現役の正規開拓者・奉仕の僕の意見

(7-4-99)

こんにちは。ホームページを見させていただきました。
読者の広場を読んでみましたがなかなか面白かったです。
ただ、編集者のコメントがあまりにも反エホバの証人的な
意見なので、何も知らずに見ている人は、知らないうちに
エホバの証人嫌いになってしまいそうですね。

ところで私はいわゆる現役のエホバの証人で正規開拓者・奉仕の僕の
特権をいただいている20代前半の若者です。集会に行き始めたのは
小学校2年生頃でしたが、バプテスマを受けたのは高校3年生の
卒業直前でした。そして大学在学中に開拓奉仕をはじめました。

エホバの証人に反対している人のほとんどは、協会の人たちの
ミスを取り上げて批判していますが(たとえば終わりの日に関する
見解など)、人間に完全さを求めるのは無理だと思いますよね。
研究していくと、実はいままでの考えは違っていた、なんてことが
あっても、人間であれば別におかしくないと思うのですが。
それこそ、科学の世界では見解の調整など日常茶飯事ではないでしょうか?
研究が進んで新しいことがわかると、過去のことで偽りモノ呼ばわりされる
というのも辛いと思います。
ですので、私は自分なりにエホバと組織に関して平衡のとれた見方を
しているつもりですが、そうすると反対者たちの言っていることが
的外れに聞こえてしまうのです。人間の組織の間違いによって
神への信仰を失うというのは、ちょっと変です。

さらに、エホバの証人も大きな組織なので中には変わりモノもいますが、
それも外部の人を混乱させていると思います^^;。組織絶対とか
言う人がいても驚きませんし、いやがる子供を集会に強制連行する親も
まぁ確かにいるのかもしれません。とはいっても、ひとりひとり、
多少ズレていても神のご意志を自分なりに果たしていますので、
みんな確かにエホバの証人の一人であると思います。

あと、私も母親がエホバの証人なので一応2世というわけですが、
2世がエホバへの信仰と、エホバとの個人的な関係を培うのは
一般の人と同じくらい難しいと思います。そうゆうわけで、挫折する2世も
大勢いるのでしょう。

でも離れてしまった2世っていうのは、自分の信仰ゆえでなくて周りの期待ゆえに
形だけのバプテスマを受けてしまったとか、個人研究もしないで
遊んでしまった挙句に知識不足で信仰を失ったか、誘惑に負けて
欲望のままに歩んでしまったか、まぁそんなことかもしれませんね。
(周りの例をあげてみました^^;)。聖書が絶対間違っているという証拠を
つかんでしまったとか、エホバが存在しないことを証明してしまったとか
そのような理由の人はいないんじゃないでしょうか。

思いつくままに書いてみましたが、とりあえずこのへんで。
よければ読者の広場に掲載してくださいませ。

《編集者より》
お便りありがとうございます。

エホバの証人も大きな組織なので中には変わりモノもいますが

と書いておられますが、確かにエホバの証人に批判的なこのようなサイトを訪問して、メールまで出されるのですから、確かにあなたも変わったエホバの証人のようですね。しかし、私の最近知り合いになった方々を見てみると、その変わったエホバの証人が増えつつある印象を受けます。やはり、組織の「調整」のせいかもしれません。

エホバの証人に反対している人のほとんどは、協会の人たちの
ミスを取り上げて批判していますが(たとえば終わりの日に関する
見解など)、人間に完全さを求めるのは無理だと思いますよね。
研究していくと、実はいままでの考えは違っていた、なんてことが
あっても、人間であれば別におかしくないと思うのですが。

「宗教の指導者が間違っていたっておかしくはない」というあなたの言葉は、決してエホバの証人の指導者だけでなく、全ての宗教にあてはめてみたらどうでしょう。たとえば、「論じる」の209頁には次のように書かれています。

大抵の宗教組織は悪い実を生み出してきました。種々の集団が組織化されるということが悪いのではありません。しかし,偽りの教えに基づくだけでなく,純粋の霊的な指導を与える代わりに,大半が儀式から成っている崇拝の方式を助長してきた集団は少なくありません。そのような崇拝の方式は利己的な目的で人々の生活を支配するために誤用されてきました。そのような組織は寄付金を集めることに腐心しており,霊的価値を重視する代わりに,礼拝のための家を飾り立てたりします。それらの組織の会員は多くの場合,偽善的な生活をしています。義を愛する人たちは明らかに,そのような組織に所属したいとは考えません。

確かに、世の中は間違いだらけのでたらめな宗教がたくさんあります。それではあなたは他の宗教にも「完全さを求めるのは無理だ」とは思いますか?それとも自分の宗教の間違いは「不完全さで、おかしくない」のに対し、人の宗教の間違いは「悪い実」になるのですか?そうだとしたらあなたはただ自己中心の二重の秤りでものを見ているだけではありませんか。私は、ものみの塔の指導者が他の宗教の「悪い実」を必死で指摘しているのを見て、ものみの塔の「悪い実」も少し世間に指摘した方がよいと思っただけです。

研究していくと、実はいままでの考えは違っていた、なんてことが
あっても、人間であれば別におかしくないと思うのですが。
それこそ、科学の世界では見解の調整など日常茶飯事ではないでしょうか?
研究が進んで新しいことがわかると、過去のことで偽りモノ呼ばわりされる
というのも辛いと思います。

私も科学研究者のはしくれをしていましたので、あなたの言おうとしていることはよくわかります。しかし、科学の世界での見解の調整と、ものみの塔協会の「考え違い」とは決定的な違いがあります。それはものみの塔協会は、自らがそれを「調整」するまでは、それが絶対的な真理であり、それに疑問をもつことも、批判をすることも許されないばかりか、たとえ「考え違い」とわかっていても、組織が絶対に正しいから「調整」されるまでは真理となっています。それに対し、科学の知見は、それが発表された時から直に、それは世界の学者の質問と批判にさらされます。そしてそれは歓迎されます。そのような批判と質問による討論の中からそれまでにわからなかった新しい観点が生まれ、その結果間違いは調整されるのです。ものみの塔協会に対してあなたが疑問に思っていることをぶつけてみて下さい。必ず、現在のものみの塔の教えが正しいという答えしか返ってきません。それに対し、科学者にあなたが自分で研究した結果を質問してみて下さい。あなたの質問内容が的をえていれば、「それは面白い見方です、ぜひ検討しましょう」という柔軟な答えが返ってくるでしょう。この違い、わかりますか。そのような形で「調整」された過去の見解はいくらでもありますから、それに対してはだれも「偽りモノ呼ばわり」はしません。しかし、たまには科学者であっても良心的でない人がいて、自分の説を絶対に正しいと固執して、たとえ間違いであるという証拠が示されていても、それを認めないばかりか、その間違いを指摘した他の科学者を攻撃する人が、たまにいます。これは科学者の少数派ですが、このような人は「研究が進んで新しいことがわかると、過去のことで偽りモノ呼ばわりされる」ことになるのも仕方がないでしょう。このような例外的な科学者の態度を、宗教の指導者がとっていたら、それは「偽りモノ呼ばわり」されるのも仕方がないのではないでしょうか。

簡単な例が、「終わりの日」のしるしとして「地震が増えている」というものみの塔の主張があります。このウェブサイトの中の「終わりの日のしるし」とは何か? を読んでいただけばわかりますが、ものみの塔は間違いである証拠が与えられても、いまだに科学に基づかないマスコミの感情的な記事だけを取り上げて「地震が増えている」と教え続け、「終わりの日」フィーバーを捲し上げているではありませんか。これこそ、「偽りモノ」ではないでしょうか。

ですので、私は自分なりにエホバと組織に関して平衡のとれた見方を
しているつもりですが、そうすると反対者たちの言っていることが
的外れに聞こえてしまうのです。人間の組織の間違いによって
神への信仰を失うというのは、ちょっと変です。

この言葉からみると、私はあなたが現役のエホバの証人であるという言葉にすこし疑問を抱きます。ものみの塔の組織がただの「人間の組織」とは教えていません。ものみの塔の組織は「今日の唯一の地上で目に見えるエホバの組織」なのです。ただの政党やクラブのような「人間の組織」と同じレベルで「間違って当然」というのは「今日の唯一の地上で目に見えるエホバの組織」を自称する人間たちの思い上がりではありませんか。私は多くの元エホバの証人を知っていますが、その人たちの多くは「人間の組織の間違いによって神への信仰を失う」ようになったのではなく、「エホバの唯一の組織を自称する人間たちの間違いを見て、エホバのものでない偽物とわかり、その組織への信仰を失った」というだけでしょう。つまり、確かにそれは間違いだらけのただの人間の組織であり、そこに神とのつながりがあるのは、ただの手前味噌でしかなかった、ということです。それらの人の中には、偽りの組織への信仰を捨てて、組織を通さない真の神への信仰を得た人もいることを付け加えます。それに対して、あなたのような人は、たとえ組織が間違っていてそれが「人間の組織」とわかっていても、それでもそこにエホバがついていると信じているだけではないのですか。ちょうど石の偶像をとりこわして、それがただの石ころにすぎないとわかっても、それでも、まだその石の中に神がいるという信仰を持ち続けるひとのように‥‥ 石ころと神とを分けて考えて見るところから出発されたらどうでしょう。

少し厳しいことを言い過ぎたかもしれません。気に障ったらごめんなさい。でも、私はあなたが正規開拓者、奉仕の僕という、エホバの証人でも非常に活発な人間でありながら、このような場で発言してくれること自体を非常に高く評価し、あなたの勇気に敬意を表します。今後もまた時々お便り下さい。待っています。