会の教えの欺瞞がだん
だんはっきりしてきたので、万が一、審理委員会に発覚して排斥されるま
での短い間、現役の立場を利用してうまく内部の人たちを目覚めさせる努
力をしようと思っているところです(審理委員会よ、ミイラ取りがミイラ
にならんよう、せいぜい気を付けるんだな。私からの挑戦だ!)。

 さて、読者からの手紙の中に、いろいろ興味深いことがあったので、私
なりの答えを書いてみようと思います。

・どこまでがエホバの証人であり、どこからが非エホバの証人であると理
解されるのでしょうか? という質問をされたSさん。
 証人とは「証しびと」と書きますが、エホバの証人は、その「証しの業」
は、家から家への伝道活動を指すと信じています。ですから、バプテスマ
を受けていても、まだ受けていなくても、その活動に参加している人はエ
ホバの証人とみなされます。
 面白いのは、やる気が冷めて、伝道活動に“不活発”になっている人も
「不活発な証人」なんて呼ぶことが時々あります。これはちょっと原義か
ら外れてる気がしますが……

・地上の楽園で人は“ハルマゲドンで滅んだ”配偶者を悲しむだろうか?
という質問をされたSさん。
 ちょっと自信ないのですが、ものみの塔的模範解答だと、きっと、「最
初のうちは悲しいだろうけど、楽園での他の有り余るほどの喜びに心がい
やされて、悲しい思い出から、甘い思い出に変わっていく」となるかもし
れません。
 ちょっと蛇足ですが、イザヤ11章と65章の楽園に関する預言、特におお
かみと子羊が一緒になるという部分は、比喩的な意味だと私は考えていま
す(わあ、背教的!(笑))。11章冒頭の「エッサイの根」の預言はエホバの
証人でさえ文字通りの植物ではないと信じているし、イザヤ65:20には
「人は百歳であっても、ほんの少年として死ぬからである」という聖句が
ありますが、なぜか協会の出版物はあまり取り上げたがらないみたいです。

・エホバの証人の略称に関する質問をされたIさん。
 おっしゃるとおり、いわゆる“世の人(信者じゃない人)”の中には、
「エホバの証人」を「エホバ」と略す人が多いです。
 でもエホバの証人のほとんどは、そういう略し方をあまり気に入ってい
ないと思います。それは、「あなた、エホバ?」って聞かれたら「いいえ!
ご冗談を! どう見ても、私が全能の神エホバであるわけ、ないじゃあり
ませんか!」と、つい茶々を入れたくなるからです(笑)。ただ略し方がち
ょっと間違ってるだけの問題で、冒涜的な意図はないってことは、証人た
ちもちゃんと理解していると思います。
 ちなみに日本のエホバの証人の多くは、「証人」と略しています。現役
の証人も「JW」と略すことがありますが、日本語では公の場では使われ
てないし、それほど一般的でないです。

 それでは、またお邪魔したいと思います。
(後略)

《編集者より》
Bさんは、全員がエホバの証人の家庭に育ち、私の長女(やはり「バリバリの」エホバの証人)と近い年齢であるので、私も考えさせられました。片やエホバの証人の家庭の中で成長してエホバの証人に疑問を持ってきた若者、片やクリスチャンの環境に育ちながら反発をおぼえエホバの証人の中に「真理」を見いだす若者。やはり家庭環境は子供に対して、ある価値体系を推奨的に教えることの他に、親の意図に反して反発を教えることも多いということがよく分かります。私に反発し続けるエホバの証人の長女に対し、私は「もしパパが昔からエホバの証人だったら、君は今エホバの証人のままでいるだろうか?」と尋ねたことがあります。彼女の答えがふるっています。「パパがエホバの証人であることはあり得ないこと。もしパパのような人がエホバの証人なら、もうそれは今あるようなエホバの証人ではない。」やはり私たちの間には絶望的に深い溝がありました。でも私の「勘」ではもし私が熱心なエホバの証人だったらきっと彼女はキリスト教に走ったであろうと思わざるをえません。

Bさん、他の読者の質問に丁寧にお答えいただきありがとうございます。私は、私の長女の内面で起こりつつあることに興味があるのと同じように、Bさんの心の動きにとても興味があります。今後ともお便りを下さい。