(6-30-99)
今日はお聞きしたいことがありますので、 はじめてメールをおくらせていただきます。 ★臓器移植拒否について ‥‥血を食べることは禁じられましたが、人間は動物の肉を食べ動物の 命をとって人間の命を支えることを神に許されました。人肉を食べること、 生体、死体を問わず別の人間のからだまたはからだの部分によって自分 の命を支えることは、その中に含まれていましたか。含まれていません。 それはすべての文明人が忌み嫌う人食いの行為です。‥‥病気あるいは 欠陥の生じた器官が健康をとりもどすふつうの方法は、栄養分の摂取です。 からだは食べた食物を使ってその器官を直し、あるいはいやし、徐々にから だの細胞を更新します。この自然の働きがもはや用をなしていないと判断され、 器官を切除して他の人の器官を移植することを医師がすすめるのは、健康回復 の近道をとっているにすぎません。この種の手術を受ける人は他の人の肉によっ て生きることになり、それは人食い的です。エホバは人間が動物の肉を食べるこ とを許されましたが、人の肉の場合それを食べるにしても、あるいは他の人からとら れた器官あるいはからだの一部を移植するにしても、人食い的に人の肉を体内にと り入れて命を保たせる行為を許されませんでした。 (「ものみの塔」1967年11月15日702頁) *** このような理由で、1980年ごろまで、臓器移植を拒否していました。 しかし、この律法は、1980年の新しい光によって調節されました。 *** ひとりの人間から別の人間へ人体の組織や骨を移植するかどうかは、 エホバの証人各自が良心的に決定すぺき問題です。‥‥ 今日の誠実なクリスチャンの中には、医学的に人体の一部を移植することを聖書 ははっきりと非としてはいない、と考える人もいるでしょう。そのような人は、移植さ れる体細胞が恒久的な意味で、受け入れる側の体の一部になるわけではない場 合もある、と論じるでしょう。体細胞は七年ことに入れ替わると言われており、移植 される人体の部分も例外ではありません。また、食物を供するために“提供者”が 殺されるわけではないので、臓器の移植は人食いとは異なる、との論議も出される でしょう。中には、死期の迫った人が実際に遺言で自分の体の一部を移植のために 用いるよう言い残す場合もあります。言うまでもなく、移植に伴って他の人の血液を 体内に入れなければならないのであれば、それが神の律法に反することに疑問の 余地はありません。−使徒15:19、20。 明らかに、移植というこの問題に対する個人の見解や良心的な感じ方は様々です。 人間の用に供するために人体の一部を使うことは、ホルモンや角膜などの小さな物 から、腎臓や心臓など主要な臓器に至るまで多岐にわたっていることは良く知られて います。聖書は特に血を食べることを禁じてはいますが、他の人間の組織を受け入れ ることをはっきりと禁じている聖書の命令はありません。そのわけで、この問題につい て決定を迫られる人各々は、物事を注意深く、祈りのうちに考量し、それから神のみ前 で自分のできること、あるいはできないことを良心的に定めなければなりません.それ は個人的に決定を下す問題です。(ガラテア6:5)ある人が臓器の移植を受けたとしても、 会衆の審理委員会は懲戒措置を取らないでしょう。 (「ものみの塔」1980年3月15日31頁) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 臓器移植によって、大勢の方が救われます。過去のJWも、受ければ助か っていたのです。しかし、排斥というものがありましたから、かなりの精神的 圧力があったのは確かなのです。 治療すれば助かるものの、統治体の律法 によって、多くの方のいのちが犠牲となったのです。そこでちょっとお聞きした いのは、臓器移植を受けずに亡くなっていたJWは、どのくらいの数に及ぶの でしょうか? そして、臓器移植を受けずにいけにえとなったJWの死は、 一体なんだったのでしょうか? お忙しいと思いますが、もし具体的な数をお知りになっていましたら 教えていただければ幸いです。 あなた様のHPの上に、 神さまの豊かな祝福が大雨のように降り注ぎますように アーメン
《編集者より》
このような統計を集めることは非常に困難であるし、ほとんど不可能に近いでしょう。臓器移植を受けずに死んだ人の数は、たとえば当時からすでに盛んに行われていた腎臓移植を例にとれば、腎不全で亡くなった人の数はわかりますが、その中でどれだけの人が移植をすれば助かったかを知ることは不可能です。移植を希望しても、臓器提供がなければできませんし、他に合併症があればできません。腎臓移植を受けない理由は、ものみの塔の禁止以外にもいくらでもありました。
ただ、わかることは、たまたま元エホバの証人が当時の記憶を元に証言してくれる場合です。私は少なくとも3人の元エホバの証人から、腎移植、心臓移植を拒否して死んでいった家族の話を聞きました。しかし、家族にエホバの証人から出た人がいない限り、そのような情報は得られないでしょう。現在輸血を拒否してどれだけのエホバの証人が死んでいっているかも、報道や医学雑誌に出るか、家族が自発的に通知してくる以外には、知る由がありません。われわれの知っているケースは、氷山の一角であると言えるでしょう。