エホバの証人は「アム ハーアーレツ」か?「匿名希望のエホバの証人」への質問

(11-18-98)

日本の匿名希望のエホバの証人への質問です。

貴殿hp 読者の欄をみて

匿名希望様の文章をみて 少し感じることがありましたので
少々 私もつぶやいてみたくメールしました。
日本の匿名希望のエホバの証人様「アム ハーアーレツ」という表現に反応した者です。

>現代のエホバの証人の大半は,「アム ハーアーレツ」ですからこんなすごいHPを見ると,すぐ惑わされてしまうんですよ。
>いつもながら乱文で失礼いたしました日本の匿名希望のエホバの証人


日本の匿名希望のエホバの証人様への質問
なぜ 「アム ハーアーレツ」 なのですか 私が選んだ私の僕 と神が言われる唯一の組織に属していることを誇るように訓練されていた 
と記憶しております。
いつだったかの記事で 世でひとかどの者となるのではなく エホバの証人として ひとかどの者となるように 励まされていたはずです。
”大半は”,「アム ハーアーレツ」 と書かれているところをみると かなりのエホバの証人は ”会衆内で”虐げられていると読めます。
そう読めてしまうの わたしの経験からです。といいますのが 外部の者から虐げられていたとしても 「アム ハーアーレツ」 と ”自分を”
粗末に表現することは ものみの塔の(=エホバの証人の)ポリシー(当然建前)に真っ向から違反するものだからです。
そういう意味では いわゆる背教的表現だと思ったのでお頼りしました。

思い当たることがあります。匿名希望様の心情”合致”するかどうかは 確信ありませんけど hi
エホバの証人の組織のなかで ”胃腸に負担のない人々”は ほとんどいません
      裁かれる立場にある人は そのこと(裁かれること)が 大きな負担となります。
また   裁く立場にある人は 人々を観察することに忙しく 評価に忙しいようで 胃が痛いみたいです。
  噂話が得意な ”イゼベル”級(男女問わず)の人たちは それなりに平安がない様子です。
彼ら(彼女ら)イゼベル達は 弱い立場の人々がつぶやくと 噂話をする霊性の低い人々と 弱い立場の人々を非難しますが
自分たちが語ることは ”評価、洞察”といってはばかりません。
  弱い立場の人々というのを いまさらながら 再確認すると、
       体力がない というのがほとんどです。
  逆に強い立場というのは 
    体力がある、つぼの中に金塊をもっている というのがほとんどです。
補助開拓や 開拓伝道をしながら 寄付をしながら 家賃を払いながら、自動車を維持しながら 自活していくことは 容易ではありません。
体力がないにもかかわらず 命を削って そうされている人々がいる事実は否定しません。
実際開拓奉仕を 励まされて励まされて 逃げるに逃げられず 無理して開拓奉仕を1年ばかりされたため もう二度と語ることができなくなった
 人がいます。つまり 亡くなられました。 会衆が その老齢の姉妹を 殺した 事件といえるでしょう。
  刑事責任は全く問われない 殺人です。そう まさに 完全犯罪です。
 後に 大会で 開拓奉仕に対する熱心の模範として 威風堂々 と語られました。 完璧としかいいようがありません。

もとにもどします。
1 知能が高く(平均的と言う意味)体力がない 場合 いじめにあうことは 間違いないようです。 ”言うだけ言うが 業が伴わない。”
と ”正当な”評価をされてしまいます。独身であるならば なおさらいじめられるでしょう たとえば(結婚する資格がない とかなんとか)
 「へー 結婚というのは ”資格” だったの!しらんかった  ”三高” じゃ無かったんだ hi」 と返答して 白い目攻撃をくらったこと
があります。さらに 体力のない成員で 開拓ができてない人+世俗の特殊技能があれば もっといじめられるでしょう。
特殊技能があるとかいうのにロクに自活もきない とか なんとか 影で非なんする 資格ある立場の人々からのいじめは じわじわと忍び寄って
きます。
 資格 −> 祝福 との連想が あります。
 要するに 開拓奉仕できない −> 根性がない、口だけ、信仰がない、霊的なことをまじめにしないから 祝福がないとなります

2 逆に 知能が低くても(平均的と言う意味) 体力があるならば 夜中に世俗の仕事をして 昼は開拓奉仕、そして長老、神権家族
ができ 馬鹿なことを語っても 業がある つまり信仰がある つまり霊的にすばらしい。
と ”正当な”評価をされます。
     要するに 開拓奉仕ができているなら 何をやっていても(影でどんな悪事を行っていても)ばれなければ OK
    なのです。なかには 自宅近所の留守であることが間違いのない 家々を扉をたたいて開拓奉仕する人もいます。

3 また まれな存在ですが 資力(資産)があるばあい 夜はよく寝て 昼は 仕事もせず開拓奉仕 そして 夕方長老
 と そして 集会では 他人事のように ”仕事を調節して 開拓奉仕に励むように” 抜けぬけと 助言をします。

また少し脱線しますが。
  伝道活動が 苦手な(体力がないを含む)自活している独身女性は 結婚にある種の恐怖を感じるようです。(実態をしっているだけに)
そう言う人の 頭のなかでは 
  結婚 (ものみの塔の奴隷との)−> 自活から開放 −> 夫婦そろって貧乏暮らし −> 開拓奉仕 − ヒエー勘弁して 
  伝道が苦手で 特権のない 若い男子は 結婚の資格も剥奪されます。
  結婚  (ものみの塔の奴隷との) というおぞましき 可能性はないので ある面安心です。
  ”霊的”な兄弟姉妹が 結婚して 破綻ということは最近特に目立ちます。これも 結婚資格主義の生み出す弊害でしょう。
 非現実的な期待を抱いて 結婚するケースが増えているようです。 さまざまなテストに合格して結婚の資格を身につけたことになっていますか
ら 現実は厳しいと言われても なにかしら薔薇色を連想して いる若者も多く存在するようです。
 夫婦の会話は 連絡ボード を通して という 音声による会話がないという場合も最近増えているときいています。(エホバの証人内での噂で
す) 

噂話をしながら評価とうそぶく貴族 と 評価されるしかない奴隷(土の民) が存在する組織
噂話が禁止されているので 彼ら貴族は 評価の話をするのです。
実質は 長老団の集まりは 噂話会合としかなっていません。実質的な意味では エホバの証人ほどうわさずきな集団は珍しい 存在といえます。


質問2
このような 実態に気がついているものの いつか いつか 必ず、必ず エホバが エホバが 神が、正してくださる
という 希望(儚い望み)をいだきつつ 生きていくしかない 弱い立場の存在があることに気付いておられるのではありませんか。

「アム ハーアーレツ」は まさに 靴のそこについた 泥のような もしくは 踏みつけられるに値する 泥 クズ カス のような ものさす
言葉です。その言葉を 自らに当てはめるということは 信じがたく思われます。

なにか そう言わせる圧力が組織”内”にあるのではありませんか。
 ものみの塔聖書冊子協会は エホバの証人の便宜のためだけに存在するものです(建前) 実際はご主人となっています。
日本の各会衆は 海老名支部から命令を受けているようなものですから。(実質 無論 統治体は絶対であるが。)
その型にならい 会衆の長老が 穏やかな顔で 威張り散らす 長老支配が 実際にはなされているということ そのことを 自嘲的に 表現され
たかったのでしょうか。そうであれば ものみの塔は パリサイ派であることを 証言されたと同じです。
実際 世話の焼ける 長老は 大勢いらっしゃいますね。また ものみの塔の教科書にもない ”長老の妻”という 神権的立場も存在するようで
す。世話の焼ける ”長老の妻”の世話も大変でした。ものみの塔誌上では”表向き”読み取れない 裏の教えを広めるためには彼女達は よく働
いているようです。(たとえば 子供を ホースを丸めた鞭で しばきたおす など)、
「ものみの塔誌にはこう書かれているが 現実は こうなのだ」という ”本当の教え”が 存在するのです。 (二重の教理)
ものみの塔 の記述そのものが 二重束縛を用いたり 隠し絵的に 裏の教えをすりこんでいるようです。

最後にエホバの証人(クリスチャン)会衆内の 「アム ハーアーレツ」たちに(矛盾表現?)
ほとんどの 「アム ハーアーレツ」たちは 恐怖政治のなかに置かれています。貴族は神の威をかたる狐となっています。
この組織から離れると 死がまっているとの 恐れを用いながら 貴族たちは 言いたい放題となるでしょう。
まさに ものみの塔のコピーとかれらは されているのです。
「アム ハーアーレツ」 こそ ”神の目に あなたは 貴重です” という言葉 を忘れないように願いたいものです。
”私には信仰があります。人が(組織が)私になにができよう” と考えることもできるかもしれません。
組織から離れるには 信仰が必要なばあいがきっとあります。死の恐怖に打ち勝たねばならない場合がほとんどです。
ここが 組織から離れるのが大変といわれるところです。物理的には 長老団に対して 「では 失礼します」と一筆書くという単純きわまりない
手順でOKです。そうすると 近隣会衆まで連絡が行き渡ります ただそれだけのことです。簡単なものです。
                    心情的には大変だが   手続きは簡単
脱会経験者は 前半を (心情的には大変) を強調しますが 脱会者を送り出す側は 後半 (手続きは簡単) を強調するだけです。
だから 互いに うそつきとなるのです。

全く心が痛まないことに 誰も離れる人々に対して エホバの証人は同情しません。去りゆく「アム ハーアーレツ」のために 泣く人など一人も
いません。会衆から一人減ることを悲しむ人は いますが ”あなた”がいなくなることを悲しむ人などだだの一人もいません。 だから心配しな
くても 大丈夫なのです。
そう ”去りゆく「アム ハーアーレツ」”など組織にとって まさに ”あなたは組織の目にとって ただの ゴミ” ベリアルなのです。
神の目に貴重で尊く 組織の目に ゴミ なのです。 ”すこしばかり” 神と価値観のことなる組織といえるでしょう。hi

組織からでると生活に困ることがあります。でもそれは エホバが見捨てたとか言うものではありません。急激な変化を多くの人が苦手とする例に
過ぎません。場合によっては 出る前に準備する必要があります。(費用をよく計算してね特に仕事の絡みがあるばあい。)
もちろん 脱獄準備中であることを 誰にも語る必要ありません、他の人はそんなことに関して知る権利などないのですから。(洞察の本”うそ”
の項目参照のこと)
信仰をもって ものみの塔の組織からでた人々が 餓死したという話は聞いたことがありません。 きっと 大丈夫です。
川に 1歩足を入れたら 水が引いたという物語がありますが 1歩の勇気とちょっとしたスパイスが必要です。


自らを「アム ハーアーレツ」呼ぶ人は 一字一句 使徒たちの活動を読むことをお勧めします。いわば組織のあり方 1世紀のクリスチャン使徒
たちの活動ですから 本当にそう言う風に組織が運営されているかを 丹念に研究してみてください。
1世紀のクリスチャンが 自分たちを そう呼んだ記録は 記憶にありません。でもそう認識していた人々がいたのでしょうか?。

私にはパリサイ人によって虐げられた人々「アム ハーアーレツ」が そこから開放されたとしか読めませんが 偏見でしょうか。
         「アム ハーアーレツ」 + 良い便り −>自由の民

洞察の本などで当時の背景を調べながら研究されることをお勧めします。
”ふれ告げる” がエホバの証人の活動ですので 重ね合わせて見られるとよいと思います。
”ずれ”を どう見るかで 世界が変わります。発展とみるか 退化とみるか 進化とみるか、背教とみるか おまかせします。
”ふれ告げる”にあるラザフォードの金銭の使い方は 興味深く感じた記憶があります。ベトサレムでしたっけ 売却時の理由が傑作でした。
詳しい理由はなく 十分用を果たした とかなんとか 書かれていました いったい その家はどう十分役割をはたしたのでしょうか。
ご自分で ”ふれ告げる”の本からしらべてみてください。どこにも納得のいく理由は見つからないとおもいますが。ここにも”知る権利”が絡ん
でいるのでしょうか。
    聖書と 洞察の本 と ふれ告げるの本 をしらべれば なぜ 匿名希望様が「アム ハーアーレツ」とご自分を呼ぶように ”させられた
か”がみえてくると思います。

ものみの塔流ですが 腐った木は ”立派な実”を生み出すことができません。 ”実”よってしられるでしょう。
組織内に 罪悪感を鼓舞される人々「アム ハーアーレツ」 が 多数存在する という”実”であり 現実 を よくみてくださいますように。
日本の匿名希望のエホバの証人様へお願いいたします。少なくとも ”見たら”信じる人であってほしいと願ってやみません。
”真理”を語る前に ”事実”をみるのも必要かもしれません。
「アム ハーアーレツ」たちにこそ イエスが特に目をかけられたことを 思い起こしてくだされば 幸いです。
組織内で虐げられている人々に
イザ42:3 彼は砕かれた葦を折らず、薄暗い亜麻の灯心については、それを消すこともない。
         彼は真実のうちに公正をもたらす。
詩56:11 わたしは神に信頼を置きました。わたしは恐れません。地の人がわたしに何をなし
        得るでしょうか。
の2つの聖句をおくります。
いずれにせよ エホバの証人の組織は 「アム ハーアーレツ」である 嘆きの人々 に値しません。
墨つぼをもった御使いが 嘆息する人々の額に しるしをつけていった という エゼキエルの幻を思い起こすことができますね。
 神の名を語る組織 のなかで 嘆息する人々も このしるしをつけられている人々にふくまれていると 思いたいものです。
かれらこそ 雑草の中に生えた 小麦ではないでしょうか。当座は 雑草のごとくたくましくあってください。雑草達に 小麦であることを気付か
れるといじめられますよ

”エホバ”の組織つまり エホバが所有される組織 ではなく ”エホバの証人”が隷属させられる組織です。
わたしには どうひいきめに見ても (つまり 内部から18年間観察しました ) 霊にみちびかれている組織とは おもえません。偏見でしょ
うか?
タッキングは どう見ても 洞察の本(英文)が出版された時点で終了しています。が 新たな真理が見えてきた と小出しにもったいぶって 大
会な
どで発表されているようにしかみえません。
 
洞察の本は ほとんどいたるところ再臨待望派教理のデッドコピーです。3つの異なるキリスト教団の牧師と 洞察の本を元に対話して確認しまし
た。異なっているのは 主に神権用語の違いです。同じことを違う言葉で言い換えている場合がほとんどでした。同じ言葉が違う意味で用いられて
いることが多く発見されたのです。
クリスチャンとは 通訳がいなければ デートもできません。hi
対話をはじめた初期のころは 異端がやってきたと 距離を置かれていましたが、しばらくすると
ある牧師いわく 「言語の壁がなければ 極めて近い存在です エホバの証人にたいする考えかたがかわりました」 とのことです。
エホバというお名前についても こうコメントされました。 
「イスラエルとの契約の名ですから 発音はともかくとして いわば 昔の名 です。それを用いたところで 神様がお怒りになるとも思えません
が そのお名前は イエス様(エホバは救い)が 引き継いでおられます 御子であられますから 当然といえば当然と思います また 父なる神
に
 キリストイエスの 犠牲の名を 通して 祈る という点も 同じです 聖霊様に対する 理解は 違っているようですね でも エホバの証人
に
たいして親近感がわきました。たずねてくださって感謝します。
三位一体については 定義は理解しているつもりですが正直なところ感覚的には私もよくわかりません。大体人間が神様を定義すること自体無理が
あるように思えます。
共通点をとりあげると 父なる神 がおられ イエスは御子であり あがない主であるということです。だた イエスに単に敬意をささげる では
なく 
崇拝するのです 翻訳をいくら変えても 原文は 変化しません。神に対してひれ伏す という原語と同じ言葉はイエス様に対しても用いられてい
る
ことは 否定できない事実です。人に対して同じことばが用いられている部分は聖書の中に確かに存在はしますが、それも 王とかという高い立場
にしかもちいられていないと記憶しています。少なくとも 高い立場に対して ひれ伏すことを示しているのです、イエスに対して ひれ伏すよう
に
 神から命ぜられていることをどう思われますか? 単に敬意を表すと理解しますか? 神様は 他の御使いに関してこのようにいわれたことはあ
りません」
肩透かしをくらったおもいでした。
ものみの塔の理屈によると 真理をしることは キリスト教会には 許されていないはずです。
ものみの塔誌が一般に配布されているから 彼らも真理の一部をしっているのだとの主張は ものみの塔の論理でしかありません。
異端としてさけている組織の雑誌を読むことなど 思いつくことすらなかったようです。

確率的には ものみの塔が批判する教会の姿はありえますが、同様に同じ確率でひょっとしたらもっと高い確率で ものみの塔が非難するところの
不品行は ものみの塔内部にも発生しているのです。
どの程度ですか 毎年4万人が排斥となる事実からわかります。大半は不品行です。ほぼ500万人のエホバの証人の 1%弱はものみのいうとこ
ろの不品行です。
氷山の一角でしょうきっと おそらく成員の 1%が不品行という集団が 神の純潔を代表しているとは思われません。発覚していない部分を考え
ると ぞっとします。
弱者をいじめて 良い子を演じている 曲者を含めると 彼らの罪は 天に達していることでしょう。恐らく 20〜30%は 純潔とはいえない
と思います。
弱者をいじめる長老を支持する成員も同罪です。永遠の命を捨てでも(長老に嫌われるということ) 友のために真実を語るという態度を18年間
見たことはありません。
強いものに加担するという態度が聖霊の名のもとに 当然となっているのです。

都合が悪くなると 聖霊が正す といいのがれする人生 まさに 言い訳の人生が 彼ら の生き方です。
人はつまり あの組織も 神の前に 言い開きをしなければならないのです。そのとき誰がたちえるでしょうか?

乱文となってしまいました、 ものみの塔の組織ないに は私の観察によると 「アムハーアーレツ」という いじめをうける立場
と 貴族という 聖霊の権威をかさにきる 立場が あるとおもいます。
そのことを  日本の匿名希望のエホバの証人様は感じてのこととおもいます。

                                                                               元  「アムハーアーレツ」より 愛をこめて 

《編集者より》
非常に多岐にわたるエホバの証人の世界の内部問題を指摘して質問されています。「匿名希望のエホバの証人」の方から回答の頂けることを期待しています。エホバの証人内での「律法主義」「形式主義」は「現代のパリサイ人」として度々指摘されていましたが、このように内部からの具体的観察として語られると、実感を持って感じることができます。そして、かなりのエホバの証人が、最下層でストレスと戦いながら、ハルマゲドンと地上の楽園を今か今かと絵に描いた餅のように空しく見据えながら、生活していることも事実でしょう。「アムハーアーレツ」という言葉が日本のエホバの証人の間でどれだけ日常的に使われているのかは知りませんが、そのような実態を表現するには適しているのかもしれません。会衆内の不品行の問題も重大な問題です。読者の中で、現役のエホバの証人の方がいたら、是非これらの件に関してお便り下さい。お待ちしています。