自殺者に対するエホバの証人の冷淡な態度について

(8-6-99)

自殺者に対するエホバの証人の冷淡な態度について
(エホバの証人の家族を持つ一読者より)

先日、身体障害者だった姉が亡くなりました。
体の障害だけでならまだ良かったのですが、最近は鬱(うつ)の症状が酷く、精
神的にも肉体的にも追いつめられた結果の自殺でした。
生前、姉はエホバの証人でしたので、葬式もクリスチャン式で行いたかったので
すが、家族で話し合った結果、(未信者である父親の顔を立てて)先ずは仏式で
執り行い、その1週間後にクリスチャンの告別式を行うことにしました。

しかし、問題が発生しました。長老団の中で、姉の死因が問題視されたのです。
自殺が神への冒とく行為であり、殺人と同様の扱いだからです。
結局、王国会館の使用どころか、発表すらしてもらえず、クリスチャンである母
親が個人的に開催する告別式に対し、良心が許す兄弟姉妹のみが参加することに
なりました。

でも、何か変だと思われませんか?
自殺が悪いことぐらい私にも分かりますが、何時からエホバの証人はパリサイ人
になったのでしょうか。
姉は、本当に一日一日を生きていくだけで精一杯だったのです。
出生時に医者の判断ミスから脳性マヒになり右手右足に障害が残ったこと、脳に
水が溜る病気に罹り後に精神的に不安定になる原因となったこと、学校では体に
障害があるばかりにいつも苛められ、友達も出来ずにいつも泣いていたことな
ど、例を挙げれば切りが有りませんが、毎日を生きていくだけでも本当に辛い人
生だったのです。

どんなことがあっても、エホバの証人が嘆き(悲しみ)の家に対し、後ろ足で砂
を掛けるような真似をして良いわけがありません。本来ならば、死者を悼み、家
族を慰めてあげるのが、エホバの証人の本当の姿です。ヨブの妻をエホバが責め
たとは、聖書のどこにも書かれておりません。エホバは愛のある神だからです。
エホバの証人もエホバを見習って、(まず第一に)愛を身に付けて欲しいです。
                                    
                                        以 上

《編集者より》
ここにもまた、エホバの証人の「選択的愛」、「組織第一、個人第二の愛」の姿が見られます。あなたが経験された会衆の証人たちの、自殺した姉妹に対する態度は、1975年7月15日号、448頁(英文版)に書かれた自殺者に対する会衆の対処の仕方を忠実に守っています。そこには、自殺をはかったものは血の罪を犯したことになり、死因が自殺とはっきり確立した場合には、会衆の兄弟姉妹や長老は葬儀に出席すべきではなく、葬儀は家族の身内だけで行われるべきことが書かれています。彼らは、個人的な愛の表現よりも、聖書の愛の教えよりも、組織の規則を第一にして行動しているのです。

自殺の精神病理については、昔から議論が繰り広げられて来ましたが、最近では、自殺はすべてそれ自体病気であるとして、治療の対象とすべきであると精神科医は考えています。自殺が病気のあらわれであるとしたら、その結果を「血の罪」として咎めることには、疑問を感じざるを得ません。病人に対するもっと暖かい愛があってもよいのではないでしょうか。