元研究生より−ものみの塔協会の信者獲得の動機は? に対する意見

(11-7-99)

私は、自己陶酔に加えて、征服欲があるのではないかと思います。
祖父から聞いた話です。
昭和初期のころ日本軍の行軍の際、指揮官が馬糞や牛糞のあるとこにろに来ると、わざと匍匐
前進を行なわせたそうです。そして、兵士が糞まみれになっているのを見て満足するのだそう
です。兵士を自分の思い通りに動かしたという満足感があるのではないでしょうか。
それとものみの塔も同じではないでしょうか。
乾杯や誕生パーティ等聖書に基づいていない禁令を次々に出して、信者がしたがっていくのを
見て満足するのではないでしょうか。
 私はものみの塔の中枢にいる人たちは、神の目にとって正しいことを行なうことなど少しも
気にかけていないと思います。彼れらは組織を守ること第一にしているように思えます。また
彼らのいう背教とは聖書に対する背教ではなく、組織に反対するものを背教と呼んでいるよう
に感じます。ものみの塔に対して公開討論会を申し込んだ人もいますが、全く無視されていま
す。
 最近知ったことですが、1994年にエホバの証人が懲らしめという名の下に子どもを投資させ
たという事件がありました。その時、新聞社のインタビューに対して、ノーコメントでした。
輸血拒否で子どもが死んだときは、コメントしましたが、その件に対しては、無視を決め込ん
でいます。なぜなら、そうれまでの自分たちの教えに落ち度があったからです。自分たちにと
って都合の悪いことは一切口にしないという態度や、過去の間違いを認めない態度はオウム真
理教とよく似ています。オウムは教団に反対するものを殺しますが、ものみの塔は排斥という
手段で、その人を抹殺するのです。

《編集者より》
これは、10月5日の投書、「元研究生より−ものみの塔協会の信者獲得の動機は?」に対する意見です。あなた自身がエホバの証人とどういう関係にあるのか明らかでありませんので、第三部、一般の部に掲載しました。あなたのおっしゃるような、兵士と同じような「征服欲」がエホバの証人の指導者にあるかどうかは私にはわかりません。私は指導者は、それなりに「神の目に正しいことを行う」ことに心がけているのだと思います。問題は、神の目と自分の目がいつのまにか区別がつかなくなり、自分の目に正しく見えることが神の目に正しく見えること、と混同してしまう所に真の問題があるように思います。1994年のエホバの証人の子どもの事件というのは、私には初耳ですが、詳しいことを教えて下されば幸いです。