ご主人がエホバの証人で本人が仏教徒の方から

(10-17-96)。

 こんにちは。
村本様のページを拝見して、思わずペンをとりました。
私の夫も、エホバの証人でした。5年ほどの間でしたが、今では遠ざかっています。
最初のうちは、とても苦労しました。私は我慢して教義を聞いたりしましたが、あま
りにもばかばかしく、つい声を荒げて怒ってしまったりしていました。夫が研究生に
なったのは、やはり誘った人の人柄です。Gさんは確かにとても感じのいい人でした
し、なにしろ熱心なのです。最初のうちは一緒に会合に行ったりしましたが、こちら
が理解を示すことが助けになるとは思えませんでした。矛盾点を指摘しても聞く耳を
持たないし、研究するほどの教義とは思えませんでしたから。そこで、私はほってお
くことにしました。そして良き妻であることに努めました。私への愛情や感謝の気持
があればこちらの言うことに耳を傾けてくれると思ったからです。悔しいけれど、彼
は私よりも、エホバに誘ったGさんのことを信頼したということなのですから。
 私たちは自営業です。彼が研究生になってから3、4年したころから商売が軌道にの
り、忙しくなりはじめました。現実に商売するということは、様々な苦労と喜びがあ
りました。そして社員も増え、責任が出てくるとますます本気で、お客様のことを考
え、社員のことを考え、真剣に取り組んでいく必要がありました。私自身、こんなに
真剣に生きたことはかつてなかったと思います。そうした中で、彼はエホバから離れ
ていきました。(結局最後まで私の言うことは聞きませんでしたけど。家族はかえっ
て難しいものです。)
 でも、現実の中で、他人に対して自分のできること、してあげられることを考えて
いく。毎日毎日、どうしたらより良い結果を生みだせるのか悩む。本当に真剣に現実
と自分自身を見つめて、より良い明日のために生きているならば、エホバの教義は空
しくなってくるはずなのです。
 当時私が一番腹立たしかったのは、彼らが国連を悪魔呼ばわりしていたことです。
この混沌とした世界情勢を、各地で行われている悲惨をどうにかしていくために尽力
している国連に対し、政治的な批判等ならまだしも、彼らが何をしているかを知ろう
ともせず荒唐無稽な教義をもとに「悪魔」と決め付ける。今思い出しても腹がたちま
す。これは10年ほど前のことですが、Gさんは「3年以内に、国連が宗教を統制する
といって、弾圧を始める」と予言していましたが、まったく現実にはなりませんでし
た。なるわけないですが、いい大人が、こんなに無知でいいものかと茫然とします。
 共産主義の方の投稿も興味深かったですが、やはり世界を広げることが大切と思い
ます。書物も大切ですが、多くの、考え方の違う他人とかかわっていくこと、その中
から自分を見つめ、あくまで現実を基盤に、身近な人と幸福を分かち合うことが大切
と思います。
 ちなみに私は仏教徒ですが、信仰にとって大切なのは「自力と他力のバランス」と
言われます。「自分の努力」だけでは解決しない問題もたしかにあります。しかしす
べてが超常的な自分の意志とは無関係な所で決まってしまうと思っては他力本願な、
自分で考えることを放棄した人間になってしまいます。ですから、「大きなもの」の
存在を感じながらも人事を尽くしてゆく。宇宙大のものに祈ることによって自分の中
の力を引き出して、現実問題にあたってゆく。そこで全力投球するための生命力を信
仰から得ていく。そういうものではないかと思います。
 カルトに限らず、たとえ特定の宗教をしていなかったとしても、おかしな考えにと
らわれている人はたくさんいます。先日私の知人と話していたときに、彼女は商売を
始めようと思ったが、霊能者に聞いたら失敗すると言われたのでやめた、と言ってい
ました。たとえ失敗してもそこから学ぶものはあるのに、と残念に思いました。
 仏教では、蓮の花のように生きよう、と言われます。蓮は泥水の中で、美しい花を
咲かせるからです。この悲惨と矛盾だらけの世界で、前向きに現実と戦いながら、少
しでも世界をよくしていくために、自分を見つめ、自分にできることをしていく。そ
ういった姿勢を持っていなければ、生きることは大変で苦しいことです。
 えらそうなことを書いてしまいましたが、私は未熟の塊のような人間で、主人に助
けられてなんとか生きているようなものです。彼をとりもどすことができて、本当に
よかった。
 ちょっと長くなってしまいました。
 村本様のホームページに敬意を表して。
これからも頑張ってください。精神医学はとてもとても重要と思います。

《編集者より》
ご主人が離脱できたきっかけは何だったのでしょうか?興味のあるところです。仏教徒としてエホバの証人のような最も排他的宗教の信者であるご主人を持たれ、苦労されたことと思います。私はキリスト者の個人としての信仰と、福音の伝道は確かにその個人の内面において妥協を許さないものかも知れないと思いますが、そのことは他の平和と愛を求める宗教を軽蔑し、悪魔呼ばわりし、攻撃し、排除することではないと思います。宗教が理由で人が争い、戦争が起こってきたことは、歴史のゆるぎない事実です。その理由が何であったかを考察するとき、いかにエホバの証人が平和そうな団体に見えても、その底にある排他独善の教条主義を見れば、この組織が、人類何千年の間、常に人間社会に存在した破壊的宗教団体、あるいはカルトのほんの一つに過ぎないものであることを示していると私は思います。
国連の話やもうすぐ来る宗教弾圧の話は私も何度も聞きました。多分この荒唐無稽の予言もそのうち「新しい光」で置き換えられると私は思います。