奉仕の要求時間の変更

(9-8-99)


四国で正規開拓奉仕をしていた者です。自然消滅して3年目ですが、組織の動向はき
になっていました。まさか、奉仕の要求時間が減っているとは!!開拓者、月に70
時間とは驚きです。昔も減らされた経緯があるようでが、私の時代にもそんなことが
あるなんて。。きっと以前の仲間は、少しラクになっているに違いありません。

ところで、<運転士をなさっている10年間ずっと伝道者の方>の投稿を読んで、つい
に投稿してしまいました。

わたしの周りでは、「人殺し」などと罵倒する長老・その他いっさいいませんでし
た。でも、その増し加えられた奉仕の特権への圧力、よく理解できます。自分の立場
で精一杯仕えようとしているのに、なぜか数字で判断されてしまうんですよね。
私がいまでも覚えている、気持ち悪かった経験は、一分一秒まで、ストップウオッチ
で奉仕時間を計る奉仕の僕がいたことでした。その兄弟は、奉仕時間を四捨五入して
いないか、時間は奉仕したぶんだけ、正確に報告すべきではないでしょうか、と演壇
で堂々と話していました。
その問題の兄弟に目をつけられた私は悲惨でした。
そのころ、よく自分のことで落ち込むことが多かった、若い時期でした。開拓奉仕を
はじめてまもなく、法事の問題にあい、うまく証言できずに一人悩み、「これで本当
に開拓者といえるのか」と、朝の奉仕にも出れなくなってしまいました。昼・夜逆転
の生活になっていきました。しかし、その兄弟は、私がなぜ朝おきられないかには関
心がありません。演壇では、「私が奉仕にでると、必ずこの姉妹に会います。毎日、
朝の奉仕にでる秘訣は何ですか?」と、私と同期の開拓者の姉妹をインタビューし
て、同期はこんなにがんばっているのに、といわんばかりの無言の圧力。やっと奉仕
にでれても、なぜ9時にでれないか、と詰問。(9時半にも集合時間はあるのに) 半
年くらいは、「ダメ奉仕者」としてみなされ、援助してあげなくては!という対象に
なっていました。その後、開拓者学校にも行きましたが、私の弱さは、仲間や、教義
への不信感も加わって、本当に「ダメ奉仕者」になり、奉仕をおりることになりまし
た。
確かに、組織の要求どおりには難しいけど、やっとこさ自分にできることをしている
ひとはいっぱいいると思います。伝道者なり、開拓者なり、それぞれ奮闘していま
す。なのに、認めてもらえない悲しさ、憂鬱さ、よくわかります。

集会も月1で休んだりして、弱くなってるとみなされるころの私に、あらためて聖書
研究をするとりきめがなされました。が、これは逆に弱くならせるもとになりまし
た。司会者は、平塚からきた新婚の特開者の奥様でした。年は1つ上でした。ベテル
で働いていたという、いわゆる立派な兄弟と結婚した彼女、私はさぞや立派な女性だ
ろうと思っていました。確かに表向きは立派でした。ところが中身はとことん普通
モードなのです。これにはがっかりでした。
例えば私の周りでは、卒業したら、必要の大きなところへ移動する、というのが良い
考えかただったのですが、彼女は「パートナー生活は大変よ。しなくて良かった。」
と私にいいました。唖然としたのですが、何もいえませんでした。それだけ結婚に喜
びをみいだしているのだろうと思ったからです。別のときには、「この本(世界の宗
教を扱った赤い表紙の本。)嫌い!」とまで言いました。組織の出したものを、あか
らさまに否定するとは何事かと思いました。しかし特開者がいうことだし、私も
ちょっとむずかしい本だと思っていたので、別の古参の姉妹に同じことを言ったらし
かられました。でも、その姉妹も言ってたもん、とは言えませんでした。一番イライ
ラしたことのひとつは、知識がないのに、教える立場にあることでした。司会者は、
研究生に節を読ませ、自分は質問を読むというスタイルで研究していきます。読ませ
ることで、相手によく理解してもらうのだと思います。ところが彼女は節にある読め
ない漢字を「なんて読むの?」と聞いてくるのです。読み方もしらない人が、節全体
の意味を把握しているのでしょうか? とても、このひとに教わろうという気にはな
れませんでした。
夫の七光りによって会衆の信頼を得ている彼女が段々にくらしくなりました。お父さ
んの反対にもめげなかった、10代での反抗期にもめげず立派に育った2世、という
評判が腹立たしく思えました。本当の顔はこんななのに、なんて他の誰にも真実を語
れないのです。もし言ったら、分裂の危機を招くだけになるでしょう。それに、ただ
のねたみと思われるのもいやでした。 しかし結局どう考えても私は彼女を尊敬する
ことも、信頼することもできず、ひいては彼女を用いている組織を信頼できず、心が
どんどん遠のいてしまいました。そして今に至っています。

自分が正しく認められない、なのに、会衆や組織での立場だけで過剰に評価されてる
人がいる、これは公正を愛するエホバの証人にとって最もつらいことの一つだと思い
ます。こんな不当な状況ははっきりいって一般社会によくみられることです。そんな
なか、信仰をつらぬける人はある意味えらいです。その秘訣を伝授していただきたい
です。今後の人生に役立てたいと思います。

《編集者より》
あなたの体験談にはエホバの証人の間にある、戒律・奉仕に縛られる生活の実態がよく描かれていると思います。ありがとうございました。


読者の広場インデックスに戻る