エホバの証人の高等教育と社会的地位について”を読んでの感想

(12-6-98)

以前 元アムハーアーレツとして お便りした者です。


エホバの証人の高等教育と社会的地位について”を読んでの感想
まさしく 貴殿の言われるとおりです。
内部からはみえない部分ですので 外部からの指摘は 本当に助かります。
内部にいると なんかへん と感じ まるで 頭の周り ????マークが 飛び交っている状態にしかなりません。
それを 敢えて 言葉にすると 背教者とよばれます。”でも しかし” は禁句でした。
それでも 「でも しかし」をいいつづけたため 事実上 追い出されてしまいました。 hi
”でも しか 兄弟” とよばれつづけたものです。

その他 隠された 不品行に関して 私の観察も後に記述しておきました。

内部にいたころ(一年前)を思い起こして 感想を述べたいとおもいます。

教育状態も最低との評価は正当なものですがこれを 勲章として まさに勝利の予告宣言をうけたように彼らが感じるというところがまた問題と思
います。

実際には ものみの塔内部の裏の教育では 高等教育を是認しています。いやむしろ 推奨しているのです。
数少ない実例ですが、組織の批判を無視して 良心的決定として 高等教育をうけ 効率よく稼ぐ組織に仕える人は 後に賞賛されます。

証人内の 噂によれば ハイソサエティ? の仕事で生活をささえ 開拓奉仕をしている人を すばらしいと賞賛するように教育されているようで
す。

高等教育をうけた人間を 隷属させることの難しさはありますが 、高等教育をうけて 隷属状態にある人を 高く評価します。
実際 長老は 大学教育を受けた人のほうが 権威があるという 実態があります。博士号などもっていようものなら 崇拝の対象となるでしょ
う。
そこらあたりを上手につかえば 単なる伝道者が 口八丁で 長老になることも可能です。
組織崇拝と 人物崇拝は 通じるものがあります。

私の地方の ある会衆の長老 5人中 3人が 学卒でした。後に 高卒の長老が 主催監督に嫌われて 長老の名簿から削除されました。
高卒だからではなく 権威主義を 彼(高卒の長老)が ある程度拒否したことが 直接の原因のようですが、 学歴がないというのもてつだって
 ”躊躇なく” 降格されたようです。
もしこれが 大学の先輩や後輩であれば なんのかんのと理由をつけて もちあげるか けり落とすかのどちらかとなるようです。
江戸の仇を長崎が・・ということもあったりなかったりです。

ともかく 高学歴者であれば 長老というタイトルに 特別の尊敬がえられる体質は 全くかわりません。

明日の為に今日の屈辱にたえる という くさいせりふを かたりつつ 高等教育をえようとする エホバの証人2世がいることもたしかです。
かれらの中にはライバル意識むき出しのタイプがいるのもわかっています。 開拓奉仕のできる体力を温存しつつ 高等教育をうけ一時の 虐げを
はねのけ上を狙うしたたかさをもつ 二世がいることもたしかです。
俺は将来長老だ と言う態度を示す お子様も 存在することは 経験上あきらかです。年上に対して 見せかけの敬意を しめしますが そのこ
ころの中では なめきったものが見え隠れしていました。 うまくやってくれればと思います。  証拠不充分で起訴できません。
長老は見せかけであることがわかっていても 見せかけの敬意を 喜ばしいものとして受け入れているようです。自分もそうしてきたのでしょう
きっと。権威主義をまもる大切な衛兵ですので。大切なようです。

もはや 信仰などどうでもいいことで 権威を持ちたい ただそれだけの 人物が 存在する 世界であることも 間違いのない事実です。
矛盾をしてきされると 「宣べ伝えることの おろかさを通して信ずるものをよしとされた」という聖句が 脳裏をはしり この権威すててなるも
のかと 考えるようです。
     「この権威 なけりゃ わたしはただの馬鹿」          権威川柳98             byアムハーアーレツ

かれら は 間違いなく 組織崇拝者となります 内部にいた私も 彼らの繊細な神経が 極太の束をなしていることをいつも不思議におもってい
ました。
姑息な方法で長老になった人物も 自分の息子(かなり優秀で 東大推薦を学校からされた)を宣教師として 海外に送りだしました。自慢は ”
東大入学をけって 組織に忠節をしめした”です。
息子を犠牲にしても うけ をねらう 根性はたいしたものであると 関心したものです。会う人すべてに ”東大をけって 忠節” を吹聴して
いました。(裏の教理)
わたしも その長老から 私の息子の謙遜を見習え と命令されましたが、「本当に 東大をけったのですか? 合格通知のコピーをもってきてく
だ
さい。そうすれば信じるかもしれません」 実際には受験すらしていなかったことは明白です。
ものみの塔によると 世の高等教育など無価値なものです(表の教理) 何をわけのわからんことを と答えて 無視しました。時の勢い(運)も
絡む ことを事実と表現することは 組織の体質のコピーと判断したものです。
パウロのように 世の地位をいっさい クズとみなした といいたかったようですが 自分のゴミ箱の中をあさって こんなすごいものを 私はす
てた と自慢する人物が 結局上になるようです。(裏の教理) 対する私は ”ゴミだからすてたんでしょ”(表の教理)で応答するしかありま
せん。
二重の教理の矛盾を どうやって 調和化するのかは すべて その人物の神経構造にかかっているようです。


ものみの塔の洗脳の複雑さ(単純な)をあらためて実感したものです。基本は 相反する教理ではさみこむ という 単純きわまりないものです。
そして どう見ても 奇妙とおもわれる教理を口伝律法として(証拠隠滅) 責任を逃れるという点はさすが ものみの塔だけのことはあります。
そのようなわけで 長老たちは決して文書で助言をあたえることはしませんでした。言いはしますが 責任はとらず の鉄の意志を感じ取ることが
できます。
私はそのようなわけで 彼らの言うことは聞きますが 行いに倣うことは ごめんこうむりたいと思います。というわけで(なにがというわけでな
のかわかりませんが、ものみの塔にならった模範的接続詞の用法をまねてみました) ものみの塔主題化 ”黙って従え” は健在です。

結局この長老も 多重教理の多重人格養成、多重論理により、 盲目の従順という枠の範囲で 多様性を反映さざるをえないようです。

ぎゃくに 体力的 精神的に 不利をもつ 人々は 組織の提案にそって 低学歴、低所得をうけいれがんばったものの 結局体力つきて アム
ハーアーレツとなります。
だれも組織内からほめてくれる人はいません。記事からよみとれるのは 破れた戦士は けっきょく 費用の計算ができない愚か者 という 隠れ
たメッセージです。
これを卑屈だから感じるというものではありません。独特の言いまわしに 裏のメッセージを植え込むという テクニックは ものみの塔が伝統的
にもちいる用法 まさにテクニックです。
彼ら破れた戦士からは ”一生懸命”を感じるのですが、いかんせん 体力がなくとか おかれた立場ゆえに なぜかうまくいかない人々は 軽蔑
のまなざしを 全身にうけ 嘆きながらいきていかなければなりません。もちろん確率からいうと ちゃらんぽらんな開拓者も存在しますが(しゃ
ないな 配偶者捜しに 開拓奉仕にでもいくか と考える若者など) 

これが ものみの塔の生み出す 実 です。 なぜか 悪気がいっさい感じられません。 理由は簡単です 。
統治体の人々の感性 は 聖書がいうように ”一切の感覚を とおりこしている” からです。テロリストと同じで こころを解剖してみること
ができるなら ”澄みきった青空”が 宇宙いっぱいに ひろがっていることでしょう。 統治体の人々のこころは どうしようもなく 潔い の
です。まさに ”いっちゃった人々” ”端っこでいきる人々”にかぞえられのではないでしょうか。


私の意見ですが ものみの塔内の 貴族たちは 夢を宿す預言者ですから かってにその夢を語りつづけるとよいとおもます そして 夢の内に 
笑って死んでいくことが彼らにとって幸せであろうと思います。その しあわせをうばうことはしたくありません。彼らは だまされているといえ
 それを誇りにおもい。偽りを語りつづけます。もはや 言い逃れできない 加害者です。
かれら パリサイ派は そうして 笑いながら 死ねばいいでしょう。(俺には権威があるといいながら笑いながら死ねばいいでしょう) 申命記
によれは 偽りの預言者は 死ななければならないとあります。そして彼らを哀れんではならないのです。これは神からの命令です。そして当時の
ユダヤ人が当時の収税人をみるその目で 見るべきだと思います。


しかし ものみの党では 貴族であっても その家族が犠牲となっている場合は その貴族は貴族ではありません。なんとか事実に気がついてくれ
てればと 思います。 やはり家の者をないがしろにすることは 聖書的ではありません 家族の必要物を備えないなら 信仰がないよりわるいの
ですから。そのことゆえに 彼らは 何とかして ものみの塔のいう"真理”を家族につたえようとします。その努力を無駄にしたくはありませ
ん。是非とも 事実をお伝えしたく思います。そして一日もはやく 夢からさめていただきたく思います。


自分がわなにかかったから と言う理由で 他の人のために わなを 有効な状態に もどしておいた  というのが ものみの塔の実態であろう
と思います。
しかし 私も まんまとだまされた一人ですから ひとのこといえません 。ものみの塔 恐るべし です。 
すくなくとも 自分がかかったわなは 解除するという 常識は身につけたいものです。


ものみの塔の 挿絵の用い方 の欺瞞
以前から不思議におもっていたのですが 十字架か杭 かです。 不思議な論理がもちいられていました。
ふもとから 山頂に 罪人が 一人で運ぶには 杭が大きすぎると感じていました。
ものみの塔の 挿絵によると 杭の長さ は人間が 杭にそって 手を頭上で組んでいます。そしてその上に 罪状があり かつ 下から 傍観者
が見上げているのです。
そして 杭の太さは イエスの 頭骨の直径ぐらいあります。
そして 杭 つまり 打ち込むために 先がとがっているものでであることを こっそり 別の機会に説明しているのです。
たとえば 身長170cmの人間で仮定すると 頭上に手をくめば 大方2mになります。そして案外罪状の幅がありますので 足先からてっぺん
まで 2.5メートルは必要です。
そして 兵士が見上げていますので さらに 2mは地面から 上がっています 少なくともここまでで 4.5メートルはあります。
杭である条件つまり 地面にささっている部分を勘定しますこれを仮に 1mとすると 合計 5.5メートルとなります。
頭の太さの杭 5.5メートル を山の上までかついてあげたのでしょうか。
ものみの塔の資料をいくら探しても 杭の長さの具体的な数値は書かれていなかったと記憶しています。 誰かご存知の方いましたらおしえてくだ
さい。
でも どこでどうなったか 挿絵では 5メートル以上の 杭となっているのです。数値に沈黙している以上 私の指摘はでっちあげといえる と
いう論法を既に準備されているように思えます。
山に杭を運ぶ姿を 挿絵にしてあるものは すべて 杭の長さが読者に悟られない角度からの絵となっているのです。
そして とどめは 画家が想像して描いた と挿絵を説明するのです。

5メートル程度の杭なら 一人で運べないこともないだろうとの 理解もありえますが 私ならそんな大きな杭を担げを言われたら 真っ先ににげ
だします。
どうも 画家である兄弟は 杭が重すぎることに気がついていたのではないでしょうか。

十字架なら 横木を担いで 山頂まで登ったという説明で OK。それなら 横木はせいぜい2メートルですから。でも軽くはありません。
ましてや 5mの杭なら 少なくとも その 2倍と半分 の重量があります。
ものみの塔は他人に重労働を強いるのが 好きみたいです。それがどうした といわれそうですが そういうことです。
一度 ながさ5メートル 直径20cmの丸太を 担いでからご感想をいただきたいと思います。 めっちゃおもいぞー 丸太を馬鹿にしてはいけ
ません。
奴隷級の兄弟たちは 平気で担ぐでしょうけどね。”私のくびきはここちよく 私の荷はかるい”とかいいながら?


わたしが 言いたいのは ものみの塔の説明すべてが こんな調子であるということです。
 

不品行など雑感
行方不明事件
それと 残された家族にお願いです。決して暴力で家族をエホバの証人から引き離そうとしないでください。 暴力が原因であるばあい エホバの
証人としては 研究生をかくまう責任を感じてしまい。「人間より神に従う」というプログラムが起動されます。研究生行方不明事件は 表の教理
によると 家族ないし友人が暴力で研究生を救おうとしている場合しか当てはまりません。 かくまうエホバの証人に思考力はありません。とくに
 妻が研究生で 夫が暴力で妻を引き離そうとするとき 妻が行方不明になったと言う事件は まさに悲劇です。
裏の教理が 関係しているとすれば どう言うケースか私にはわかりかねます。



不品行について 露骨な淫行が禁止されているため 形態をかえた浮気を行う長老がいます。
 いびつな性欲
長老が不品行を起こす理由は ゆがめられた 性欲である可能性があります。
露骨に淫行(ここではポルネイア)は禁止さえていますので その代替として どういうことがあるかというと 若い女性に不必要にちかずくこと
があります。
    内密な助言
たとえば 妻を見張りにたたせ 若い女性と二人きりで たとえば自動車の中につれこんで 助言を与えるというものです。
内密な助言を与える必要があるといって たびたび このようなことをするということは 隠された欲望がある証拠です。
しかし このような ケースでは 二人きりでの会話のはずが いつのまにか  外部にもれています。これは 二重の防御体制を意味します。二
人
きりとなってで助言をあたえた 事実を隠すものではないという 劇を演ずる必要があるからです。公に話すことで やましいことは無いという 
表現をしているのです。
こうすることで 妻は安心を得ます。また 長老と若い女性の姿が見える位置に 妻がいるわけですので 妻は神権的役割を果たしているという満
足感をえます。
後に この内密の話しを 妻にすこしづつ話していきます。 妻の側では あくまで 差し支えの無い範囲で 夫が 話しをしてくれていると思い
込みます。
実は 大方すべてを 1ヶ月ぐらいかけて すべてしゃべってしまう こととなります。このことで 妻は かってな想像を含めて 自分にも洞察
力があると思い込んでしまうようになります。
というのが 差し支えの無い範囲で 聞いているつもりですが 本人(若い女性)との会話のなかで 見かけ上 この若い女性のことを 見抜いて
いる自分に酔うことができるのです。
当然でしょう 大方すべて 夫がしゃべってしまうわけですから。当然このときも 自分がしゃべったことを 内密なこととして妻にはなすので
す。
こうして 妻の是認をえて また 再び その若い女性と 二人きりになる機会をえるのです。
かわいそうなのは この 妻です。自分は愛されていると思い込み。洞察力があると思い込み。長老である夫を支持することで神に仕えていると思
い込むわけです。
信頼しあっていると 思い込み 実は 浮気の手伝いをさせられているという なんとも ものみの塔流 ”洞察力”が生み出す悲劇といえるで
しょう。
最初から 三人で 公に 会話しても 同じことなのですが そうせず 神権的にデートするのです。横からみていて 馬鹿馬鹿しくなります。

同じようなことが エスカレートして レイプ事件がおきるばあいも うわさには ききます。このばあいも 権威の影にかくれて 言いがかりだ
との長老の強弁に周りの人々は 手も足もでません。長老は 巡回訪問をやりすごすと 神はすべてをご存知で 自分を長老に据え置かれた と考
えます。 どんな聖句が 頭の中をよぎるのでしょうか。凡人には理解不能でしょう。
また実際 会衆内で発覚しても 長老が 悔い改めますと泣きながら(演技) 繰り返せば OKらしいです。なにせ 長老が謝罪することは 極め
てめずらしいため 美談となるのです。
何処にでもある話しで めずらしいものでなくて すみません。通常この手の話しは 排斥とは無関係で 1%排斥者の 予備グループではありま
せん。発覚しない分が どれほどあるかは 本当に 闇の世界です。神のみぞ知る としか言いようがありません。


権威
神権的権威というものはすさまじいもので ”霊的なことを やっていれば 自分に不利な噂話は吹き飛んでしまう。”ということを利用すること
ができるようです。
この理屈を用いて レイプ事件を起こした張本人が どうみても ”心のこもった祈り”を公におこなう ことは よくある話しのようです。
原稿を読みながら心のこもった 演技をするわけです。ヒステリックな被害者を完全に無視するといいわけです。
そして 堂々と 本来の被害者を 被害妄想の精神病患者にしたてあげるというテクニックも一般的におこなわれています。

残念ながら アムハーアーレツには 基本的に 純真ですから このようなテクニックを使うことは良心的にできません。
また 霊的なことがら というのは 要するに 奉仕活動とヒステリックな公の祈り ですので アムハーアーレツたちは 持ち合わせていませ
ん。

その点を考慮すると 権威者の餌食になるのは 常にアムハーアーレツ となるのです。
まさに ”霊的なことをまじめにしないから 被害者になる”のだそうです。
なぜか 権威者とトラブルに巻き込まれるのは 多くの場合 ”伝道者” であることは ここらあたりに原因があるのです。

ちなみに 開拓奉仕ばりばり の若い女性にたいしては 助言と称して二人きりになることは ”やんでいる人に医者が必要”という聖句に矛盾す
るためそうそうめったやたらにできないということが 露骨に関係しているのです。

ヒステリックになった被害者が 意地になって開拓奉仕をはじめたりすることもありえます。このときは どうするかは簡単です。加害者権威者は
 ニコニコしてその被害者を誉めまくる作戦をするとOKです。それで 事件をやみに葬ることができる組織体制があります。


補足
アムハーアーレツには 結局 組織の為に使う時間に制約をもつすべての人が 陥る 階級であることは 間違いありません。(ここにも一部例外
があるが)
つまり ”結局組織の為にいきるなら 欲望のままにいきることができる” ということを 体感し実践している人物が 何処にでも転がっている
組織であるということです。
無論 本当に誠実な長老たち上記(私の指摘)に 当てはまりませんが
見かけだけ誠実な長老にかんしては 全く私の用いる表現は 全くもって手ぬるい ということは間違いありません。
それらの長老が 巡回訪問をやり過ごすことができるというのは 組織の目が節穴というのではなく そのような長老たちを推奨している証拠なの
です。

《編集者より》
例によって、内部から見たエホバの証人の「本音」を聞くことが出来、エホバの証人の内部を経験したことのない者にとって、大変役に立つ情報でした。私の知っている別の日本のエホバの証人の話でも、最近は「大学を出ていないと長老にはなれない」などと言いふらす人がいて、ひんしゅくを買っているという話です。