組織とは?−組織に属することが救いに必要か−現役エホバの証人よりの回答

(8-4-99)

 メール初心者のつたない意見を掲載してくださってありがとうございました。
 そしてまず、私の不完全なタイトルに対して、サブタイトル「組織は証人を統制し
ているか」を付け加えて掲載してくださった事にお礼を申し上げるべきかと思いま
す。 
 ただし、私の意見は、組織が証人を統制しているかどうかに焦点を合わせたつもり
のものではなかったことを申し添えさせてください。
 組織が個人を統制するかどうかに関しては、いつか改めて論じたいと思います。今
は、あくまでも、組織に対する私個人の考え方をお話させていただければと思いま
す。

 「組織に入ることが証人になることではない」という私の考えを、言葉の遊びと受
け取られたようですので、少し述べさせてください。
 私の意見を繰り返させていただきますと、エホバの証人は、文字道理エホバの主権
の正当性を証言する人々の集まりであり、まず組織化された集団、エホバの証人の組
織に属して、証人になる資格を得るというものではない、ということを強調したかっ
たのです。
 しかし、説明が、不充分だった事を認めます。 

 あなたのご説の大学生に例えてもう少し詳しく述べるならば、、大学生と個別の大
学の生徒、たとえば東大生について考えてみましょう。

 大学生の中でも、東京大学という個別の組織に属した学生が東大生となるのであ
り、東大生と遜色のない学力を持った学生が何人集まっても東大生になるわけではあ
りません。東大生は試験を受け、東大の設けた規定に沿って、そこで学ぶ意志を表明
することにより東大という組織に組み込まれることになります。 つまり、自らの意
志でそこで学び、その集団に属することを選び東大生という大学生になるわけです。
 同じように、エホバの証人も組織に属するにあたり、何の知識もなく組織に入るわ
けではなく、エホバの主権を擁護し、その正当性を証言する者として、組織の立場を
理解、賛同し、そこで学ぶ事を望んでその組織に属します。それがバプテスマの宣誓
となります。ですから、世の中には、エホバの証人とならないエホバの擁護者が存在
する可能性は、残ります。
 つまり組織に隷属して信仰を持つのではなく、エホバに対して信仰を持ったゆえに
エホバに献身していることを公に表明し、組織を認め、そこでエホバについて学び続
ける事を決意しているのが、エホバの証人であるという意味です。
 ほかのクリスチャンは、ご自分の教会に属して信仰をまっとうされておられるはず
です。

 そして、学校に校則があるように、エホバの組織も、エホバの忌み嫌うこと、淫行
や、盗み、殺人などを犯したものを排斥する規定を持ちます。そのような罪を犯すも
のは、そこで学び続ける資格を持ちません。その意味で、確かに私達は組織から制約
を受けます。ただし、その制約が、個人の生活を統制する目的を持つと結論してしま
うのは早計かもしれません。

 たとえば、ご指摘の世代の問題について、
私個人は15年まえ研究をはじめたときから、「この理解は、より深められ、究明さ
れることにより変わる筈だ」と司会者や、周囲の人々に述べてきました。なぜなら
ば、語句の解釈に変化が起きても、終わりの日の時刻については、イエスさえご存知
なく、私達は到底知り得ない、という事実は変わらないからです。ただし、ご存知の
ように、私達の組織は、フリー討論会のような公の意見交換会のような機会は持ちま
せんから、その点について、公然と発言したことはないはずだ、とおっしゃられれば
そのとうりかもしれません。
 ただ私は、いつでも誰に対しても私の意見を公にしてきた、としか申し上げられま
せん。
  ただしそんな私もバプテスマを受け、開拓奉仕者となりました。(現在は、開拓
者ではありません)世代についての私の見解を長老や他の方々から直接とがめられた
ことはありません。もちろん反対意見を持つ方がいないというわけではありません
が、少なくともその見解を持っていることを理由に何らかの制裁を受けた記憶はあり
ません。そのことは、組織が私個人の意見を統制していない証拠とはならないのない
でしょうか。


 また、背教者の滅びに関しても少し述べさせてください。
 誰が救われ、誰が滅びるのかについては、興味の尽きないことかもしれませんが、
それは、献身をまっとうすることに深く関係しています。
 エホバの証人の組織に属していることだけで、献身を全うしているとは言えないこ
とはきっとご存知のことと思います。
 「終わりまで耐え忍んだ者だけが救われるのです」と聖書にあるように、組織に属
しているだけでハルマゲドンを通過できると述べた文書はありません。むしろ、例え
組織でどのように恵まれた立場にあったとしても、あるいは、恵まれなかったとして
も、立場ではなく、心の状態を大切にし、エホバに対しての全き専心を大切にするよ
うにすすめられています。もちろん組織にとどまることがより安全であるとも薦めれ
ています。

 文書は常に背教者の将来について可能性を述べてきました。組織から離れること
は、「 ・・・霊的な死をもたらすことがあり・・・」「・・・滅びにいたる恐れが
あります。」と。
 誰を滅ぼすかは、エホバがお決めになります。人間の関知するところではありませ
ん。 組織は、たしかに、より安全な方法を提示しますが、それに従うかどうかは、
個人の自由意志による取捨選択の決定にゆだねられます。「組織から排斥されている
者は必ず滅びる。」とか「エホバの証人以外は、必ず滅びる。」と断定した文書をお
持ちですか?「滅びる恐れがあります。」という表現と、「必ず滅びます。」という
表現は、同一の意味を持ちません。

  また、「エホバはご自分のおきてに従い、エホバの組織を擁護する人々だけが救
われる。」という表現を私は、あなたのようにエホバの証人だけが救われると解釈し
ていません。
 「組織を擁護することは、組織に属さない人間にもできます。ただ、組織を擁護す
る立場を明確にするには、組織内にいることが最善であるとは考えます。
 そして、同じようにおきてを守ることは、組織の中にいても、外にいてもできる事
であると思います。
 一番いけないのは、組織の内外どちらにいようとも、エホバを認め、おきてを知り
ながら、故意にそれを無視したり、犯したりする人でしょう。例え、組織内における
現役の長老でも、密かに意識的にエホバのおきてを破り続ける人がいるなら、その人
がハルマゲドンを通過する可能性は低いものであると理解しています。ただし、そ
れでもそれは、エホバが、その人の心をご覧になってお決めになることです。
 組織に所属しているかどうかだけで楽園へのパスポートを手にしていると考えてい
る証人はいないはずです。少なくとも私はそう考えます。
 あなたのおっしゃる、「排斥者となったものはハルマゲドンで滅ぼされるというの
は、エホバの証人の誰もが知っている教理です。」という教理を私は知りません。た
だ、そのような教理が存在すると信じている証人がいるかもしれないことは認めま
す。

 なにも勉強せずに、ただ組織に属している人間がいて、その人がエホバを愛さず、
おきてを守っていないなら、ハルマゲドンでそのような成員が滅び、あなたのように
組織や、おきてに対して真剣な考察をお持ちの方で、その方が、おきてを守ることに
おいて誠実な方なら、そしてなによりも心からエホバを愛しておられるなら、その方
が救われる可能性が零だとは言い切れないと考えています。

 私達エホバの証人は、誰でも「終わりまで耐え忍べる」よう祈り、努力するのみで
す。

  そして、私は、上記のような理由で、排斥イコール背教ではないとも理解してい
ます。組織がこれまでどのように排斥という措置をとってきたのか、これからどのよ
うにしていくのか、その実態についてはまた論じ合いましょう。


  あまりまとまっていないかもしれませんが、まだコンピューターを使いこなせな
い状態でメールしているのでごめんなさい。いろいろたりない論証かもしれません
が、お返事をお待ちしています。失礼なところがあったらお許しください。 
  
クリスチャン愛とともに        ***
 

《編集者より》
前回の「組織とは?−組織は証人の生活を統制しているか−現役エホバの証人より」のコメントに対する、同じ方からの回答です。早速、真摯なお返事を頂き、感謝申し上げます。電子メールに初心者もベテランもありません。文章が書ければ誰でも書けます。あなたの日本語のメールはアメリカで完璧に読めますのでご心配なく。

 大学生の中でも、東京大学という個別の組織に属した学生が東大生となるのであ
り、東大生と遜色のない学力を持った学生が何人集まっても東大生になるわけではあ
りません。東大生は試験を受け、東大の設けた規定に沿って、そこで学ぶ意志を表明
することにより東大という組織に組み込まれることになります。 つまり、自らの意
志でそこで学び、その集団に属することを選び東大生という大学生になるわけです。
 同じように、エホバの証人も組織に属するにあたり、何の知識もなく組織に入るわ
けではなく、エホバの主権を擁護し、その正当性を証言する者として、組織の立場を
理解、賛同し、そこで学ぶ事を望んでその組織に属します。それがバプテスマの宣誓
となります。ですから、世の中には、エホバの証人とならないエホバの擁護者が存在
する可能性は、残ります。
 つまり組織に隷属して信仰を持つのではなく、エホバに対して信仰を持ったゆえに
エホバに献身していることを公に表明し、組織を認め、そこでエホバについて学び続
ける事を決意しているのが、エホバの証人であるという意味です。
あなたが、前回のお便りで書かれた、「組織に入る事により証人になるのではなく、証人であるがゆえに組織されている」と書かれたことに対して、私が大学生の例を挙げて質問したのに対し、あなたはこの例を更に詳細に説明して下さいました。これにより、あなたの論点はより明らかになりました。ありがとうございます。それではあなたは、上の例を使えば、「東大に入る事により東大生になるのではなく、東大生であるがゆえに組織されている」とおっしゃるのでしょうか。これはあなたが上に書かれた「東大生と遜色のない学力を持った学生が何人集まっても東大生になるわけではありません」とおっしゃることと、真っ向から矛盾しませんか。つまり東大生としての資格をいくらもっても、組織、つまりここでは東大、が入学を認め、その規定を守る者だけが東大生となるのわけです。あなたはこれを認めていますね。あなたのこの例をエホバの証人にあてはめるのなら、どんなにエホバを擁護し、エホバの是認を受ける生活をしていても、それでエホバの証人になるわけではなく、組織に入り、組織の規則を守って始めてエホバの証人になるのではありませんか。つまり、あなたの前回のお便りに戻れば、あなたはまさしく、「証人であるがゆえに組織されているのではなく、組織に入る事により証人になる」ことをご自分で認めているように、私には読めます。

あなたは多分、ご自分の心の中に、書き表せない疑問があるが故に、心が揺れ動いているのではありませんか。一方で組織に入ることが証人であることの必要条件ではない(組織に入る事により証人になるのではない)と書きながら、すぐに組織を認めることがエホバの証人であるという意味であると書いています。あなたの疑問をはっきりさせるために、次の疑問に答えて下さい。

ここに学力が高校のトップで、人望もあつく、学力試験でも常に最高点をとり、東大に受験すれば確実に入れる学生がいますが、彼は個人的な理由で東大に入りたいとは思いません。もちろん彼は東大生ではありませんね。しかし、彼は別の大学に入り、しっかり勉強し、やはり優秀な成績でその大学を卒業し、社会に出て、東大出の人と同じかそれ以上の優れた貢献をしたとしましょう。さて、この人が東大に属すか属さなかったかが、決定的な違いになったでしょうか。私は、人がどの大学に属したか、どの大学を出たかが大事なのではなく、その人がいかにその能力を培い、その能力を有効に発揮したかが大事なのだと思いますが、賛成できませんか。それではエホバの証人の例に戻りましょう。ここに、エホバに対する信仰を持ち、聖書を通してエホバとイエスキリストの教えを常に学び、その教えを日夜聖霊の導きを通して自分の生活に反映させ、エホバから是認される生活を送っている人がいます。その人はエホバの証人の訪問を受けて、その教えを調べましたが、組織に属するより、聖霊の導きによってクリスチャン生活を送る決心をし、エホバの証人になることを断りました。もちろん、この人はエホバの証人ではありませんね。しかし、この人は一生自分の信仰を貫き、信仰を同じくする多くの人々と交わりながら、エホバに是認される生活を続けました。さて、この人がエホバの証人の組織に属したか属さなかったかは、エホバの目から見て、どれだけ大事なことだったでしょうか。あなたのお考えをお聞かせ下さい。

 そして、学校に校則があるように、エホバの組織も、エホバの忌み嫌うこと、淫行
や、盗み、殺人などを犯したものを排斥する規定を持ちます。そのような罪を犯すも
のは、そこで学び続ける資格を持ちません。その意味で、確かに私達は組織から制約
を受けます。ただし、その制約が、個人の生活を統制する目的を持つと結論してしま
うのは早計かもしれません。
人間の作った組織には、どのような組織でもそれぞれ人間の作った規定があります。しかし、もし全てのクリスチャンがそれぞれ、聖書を生きる規範として使っている限り、誰も淫行も、盗みも、殺人もするはずはなく、それをわざわざ規則としてそれに対する罰則を作る必要はないわけです。つまり、組織がこのような規則を作ること自体が、不完全な人間が不完全な人間を統制している証拠ではありませんか。もちろん、今述べたように、これはエホバの証人だけでなく、政党から多くの宗教団体から暴力団に至るまで、人間の作った組織の現実の姿であり、そのこと自体を別に問題にする積もりはありません。問題は、不完全な組織の不完全な人間の指導者が別の不完全な人間たちを統制する時に、エホバの権威を取り込んで、あたかも絶対的な権力を持つように振る舞うことにあります。ここがエホバの証人と、他の民主的体制の組織との大きな違いなのです。つまりエホバの証人や、カルトと言われる多くの宗教団体は、一部の指導者あるいは個人に神がかりの絶対的な権力を与え、その指導者の教えが絶対であると信じるのに対し、民主体制では初めから不完全な人間を承知で指導者として選び、その不完全な指導者を一般の会員が道を誤らせないように話し合いによって監視し続け、もし指導者がおかしな言動をとれば、すぐにでも指導者を下ろすことができます。もちろん、エホバの証人は民主体制を否定し、それに代わる「神権体制」を目指しているわけです。しかし、神権とはまさに神が支配する体制のはずです。エホバの証人はそれを神の任命を受けた(と自称する)不完全な人間が支配する体制であるとはき違えているのではないでしょうか。そして、不完全な人間の指導者に神の代弁者としての下駄を預けてしまうことにより、カルトと言われる団体と同じ問題を引き起こしているのではないでしょうか。
 たとえば、ご指摘の世代の問題について、
私個人は15年まえ研究をはじめたときから、「この理解は、より深められ、究明さ
れることにより変わる筈だ」と司会者や、周囲の人々に述べてきました。なぜなら
ば、語句の解釈に変化が起きても、終わりの日の時刻については、イエスさえご存知
なく、私達は到底知り得ない、という事実は変わらないからです。ただし、ご存知の
ように、私達の組織は、フリー討論会のような公の意見交換会のような機会は持ちま
せんから、その点について、公然と発言したことはないはずだ、とおっしゃられれば
そのとうりかもしれません。
 ただ私は、いつでも誰に対しても私の意見を公にしてきた、としか申し上げられま
せん。
  ただしそんな私もバプテスマを受け、開拓奉仕者となりました。(現在は、開拓
者ではありません)世代についての私の見解を長老や他の方々から直接とがめられた
ことはありません。もちろん反対意見を持つ方がいないというわけではありません
が、少なくともその見解を持っていることを理由に何らかの制裁を受けた記憶はあり
ません。そのことは、組織が私個人の意見を統制していない証拠とはならないのない
でしょうか。
制裁を受けるか受けないかは、反対意見を持つか持たないかよりも、どれだけあなたがそれを公の場で明らかにしたかによるでしょう。あなたは女性であると私は理解していますが、エホバの証人の世界では、女性は指導的発言をすることはできませんので、あなたが個人的な意見を述べても、余り問題にならないことは理解できます。私は、1995年の「世代」の教義の変更の前から、何度もエホバの証人の方々とこれに関して討論をしました。私も、マタイ24:36に明確に書かれている、「終わりの日の時刻については、イエスさえご存知なく、私達は到底知り得ない」から、「世代」であるとか、実際の年代を明言して終わりの日を予告すること自体が、イエスの教えに真っ向から逆らうものではありませんか、と質問しました。しかし、私の知っているエホバの証人は、誰一人として、私の聖書に基づいた疑問に答えず、ただただ、ものみの塔の公式の教えをオウムがえしにするだけでした。あなたは、もし私があなたと1994年に聖書研究をしていたら、あなたは私に賛成して、「これは変わる筈だ」と言ったというのでしょうか。私には到底信じられませんが、まあ、これは過去のことを振り返っているので、仮定の議論として物別れになるだけでしょう。

ここでは、もっと実りのある議論をしたいと思います。それで、いかがでしょう、現在のエホバの証人の教え、あるいは「理解」の中で、あなたが「究明されることにより変わる筈だ」と思っているものがありましたら、ぜひ教えて頂けませんか。たとえば輸血の問題はどうでしょう。なぜ協会は「血から避けていなさい」と言いながら、なし崩しに多くの血液成分を体内に取り入れることを許しているのでしょう。どうして、血漿成分であるアルブミン、グロブリン、フィブリン、凝固因子などを別々に体に取り入れることは構わないが、それらを血漿として一緒に体に取り入れることはいけないのでしょうか。もし聖書が血を体に取り入れることを全て禁止しているとすれば、どのような成分であろうと、全てすっきりと拒否すればいいではありませんか。もし、ある血液成分が「良心の問題」として受け入れてかまわないのであれば、それらの血液成分を一緒にしたものもまた「良心の問題」ではありませんか。そもそも、聖書のどこにこのような血液成分を分けて使ってもいいとか悪いとか書いてあるでしょう。これは不完全な人間の作った人間による規則ではありませんか。それをあなたがたは、文字通り命をかけて守っているのではありませんか。

もしあなたが、これに関して「究明されることにより変わる筈だ」と考えるのなら、あなたはそれを自分の心の中に秘めておくべきでしょうか。この不完全な人間の規則のために、世界中で毎年何人もの人が命を落としているのです。イエスはこのような状況で、「究明されることにより変わる筈だ」からと言って、当時の指導者の理不尽な規則に黙って従いましたか。いいえ、彼は宗教指導者の怒りを買うことを充分承知しながら、公然と安息日に病人を癒し、人間の作った規則に挑戦しました。決して「エホバに待て」などと言って、病人が死んでいくのを指をくわえて見てはいませんでした。あなたも今からでも遅くはありません、聖書に基づかない、ものみの塔の不完全な規則に、イエスのように公然と挑戦して下さい。エホバは組織につくのではなく、義と真理につくはずではありませんか。

 また、背教者の滅びに関しても少し述べさせてください。
 誰が救われ、誰が滅びるのかについては、興味の尽きないことかもしれませんが、
それは、献身をまっとうすることに深く関係しています。
 エホバの証人の組織に属していることだけで、献身を全うしているとは言えないこ
とはきっとご存知のことと思います。
 「終わりまで耐え忍んだ者だけが救われるのです」と聖書にあるように、組織に属
しているだけでハルマゲドンを通過できると述べた文書はありません。むしろ、例え
組織でどのように恵まれた立場にあったとしても、あるいは、恵まれなかったとして
も、立場ではなく、心の状態を大切にし、エホバに対しての全き専心を大切にするよ
うにすすめられています。もちろん組織にとどまることがより安全であるとも薦めれ
ています。
それでは、組織に属することなしにハルマゲドンを通過できると述べた文書はありますか。これは無いと思います。最初の議論に戻りますが、あなたの論理の帰結として、組織に属することは確かに充分条件ではないかもしれませんが、それが必要条件であることは、当然の論理の帰結ではありませんか。
 文書は常に背教者の将来について可能性を述べてきました。組織から離れること
は、「 ・・・霊的な死をもたらすことがあり・・・」「・・・滅びにいたる恐れが
あります。」と。
 誰を滅ぼすかは、エホバがお決めになります。人間の関知するところではありませ
ん。 組織は、たしかに、より安全な方法を提示しますが、それに従うかどうかは、
個人の自由意志による取捨選択の決定にゆだねられます。「組織から排斥されている
者は必ず滅びる。」とか「エホバの証人以外は、必ず滅びる。」と断定した文書をお
持ちですか?「滅びる恐れがあります。」という表現と、「必ず滅びます。」という
表現は、同一の意味を持ちません。
「必ず滅びます」という表現がないから、その結論が出ないというのは、これも言葉の遊びにすぎないのではないでしょうか。同一の意味は持ちませんが、読む者を同一の結論に導くことは変わりません。前回の回答で引用した出版物以外にも、例えば次の王国宣教の記事を見てみましょう。
*** 宣 90/11 1 研究生をエホバの組織に導く ***
研究生は,イエスがヨハネ 10章16節で述べられた「一つの群れ」で表わされている組織についてよく知る必要があります。彼らは,エホバの組織と交わることが救いのための肝要な要素であることを認識しなければなりません。
あなたが病気の時に、医者があなたに、「この薬をのむことは、病気が治るために肝要な要素である」と言ったら、病気が直りたいと必死に願うあなたは、「医者はこの薬は必ず必要だとは言わなかった」と言ってその薬を飲まないでしょうか。正直な気持ちで考えて下さい。あなたは、特に他に効く薬がないことを教えられていれば、必ずその薬を飲むはずです。同様に、救われたいと必死で思う研究生が「あなたの救いのために組織と交わることが肝要な要素である」と言われたら、それに従う以外に選択の余地がないのは当然ではありませんか。滅びたくないと願う人間の誰が、「滅びる恐れがあります」と警告されたことを敢えてやるでしょう。言葉がどう受け止められるかは、同じ言葉であっても、聞く者の状況によって違う意味を持ってきます。街角の占い師が「あなたが明日飛行機に乗れば滅びる恐れがあります」と言っても、それは文字通りの弱い意味しかありませんし、多くの人には何の権威もないでしょう。しかし、エホバを愛し、エホバによる救いを命がけで求めている人々が、エホバの組織の指導者から、「組織から離れれば滅びる恐れがあります」と言われれば、それは死にかけの病人が、世界的な名医から「この薬を飲まなければ死ぬ恐れがあります」と言われたのと同様で、どのような言葉の表現を使おうと、実質的には絶対的な権威を持つ忠告になるのです。

また、あなたはエホバの証人として、当然、羊とやぎを分ける教えはご存知でしょう。ハルマゲドンの時点で「やぎ」と分けられた人は必ず滅びるという教えもご存知でしょう。また、排斥されて悔い改めない者、エホバの証人の教えを聞いてもエホバの証人になることを拒否し続けた者は「やぎ」とされることもご存知でしょう。そうであれば、「背教者」、「反対者」イコール「必ず滅びる者」とどこにも明言していなくとも、どちらもイコール「やぎ」なのですから、A=B、B=CであればA=Cとなる論理の帰結により、「背教者」、「反対者」イコール「必ず滅びる者」となるのは当然ではありませんか。これは、直接言いにくいことを明言するのを避けるために使われる、論理の常套手段で、ものみの塔はこの論理をその出版物の中でふんだんに使っています。

  また、「エホバはご自分のおきてに従い、エホバの組織を擁護する人々だけが救
われる。」という表現を私は、あなたのようにエホバの証人だけが救われると解釈し
ていません。
 「組織を擁護することは、組織に属さない人間にもできます。ただ、組織を擁護す
る立場を明確にするには、組織内にいることが最善であるとは考えます。
 そして、同じようにおきてを守ることは、組織の中にいても、外にいてもできる事
であると思います。
確かに、ハルマゲドンの時点で研究を始めたばかりの人は、組織には属しませんが、その人たちにも救いの可能性があるというのは、ものみの塔の教えて来たことです。しかし、充分なエホバの証人の情報を得て、それでも組織に入る決断をしなかった人間は、「やぎ」とされる、ということも、ものみの塔の教えです。次のものみの塔の記事をご覧下さい。残念ながら、私は日本語版を持ち合わせませんので、英文を引用させていただきます。
The "goats" would also include those husbands and wives who have believing marriage partners but who, in spite of the good example of their believing marriage mates, are found to be still unbelievers in the day and at the hour of the execution of God's judgment against this enemy world; also, the children of a believing parent or the children of believing parents (fathers and mothers), which children were once "holy" as minors, as unresponsible children, but who have grown up to responsible years and have refused to become dedicated, baptized believers by the time that divine execution upon the "goats" begins.-1 Cor. 7:12-16.(ものみの塔1965年3月15日175-6頁 英文版)
現代の日本の若い人々はほとんど英語を読むと聞いていますので、全文を訳しませんが、ここでのポイントは、エホバの証人の家族の未信者には救いはないということです。たとえば、エホバの証人を妻に持つ夫が、その妻の宗教活動のために多くの便宜をはかり、直接間接に組織を擁護し、集会にも時には参加し、その道徳的な教えに共鳴し「おきてを守る」生活をしていたとしましょう。しかし、その夫はこの組織に今一つ納得がいかず、妻の勧めにもかかわらず、バプテスマを受けた献身したエホバの証人にならなかったとしましょう。ものみの塔はこのような家族は「やぎ」である、つまりハルマゲドンで滅ぼされると教えているのです。

もちろん、この夫はエホバの証人としてのすべての「おきて」を守ってはいませんから、そのためにこの夫は滅ぼされると、あなたはおっしゃるかもしれません。しかし、エホバの組織を全面的に擁護し、エホバの証人の全てのおきてを守ることが、エホバの証人にならずにどのようにできるでしょうか。教えて下さい。

あなたは、組織に属さなくとも組織を擁護し、おきてを守ることはできる、と書かれていますが、そのことが「羊」になることに充分な条件であるとは、ものみの塔の文書はどこにも教えていません。もしあなたがそのような文書をご存知でしたら、是非教えて下さい。むしろあなたのおっしゃることと逆に、上に引用したように、「献身してバプテスマを受けた信者になることを拒否する」限り、組織を擁護しようが、おきてを守ろうが、「やぎ」になってしまう、というのが現在でも続く教えではありませんか。つまり、最初の議論に戻りますが、ものみの塔の教えでは、エホバの証人になることが救いに不可欠の条件であると結論せざるを得なくなるのではありませんか。

 なにも勉強せずに、ただ組織に属している人間がいて、その人がエホバを愛さず、
おきてを守っていないなら、ハルマゲドンでそのような成員が滅び、あなたのように
組織や、おきてに対して真剣な考察をお持ちの方で、その方が、おきてを守ることに
おいて誠実な方なら、そしてなによりも心からエホバを愛しておられるなら、その方
が救われる可能性が零だとは言い切れないと考えています。
私はあなたのこのお考えにとても興味があります。組織に属するか属さないかよりも、一人一人の心の状態の方が大事である、と私も思います。多くのエホバの証人の中に、あなたも含めて、エホバに是認される人々がいると私も思いますが、ものみの塔の組織に属さずともエホバに是認されるであろう人も、必ず多くいると私は信じています。(私は自分がその一人であると言う積もりは全くありませんので誤解しないで下さい。そのような一人になれればと願っているだけです。)私は、どのような組織の中にも、あるいは組織の外でも、必ず「めざめている」人々と「ねむっている」人々とがいると思います。私はあなたがエホバの証人の中の数少ない「めざめている」人の一人ではないかという気がします。私はエホバの証人の組織の外にいて、「めぜめている」人間でありたいと願い、エホバの証人にめざめてもらいたいと思って努力しています。そうであれば、組織を超えて「めざめている」人間同士が交わり合うことは、素晴らしいことであり、大事なことではありませんか。しかし、あなたは、エホバの証人として、それでも「組織」がなければ正式な信者の交わりができない、とお考えかもしれません。「めざめている」人間だけが集まる組織はあるのでしょうか。

私はイエス・キリストと聖霊が人間に与えられたのは、まさにそのような懸念と必要のためではなかったか、と考えます。イエス・キリストが来られるまで、人々は不完全な人間の組織(王や国)に頼っては、エホバの失望をかい続けてきたことを、聖書は詳細に記録しています。それと対照的に、イエス・キリストは不完全な人間の組織に代わる完全な組織を与えて下さいました。もちろん、その後でも、不完全な人間の組織に頼る人々が後を絶たないのは、キリスト以後の人類2000年の歴史の証言する所です。多くの人々が不完全な人間の組織に所属することでねむりこけてきました。しかし、注意深く歴史を見、現在の世界を見る時、私は多くの不完全な人間の組織のかげに、多くのイエス・キリストに直接「組織」された「めざめた」個人個人を見ることができるのです。あなたもこの完全な組織に加わりませんか。この組織はもはや、「協会」「教会」「教団」「法人」「神社仏閣」への所属を超越しています。ただ一つ、残念なことはこの組織は心の目でしか見ることができません。目に見えないものを一切信じない人々は、これをおとぎ話として一笑に付してしまうのも仕方がないかも知れません。

  あまりまとまっていないかもしれませんが、まだコンピューターを使いこなせな
い状態でメールしているのでごめんなさい。いろいろたりない論証かもしれません
が、お返事をお待ちしています。失礼なところがあったらお許しください。 
大変長い返事になり、すいません。しかし、私の真意をくみ取って頂ければ幸いです。あなたはエホバの証人の組織の中にいる人、私は正直に申し上げてその組織に反対する人です。(しかし、私がエホバの証人の個人個人には何の悪意も持っていないことをあなたはもう理解して頂けたと思いますが…)しかし、私たちはお互いに何か共通する価値と目標を持てるような気がしてなりません。私は何よりもあなたの真剣で真摯な態度に心からの敬意と賞賛を申し上げたいと思います。今後も対話が続けられることを願っています。