エホバの証人と友好的関係を持てた仏教徒より

(11-9-99)

初めまして。サイトを面白く拝見しました。
私は、個人的には仏教徒ですが、西洋古典の研究者のはしくれをしており、聖書
にも個人的には親しんでおります(つもりです)。
時々理解に苦しむ箇所はありますが、聖書は好きな本です。
個人的なある理由で(いわゆる)キリスト教(会・者)には不幸にも強い嫌悪感
を持っていますが、
 そのことをここで問題にするつもりはありません。

さて、私は過去4度彼等の訪問を受けました。
最初は件の終末論教義をいきなり説くかなり過激な信者さんだったので、着いて
いけず、私からお断りしました。
2度目は普通のオバサンでしたが、当時のアパートの大家が彼等を嫌っていて、
その事情を話してお引き取り願いました。
 ヘヴィメタルについて少し話しあったのを覚えています。
3度目は、直接聖書ではなく家庭問題に関する小冊子を聖書を引きつつ勉強する
というものでしたが、
 私自身は友好的な関係を保てて、楽しい時間を持てたと思っております。
 「ここは、理解できない」「その様な解釈はどうかと思う」ということも割と
はっきり言いましたが、
 特に怒ったり興奮したりということもなかったです。
 ただ、明らかな誤りを指摘するとひどく狼狽していたのは気の毒に感じまし
た。
 私が転勤したためにそれで中断しました。
4度目は、今です。妻の方が誘われたのですが、用心して私も一緒に出ていま
す。
 「しかし、確か聖書にはこういう箇所もありませんでしたか」と言うと少し
「マジ」になるところが気にはなりますが、
 特にどうってことはないように、今のところは、感じています。

最初の方だけはどうにもこうにもダメでしたが、
後は、私自身は、非常にいい印象を持っています。
ただ、自分自身で聖書なりなんなりを勉強して、「公式教義」でなく自分自身の
考え方を持つということが、
どうやらできないらしいという点は気の毒に思っていますが。
私はキリスト教には単に知的好奇心しかないので、「救済」しようという意識は
全くないですが、そうは感じました。

最近本当に偶然にウェブ上の「証人」情報に触れたのですが、
悪い点がこれでもかと書かれていて、正直驚いています。
私は単に運がいいだけなのでしょうか?
それとも、私にはたまたま彼等は「裏の顔」を見せなかった、
 あるいは私が鈍感で、見抜けなかった、のでしょうか?
どうもそうは思えないのですが…

聖書解釈という点から見れば、既存のキリスト教が正しく(というか破綻が少な
く)
「証人」が誤っている(というか無理が多い)、のは間違いないと私も思いま
す。
しかし、それはそれとして、彼等の何人かと友好的な関係を保て、楽しい時間を
持てた、
というのは、私には事実ですし、その事を否定するつもりは毛頭ありません。
誰がどれだけ「証人」の汚点を指摘しようとも、私にとっていい思い出であるこ
とは動かないと思います。

最後に、ウェブ上の、主に既存キリスト教団体関係者の方によるサイトを見てい
て、気になるのですが、
自分たちの方が正しいというのは、多分その通りなのでしょうが(それは全く否
定しません)、
時折何というか、一段高いところから見下すような態度を感じてしまうのは、
私がキリスト教を嫌っているせいなのでしょうか?
というのは、傲慢さが鼻につくというレベルの問題はさしおいて、
そういう態度は「ほら!既存キリスト教は権威主義だ!我々はそれに反抗するの
だ」
という態度を硬化させるだけのように感じるのですが、
いかがなものでしょうか?
私の個人的な体験が私のものの見方を歪めているのでしょうか?(そうかもしれ
ません)

長くなってしまいましたが、今後とも御健闘をお祈りしております。

《編集者より》
ある人の訪問を受けて、その人と友好的関係を持てるか持てないかは、その人とあなたの態度との微妙な調和があるかないかによるようで、私は何もそこにエホバの証人に特別なものがあるとは思いません。あなたの経験にもあるように、あなたの最初に遭遇したエホバの証人とはあなたはうまく合わなかったようですが、次の人とはうまくいったようで、それは多分に個人差によるのではないでしょうか。私は昔日本に住んでいた当時、関西のお寺まわりをして、仏教のお坊さんと実に楽しい会話を楽しんだのを覚えています。私がもし、仏教は異教だなどと言って初めから挑戦的態度を示せば決してそのような関係は生まれなかったでしょうが、私は仏教に多大の敬意を持っており、対話の中から良いものを見つけ出そうという意欲があったので、むこうも誠実に応対してくれたのでしょう。あなたとエホバの証人の訪問者との関係についても同じことが言えるでしょう。あなたが正面きってエホバの証人は間違っているなどという立場を打ち出さない限り、彼らはあなたと友好的に会話をすることに努めるはずです。彼らの目的は、未信者に挑戦することではなく、未信者を自分たちの宣教のプログラムに引き込むことなのです。友好的関係を確立せずにそのような目的が達せないのは、少しでも常識のあるエホバの証人はわかっています。

あなたが多分誤解していることは、エホバの証人の宗教が多くの問題を抱えている事実は、必ずしも個人個人のエホバの証人が「裏の顔」を持って「汚点」を隠していることを意味しないということです。多くの証人は誠心誠意、最善を尽くして組織が教える所のエホバの神を信じてそれに全てを捧げているのです。

あなたのエホバの証人に関する観察の中で、彼らが「公式教義でなく自分自身の考え方を持つということができない」という指摘は、実に的を得ていると思います。端的に言えば、組織の非常にまじめな操り人形となっている人々なのです。最後のご指摘である、キリスト教徒の傲慢さはあなたのおっしゃる通りかも知れません。私もそのような態度は避けなければならない、と日頃感じております。特に「選民」感覚のかたまりであるエホバの証人を相手にする自分としては、特にそのような態度を慎まなければならない、と常に自戒している積もりです。もし、そのような態度が私の書いたものにありましたら、ご指摘下さい。謙虚に反省する積もりです。