研究生からのエホバの証人へのメッセージ

(8-3-98)


 はじめまして。大学で数学を研究しているもの(28)です。
 HP拝見させていただきました。稚拙でくだらないページの多い中、このサイトは本
物でした。他にもチベット問題等社会的に影響力のあるページがありますが、このよ
うな有意義なものが中心となってインターネットが発達していったらと願っておりま
す。
 さて私はエホバの証人ではないですが、聖書を読みたいと友人にいったところ「新
世界訳」が良いと勧められ、エホバの証人から任意料金で購入しました。「創世」か
ら読み進めて行くと、確かに力強い訳で、かなり知的水準の高い人が英語訳、日本語
訳をしていることが分かりました。しばらくすると、再びエホバの証人が訪問し、「
知識」なる本を無料でゆずってくれました。それから、毎週この証人が訪問し一緒に
読んでいます。この本は見かけよりも難しく、エホバの証人独特のイデオロギーで満
ちています。しかし、最初は聖書理解の助けになればと思い、また、イデオロギーの
実態についての知識も得たいと思い、この家庭聖書研究を嬉しく思っていました。い
ろいろな集会にも誘われるのですが、信者ではないので、ニサン14日のキリストの命
日に王国会館に一度行ったきり、意識的に参加しないようにしています。
 私のところに訪れる証人は18歳の利発な男の子で、礼儀正しさ、人柄の良さは疑う
余地ありません。母親、姉がやはり証人で、妹はまだ幼いのでバブテスマを受けてい
ないそうです。父親は証人ではないそうですが、理解はあると言っています。最初は
玄関先の小窓を通して応対していたのですが、今では家の中に招き、お茶くらい出す
ようにしています。聖書に関する知識は素晴らしく、殆どの質問にエホバの証人とし
て適切な解答をします。ただ、私が読むキリスト教史などに話が行くと、対照的に暗
いのです。彼くらいの知性があれば一般教育を進め、豊かな社会生活が送れるのにと
思うのですが、大学には行かず、宣教に専念するそうです。思うに彼の精神基盤は幼
年時より証人としてのものであり、離脱するとすれば、一から人生をやり直すことと
同じになるのではないでしょうか。
 私自身は、自然科学を中心にいろいろなことを学んできましたが、信じている世界
観は自分の感じ方のみに基づいています。没我的になることイコール社会的責任の放
棄。所属団体への最低限の義務(例えば選挙)などの考えは年齢とともに行動基準の
中心に強く根付いている気がします。18歳の彼に直接ぶつけるのは心苦しいので、こ
こをお借りして少し「エホバの証人」批判を行ってみたいと思います。ここでの考え
は、私にとって正しいと思うことで、決して普遍的なものではないことをご了承くだ
さい。以下エホバの証人へ。
 まず、「自分の意志ではなくエホバの意志を行え」がどうしても受け入れられませ
ん。社会の弊害をサタンの仕業とか、エホバの意志を行わなかったからだとか超越的
に評価してしまうのは、人間精神として退化する方向に向かっています。人類史は長
きにわたって、主に宗教戦争などからの反動により、近代精神を養ってきたのであっ
て、人間はただその人の持っている倫理にのみに基づいて行動するべきだと思います
。クリスチャンであっても、この倫理をキリストと同一視してはならないと思います
。倫理は個人に属するものだからです。それは物事の詳細についての明快な答えは与
えてくれません。ただ正しそうな方向性を感じさせるだけです。時として良心に基づ
いた行為が悪い結果をもたらすこともあります。この失敗から自発的にいろいろなこ
とを学び、自分の倫理を成長させていかなければなりません。聖書講読はこのような
倫理観を養うことのみに用いるべきだというのがイエスのパリサイ批判の意味するこ
とだと思います。人類史的にも、倫理は集団的にいろいろな社会問題、社会意識を経
て成長してきました。エコロジー、男女平等などです。医療倫理などは答えの出にく
い難しい問題だと思いますが、人類はこれらを解決していく義務があります。ある困
難な局面に遭遇したとき、エホバが呼び掛けて正しい答えをはっきりと告げてくれた
ことがありますか。滅多にはエホバは教えてくれないのです。それゆえに、エホバの
証人には行動規範となる諸冊子が必要になるのです。これは、明らかに人間が作った
ものです。「ものみの塔」の権威云々という論理を展開するまえに、直感で感じてみ
てください。「ものみの塔」が採用している、書かれたものからの論理展開というヘ
ブライイズムより、偏見なしに感じるということが大事です。感じ方は個人差があり
ますが皆自身の感性に拠るしかありません。これは、文書化された細かい行動規範に
従うより困難なことです。聖書でも「狭き門より入れよ」というではないですか。フ
ァシズム・ナチズム・社会主義の崩壊が示したように没我的集団行為は滅びに至るの
です。
 科学と社会の世界観が同調しているという観点に立つならば、アインシュタインの
相対論は、座標系の中心、時間も含めた宇宙の中心を各個人に置き換えました。これ
はニュートンの絶対空間を否定するもので、各座標、各個人を結ぶのは少数の変換法
則です。これを各個人の人生、今現在というのを充実させ、個性を重視することに繋
げてもよいと思われます。科学をサタンによるものとして否定するのでしたら、以下
をもって反駁したく思います。「知識」によると神は実証のためにサタンと悪を存続
させているそうですが、科学的精神とはこの実証と同じものではないでしょうか。実
証は公正な行為です。エホバの証人に最も欠けているのは公正さです。私や村本さん
のようにエホバの証人でないものが、その教義を客観的に調べているのですから、エ
ホバの証人も同じだけ我々の意見を聞き、距離を置いてでも云わんとするところを理
解するべきではないでしょうか。本当に信仰が強いのでしたら、他のキリスト教、思
想文献を調べることは、自分の信仰の実証になりませんか。イエスだって、悪を退け
る前に自らを誘惑にさらしたのですから。
 どうか超越的な論法に警戒してください。「聖書は霊感を受けて書かれているから
一語一句正しい。」は、「聖書は信仰の深い人が書いたので、神聖で尊重すべきもの
」となるべきです。人間の世界観は時代とともに変わります。時代が持つ固有の概念
をもってしかその時代の人が読める物を書けません。現代では殆どの人が終末観を持
っていませんが、ギリシャ語聖書のころは当たり前にみんなが持っていたのです。自
分の足で研究を進めて、聖書の各部分が書かれた時代背景を調べてください。あなた
方が重視する「啓示」は原始キリスト教会がローマから最も迫害された暗い時期に書
かれたのです。
 「世の物はサタンからのもので諸悪の根源である」とは思わないでください。世の
中には素晴らしいものがたくさんあります。実際、「サタンからのもの」なしには一
日だって生きることができないではないですから。その暮らしがそんなに苦痛ですか
。私自身、エホバの証人に接する前は、「実在するサタン」などという概念を知らな
かったのですが、そのような人は大勢います。中には知らぬまま素晴らしい人生を送
る人がいますが、彼らの人生がサタンにより操作されているのでしょうか。私は18歳
の彼から「社会はいいものとは言えませんよね、これはサタンによるものだからです
。」と自信をもって聞かされたときぞっとしました。私の意識の中に、当然のことと
して「社会は弊害が多いが人類全体でより良いものに育てていかなければならない」
とあったからです(これからもずっとそうです)。彼の場合、このような意識を持っ
たことがないのかも知れませんが、普通の教育を受けてきた人があのような考えを持
つのは、問題の放棄であって、安直さを好む行為です。現実はそんなに理路整然と論
じうるものではありません。いろいろな困難、矛盾を持ちつつ、解決しつつ暮らして
いかなければならないのです。
 どうか字義通りにものを解釈するのを止めてください。「聖書」は根底にある精神
が大事であって、これを捉えるのは困難で個人差があると思いますが、これこそ価値
のあることです。当然のこととして、話には強弱があります。重要でない記述を「言
質を取った」ふうにイデオロギーの肯定に使うのを警戒してください。私は「啓示」
とそれを引用している「知識」を読む前は「創世」の蛇をサタンとはとても思い付き
ませんでした。それから、そのままの文章「女の胤が蛇の頭を砕く」からエホバの最
重要計画を導くのは無理です。
 自己を相対化し、分析的に物事を観て総合的に判断する力を養ってください。「聖
書」からも自立的にいろいろなことを学べます。ユダヤ教は本質的に選民思想でした
。「割礼」は、他と自分達を区別する身体的に決定的な印としてあったのです。もの
みの塔の生活規範は、この割礼に代わるものとして上層部が与えるものです。文字通
りの「割礼」が今ではナンセンスであるのと同様、冊子の内容は、従うことがエホバ
の証人としてのアイデンティティを保持するためだけに重要なのであって、実際には
ナンセンスなものがあるかも知れません。どうか鵜呑みにはしないでください。
 予言を警戒してください。私は自分は人間として存在している間以外は、いかなる
形でも全く存在しないと確信しています。もちろん終わりの日における復活もありま
せん。「無」になることの恐怖、現実の苦しみから人間は逃れられないのです。正直
に言いますが私は「地上の楽園」も「永遠の命」も望みませんし、到来もしないと思
います。永遠の命は生を希薄化すると思います。困難なこと、特に不当な苦しみは嫌
いますが、自分で環境を改善するしか解決策はないと思います。
 最後に、人間には完全な真理は得られないと思います。ただ真理に近づくこと、物
事を観るある側面を得ることのみが可能なだけです。常にそうするように努力しなけ
ればならないのですが、予言の解釈を含め、エホバが知っているような絶対的な真理
はいかなる手段によっても手に入らないと思います。
 勇気をもってものみの塔を離脱してください。「信仰するものが迫害される」とあ
りますが、「エホバの証人とは別の自分自身の信仰を持ったときに、エホバの証人達
に迫害される」に当てはめられませんか。実際にどのような迫害を受けるかは私には
想像できませんが、このサイトを観て、エホバの証人から離脱することに伴うトラウ
マについては考えさせられました。自分が強く信じて行ってきたことを否定するする
のは、とても傷つくことです。それでも、本当に生きようという意志があれば、いつ
かは平穏な信仰をもって豊かな社会生活がおくれるようになると信じています。

《編集者より》
エホバの証人の方で、この研究生の方が提起された問題点や疑問を明らかにして下さる方は、是非お便り下さい。ここに述べられている疑問は他の方々に共通するものです。エホバの証人の立場から、詳細な返事が頂ければ、多くの読者の役に立つものと思います。是非お願いいたします。


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