地上の楽園について、エホバの証人への質問

(11-7-96)。


死も悲しみも苦しみもない楽園についてお尋ねします。...そんな楽園が在るならば、
それを理解しうるならば、私も行きたく思います。全てを投げ打って、反省もしますし、
勉強もします。プライドを捨て、力の限りを尽くし、そして神への愛を誓います。

 ところで、私の家内は15年来のエホバの証人ですが、楽園に行って、その時、私の事
は忘れ去るのでしょうか?それとも、それを(私の死を)悲しく感じなくなるのでしょうか?
悲しみだけを忘れて、喜びの記憶のみをこの世から継承するのでしょうか?それは記憶
の一部喪失なのでしょうか?医学的には悲しみのない喜びだけの世界は存在するので
しょうか?夫を愛しなさいとの聖書の言葉はその時何を意味するのでしょうか? 
 どうも、全ての意味ある言葉の解釈はエホバの証人と私達世の者とでは異なるようであ
ります。....その辺の疑問が解消するならば、行って見たいのですが...彼等の楽園
での”人間としての価値感”を彼等自身はどのように考えているのでしょうか? 

村本DR そして 親愛なるエホバの証人の皆様へ             MS   

《編集者より》
 エホバの証人の方でこの質問に回答して下さる方はいませんか?必ずこの欄に掲載させて頂ます。Sさんはこの質問を奥さんにされましたか?エホバの証人の心に描く地上の楽園の姿はものみの塔の出版物の記述や絵に基づいています。例えばものみの塔誌や書籍には、永遠の楽園でエホバの証人がみんなで手をとりあって緑の芝生で語らっている横でライオンと遊ぶ子供の姿が繰り返し描かれています。こんなことがあり得るのかと聞けば、エホバの証人は聖書に書いてあるからだと言ってイザヤ書の11:6を文字通りに解釈したことを教えてくれます。全ての人間が永遠に生きたら、地上は過密と汚染でさぞかし住み難いところになるのでは、と聞けば、そのことについては聖書に何も書いてないからエホバが何とかしてくれるのでしょうという返事になります。Sさんへの答えも恐らく同じことになるのではないかと思います。「エホバがよきに取りはからうから心配するな」、これが多分彼らの答えでしょう。


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