エホバの証人の見習いとして信仰の自由を縛られることは許せません

(6-13-98)

私の好きな人が、エホバの証人であることから、興味を持ち、
訪問して下さる証人の話しを聞いたり、自ら聖書研究をするようになりました。

ただ、信仰というものは、強制するものでもされるものでもありません。
私は学びたいから学ぶのであって、誰からも批判される覚えはありません。
「エホバの証人いじめかた」というhpをみて憤りを感じました。
私は日本人としても、エホバの証人の見習いとしても、信仰の自由を縛られるこ
とは許せません。
私は、伝道者ではないので、誰かに信仰を広めようともしていません。
ただ、この事だけ知ってもらいたいと思います。

《編集者より》
この私のサイトの冒頭にも書きましたが、私のこの活動はエホバの証人をいじめることでも、信仰の自由を縛ることでもありません。私の目的はエホバの証人に関する情報を提供し、それに基づいてあなたのような個人が全く自由に自分の生き方を決めて下さればそれでよいと思っています。私も、エホバの証人に限らず、誰かの個人的な信仰の自由を縛ろうとすれば、その動きに対して反対を表明します。これはしかし、個人の信仰についての話です。宗教団体となると、団体自体に数々の社会的責任が出てきます。信者の自由を縛り、情報を統制してマインド・コントロールをする宗教団体があるとすれば、それに対して情報のない人々に警告を与えることは、ものみの塔協会自体が大事なことであると出版物の中で述べており、それは私も重要なことであると思います。私はその事をものみの塔協会自体に対して行っているだけです。