エホバの証人の奥さんのために研究生となる

(9-20-96)。


村本様

 初めまして! 私はTと申します。(年齢41才、化学メーカーに勤めてい
ます。妻35才、子供二人です。)インターネット(www)は最近使用可能となり
ました。あなたのホームページを見つけ、メールを差し上げたいと存じます。
 実は、私も「エホバの証人」のために大変苦労しているのです。無論、それは私に
原因がある(あった)のであって、決してだれにも文句を言える筋合いのものではな
いのですが !!
 私事でご迷惑かもしれませんが、少しその経緯を説明させていただきます。約10
年前、私は家内と見合い結婚しました。その直後から、その苦労の「芽」が生じてい
たのでした。結婚後、すぐ家内は妊娠しましたが、私はその当時仕事に趣味に大変充
実した生活を送っていました。すなわち、独身時代と同じく、家庭を持ったという意
識が薄かったのでした。その時、家内は「エホバの証人」の訪問を受けたのでした。
私はそのことに全く気が付かなかったわけではありません。ただ、「エホバの証人」
の事を甘く見ていたのです。勿論、今ほどではありませんが、「エホバの証人」がい
かなる団体であるかある程度の知識はありました。ただ「普通の理解力のある人間な
らば、そんなものに引っかかるはずがない!」と思っていたのでした。
 でも、それは大きな間違いでした。彼らの「親切さ(それは当然、目的があっての
ことなのですが)」は尋常ではなかったのです。また、家内の(その時の)心情にも
理解が全く不足していました。今考えれば十分予想がつくことなのですが、彼女は生
活環境の大きな変化によって一種のノイローゼになっていたのです。その時、彼らの
訪問を受け、心が動いてしまったのです。今でもその時の事を後悔しています。
 今、私はいわゆる「研究生」の立場です。それは彼らに共感したからではありませ
ん。むしろ「山部正人氏」のように私も彼らに宣戦布告したい気持ちは山々です。た
だ、私の今置かれた状況を考えた時、いかにすれば、家内を取り戻すことが出来るか
と考えた場合、真の意味での「聖書の知識」を彼女と共有するしかないと思ったから
なのです。それしか彼女を取り戻す方法はないと考えたからなのです。
 彼らの間違いを指摘することは簡単です。ただ、そうしても、それは何の効力も持
っていません(と思います)。彼らがそれを聞く耳を持たないからです。何とかして
「疑問」を持たせたいのです。その方法を模索しているのですが、「エホバの証人」
のメンバーを交えて、いわゆる「家庭研究」の場で「聖書」を学ぶことがそのひとつ
の方法ではないかと思っているからなのです。彼らと接する場合、「聖書」の正しい
理解は必須です。そのために、是非ともあなた方とコンタクトをとってゆきたいと存
じます。

 今後ともよろしくお願いいたします。なお、この文章(実名を含め)公開していた
だいて結構です。
 
 私も、一応、科(化)学者の端くれです。その方面での知識と情報源は持っていま
す。彼らの科学面での誤りはある程度指摘できるのではないかと思います。そういっ
た情報が必要の際はご連絡ください。お役に立てるかもしれません。ご一報ください
。また、新しい情報がございましたら、その旨連絡していただければ感謝いたします。

《編集者より》
Tさんだけでなく、何人もの方がエホバの証人の活動に疑問を持ちながらも、彼らとのコミュニケーションを保つために彼らの集会に参加したり、家庭聖書研究を受け入れたりしています。この私自身、時には妻と一緒に集会に行きます。私自身の場合、彼らとのコミュニケーションは彼らの宗教を研究する上で必須で、コミュニケーションがあるが故に彼らの出版物を研究でき、彼らの考えを聞くことができるのです。その意味で私はTさんのような形で彼らの活動に参加することに正面から反対するものではありません。ただし一つだけ条件があります。それは別の所でも書きましたが、とにかくその前に自分だけでこの組織がどんなものであるかを、前もって読み、十分な予備知識を持っていることです。「情報源」のページに挙げたような本を読んだり、このようなウェブサイトを調べたりして、しっかりした予備知識を持った上で、彼らに接して下さい。それをしない場合、Tさんのおっしゃるように「普通の理解力のある人間ならば、そんなものに引っかかるはずがない!」といくら確信していても、彼らのマインド・コントロールのテクニックの前には可成りの人が「引っかかる」結果になるのです。

次に聖書の正しい理解についてですが、これが必要であることは間違いないのですが、彼らの独特の聖書理解の渦巻きの中に入ると、彼らだけの独特の解釈の堂々めぐりから抜けられなくなるので、注意が必要です。彼らは一つの解釈を正当化させるために別の聖書の箇所を使う、その解釈はまたもう一つの別の箇所の解釈によって正当化される、その別の箇所はまた別の箇所で.... という連鎖反応のような解釈の連続を続けていくうちに、いつの間にか、たった一つの奇妙な解釈が聖書全体をとんでもない本に仕立て上げてしまう、これがエホバの証人の聖書解釈です。その最も良い例がマタイ24章45節の「忠実で思慮深い奴隷」の解釈です。これがものみの塔の統治体を指しているというのがエホバの証人の教理の中核ですが、この奇妙で滑稽ともいえる解釈を取り入れると、後はここを発端にして次々と奇妙な解釈が連鎖反応のように正当化されて作り上げられ、聖書は見る影もない別の本に変身させられるのです。それ故に彼らは好んでヨハネの黙示録、ダニエル書といった象徴的な内容で、多様な解釈が出来る聖書の箇所を特に力を入れて教えて来ます。上に述べた連鎖反応的聖書解釈の起点として最も使いやすいからでしょう。これも私が他の箇所で書いたことですが、聖書研究も自力で前もって行うか、少なくともエホバの証人以外のソースから資料を集めて平行して勉強すべきでしょう。繰り返して申し上げますが、一旦彼らの連鎖反応・堂々めぐりの聖書解釈に巻き込まれますと、他の聖書の読み方は見えなくなり、それによって彼らのマインド・コントロールは完全に聖書のお墨付きを得たことになります。十分注意して下さい。