組織について−再び現役エホバの証人よりの回答

(9-12-99)

組織とは?−組織に属することが救いに必要か−現役エホバの証人よりの回答に対して再度回答を頂きました。以下の投稿文では、《 》は投稿者が前回の編集者の書いたものを引用したもので、☆☆☆で始まる部分が投稿者の回答です。

組織について

      ☆☆☆お返事をありがとうございました。私達はお互いに微妙なところで、協会の出している
出版物の読み取りに、違いがあるように思います。まだ2回の話し合いなので、これから語句の定義などを
細かく詰めて行く必要を感じています。取り敢えず、今回は、ご質問にお答えできればと思い、長くなりま
したが、下記にしたためました。

《あなたが、前回のお便りで書かれた、「組織に入る事により証人になるのではなく、証人であるがゆえに
組織されている」と書かれたことに対して、私が大学生の例を挙げて質問したのに対し、あなたはこの例を
更に詳細に説明して下さいました。これにより、あなたの論点はより明らかになりました。ありがとうござ
います。それではあなたは、上の例を使えば、「東大に入る事により東大生になるのではなく、東大生であ
るがゆえに組織されている」とおっしゃるのでしょうか。これはあなたが上に書かれた「東大生と遜色のな
い学力を持った学生が何人集まっても東大生になるわけではありません」とおっしゃることと、真っ向から
矛盾しませんか。》
 
       ☆☆☆矛盾しません。東大生は、東大に入ることにより東大に組織されますが、他の大学生
は、他の大学に入ることによりその大学の組織に属します。つまりその他の大学の学生が、東大生と同じ学
力を持っていても東大生ではないわけです。ですから、東大生と遜色のない学力を持った学生が何人集まっ
ても東大に入らなければ東大生にはなりません。
     さらに述べるならば、各大学生は、おのおのその目的に応じ大学を選びます。自分独自の考えが
なく、考え知るために大学に入るわけではないでしょう。自分の信念を持ち、ある程度自分の人生の目的を
認識したうえで学校を選ぶ筈です。ここで私は、隷属的に組織されることを目的に東大に入る訳ではない、
と論じたいのです。私は、学生が自分の進路を選ぶように、エホバの証人になる人は、その組織により組織
される事を自覚した上で、それを良しとしてその組織に入ることを選ぶと言いたかったのです。組織により、
心情をコントロールされて入らざるを得ない状態で、組織に入るのではありません。私達エホバの証人は、
エホバを愛すエホバの主権を擁護する証人であるがゆえにエホバの組織と自分が認めところに所属すること
を自らが選ぶのです。 エホバを愛していてもこの組織がエホバの組織であると認めない人で、自らをエホ
バの主権の正しさを証言する人、つまりエホバの(側の)証人と確信している人はいると申し上げているので
す。「エホバの証人」は固有名詞です。聖書でエホバから語りかけられているエホバの側に立つ証人という
言葉は、(イザヤ43:10−12)その立場を説明している言葉です。この点についての言葉の定義の合
意を得ていなかったことに今気がつきました。すみませんでした。「エホバの証人」は、イザヤの聖句から
その名称を選び、1931年7月24日―30日にかけて行われた米国オハイオ州コロンバスで開かれた大会
から、「エホバの証人」と名乗るようになりました。
 
《つまり東大生としての資格をいくらもっても、組織、つまりここでは東大、が入学を認め、その規定を守
る者だけが東大生となるわけです。あなたはこれを認めていますね。》
 
      ☆☆☆認めます。
 
《あなたのこの例をエホバの証人にあてはめるのなら、どんなにエホバを擁護し、エホバの是認を受ける生
活をしていても、それでエホバの証人になるわけではなく、組織に入り、組織の規則を守って始めてエホバ
の証人になるのではありませんか。》
 
       ☆☆☆エホバを擁護するということが、エホバの証人であると述べているのです。
      *** 聖8-参 イザヤ 43:10-12 ***
「あなた方はわたしの証人である」と,エホバはお告げになる,「すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。
それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理解するためである。
わたしの前に形作られた神はなく,わたしの後にもやはりいなかった。11 わたしが―わたしがエホバであり,
わたしのほかに救う者はいない」。12 「あなた方のうちにほかの[神]がいなかったときに,わたし自ら告げ知
らせ,救いを施し,[それを]聞かせた。それで,あなた方はわたしの証人である」と,エホバはお告げになる,「そ
して,わたしは神である。
     エホバに、あなた方は私の証人であると呼びかけられていると信じる、ものみの塔聖書冊子協会
という宗教法人に属する「エホバの証人」ではない、エホバ(=わたし)の証人は、存在すると言っている
のです。(例えば、キリスト教の会衆設立以前の証人は、アベル、ヨブなどであると協会は述べています)
 
《つまり、あなたの前回のお便りに戻れば、あなたはまさしく、「証人であるがゆえに組織されているので
はなく、組織に入る事により証人になる」ことをご自分で認めているように、私には読めます。》
 
       ☆☆☆組織に入ることにより証人になるのではなく、エホバの主権を擁護する証人であるが
ゆえに、組織に入り、「エホバの証人」という名前で呼ばれることを認めます。
 
《あなたは多分、ご自分の心の中に、書き表せない疑問があるが故に、心が揺れ動いているのではありませ
んか。》
 
       ☆☆☆お仕事柄、心理分析はご専門かもしれませんし、ご感想はご自由です。論じているこ
との論点の矛盾をご指摘いただくことは、一向に構いませんが、私は心理分析を専門に学んだことがありま
せんので、私の心が揺れ動いているかどうか、心理学的なお話し合に応じる能力を持ちません。
 
《一方で組織に入ることが証人であることの必要条件ではない(組織に入る事により証人になるのではない)
と書きながら、すぐに組織を認めることがエホバの証人であるという意味であると書いています。あなたの
疑問をはっきりさせるために、次の疑問に答えて下さい。 
ここに学力が高校のトップで、人望もあつく、学力試験でも常に最高点をとり、東大に受験すれば確実に入
れる学生がいますが、彼は個人的な理由で東大に入りたいとは思いません。もちろん彼は東大生ではありま
せんね。しかし、彼は別の大学に入り、しっかり勉強し、やはり優秀な成績でその大学を卒業し、社会に出
て、東大出の人と同じかそれ以上の優れた貢献をしたとしましょう。さて、この人が東大に属すか属さなか
ったかが、決定的な違いになったでしょうか。私は、人がどの大学に属したか、どの大学を出たかが大事な
のではなく、その人がいかにその能力を培い、その能力を有効に発揮したかが大事なのだと思いますが、賛
成できませんか。》
 
       ☆☆☆賛成です。
 
《それではエホバの証人の例に戻りましょう。ここに、エホバに対する信仰を持ち、聖書を通してエホバと
イエスキリストの教えを常に学び、その教えを日夜聖霊の導きを通して自分の生活に反映させ、エホバから
是認される生活を送っている人がいます。その人はエホバの証人の訪問を受けて、その教えを調べましたが、
組織に属するより、聖霊の導きによってクリスチャン生活を送る決心をし、エホバの証人になることを断り
ました。もちろん、この人はエホバの証人ではありませんね。しかし、この人は一生自分の信仰を貫き、信
仰を同じくする多くの人々と交わりながら、エホバに是認される生活を続けました。さて、この人がエホバ
の証人の組織に属したか属さなかったかは、エホバの目から見て、どれだけ大事なことだったでしょうか。
あなたのお考えをお聞かせ下さい。》
 
      ☆☆☆「エホバの証人」でないその方は、その方の信仰の方法でエホバを認め、その方がご存知
のエホバの是認を受けている、とご自分で確信なさっておられるのではありませんか。その方にとって、ご
自分が退けた宗教団体である「エホバの証人」の信奉する神エホバの目を気になさる必要はないと思います。
  また、私自身は、エホバの目を持ちませんので、その方がエホバの目にどのように映るのかわりません。
  けれど、私の目からどのように見えるかは、申し上げることはできます。必要ならいずれ論じましょう。

《人間の作った組織には、どのような組織でもそれぞれ人間の作った規定があります。しかし、もし全ての
クリスチャンがそれぞれ、聖書を生きる規範として使っている限り、誰も淫行も、盗みも、殺人もするはず
はなく、それをわざわざ規則としてそれに対する罰則を作る必要はないわけです。つまり、組織がこのよう
な規則を作ること自体が、不完全な人間が不完全な人間を統制している証拠ではありませんか。》
 
      ☆☆☆     *** 聖8-参 コリント第一 5:11-13 ***
しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいは
ゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,と書いているの
です。12 というのは,わたしは外部の人々を裁くことと何のかかわりがあるでしょうか。あなた方は内部の
人々を裁き,13 外部の人々は神が裁かれるのではありませんか。「その邪悪な人をあなた方の中から除きな
さい」とあります。
     兄弟(つまりエホバのおきてを守り行なう者、神と、聖書に信仰をおくクリスチャン)が、罪を
犯す事があるので、上記の記述が聖書にあるのではないでしょうか。規範を持っていても守りきれないのが
不完全な人間です。私達は、ものみの塔の規定として、聖書の規定にあることに従うのです。聖書のおきて
を規範とする私達の団体を「エホバの証人」という固有名詞で呼びますので、聖書の規範を外れ、悔い改め
ない人と交友を持たないよう薦める聖書の規範に「エホバの証人」は従います。
 
《もちろん、今述べたように、これはエホバの証人だけでなく、政党から多くの宗教団体から暴力団に至る
まで、人間の作った組織の現実の姿であり、そのこと自体を別に問題にする積もりはありません。問題は、
不完全な組織の不完全な人間の指導者が別の不完全な人間たちを統制する時に、エホバの権威を取り込んで、
あたかも絶対的な権力を持つように振る舞うことにあります。ここがエホバの証人と、他の民主的体制の組
織との大きな違いなのです。つまりエホバの証人や、カルトと言われる多くの宗教団体は、一部の指導者あ
るいは個人に神がかりの絶対的な権力を与え、その指導者の教えが絶対であると信じるのに対し、民主体制
では初めから不完全な人間を承知で指導者として選び、その不完全な指導者を一般の会員が道を誤らせない
ように話し合いによって監視し続け、もし指導者がおかしな言動をとれば、すぐにでも指導者を下ろすこと
ができます。もちろん、エホバの証人は民主体制を否定し、それに代わる「神権体制」を目指しているわけ
です。しかし、神権とはまさに神が支配する体制のはずです。エホバの証人はそれを神の任命を受けた(と
自称する)不完全な人間が支配する体制であるとはき違えているのではないでしょうか。そして、不完全な
人間の指導者に神の代弁者としての下駄を預けてしまうことにより、カルトと言われる団体と同じ問題を引
き起こしているのではないでしょうか。》 
  
      ☆☆☆「エホバの証人」の統治体は、絶対的権力を有しません。統治体は、神の代弁者ではあ
りません。そして、不謬ではないと自ら表明しています。個人の生活に命令を下すことはありません。組織
に属していないあなたが、どこで、いつ、その絶対的権力を確認されたのか理解できませんが、幸い私は1
5年ほどのクリスチャン生活の中で、そのような権力に遭遇したことはありません。また、そのような経験
を持つ方にお会いしたこともありませんし、聞いた事もありません。ただし、組織内の人間同士の不完全に、
苦情を述べる人がいるという点で、トラブルがないわけではありません。人は、皆不完全ですから、誤解も
苦情も、争いもありえます。イエスの使徒達でさえ、再三そのようなトラブルをイエスに戒められました。
民主的体制下では、そのようなことは合議により多数決で処理される事が多いかもしれませんが、私達は、
使徒たちがイエスに従ったように、聖書の原則に従い和解するよう努力します。また、あなたのおっしゃる
「エホバの証人」の統治体が持つというその権力が、何に、どのように行使されることにおいて権力となって
いるのか理解できません。私達が権力の影響を受けているというのは、具体的にどんなことにおいてですか?。
*不完全な人間の間に不和が生じたとき、お互いがどのように解決すべきか、'99年10月15日号の研究記
事をご覧いただけるとご理解いただけるかもしれません。
 
《たとえば、ご指摘の世代の問題について、

制裁を受けるか受けないかは、反対意見を持つか持たないかよりも、どれだけあなたがそれを公の場で明ら
かにしたかによるでしょう。あなたは女性であると私は理解していますが、エホバの証人の世界では、女性
は指導的発言をすることはできませんので、あなたが個人的な意見を述べても、余り問題にならないことは
理解できます。私は、1995年の「世代」の教義の変更の前から、何度もエホバの証人の方々とこれに関して
討論をしました。私も、マタイ24:36に明確に書かれている、「終わりの日の時刻については、イエスさえご
存知なく、私達は到底知り得ない」から、「世代」であるとか、実際の年代を明言して終わりの日を予告す
ること自体が、イエスの教えに真っ向から逆らうものではありませんか、と質問しました。しかし、私の知
っているエホバの証人は、誰一人として、私の聖書に基づいた疑問に答えず、ただただ、ものみの塔の公式
の教えをオウムがえしにするだけでした。あなたは、もし私があなたと1994年に聖書研究をしていたら、あ
なたは私に賛成して、「これは変わる筈だ」と言ったというのでしょうか。》
 
       ☆☆☆そうです。
 
《私には到底信じられませんが、まあ、これは過去のことを振り返っているので、仮定の議論として物別れ
になるだけでしょう。 ここでは、もっと実りのある議論をしたいと思います。それで、いかがでしょう、現
在のエホバの証人の教え、あるいは「理解」の」中で、あなたが「究明されることにより変わる筈だ」と思
っているものがありましたら、ぜひ教えて頂けませんか。》
 
       ☆☆☆     *** 聖8-参 箴言 4:18-19 ***
しかし,義なる者たちの道筋は,日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ。19 邪
悪な者たちの道は暗闇のようだ。彼らは自分が何につまずいているのか知らなかった。
     今学んでいる事のすべてが変わる要素を含んでいると思います。聖書は漸進的に理解される、と
いう上記の聖句による協会の見解に同意しているからです。むしろ変わらないことをリストアップするほう
が簡単かもしれません。例えば、エホバにはエホバというお名前があり、エホバは人格神であり、キリスト
は贖いの犠牲として亡くなられた、という見解は変わらないと思います。キリストの誕生日を祝うようにと
いう指示をキリストが出していない、という聖書からの解釈もこれ以上の変更はないと思います。(以前は、
クリスマスを祝う事に聖書的根拠がないことを理解していませんでした。)神と隣人を愛すことが、クリス
チャンの主要な目的であることも同様です。反対に、ハルマゲドンに関する今の理解はかなりのものが、今
後漸進的に解明されてゆくと考えます。協会もすべてを理解できなくても、時に応じて解明して下さるエホ
バを待つように薦めています。('99年10月1日号をご覧ください)
     ちなみに、協会は、キリスト教の教会について、全世界への聖書の頒布に関して、エホバに用ら
れた、という見解を数年前に発表しているのはご存知ですか?エホバは、ご自分の目的達成のために、どの
ような手段をもお用いになります。
     
《たとえば輸血の問題はどうでしょう。なぜ協会は「血から避けていなさい」と言いながら、なし崩しに多
くの血液成分を体内に取り入れることを許しているのでしょう。どうして、血漿成分であるアルブミン、グ
ロブリン、フィブリン、凝固因子などを別々に体に取り入れることは構わないが、それらを血漿として一緒
に体に取り入れることはいけないのでしょうか。もし聖書が血を体に取り入れることを全て禁止していると
すれば、どのような成分であろうと、全てすっきりと拒否すればいいではありませんか。もし、ある血液成
分が「良心の問題」として受け入れてかまわないのであれば、それらの血液成分を一緒にしたものもまた
「良心の問題」ではありませんか。そもそも、聖書のどこにこのような血液成分を分けて使ってもいいとか
悪いとか書いてあるでしょう。これは不完全な人間の作った人間による規則ではありませんか。それをあな
たがたは、文字通り命をかけて守っているのではありませんか。》 
 
      ☆☆☆確認しておきたいのですが、あなたは輸血、即排斥、とお考えになっておられますか?
そうだとしたらそれは誤解です。また、輸血をしてはいけないという「命令」を協会が出し、信者がそれに
強制的に従わされているとお考えではありませんか?そうだとしたらそれも誤解です。
      *** 聖8-参 使徒 15:20 ***
20 ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです。
     このように聖書は、血を避けるよう述べています。それで、私も血を避けたいと望みます。では、
何故エホバはこのような命令をご自分の民に下されたのでしょうか。一つの理由は、民の安全を考えてのこ
とです。血と並んで避けるように薦められているものは、偶像や、淫行、絞め殺されたものです。これらは、
いずれも身体的、霊的な害をもたらすので避けるよう薦められているのです。おきては、私達に対するエホ
バの愛の表明ですから、これらのことを避けるのは、その愛にこたえ応じる私のエホバへの愛の表明になり
ます。もう一つの理由は、魂の源である血、イエスが流された血に対する敬意のゆえに、その誤用を避ける
ということです。血を食べても、医療行為に使用しても誤用にならないと感じられる方もおられるかもしれ
ませんが、私は貴重な血を食料や、薬として考えるつもりはありません。これは、私の個人的な決定です。
血液をどのように扱うかは、個人の良心にまかされています。繰り返しますが、エホバのおきては、血を食
べないこと、血を避けることです。より健全な生活を営みたいなら血を誤用することは避けた方が賢明だと、
聖書は薦めています。私は、エホバへの愛のため、自分の霊的、身体的安全のために、身と心を護るために、
ぜひ血を避けたいと思っているのです。
      医学的な面においては、ご専門でしょうから、素人として理解していることだけを申し上げま
す。グロブリンなどに関しては、最近では血液によらず科学的な合性により製造されるものもあると聞いて
います。また血液成分の中のあるものは、胎盤を通してお腹の赤ちゃんにも与えられるので、大人になって
とりいれても良心が痛まない、とする信者もいるということではないでしょうか。いずれにしろ、どのよう
な医学知識に基づいて決定しても、輸血に関する決定は個人の良心の問題です。奴隷級は、情報と、助言を
与えているにすぎません。
 
《もしあなたが、これに関して「究明されることにより変わる筈だ」と考えるのなら、あなたはそれを自分
の心の中に秘めておくべきでしょうか。この不完全な人間の規則のために、世界中で毎年何人もの人が命を
落としているのです。》
 
      ☆☆☆「エホバの証人」以外で、この教理の影響を受けて、闇雲に血を避けて命を落としてい
る方がおられるなら、それはお気の毒なことです。信者でないなら、何故教理に影響を受けるのかわかりま
せんが、私達が輸血をしない理由を、正しく理解していただければと思います。   しかし、「エホバの
証人」がその信仰ゆえに自分の信念を全うして命を落としたのであれば、それは本人の決定です。信仰ゆえ
に、つまり、エホバへの忠誠と将来の永遠の命の希望ゆえに、今の命を失うとしても、エホバのおきてにし
たがっていたいと思うのは、本人の選択だからです。ただし、輸血をすることイコール忠誠心の欠如イコー
ル永遠の命を失う、という意味ではありません。
 
《イエスはこのような状況で、「究明されることにより変わる筈だ」からと言って、当時の指導者の理不尽
な規則に黙って従いましたか。いいえ、彼は宗教指導者の怒りを買うことを充分承知しながら、公然と安息
日に病人を癒し、人間の作った規則に挑戦しました。決して「エホバに待て」などと言って、病人が死んで
いくのを指をくわえて見てはいませんでした。あなたも今からでも遅くはありません、聖書に基づかない、
ものみの塔の不完全な規則に、イエスのように公然と挑戦して下さい。エホバは組織につくのではなく、義
と真理につくはずではありませんか。》
 
      ☆☆☆ものみの塔聖書冊子協会という宗教法人である、「エホバの証人」という組織の正式な
成員である私が知らないのに、成員ではないお立場のあなたがご存知の、どんな理不尽な規則があるのかわ
かりませんが、(今までそのようなものに縛られたことがないので)輸血禁止が個人に課せられた規則では
ないということを、是非ご理解いただきたいと思います。そして、「エホバの証人」である患者が輸血しな
いことを望むなら、インホームド コンセントによる取捨選択の権利を患者に認めてくださるよう医療従事
者に望みます。例え、医師にとって輸血が唯一無二の手段であっても、患者にとってそれが耐えがたいもの
であるなら、その心情を尊重していただければ、それはとてもありがたいことです。医師であるあなたには、
医師にゆだねられているのは、患者の治療であり、患者の命の用い方、生き方(死に方)の選択の決定権では
ないことをご理解いただけているものと信じます。
    私自身は、信仰のゆえでなくとも、輸血は絶対いやです。どのように検査しても、抗体が出るまで
の時間さえわかっていない、エイズウィルスに感染する可能性のある、血液製剤もごめんです。肝炎や、そ
の他の病気になるか、輸血によって、その場の命を永らえさせるか、決定権を患者に持たせていただきたい
ものです。輸血は、危険な治療方法だと思います。この感情を医学知識の欠如として無視するような医者に
は命を預けたくありません。インホームドコンセントが行き渡ることを望みます。

《それでは、組織に属することなしにハルマゲドンを通過できると述べた文書はありますか。これは無いと
思います。最初の議論に戻りますが、あなたの論理の帰結として、組織に属することは確かに充分条件では
ないかもしれませんが、それが必要条件であることは、当然の論理の帰結ではありませんか。》 
 
       ☆☆☆信者にとっては、必要条件とはなり得ますが、必要十分条件でないと考えます。また、
ハルマゲドンを通過するのに組織に所属する必要があると聖書が述べている個所はありませんので、当然協
会の出版物もそのように述べていません。通過できるのはエホバのおきてを守り行い、イエスキリストに付
き従う者だけであると再三述べています。私自身は、組織に所属してエホバのおきてを守ることは、通過の
可能性を強くすると理解します。でも、もちろんこれが私達の教理ですから、それを信じない方がその教理
に拘束されることを望まれないのは当然です。「エホバの証人」以外のクリスチャンの皆さんは、ご自分の
解釈なさる聖書の基準に従いハルマゲドンを通過なさるものと確信されるでしょう。どちらの通過のし方が
正しいのかを判断なさるのは、聖書の神エホバではないですか。

《「必ず滅びます」という表現がないから、その結論が出ないというのは、これも言葉の遊びにすぎないの
ではないでしょうか。》
 
       ☆☆☆表現の違いは言葉の遊びではありません。断定と可能性の表現の違いは、意味の違い
です。この場合断定は、可能性を全否定した表現となりえます。「滅びる」と断定していないことは、「滅
びない」可能性が残ることを意味します。
 
《同一の意味は持ちませんが、読む者を同一の結論に導くことは変わりません。》
 
      ☆☆☆どのような結論に至るかは、読み手の解釈の問題です。筆者が同一の意味を持たないも
のとして表現しているものからは、違う結論に導かれる知性を、読者がお持ちになることを望みます。
 
《前回の回答で引用した出版物以外にも、例えば次の王国宣教の記事を見てみましょう。 
*** 宣 90/11 1 研究生をエホバの組織に導く ***
研究生は,イエスがヨハネ 10章16節で述べられた「一つの群れ」で表わされている組織についてよく知る必
要があります。彼らは,エホバの組織と交わることが救いのための肝要な要素であることを認識しなければな
りません。 
あなたが病気の時に、医者があなたに、「この薬をのむことは、病気が治るために肝要な要素である」と言
ったら、病気が直りたいと必死に願うあなたは、「医者はこの薬は必ず必要だとは言わなかった」と言って
その薬を飲まないでしょうか。》
 
      ☆☆☆私でしたら、その薬のもつ病気を治す効能と、副作用を調べます。医者に「この薬を飲
まないと死にますよ。」と言われても、生きている価値のないような状態の副作用のある薬はのみません。
その薬についてよく知る必要があります。  同様によく知ることによって、例え救いのためとはいえ、今
の自分の人生を台無しにするような組織であることがわかるなら、私は、そのような組織には属しません。
必要な要素であることを認識できる方は、組織をお認めになるでしょうし、必要な要素と理だと思われない
方は、組織との関係を絶つ自由をお持ちです。
 
《正直な気持ちで考えて下さい。あなたは、特に他に効く薬がないことを教えられていれば、必ずその薬を
飲むはずです。》
 
      ☆☆☆エホバは、正直な神で、正直を愛す神です。私は「エホバの証人」として、いつも正直
に行動することをこころがけています。他にどんな薬がなくとも、飲むことがあまりにつらかったり、人生
に甚大な被害を及ぼす薬を飲むよりは、死ぬこともよしとして、単に延命のみを目的にした薬は拒みます。
 
《同様に、救われたいと必死で思う研究生が「あなたの救いのために組織と交わることが肝要な要素である」
と言われたら、それに従う以外に選択の余地がないのは当然ではありませんか。》
 
      ☆☆☆そういう選択をする人がいるかもしれないことは認めますが、当然であるとは思いませ
ん。また、私は、研究の時に、組織と交わる理由は、より聖書の理解を深めるためであることを研究生にお
伝えしています。そしてもし、組織の一員となることを考慮されるのであれば、エホバに献身することを公
に宣明することが、バプテスマを受けることである事をお伝えします。   組織と交わるとは、具体的に
どういうことだと、あなたは理解しておられるのでしょうか? 例えば集会に出席することは、組織と交わ
ることですし、研究する事自体が、組織の一員である伝道者との交わりで、つまり組織と交わっていること
です。また、組織と交わった後に、組織の成員になる事を選ばれる場合は、ご自分の決定について、よく考
えていただけるよう研究生にお伝えしています。慎重に考え、成員になることを決定された場合は、その決
定にご自分で責任を持っていただけるようお願いしています。
 
《滅びたくないと願う人間の誰が、「滅びる恐れがあります」と警告されたことを敢えてやるでしょうか。
言葉がどう受け止められるかは、同じ言葉であっても、聞く者の状況によって違う意味を持ってきます。街
角の占い師が「あなたが明日飛行機に乗れば滅びる恐れがあります」と言っても、それは文字通りの弱い意
味しかありませんし、多くの人には何の権威もないでしょう。しかし、エホバを愛し、エホバによる救いを
命がけで求めている人々が、エホバの組織の指導者から、「組織から離れれば滅びる恐れがあります」と言
われれば、それは死にかけの病人が、世界的な名医から「この薬を飲まなければ死ぬ恐れがあります」と言
われたのと同様で、どのような言葉の表現を使おうと、実質的には絶対的な権威を持つ忠告になるのです。》
 
      ☆☆☆権威を持つ忠告と言うよりは、とても有益な忠告であると思います。その忠告に従うの
は、権威による押し付けに服する事ではなく、理にかなった忠告として権威があるので受け入れるのです。
ただし、私達は、滅びる事を恐れるということだけで組織にとどまることは薦められていません。('99年
7月15日号のものみの塔誌をご覧いただくと良いかもしれません。)エホバを愛す表明をものみの塔の組
織の提案で行ってゆきたい人が組織にとどまるべきで、組織はそのようにエホバを愛する人に、報いとして
エホバが永遠の命を得させて下さるかもしれないといっています。その教理を理解しエホバに信仰を持てる
人がバプテスマの討議による確認の後、正式な「エホバの証人」となります。
      ところで、私達は、どうせ80才か長く生きても100才になれば大抵死ぬのです。明日交通事
故で死ぬかもしれません。どうして滅びがそんなに怖いのですか?「エホバの証人」である私自身は、滅び
により永遠に生きる可能性を失うことを残念に思いますが、永遠に生きるという教理を信じない人々が、何
故滅びという教理だけを信じ、怖がるのかわかりません。
 
《また、あなたはエホバの証人として、当然、羊とやぎを分ける教えはご存知でしょう。ハルマゲドンの時
点で「やぎ」と分けられた人は必ず滅びるという教えもご存知でしょう。また、排斥されて悔い改めない者、
エホバの証人の教えを聞いてもエホバの証人になることを拒否し続けた者は「やぎ」とされることもご存知
でしょう。》
 
      ☆☆☆やぎのような人とみなされる、という表現は知っています。
 
《そうであれば、「背教者」、「反対者」イコール「必ず滅びる者」とどこにも明言していなくとも、どち
らもイコール「やぎ」なのですから、A=B、B=CであればA=Cとなる論理の帰結により、「背教者」、
「反対者」イコール「必ず滅びる者」となるのは当然ではありませんか。これは、直接言いにくいことを明
言するのを避けるために使われる、論理の常套手段で、ものみの塔はこの論理をその出版物の中でふんだん
に使っています。》 

     ☆☆☆ イエスは、ハルマゲドンの時に、羊とやぎを分けられます。基準は、エホバを認めてい
ること、義なる者、聖なるもとしてエホバに認めていただけることです。論点は、イエスが分けられる時に、
やぎのような人として認識されるかどうかであることをご理解いただければと思います。どんな人がやぎと
なる可能性が強いかは、過去に論じられているようですが、どんな可能性にせよ、それは決定ではありませ
ん。

《確かに、ハルマゲドンの時点で研究を始めたばかりの人は、組織には属しませんが、その人たちにも救い
の可能性があるというのは、ものみの塔の教えて来たことです。しかし、充分なエホバの証人の情報を得て、
それでも組織に入る決断をしなかった人間は、「やぎ」とされる、ということも、ものみの塔の教えです。
次のものみの塔の記事をご覧下さい。残念ながら、私は日本語版を持ち合わせませんので、英文を引用させ
ていただきます。 
The "goats" would also include those husbands and wives who have believing marriage partners but who, in spite of 
the good example of their believing marriage mates, are found to be still unbelievers in the day and at the hour of the 
execution of God's judgment against this enemy world; also, the children of a believing parent or the children of 
believing parents (fathers and mothers), which children were once "holy" as minors, as unresponsible children, but who 
have grown up to responsible years and have refused to become dedicated, baptized believers by the time that divine 
execution upon the "goats" begins.-1 Cor. 7:12-16.(ものみの塔1965年3月15日175-6頁 英文版) 
現代の日本の若い人々はほとんど英語を読むと聞いていますので、全文を訳しませんが、ここでのポインは、
エホバの証人の家族の未信者には救いはないということです。たとえば、エホバの証人を妻に持つ夫が、そ
の妻の宗教活動のために多くの便宜をはかり、直接間接に組織を擁護し、集会にも時には参加し、その道徳
的な教えに共鳴し「おきてを守る」生活をしていたとしましょう。しかし、その夫はこの組織に今一つ納得
がいかず、妻の勧めにもかかわらず、バプテスマを受けた献身したエホバの証人にならなかったとしましょ
う。ものみの塔はこのような家族は「やぎ」である、つまりハルマゲドンで滅ぼされると教えているのです。》
 
      ☆☆☆残念ながら私は、若い人々の中に入らない年代の者かもしれません。英語はあまりでき
ません。英語と、日本語の記事と読み比べました。ものみの塔は、多言語同時写植システムを使っています
ので、あまり意訳されていなようです。記事全体の文脈を読みますと、日,英、どちらも同じ内容であるこ
とが確認できます。 この頃の文章は、かなり回りくどいですが、この記事は全体で、あなたのご理解と少
し違うことを表現しているように思えます。'97年5月15日号「イエスが王国の栄光のうちに到来する時」
という記事をお読みいただいて、全体の趣旨をご理解いただければと思います。その記事では、やぎと羊が
確定するのは、イエスがそれらを分けられる時であることが明確にされています。
     論点は、誰がやぎか、ということよりも、例えその人がやぎのような資質をあらわす人(未信者
の夫など)であったとしても、その人が時間の点において、どのようにその資質を示すかは、私達にはカウ
ントできない、ということだと思います。それで,エホバだけが、その人にお与えになった時間のなかで、
その人がどのように羊のような、あるいはやぎのような資質を示すかを問題にされるということです。です
から、私達,羊であろうとするものが、やぎのような資質をあらわす事があるなら、それをイエスが裁きの
時にどのように判断なさるかは、私達にはわかりません。最終的にイエスがやぎであるとされた人が滅びま
す。
     やぎがハルマゲドンの時に滅ぼされるという事実は、現在やぎのような態度を表す人のすべてが、
その時に必ず滅ぼされると言っているのではありません。
 
《もちろん、この夫はエホバの証人としてのすべての「おきて」を守ってはいませんから、そのためにこの
夫は滅ぼされると、あなたはおっしゃるかもしれません。》
 
       ☆☆☆そう言うつもりはありません。「エホバの証人」であったとしてもすべてのおきてを
守ることは、不完全な人間にとって不可能です。律法をまっとうしたのはイエスだけです。
 
《しかし、エホバの組織を全面的に擁護し、エホバの証人の全てのおきてを守ることが、エホバの証人にな
らずにどのようにできるでしょうか。》
 
       ☆☆☆「エホバの証人」でない人が、「エホバの証人」が聖書から注解するおきてを守る必
要はありません。組織を否定なさってもエホバ神を否定なさらないなら、聖書(エホバ)のおきてを守る事
で満足なさればよいのです。また、組織外で組織を擁護することは、精神的にも、物理的にも可能です。例
えば、ある政党の党員にならなくてもその政党を応援できるのと同じです。ただし、党員としての権利を得
たいなら、入党なさるでしょう。
 
《教えて下さい。あなたは、組織に属さなくとも組織を擁護し、おきてを守ることはできる、と書かれてい
ますが、そのことが「羊」になることに充分な条件であるとは、ものみの塔の文書はどこにも教えていませ
ん。》
 
       ☆☆☆言葉が足りなくてすみません。聖書に書いてあるおきてを守り行うことは、聖書を読
めればできるという意味です。もし組織の注解なくして聖書のおきてを理解し得ないとお考えなら、その注
解による見解に従えない理由を熟考する必要があるでしょう。あるいは、組織による聖書の解釈が信頼でき
ないなら、その組織の見解によるおきてにしたがう必要はないでしょう。聖書の述べる羊の条件をご自分の
解釈で満たせば、その方の神に是認されるのではありませんか。 ところで、その夫が組織を擁護し、組織
の注解するおきてを守ろうとするなら、それは何故でしょうか?「エホバの証人」の神エホバを愛すからで
すか、それともエホバとその組織は愛せなくとも、家族を愛すのでその家族と同じ思いでいたいからですか?
 
《もしあなたがそのような文書をご存知でしたら、是非教えて下さい。むしろあなたのおっしゃることと逆
に、上に引用したように、「献身してバプテスマを受けた信者になることを拒否する」限り、組織を擁護し
ようが、おきてを守ろうが、「やぎ」になってしまう、というのが現在でも続く教えではありませんか。つ
まり、最初の議論に戻りますが、ものみの塔の教えでは、エホバの証人になることが救いに不可欠の条件で
あると結論せざるを得なくなるのではありませんか。》 
  
     ☆☆☆多分あなたのご家族がお持ちの最新の雑誌から、その答えを得られると思います。くるく
るく変わる教理を持つ宗教組織を批判しておられるのですから、常に最新の雑誌をチェックなさることをお
勧めいたします。簡単に言えば、あなたの結論は、あなたのものであって、ものみの塔の見解とは、必ずし
も一致していません。
  
《私はあなたのこのお考えにとても興味があります。組織に属するか属さないかよりも、一人一人の心の状
態の方が大事である、と私も思います。》
  
      ☆☆☆これは、私独自の考えではなく、組織による公式の見解です。もちろん私は、その公式
見解に盲従しているのではなく、組織の見解と、私の考え方が近いということで同意しているということで
す。
  
《多くのエホバの証人の中に、あなたも含めて、エホバに是認される人々がいると私も思いますが、ものみ
の塔の組織に属さずともエホバに是認されるであろう人も、必ず多くいると私は信じています。(私は自分
がその一人であると言う積もりは全くありませんので誤解しないで下さい。そのような一人になれればと願
っているだけです。)私は、どのような組織の中にも、あるいは組織の外でも、必ず「めざめている」人々
と「ねむっている」人々とがいると思います。私はあなたがエホバの証人の中の数少ない「めざめている」
人の一人ではないかという気がします。私はエホバの証人の組織の外にいて、「めぜめている」人間であり
たいと願い、エホバの証人にめざめてもらいたいと思って努力しています。そうであれば、組織を超えて
「めざめている」人間同士が交わり合うことは、素晴らしいことであり、大事なことではありませんか。し
かし、あなたは、エホバの証人として、それでも「組織」がなければ正式な信者の交わりができない、とお
考えかもしれません。「めざめている」人間だけが集まる組織はあるのでしょうか。 
私はイエス・キリストと聖霊が人間に与えられたのは、まさにそのような懸念と必要のためではなかったか、
と考えます。イエス・キリストが来られるまで、人々は不完全な人間の組織(王や国)に頼っては、エホバ
の失望をかい続けてきたことを、聖書は詳細に記録しています。それと対照的に、イエス・キリストは不完
全な人間の組織に代わる完全な組織を与えて下さいました。》
 
     ☆☆☆その組織は、どのような存在で、どのような聖書的根拠を持つのでしょうか。聖句から示
していただけると、ありがたいのですが。 あなたがそのような組織に属しておられるなら、ものみの塔を
批判するより、その組織の聖書的な正当性を立証なさることに力を注がれ、信者を獲得なさることに努力な
さることを勧めいたします。
 
《もちろん、その後でも、不完全な人間の組織に頼る人々が後を絶たないのは、キリスト以後の人類2000年
の歴史の証言する所です多くの人々が不完全な人間の組織に所属することでねむりこけてきました。しかし、
注意深く歴史を見、現在の世界を見る時、私は多くの不完全な人間の組織のかげに、多くのイエス・キリス
トに直接「組織」された「めざめた」個人個人を見ることができるのです。あなたもこの完全な組織に加わ
りませんか。この組織はもはや、「協会」「教会」「教団」「法人」「神社仏閣」への所属を超越していま
す。ただ一つ、残念なことはこの組織は心の目でしか見ることができません。目に見えないものを一切信じ
ない人々は、これをおとぎ話として一笑に付してしまうのも仕方がないかも知れません。》 
  
     ☆☆☆    *** 聖8-参 マタイ 5:8 ***
心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神を見るからです
     お誘いはありがたいのですが、私が心の目で見るのは、神エホバだけにしたいと思います。そし
てその目を純一に保ちつつ、不完全な人間の集まりである「エホバの証人」の組織を導かれるエホバを、こ
の組織の中で見つめてゆきたいと思います。

《大変長い返事になり、すいません。しかし、私の真意をくみ取って頂ければ幸いです。あなたはエホバの
証人の組織の中にいる人、私は正直に申し上げてその組織に反対する人です。(しかし、私がエホバの証人
の個人個人には何の悪意も持っていないことをあなたはもう理解して頂けたと思いますが…)しかし、私た
ちはお互いに何か共通する価値と目標を持てるような気がしてなりません。私は何よりもあなたの真剣で真
摯な態度に心からの敬意と賞賛を申し上げたいと思います。今後も対話が続けられることを願っています。》 
     ☆☆☆私も、大変長くなってしまって、申し訳ありません。 私はあなたが、何故組織に反対な
さるのかわかりません。否定なさるお気持ちならわかりますが、反対にはとてもエネルギーが要るので、何
故否定している宗教団体を、無視するのではなく、積極的に反対なさるのか不思議です。
     そして、敬意と賞賛をおっしゃってくださって、ありがとうございます。こちらこそあなたのエ
ネルギーと知性に脱帽いたします。蛇足ながら申し添えますが、「エホバの証人」の多くは、反対の決意を
表明されている方とは、話し合いの時間を多く取りません。それは、イエスの教えられた宣教方針に習うか
らです。イエスは、音信によい反応を示す人を優先するよう薦められました。私があなたとお話し合いさせ
ていただいている最大の理由は、あなたがご家族、患者を含む人類と、神を深く愛しておられる方だと感じ
るからです。神と隣人を愛せても「エホバの証人」の組織を受け入れられない方を裁く権利は、私達組織内
の人間にはないと考えています。真剣に論じ合ってくださって、ありがとうございます。対話を拒否されな
いのは、奉仕者として何よりの歓びです。拙い論証と文章をお許しください。
クリスチャン愛と共に     ***

《編集者より》
***さん、大分対話が長くなりましたので、今回は少し的を絞ってお答えと質問をいたします。またある部分は水掛け論になっている可能性もありますので、そこは読者の方々に判断して頂きたいと思います。

1)東大生を例にした組織とエホバの証人との関係の議論では、結局あなたは、エホバの証人が自分の意志でものみの塔協会をエホバの組織として信じて自由に選択して入ってきた人の集まりであるが、いわゆるエホバの証人の組織(ものみの塔協会)に属さずとも「エホバの側に立つ証人」はいるというわけですね。わかりました。

私達エホバの証人は、エホバを愛すエホバの主権を擁護する証人であるがゆえにエホバの組織と自分が認め
ところに所属することを自らが選ぶのです。エホバを愛していてもこの組織がエホバの組織であると認めな
い人で、自らをエホバの主権の正しさを証言する人、つまりエホバの(側の)証人と確信している人はいると
申し上げているのです。
それでは次の質問です。エホバの証人に育てられて、親の一方的な教育のお陰でものみの塔協会がエホバの組織であると信じるようになってしまったエホバの証人はどうでしょう。そのような人々が大人になって目覚め、これはエホバの組織なんかではなく、勝手にエホバの組織を詐称している団体に過ぎないと気がついたとしましょう。もしエホバの証人が自由な選択で入ってきた人たちの集まりであるのなら、それを辞めるのも自由な選択で出来るはずではありませんか。それではエホバの証人で辞めたいと思った人が、テニスクラブを退会するのと同じように、後腐れなく辞める事ができるでしょうか。いいえ、今のものみの塔の方針は、自主的に断絶した人は背教者と同じように扱われます。
*** 塔81 11/15 23 排斥―それに対する見方 ***
16 考えた上でエホバの証人の信仰と信条を退け,『わたしたちの仲間でなく』なる人々は,当然ながら悪行ゆえに排斥された人と同じようにみなされ,同じように扱われるべきです。
エホバの証人を自由な意志で脱退した人が何故、「悪行ゆえに排斥された人と同じようにみなされ、同じように扱われるべき」なのですか。実際、多くの元エホバの証人は、自分から自由な意志で辞めたために、犯罪人と同じように見なされています。彼らはエホバに背いたり、キリストに反対したり、悪行を行ったわけではありません。ただ、一つの団体を自由意志で辞めただけです。聖書の「背教」の定義には全くあてはまりません。何故そのような人々を背教者と同じように扱うのですか。一度入ったら、このような罪人扱いの苦しみを背負わない限り出られない団体が、「組織される事を自覚した上で、それを良しとしてその組織に入ることを選ぶ」(あなたの上の言葉の引用です)人々の団体と言えるでしょうか。このウェブサイトの多くの投書から見てもわかるように、多くの現役のエホバの証人が、このような過酷な仕打ちに耐えられずに出たくても出られない生活を送っています。これらの元エホバの証人の中には、あなたの言う「エホバを愛していてもこの組織がエホバの組織であると認めない人で、自らをエホバの主権の正しさを証言する人、つまりエホバの(側の)証人と確信している人」も必ずいるはずです。どうしてその人たちをエホバに背いた悪行者と同じように扱うのですか。

2)あなたのエホバは宗教団体特有の神なのですか。私はエホバの証人は聖書に書かれているエホバ、すなわち、イスラエル人も異邦人も関係なく、団体の所属に関係なく全ての人類を支配しているエホバを信じていると思っていました。

      ☆☆☆「エホバの証人」でないその方は、その方の信仰の方法でエホバを認め、その方がご存知
のエホバの是認を受けている、とご自分で確信なさっておられるのではありませんか。その方にとって、ご
自分が退けた宗教団体である「エホバの証人」の信奉する神エホバの目を気になさる必要はないと思います。
  また、私自身は、エホバの目を持ちませんので、その方がエホバの目にどのように映るのかわりません。
なぜ、エホバを信仰する人間が「宗教団体である「エホバの証人」の信奉する神エホバの目を気になさる必要はない」のですか。エホバはあなたの宗教団体専属の神で、その団体に属さない人間には関係のない神なのでしょうか。私はそうは思いません。聖書に書かれている神はただ一つ、それは全ての人も団体も超越した存在であると思います。従って、私は宗教団体に関係なくエホバを気にしています。

3)エホバの証人自身が、またものみの塔が、自分たちは不謬ではないと自ら表明していることはわかりました。

      ☆☆☆「エホバの証人」の統治体は、絶対的権力を有しません。統治体は、神の代弁者ではあ
りません。そして、不謬ではないと自ら表明しています。個人の生活に命令を下すことはありません。組織
に属していないあなたが、どこで、いつ、その絶対的権力を確認されたのか理解できませんが、幸い私は1
5年ほどのクリスチャン生活の中で、そのような権力に遭遇したことはありません。
確かにものみの塔宗教にとって「絶対的」とか「不謬」という言葉があてはまらないことはわかりました。しかし、ものみの塔協会が自分たちを「唯一の地上のエホバに是認された組織」と自称する限り、この地上のどこにそれ以上に信頼できる組織、団体があるでしょうか。この議論で行けば、確かにものみの塔も間違いはするが、それでもエホバの唯一の組織であるから、それ以外は全て信頼できないことになり、結果として絶対服従をするしかないではないですか。あなたは、「私達が権力の影響を受けているというのは、具体的にどんなことにおいてですか?」と尋ねられました。もちろん、あなたは全面的にこの組織を信じているのですから、自分の信仰は自発的なものであり、権力の影響などは自覚できないのは当然でしょう。あなたの聖書に培われた良心による判断が、ものみの塔の組織の判断と深刻に食い違った時、いわゆる「良心の危機」を迎えて、そのような影響が初めて自覚できるのかもしれません。「世代」の教義の変更の前から組織の聖書の解釈に疑問を持っていたというような、事後の話ではなく、現在のものみの塔の教えの中で聖書に照らしてみておかしな所があることにあなたが気づいた時、「エホバに待つ」といって矛盾に目をつぶるのではなく、自分の良心とエホバへの愛に基づいて公然と組織の教えに疑問を表明することが出来た時に、あなたが組織への絶対服従が自覚でき、そこから脱出できる時が来るでしょう。

4)あなたは「今学んでいる事のすべてが変わる要素を含んでいる」とおっしゃいました。そして、「むしろ変わらないことをリストアップするほうが簡単」として、幾つかの教義をあげられました。私がこれを見て非常に興味を持ったのは、あなたの投書の主題である「エホバの組織」の教義の根幹である「忠実で思慮深い奴隷」の教義が入っていないことです。なぜこれが入らないのかというと、実はこれが今のものみの塔の宗教の一番根底にあるからです。神の名も、血も、クリスマスを祝わないことも、全ては「エホバの組織」から出ているからです。これらの教義は、すべて「エホバの組織」を通して「漸進的に」明らかにされて来ました。これは他のクリスチャンがいくら聖書を読んでも、到底このような教義を読み取ることはできないことからもわかるでしょう。もしあなたが「エホバの組織」と信じている団体が「漸進的」に作った教義が、ただの不完全な人間たちが、その時の思い付きで聖書をひねくり回して作り上げた教義であることが分かったら、全ての他の教義はこの霊的な食物を与える「エホバの組織」にかかっているのですから、覆ることでしょう。エホバがものみの塔の組織を通してのみ聖書の真理を与えるという、霊的食物の教義は将来変更があるでしょうか?

5)「エホバは、ご自分の目的達成のために、どのような手段をもお用いになります」というあなたの言葉には、私も同感です。あなたはエホバが、あなたがたから見て「背教者」「反対者」と言われる人々を使って、眠っているエホバの証人の目を覚まさせている可能性を考えたことがありますか。

6)私は「輸血、即排斥」とは考えていません。

      ☆☆☆確認しておきたいのですが、あなたは輸血、即排斥、とお考えになっておられますか?
そうだとしたらそれは誤解です。また、輸血をしてはいけないという「命令」を協会が出し、信者がそれに
強制的に従わされているとお考えではありませんか?そうだとしたらそれも誤解です。
しかし、輸血を受けたエホバの証人がそのことを罪として悔い改めない限り、排斥されると理解しています。これは1961年1月15日号のものみの塔誌(英文版)64頁の「輸血を受けたものは、排斥によって神の民から絶たれなければならない」という教えに基づいています。この協会の教えを変えるような教えがその後発表されたのであれば、私はそれを知りません。教えて下さい。

7)あなたは「血液をどのように扱うかは個人の良心にまかされています」と書いていますが、それを協会の文書で示してはくれませんでした。

血を食べても、医療行為に使用しても誤用にならないと感じられる方もおられるかもしれませんが、私は貴
重な血を食料や、薬として考えるつもりはありません。これは、私の個人的な決定です。血液をどのように
扱うかは、個人の良心にまかされています。

いずれにしろ、どのような医学知識に基づいて決定しても、輸血に関する決定は個人の良心の問題です。奴
隷級は、情報と、助言を与えているにすぎません。
確かに協会が決めた「小分画」と言われる血液成分に関しては個人の良心の問題と協会は教えていますが、それ以外の分画、あるいは血液成分については、拒否するように指導しており、これを拒否せずにしかもそのことを悔い改めない者は排斥されています。そうではないという協会からの文書がありましたら教えて下さい。

あなたが本当に血液が個人の良心にまかされている、とおっしゃるのならエホバの証人として聖書を研究し、その聖書に培われた良心に基づいて、血液凝固障害の治療のために血小板を受けた患者はどうなるのでしょうか。まず、血小板製剤は血液ですかそれとも薬ですか?これはそのエホバの証人の個人の良心で決めてよいのですね。そしてそれを受けるか受けないかはその個人が決めていいのですね。私はこのエホバの証人は、自分が血小板による治療を受けたことを会衆で公表し、それは自分の個人の良心に基づいたエホバと自分との間の決定だから悔い改める必要はない、と公言した段階で、会衆から何らかの処分が下されると思います。それは、血小板は協会が聖書が禁じている血液成分と決めているからです。(しかし聖書のどこに血小板がいけなくて、アルブミンがいいと書いてありますか?)それが直に排斥かどうかは知りませんが、このエホバの証人が会衆の指導者から、「それはあなたの自由な選択だから構いませんよ」、とは決して言われないと思います。そのような制約がかけられる限り、エホバの証人の個人の良心の行使も制約されているのではありませんか。私は実際、アメリカとヨーロッパで多くのエホバの証人が、このような個人の良心を行使したくとも、排斥され罪人扱いされることを恐れて、それが出来ないでいることを知っています。もしあなたが真にこれは個人の良心の問題であると考えるのなら、協会の指導者にそのように明言した通知を出すように促していただけませんでしょうか。

8)あなたの輸血に関する知識は、いかに、ものみの塔協会の「教育」(これを「洗脳」という人もいるかもしれません)が偏向して医学的にも科学的にも常識的にも現実とかけ離れているかを示すいい見本です。

    私自身は、信仰のゆえでなくとも、輸血は絶対いやです。どのように検査しても、抗体が出るまで
の時間さえわかっていない、エイズウィルスに感染する可能性のある、血液製剤もごめんです。肝炎や、そ
の他の病気になるか、輸血によって、その場の命を永らえさせるか、決定権を患者に持たせていただきたい
ものです。輸血は、危険な治療方法だと思います。
ここでは、あなたがおっしゃるように信仰の問題と離れて、輸血の危険性が輸血を避けなければならない理由になるかどうか、を考えましょう。もちろん、感情的にいやというのは仕方のないことで、これは「人好き好き」ですからしょうがないでしょう。しかし、あなたが上に述べているように、あるいはものみの塔誌や目ざめよ誌が述べているように、医学的、科学的な理由を取り上げて危険であるというのであれば、これは全くの誤解というか、迷信としか言いようがありません。(もっとも、この誤解はある程度一般の人々の間にも染み渡ってはいますが。)

アメリカでは非常に広く読まれている月刊誌に「Consumer Report」というのがあります。日常使うほとんどすべての物の値段と安全性を調査して、広く消費者に知らせる雑誌です。その今月号(1999年9月)に血液の安全性についての特集記事が出ています。日本の読者の方に是非読んでいただきたいので、別のウェブページに紹介しましたが、ここではそのポイントをお知らせしましょう。仮に今、あなたが交通事故に遭って出血をして道路に倒れているとしましょう。あなたは輸血をうけないと死ぬかもしれないと言われます。もちろんあなたは、「あんな危険なものは絶対にいやです」と言って拒否するでしょう。(ここでは信仰の問題は別にしています。)しかし、あなたは救急車に乗って病院に行き、それ以外の治療、たとえば抗生物質を注射したり、傷を縫って出血を止めたり、痛み止めを注射することを拒否しないでしょう。どうしてでしょう。あなたは、輸血以外の治療は比較的安全であるという安心感があるからです。あなたは決して路上で、「これから病院に行って行われる全ての治療は危険だからいやです」と言って拒否して、道路で血を流したまま死にはしないでしょう。しかし、ここであなたが交通事故で重傷を負った場合に行われる治療行為の危険性を比較してみましょう。

輸血により HIVに感染する率

1/493,000

輸血により HTLVに感染する率

1/641,000

輸血により C型肝炎に感染する率

1/103,000

輸血により B型肝炎に感染する率

1/63,000

総合した輸血の危険率

約1/34,000

病院で与えられる薬の副作用で死亡する率

約1/1000

救急車に乗って病院へ向かう途中に交通事故で死亡する率

約1/7,000

この数字をご覧になれば、あなたが「危険な治療だから」と言って輸血を拒否しながら、救急車に乗って病院に行って、輸血以外の治療を平気で受けることが、いかに矛盾しているかわかるでしょう。残念ながら、ものみの塔協会はこのような基本的な医学上の情報を決してエホバの証人に与えません。そして、このような事実を見せられると、今度は一転して話題を変え、「私たちは血が危険だから避けているのではなく、エホバが避けろと言っているから避けているだけ」と言います。しかし、あなたの上に書かれたことでもわかるように、また協会の出版物でもわかるように、エホバの証人はこのように現実離れした輸血の恐怖をまくしたてています。なぜ聖書の真理を固守するのに、こんな感情的で根拠のない恐怖を植え付ける必要があるのでしょうか。私には、エホバの証人が輸血を拒否するのに、聖書の根拠だけでは確信がもてないために、いい加減な医学の情報を迷信のように信じているように思えますが、いかがでしょう。

9)これ以下ののあなたの回答は、私がものみの塔の出版物を根拠にして、組織に属することによる救い、組織に属さないことによる滅び、の教理を明らかにしようとしたのに対し、あなたは、「そういう人もいる」「それは絶対ではない」「それは決定ではない」「最終的にはわからない」「それはあなたの結論」というような表現を使って、ものみの塔の教えの「柔軟化」に躍起になっているように見られます。これ以上の細かい議論は、水掛け論になりますのでやめますが、あなたの次の言葉だけに一言触れましょう。

      ☆☆☆どのような結論に至るかは、読み手の解釈の問題です。筆者が同一の意味を持たないも
のとして表現しているものからは、違う結論に導かれる知性を、読者がお持ちになることを望みます。
私は読者が言葉の裏にある意味を見分ける識別力を持つべきである、というあなたのお言葉には全面的に賛成です。このウェブサイトの一つの目的は、ものみの塔の宣伝訪問を受けた人々が、その巧みな言葉で聞くものを一つの結論に導こうとしている時に、実はその裏にこのような別の結論になることもある、という識別力をつけて頂くことです。これはすぐ上に述べた、輸血の危険の誇大宣伝の例に見られる通りです。しかし私は、宣伝訪問をされるエホバの証人としてのあなたに、別のお願いをしたいのです。あなたがたの訪問を受ける全ての人が、あなたのような優れた「知性」を持っているとは限りません。多くの人が「聖書」の重みと、救いに対する感情的な希望から、あなたの指摘するような微妙な表現の違いが分からずに、組織に対する決定的な確信に走ってしまいます。これはものみの塔の出版物のどこにでも見られる、誰もがよだれを流して欲しくなるような素晴らしい「地上の楽園」の図を見せられれば、無理もないことでしょう。あなたはそのような時、次のような言葉を添えるべきでしょう。「私はこの組織がエホバの地上の組織と確信していますが、そうでない可能性もあります。私は輸血はエホバが嫌うことで命懸けで避けたいと信じていますが、これもエホバの教えではない可能性はあります。従って輸血を受ける個人の良心の自由はあり、組織の教えだけを信じて出血死をした場合、エホバに従わずただの無駄死にをしただけになる可能性もあります」、と伝えて下さい。これは薬の注意書きと同じ事で、消費者は全ての可能性を知らされる権利があり、薬を売る側はそれを提示する義務があるのと似ています。「この薬には以下の副作用の起こる可能性があり、それによって死ぬ人もいます、従ってその危険を承知で使用して下さい」というような注意書きです。

10)最後にあなたの次の質問にお答えいたします。

     ☆☆☆その組織は、どのような存在で、どのような聖書的根拠を持つのでしょうか。聖句から示
していただけると、ありがたいのですが。 あなたがそのような組織に属しておられるなら、ものみの塔を
批判するより、その組織の聖書的な正当性を立証なさることに力を注がれ、信者を獲得なさることに努力な
さることを勧めいたします。
     ☆☆☆私も、大変長くなってしまって、申し訳ありません。 私はあなたが、何故組織に反対な
さるのかわかりません。否定なさるお気持ちならわかりますが、反対にはとてもエネルギーが要るので、何
故否定している宗教団体を、無視するのではなく、積極的に反対なさるのか不思議です。
私が「組織」と申し上げたのはものみの塔の「組織」とは内容も次元も全く異なるものです。これはイエスが作られた組織で、私が作ったものではありませんので、ものみの塔のように絵や写真や文書で示すことはできません。詳細はあなたからイエスに直接お聞き下さい。
*** 聖8-参 マタイ 18:20 ***
20 二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには,わたしもその中にいるからです」。

*** 聖8-参 ルカ 17:21 ***
21 また人々が『ここを見よ!』とか『そこを!』とか言うものでもありません。見よ,神の王国はあなた方のただ中にあるのです」。

*** 聖8-参 ヨハネ 10:27 ***
27 わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます。

*** 聖8-参 ヨハネ 14:6 ***
6 イエスは彼に言われた,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません。

*** 聖8-参 ヨハネ 14:16 ***
16 そしてわたしは父にお願いし,[父]は別の助け手を与えて,それがあなた方のもとに永久にあるようにしてくださいます。

イエスの作られた組織は、私によって正当性を立証する必要はありません。人間による立証がなければなりたっていけないのは人間の作った組織の特徴です。また信者はイエスが様々な人々を使って集めていますので、私が信者を獲得する努力をする必要はありません。ただ、このような私のような人間でも、イエスが人々を集める業に今、使ってくれている可能性はあると思っています。そうであれば、大変嬉しいことだとは思っていますが、そうでなくともそれはイエスご自身のご計画ですから、私はそれでも結構です。

あなたは、「何故否定している宗教団体を、無視するのではなく、積極的に反対なさるのか不思議です」と書かれていますが、これはこのウェブサイトの色々な所で書いている、このウェブサイトの目的に関する質問ですので、読まれたのではないかと思います。確かにこれをあなたが理解することは困難かもしれません。不思議に思われるかもしれませんが、私はものみの塔が出版した文書の各所に、全面的に賛成することがあります。たとえば、このウェブサイトのホームページの最初に掲げた「永遠に生きる」の本の32頁の引用がその良い例です。あなたの質問には次のものみの塔誌の言葉でお答えしたいと思います。

偽りの宗教を公に暴露するのは、報道のあやまりを明らかにするよりも有益なことです。それは宗教の迫害ではなくて公共に対する奉仕であり、人々の永遠の生命と幸福に関連しています。(ものみの塔誌1964年3月15日177頁)
私はこのものみの塔誌のこの部分に全面的に賛成し、それを実践しています。もしあなたが、人々が偽物の薬をだまされて買って、そのおかげて病気になったり死んだりしているのを見た時、ただ無視するだけですむでしょうか。あなたは多分無視して通り過ぎるかも知れません。私にはそれが出来ませんでした。あなたの上の議論からすれば、だまされる方が悪いという冷たい議論で終わるかも知れませんね。私はそのようにだまされてしまう消費者に対して、公に警告を発し続けたいと願っています。これが私に出来る隣人への愛であると思っています。

今回はこれまでにしましょう。あなたのおっしゃるように、あなたのお便りに真剣にお答えするには実にエネルギーと時間を要します。でも、私はそれを無駄なエネルギーとは思いません。あなたが私を理解し、私があなたをよりよく理解できれば、これは大きな喜びです。また、掘り下げて議論をしたいことがあれば、いつでもお便りを下さい。お待ちしています。