「イエスはどのような神なのか―ヨハネの書1:1の解釈」に対する反論

(10-18-99)


「イエスはどのような神なのか―ヨハネの書1:1の解釈」に対する反論

   ヨハネ1:1でエホバの証人が「言葉は神(a god)であった」と訳しているの
には聖書学者の見解ではなく、聖書そのものに依存しています。聖書はエホバの
みならず、み使い(天使)や裁き人(士師)に対しても「神」という称号を用い
ています。(詩 8:5,ヘブ 2:7。詩 82:1)だからと言って、み使いや裁き人
がエホバと同格と言えるでしょうか。聖書の中でイエスは「神の子」と言われて
いますが、これは元来み使い(天使)に対して述べられた称号です。(創 6:
2,ヨブ 1:6;38:7)ですから、イエスがエホバと同格でないのに「神(God)」
と呼ばれたとしても少しも不思議ではありません。もし、イエスがエホバと同格
なら、み使いや裁き人もエホバと同格ということになります。これは不自然で
す。ですから、イエスは God ではなく a god なのです。第一、イエスを a god
とみなすことにはイエス自身の主張でもあるのです。ヨハネ 14:28ではイエス
自身が「父はわたしより偉大な方である」と述べています。マタイ 24:36では
「[裁き]の日と時刻については……子も知らず、ただ父だけが知っておられま
す」と言われました。ですから、明らかにイエスは父なる神と同格ではありませ
ん。では、イエスは何者でしょうか。ヨハネ1:1では「言葉は神であった」と述
べる前に、「言葉は神と共におり」とあります。これは字義的には「言葉は神の
ほうに向いており」という意味です。エホバと対峙するのはみ使いだけです。で
すから、イエスはみ使いだ、ということができます。しかも、啓示の書(黙示
録)ではイエスには使いがいることが分かります。(啓(黙) 1:1)ですか
ら、イエスは大いなる君ミカエルです。彼はイスラエルのために立ち上がると言
われていました。(ダニ 12:1)ですから、エホバの証人は多神教を信じている
のではありません。第一、三位一体説の一つの柱となっている聖霊は神と同格で
はなく「神の霊」であると述べられています。(マタ 3:16,ルカ 3:22)ですか
ら、神と聖霊は同格ではありません。

《編集者より》
あなたがここに書かれている反論は、ものみの塔協会が三位一体の教義を否定するために繰り広げてきたものの要約と言えるでしょう。この質問は、元の記事の筆者である中澤啓介牧師にお送りして返事を頂くようにお願いしてあります。中澤牧師は大変多忙な様子ですので返事が頂けるかどうかは分かりませんが、返事がもらえたら、再度掲載させていただきます。


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