エホバの証人達と仲良く付き合うしかた−葬式のやり方について

(8-20-97)


こんにちは。初めまして。

今大変に悩んでいること、ご指導頂ければ幸いです。

私の家内は普通の仏教徒の家庭で育った主婦です。あと五年も経てば還暦と云う年ですが、
家内の兄はもう二十数年来のものみの塔に一家を上げて入信しています。初めはいろいろ
ありましたが、最近では兄妹ごく仲良く年老いた父も孫を見に行くと云って孫の説教を
聞きに行くくらいフレクシブルにやっています。

悩みは92歳になる老父が脳内出血の発作で倒れた時に始まりました。熱心な禅宗の父は
至ってフレクシブルで、「兄妹そろって看取ってくれるなら宗教無しでいいよ。ものみの塔
式でやってもらっても結構だよ」と云う柔軟さです。でも私の家内にとっては愛する父の
遺体は、焼き場で焼くまではしっかりと自分の手で守ってやりたいし、親戚や知人、特に
同じアパートに住む仲間達の弔問も受けたい、それには程々の身だしなみ、祭壇と云わない
までもおかんを飾る花束の一つも用意したいと、思うのが人情と云うものです。
遺体は焼き場で焼くまでは病院の霊安室に置いておきゃ良い、焼いてしまってから故人を
偲ぶ30分程度の追悼のミサをやりゃ良い、通夜も、葬儀もやりたきゃ勝手にやれば良い。
ものみの塔の信者としては出られないよと、云う兄の意見とに挟まれて深刻に悩んでいます。
何せ老父の希望は兄妹そろっての出席ですから兄に出てもらえない野辺の送りをするわけに
行きません。

私は、たとえものみの塔の信者であったとしても異教徒の弔問を拒否する態度は間違っている
としか思えません。でもこの種の話は力ずくで説伏するようなことではなく、その人の
柔軟性の問題ではないかと思いますので、あえてこの宗派の有識者がおそろいのこの場で
どうするのが正しいか、ものみの塔の信徒が許容できるこの種慶弔の人付き合いの限界が
どの辺にあるのかを教えて頂ければ幸いです。

最後になりましたが、このホームページがいや栄に栄えますようにお祈り申し上げます。

《編集者より》
エホバの証人の冠婚葬祭ですが、信者が当事者の場合の式に関してはかなりしっかりした規則があるようですが、信者でない家族の者の式に関しては厳密な規則はないと思います。原則として信者でない者の葬式は王国会館では行われません。特にこのお父さんのようにはっきりとした仏教徒であった場合はなおさらです。特に注意が払われるのは背教者と自殺者に対する取り扱いです。これらの葬式には王国会館が使えないだけでなく、エホバの証人が葬式に参列することも禁じられています。エホバの証人が証人以外の人の葬式に出席する場合、彼らが最も神経を使うのは、他の宗教の式に自分が参加することになることです。それが避けられれば、彼らは式に参加すると思います。エホバの証人は他人の葬式に参列する場合、少しでも他の宗教色が出た場合には、例えば仏教では、読経、焼香、キリスト教では賛美歌、祈り、牧師の説教、などには先ず参加しません。あるエホバの証人の家族はその時だけ台所の用事を作って外に出て参加しないなどの苦しい工夫をする人もいるようです。非常に宗教色の濃い葬式には最初から参加しないことも多くあります。一方、エホバの証人のやり方で行われる式に、それ以外の宗教の人が参加することは、その人が他の宗教的な行為を行わない限り、問題はないと思います。従って、この場合、奥さんが仏式でやって、お兄さんが部分的に参加することは可能なはずです。お兄さんのやり方で葬式もできますが、お父さんが信者ではありませんから、エホバの証人の厳密なやり方でやる必要はなく、要は宗教色を取り除ければ、お兄さんは満足するのではないでしょうか。

その後次のようなご報告を頂きました。

(8-29-97)


いろいろ、懇切なご説明をいただきありがとうございました。

結果は、家内の兄に無宗教でとりしきってもらい、かなり上手く行きました。
参列者は、通夜(これは通夜とは云わないのですね。ようはお別れです)、葬儀ともに
違和感なく、皆故人とのお別れを充分に満足行く形で行われたと思います。一族の皆と
しばらく疎遠であった家内の兄も、その葬儀を取り仕切っている姿を皆に見せて、皆に
懐かしく受け入れて頂いたと思います。

私の余計な取り越し苦労で変なご質問を申し上げ、本当に失礼しました。
有り難うございました。

《編集者より》
やはり、宗教色を除くということが、エホバの証人の冠婚葬祭の鍵のようです。


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