神が組織を用いている理由−現役のエホバの証人よりの反論

(6-11-98)

いにしえの昔より、個人は立派でも組織になるととんでもない宗教はたくさんあっ
たのではないでしょうか。一般の本屋のキリスト教図書を覗いたこともありました
が個人名で記憶にあるのは「マザーテレサ」か「コルベ神父」ぐらいのものです。
エホバの証人の一人としては、「その程度の事でここまでキャンペーンはるか?その
二人以外に人材いないんかいな。」というのが正直な感想です。もし、神が社会を
良いものにしようとお考えであれば、「社会とは別個に個人がたまたま立派に振る
舞う社会と、アホがいても立派に機能する社会(組織)とどちらをお好みか。」と
聞けば、もちろん神自身に聞いた事はないけれども後者ではないでしょうか。エホ
バの証人の理解によると、人間の真の希望はより住み良い社会になる事です。そし
て、社会とはすなわち組織ではないでしょうか。「組織など必要ない。肝心なのは
個人である。」一見理があるようでまったく非現実的な論理だと感じます。対して
、「組織(社会)が救われる事が個人の救済につながる。」といったエホバの証人
の考え方は、極めて現実的なものと思います。

《編集者より》
エホバの証人としての立場から、貴重なご意見をありがとうございます。

個人は立派でも組織になるととんでもない宗教はたくさんあったのではないでしょうか

私はほとんど全ての宗教がそうであったと思います。そこであなたに質問です。エホバの証人の宗教だけはこの例外でしょうか。あなたはエホバの証人としてそのような情報を調べてみようとはしないでしょうが、あなたの知らない所に「ものみの塔」の宗教が「とんでもない宗教」の一つである証拠が沢山あるのです。

その二人以外に人材いないんかいな。

その二人はたまたま広く本が出たり報道されたりして有名になりましたが、無名のクリスチャンで献身的に神の栄光を地に現す仕事に仕えている人がいます。残念ながら、ものみの塔の出版物ではそのような人々の話を無視しているため、あなた方の目や耳にはとまらないのでしょう。公正を期するために申し上げますが、エホバの証人の中にも、個人的に素晴らしい方がいることを私は否定しません。あなたが最初におっしゃるように、「組織になるととんでもない」ことをすることが問題だと思います。

神が社会を良いものにしようとお考えであれば、「社会とは別個に個人がたまたま立派
に振る舞う社会と、アホがいても立派に機能する社会(組織)とどちらをお好みか。」
と聞けば、もちろん神自身に聞いた事はないけれども後者ではないでしょうか。

先ず、神の考えていることを自分の希望に投影して、それを前提のようにして神を語ることは、人間の教えにより頼むカルト宗教の常ではないでしょうか。神に対してAかBかの選択を迫り、その上で神はBを取るに違いないという前提に基づくあなたの議論に何かおかしな所はありませんか。そもそも神がそのような単純な二者択一をするのでしょうか。聖書に基づいてお話下さい。

社会とはすなわち組織ではないでしょうか

人間社会とエホバの証人の言う「組織」が全く異なるものであることは、エホバの証人であるあなたが知っているはずです。エホバの証人の言う「組織」は、ものみの塔協会の幹部である統治体が神から特別の権利を与えられて、全てのエホバの証人をコントロールする体制のことで、エホバの証人以外の大部分の人間社会の構成員(全人類の99パーセント以上)はハルマゲドンで無惨に殺されるというものです。このような組織のどこが「より良い社会」なのでしょう。

「組織など必要ない。肝心なのは個人である。」
一見理があるようでまったく非現実的な論理だと感じます。

私は神が組織的に人間を使っていることは充分ありうることであり、それを否定していません。また組織と同じように個人も使っています。聖書にはそのような事例が沢山書かれています。聖書の記載を見る限り、神は組織か個人かなどという二者択一をせず、時と場合に応じて人間を様々な形で使っていると思われます。私はそのような意味で、「組織など必要ない。肝心なのは個人である。」と主張するものではありません。

対して、「組織(社会)が救われる事が個人の救済につながる。」といったエホバの証人の
考え方は、極めて現実的なものと思います。

エホバの証人の教えに「組織(社会)が救われる事が個人の救済につながる」という部分があるとすれば、私には初耳です。エホバの証人の教えは私の理解では、「個人の救済は組織(エホバの証人の組織)を通してしかあり得ない」というものです。すなわち人間の作った組織(ものみの塔聖書冊子協会)に所属することが個人の救済の必要条件なのです。私が疑問を投げかけているのは、これが現実的かどうかではありません。この教えは聖書に基づいているのでしょうか。それとも1914年と「終わりの時」の教義、14万4千人の教義、忠実で思慮深い奴隷の教義、など、ものみの塔協会独特の、全く他の人には理解できないような聖書の解釈だけを使って作られた教えなのでしょうか。

あなたはエホバの証人として、自分の信念が人の教えに基づいているのではなく、聖書に堅くついていることを信じているのだと思います。そうであるなら、是非、「神にはきいたことはないけどこうではないか」とか「こっちがより現実的ではないか」などという議論でなく、聖書に基づいて何故、個人の救済がものみの塔の組織を通さなければあり得ないのか、是非説明して下さい。