「イエスはどのような神なのか−ヨハネの書1:1の解釈」に対する意見

(7-17-99)

 「イエスはどのような神なのか−ヨハネの書1:1の解釈」に対する意見

  拝見しますと、貴殿はヨハネ1:1から、キリストは神そのものではないかと考
えておられるようです。確かにこの聖句だけでは、「言葉は神そのもの」で「イエ
スは神だ」とも結論付けることもできます。
  では、他の聖句はどうでしょうか。またイエス自身の見解はどうだったでしょ
うか。イエスは地上におられた際、自分が「天の父」と同格であるとは考えません
でした。ある人がイエスのことを「善い方」という称号で呼びましたが、きっぱ
りと否定なさっています。むしろ、謙遜にも「父はわたしよりも偉大な方である」
とはっきり述べておられます。(ヨハネ14:28)またイエスは全能者でなかったの
で、世の終わりのときについてご存知ではありませんでした。(マタイ24:36)イ
エスがエホバであるなら、イエスは死ななかった(つまり、肉体が滅びなかっ
た)はずです。では、イエスは何者なのでしょう。
  広辞苑第五版で「イエス」の項を調べてみると、イエスには「ヤハウェ(エホバ)
は救い」という意味を持つことが分かります。ですから、お名前からしてもイエ
スが神でないことは明らかです。ユダヤ人にとって名前は単なるレッテルではあ
りませんでした。名と訳されるギリシャ語には「権威、名声」の意味があるから
です。イエスが神であったならこの名はイエスにとって肩落ちだったに違いあり
ません。
 もう一つは、「キリスト」という語です。キリストには「油を注がれた者」という
意味があります。ヘブライ語は「メシア」です。この語は、西暦前のユダヤの王に
も用いられています。彼らは、王になる前、エホバから任命されたことを表すた
めに祭司から香油をかけられました。この語はそのことから派生して、「エホバ
から任命された、ユダヤ人の王となる約束の胤」を表しているようです。エホバ
から任命された者がエホバと同一でしょうか。それは矛盾しています。
  ですから、ヨハネ 1:1の節も、イエスが神であることを述べているのではあり
ません。多くの聖書学者も貴殿と同様に解釈しているのは分かります。しかし、
聖書学者がいつも正しいことを主張するわけではありません。1世紀の書士たち
は、聖書に通じていましたが、イエスを受け入れませんでした。反対に無学なマ
タイやペテロが真理を受け入れたのです。ですから、聖句を考慮する際、聖書学
者に頼るのではなく、聖書に頼るべきです。いくつかの聖句を比較、参照すれば
わたしが述べたことも容易にご理解いただけるものと存じます。

《編集者より》
このご意見は、 「イエスはどのような神なのか−ヨハネの書1:1の解釈」に対するものです。これは私が執筆した文書ではありませんので、直接著者に回答をお願いしました。回答がもらえましたら、追って掲載します。なお、あなたの「聖書学者に頼るな」というアドバイスは、ものみの塔協会にも向けられたらいかがでしょう。ものみの塔協会は、この部分の聖書の解釈に、何度も「学者」を登場させています。問題は、ものみの塔協会が自分たちの見解と近い見方をする学者のみを引用していることです(例えば「聖書より論じる」171頁)。ものみの塔協会が「聖書に頼る」だけでは自分たちの立場を説得できないので、「学者に頼る」のではないでしょうか。そしてもし「学者に頼る」のであれば、多くの学者の見解を紹介して、比較して見るのが公正な態度ではないでしょうか。自分たちに都合のいい学者だけを自分たちが引用しておいて、後は「学者に頼るな」というのは、子供じみたわがまま議論ではありませんか。