エホバの証人を弟に持つ方より新世界訳聖書の翻訳の問題について

(10-26-96)

はじめまして。突然のメール失礼します。
私はSと申します普通のサラリーマンです。33歳で、**県**市在住です。
実は私の弟のことでご相談します。
弟は小学生時代からものみの塔について学びはじめ、27歳の今では立派な伝道者です。定職にも就かず、
可能な限りの多くの時間を伝道時間に充てています。
私は本人が幸せであればいい、信仰心は大切だし信念をもって生きているのだからそれでいいと考えていました。
この度、村本さんのページを見て、そんな自分の考えが非常に甘いものだったことに気づきました。

弟に村本さんのページの多くを読ませましたが、結局は一方的意見とか攻撃のための文章である等の否定的
意見でした。しかし、読むだけの理性が残っていたことを喜ぶべきかもしれません。

さて、質問ですが聖書の翻訳についてご存知のことがありましたら、ご教示ください。
弟は聖書の曲解に対する反論として、早速『ものみの塔』誌から答えをもってきました。

1.ヨハネ1章1節について新世界訳と同様の訳を支持するものもあり、エホバの証人だけが勝手に訳して
いるのではない。以下の聖書や訳者もいいかげんなものなのか?

@ 『新約聖書』ニューカム大主教、ロンドン、1808
A 『アメリカ訳』J.M.Pスミス/E.Jグッドスピード、1935
B 『ヨハネ福音書』ジークフリート・シュルツ、ドイツ、1975
C 『ヨハネ福音書』ヨハネス・シュナイダー、ドイツ、1978
D 『ヨハネ福音書』ユルゲン・ベガー、ドイツ、1979
E  参考資料 『ものみの塔』1985/12/15、P25
F  参考資料 『ものみの塔』1991/3/1、P28


2. 新世界訳を支持している人たちは全員信用のおけない人物なのか?

@  ベンジャミン・ケダル、ヘブライ語教授、イスラエル
A  アレクサンダー・トムソン
 『ディファレンシエイター』1952/4月、P52
 『ディファレンシエイター』1954/6月、P136
B エドガー・グッドスピード
  『ものみの塔』1982/6/15、P23
C C・ハウトマン、神学者学術雑誌『オランダ神学』
  『ものみの塔』1985/10/15、P21
D アンドーバー・ニュートン
  『クウォータリー』1963/1月、1966/9月
E トーマス・N・ウィンター、ネブラスカ大学
  『クラシカル・ジャーナル』1974/4月・5月

ご面倒をおかけしますが、何かご存知でしたら返信お願いします。
(後略)

《編集者より》
まず、弟さんがものみの塔を批判する文書に一応目を通されたこと、これは大変重要な意義があります。まず「筋金入り」のエホバの証人はそのようなことをしません。その理由は大きな恐怖です。自分たちの命をかけて信じているものが崩れ去る恐怖、そして、そのようなものを読めば排斥(それは霊的な死を意味します。彼らはこれを誘惑に負けてリンゴを食べたエバの行為になぞらえます。)になる可能性があるという恐怖です。この恐怖は男性の方が克服しやすく女性は完全にこの恐怖の奴隷になってしまうことが多いようです。いずれにせよ、私はその弟さんの勇気ある姿勢と、あなたと一緒に考えようとする姿勢とに敬意を持ちます。どうか弟さんとのよい関係を維持するようにして下さい。
ヨハネの1:1の翻訳は非常に議論の広がる話題です。私は個人的にはこの問題を前面的に取り上げるのは好みません。三位一体、キリストの神性、の教理はエホバの証人とキリスト教とを大きく隔てる教理上の問題ですが、私はこれがつまずきになってエホバの証人をやめようと思ってもやめられない人に何人もあいました(主にアメリカ人ですが)。彼らは三位一体、キリストの神性を信じる者は即背教者と教えられ、頭にたたき込まれているため、この問題に関しては非常に強固です。ちょうど中世期の宗教裁判で三位一体を信じなかった者が火あぶりの刑に処せられたのと同様、現代の彼らは三位一体を信じる者を霊的な火あぶりにするのです。これはあくまで私の個人的な見解ですが、三位一体を信じるか信じないかを踏み絵のようにしてその人間の信仰を裁断するのは、いずれの側に立つにせよ組織教条主義に至る間違いであると思います。私は多くの元エホバの証人と接する中で、もちろん三位一体を取り入れて完全な福音主義あるいはカソリックのクリスチャンになった人もいますが、可成りの人がものみの塔の教義の一部を自分の個人的信仰として残しながら、勇気をもってものみの塔宗教の中核である組織第一の信仰を捨てて「自由の身」になった人を知っています。恐らく、あなたの弟さんを含め、多くのエホバの証人にとってはこのようなステップの方が、いきなり教会に集うクリスチャンになるよりは易しいのではないでしょうか。
これは再び私個人の考えですが、私のあなたに対する助言は、弟さんがヨハネ1:1や三位一体を理由にして外の世界を見ることができなくなることがないようにしてあげて下さいということです。言い換えれば、弟さんには組織の隠されたどす黒い行為を自分で見つけだすことが第一の課題であり、もし三位一体やキリストの神性の問題がどうしても解決できないのであれば、それは後回しにしてもいいのではないでしょうか?まず、この組織を出ない限り本当の自由な「真理の探求」はできないのです。
前置きが長くなりましたが、お尋ねの新世界訳の評価の問題ですが、これに関してはちょうどよい時にこれに関するウェブページが出ました。岩村義雄氏の「聖書学者は『新世界訳』をどう評価しているか」という記事(http://www.prodigy.com/megusuri/)にあなたの質問されたことに対するある程度の答えが見つけられるでしょう。またJWTCの中澤氏のかかれた「エホバのみ名−対話シリーズ」(http://www.prodigy.com/JWTC/)の中でも新世界訳の問題点に触れているので読んでみて下さい。また近いうちに更にいくつかの新世界訳の評価に関する記事を集める予定です。時々見に来て下さい。