元エホバの証人からエホバの証人について

(7-30-98)


初めてお便りいたします。僕は現在はエホバの証人ではありませんが、13歳まで母
親がエホバの証人で、ぼくもいっしょに聖書を学んでおりましたのですが、母親が排
斥されてしまい、僕も一緒に脱会いたしました。
そして、エホバの証人についてもう一度考えてみたいと思いメールを送らせてもらい
ました。
まず、僕はエホバの証人については、別に好きでも嫌いでもありません。ただまだそ
のときは子供でしたから集会に行く時間にテレビアニメがありまして、それをみたい
と思っていたのですが、集会のために見ることのできなかったので、学校内のはやり
についていけなかったと言うことぐらいしか覚えてません。

それでは学の無い自分が貴方にどのくらい伝わる文章を書けるか心配なのですが疑問
に思えたことを書きます。
はじめに、この宗教(エホバの証人)が脱退したり排斥されたりした元信者に、冷酷
な仕打ちがありかなりの人がこの恐怖から精神疾患に陥ると書いてありましたが、自
分の体験、自分の近くの同じ排斥または脱会した兄弟姉妹をみてもそんな風になった
人は見たことがありません。
僕たちは特異な存在だったのでしょうか?
それに、脱会したらほかの兄弟姉妹に会いにくくなるのは当たり前のことで、もし街
角で出会ってもたぶん無視されるでしょうし、冷たい視線を浴びせられても、それは
宗教云々ではなく、その無視した相手の人の人間性でしょう。それを精神的リンチと
呼べるわけはないのはご存じのとうりです。それ以外にものすごい精神的虐待がある
というのなら、僕はその精神的虐待をされた人と会って喋ってみたいです。そして僕
の経験上と照らし合わせてみたいです。

それと、彼らはマインドコントロールされ目も耳も心も閉ざされ、奴隷のように組織
の言うなりに右往左往する人間に変えられていると認識されていると言われました
が、僕の経験上はそこまでひどいものではありませんでした。オウムみたいに変な修
行をさせられるわけでも無し、統一協会みたいに集団結婚するわけでも無し、(僕は
ほかの宗教を悪く言うつもりではありません。ただ自分にとって変だと思った宗教に
ついてのことです)神の心理がどうのこうのという難しいことは子供だった頃の自分
にはわかりませんが、結構居心地が良いとすら思いました。それも自分がマインドコ
ントロールされていたからでしょうか?

あと高専についての問題ですが、裁判に訴えるのは合法であり、それ以外の方法がな
かったのではないでしょうか?
宗教ではある一定の決まり事があるのはどの宗教でも一緒だと思います。それをやく
ざを批判しながらやくざが自分たちを守ってくれるときは最大限利用するという態度
に似てるとは思いません。
たしかにエホバの証人はこの事物の体制は全てサタンからでたものであると言ってい
ます。だから政府も裁判所も法律も選挙も指示していません。
しかし、エホバの証人からしてみればこのサタンの世の中にあっても生きていかなけ
ればならず、エホバの証人にも人権があり(一部認めてない国もある)ます。やはり
あなたからみても合法手段で勝利を重ねたエホバの証人はオウムの非合法なやり方よ
りは良かったのではないでしょうか?。それにイスラム国家のイスラム教から見ても
エホバの証人の方がまだ日本の憲法から見てみれば合法的だと思います。
イスラム原理主義の詳しい内容は知りませんが彼らも神を信じる宗教に属した人々で
す。しかし、あまり自分から見て合法的のようには見えなく、むしろ武力を使い力で
制圧するように見えるのですが、このホームページには今はやりのカルト宗教のこと
ばかりで、そういったことにはあまり触れていないように思えたのですが・・・ 自
分の勉強不足だったらすいません。

そして最後に、神社仏閣につれていくこととエホバの証人の集会につれていくことは
違うと言われましたが、確かにそうだと思います。エホバの証人の集会に毎日毎日つ
れていき、その賛美歌を歌い、伝道活動をして真理を追究することと、お賽銭を上げ
て「どうか今年も良い一年でありますように」と一年に一回祈るのでは全然違いま
す。ですが僕自身子供の頃の記憶にマインドコントロールを植え付けられたとは、あ
まり思えません。
そしてそれは計り知れない傷ともなってないです。

ただあのときは何だったのだろうとふと考えたりしますが、間違いであったとも思え
ません。

私はエホバの証人を脱会してから別にまた戻りたいとは思いませんが、別に悪い宗教
だとも思っていません。
そしてこのことを、自分の解釈または見解だとも思っています。
人にはそれぞれの見方があるという意見に賛同します。なぜなら人の数だけ真理があ
り真実があり事実があると思っているからです。
そしてこれは、人が「そうだ」と認識してからこそ新しい真理や真実や事実が見えて
くると思うからです。

乱文申し訳ございませんでした。できましたらご返事お待ちいたしております。それ
では


《編集者より》
脱会したり排斥されたりした元信者への扱いですが、確かにあなたの言うように、夫々の人の性格や状況が大きく影響していると思います。確かに脱会後も表向き普通の人間関係を続けている人もありますが、全くの絶交状態になった人も多くいます。この違いには幾つかの理由があるでしょうが、最も大きい要素は脱会前後のその人の態度でしょう。エホバの証人とその組織を批判することにより排斥され、排斥された後もその批判を止めない人に対しては、最もし烈な仕打ちがされるでしょう。それに対してちょっとした過ちで排斥されたり、不活発になった果てに脱会した人に対しては、精神的虐待どころか、きっと暖かく接してくれるはずです。あなたもこのような範疇に入る人ではないでしょうか。彼らがあなたのような人を虐待しないのは、いつかあなたが「悔い改めて」エホバの証人として戻ってくることを期待しているからです。それに対して批判を続けている人は、エホバの証人に戻ってくる可能性はゼロであり、そのような人にはエホバの証人は冷たい仕打ちをします。

組織の言うなりに右往左往する人間に変えられた経験がないとのことですが、これも個人の感受性の違いが大きいと思います。エホバの組織の中で居心地の良い思いをしているのは、大部分のエホバの証人の主観です。そうでなかったらこの組織はここまで成長しないでしょう。元統治体のメンバーであったレイモンド・フランズも長年の間、この居心地の良い組織に安住する人間でした。自分がエホバに従っているという錯覚の元に組織という人間の集団に忠誠を誓っているという認識は、自分が危機的状況におかれて、組織への忠誠とエホバへの忠誠との板挟みになって始めて自分の実感としてつかめたのです(これが「良心の危機」なのです)。ほとんど一般のエホバの証人にはそのような体験をする機会はありませんが、少数の人が隠された情報を調べたり、鋭い洞察力を持って、この組織の実態に気がつくようです。

エホバの証人が、少しの例外的な場合を除いて、一般的に法律を守る人々であることは私も意義はありません。また彼らには裁判に訴える権利もあり、それも合法です。私がここで述べているのは、合法か非合法か、権利があるかないか、という議論ではありません。彼らが法律を最大限に利用してその恩恵を被っているのなら、その法律を作り、育て、守っていく仕事に、エホバの証人も参加すべきだということを言っているのです。ある事の恩恵を享受しながら、その恩恵を与えるものを攻撃し、それに貢献しないという態度は、典型的な偽善者の態度ではないでしょうか。これはエホバの証人が多くの血液製剤を使用して自分たちの健康を保つ恩恵に浴しながら、一切献血活動を拒否し、批判しているのと同じ事です。法律的には彼らは何も間違ったことはしていません。しかし道徳的には彼らの行っていることは全くの偽善です。彼らは文字通り他人の血を吸って生きているのです。

子供時代のエホバの証人としての活動が子供に与える影響も、これは個人差の問題と思います。確かにあなたのように感じる人もいるでしょうが、貴重な子供時代の最も大事な時期に、別の様々な体験をする自由を奪われていた傷を、後々まで持ち続ける人も沢山いるのです。


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