宗教批判より生身の人間として受け取る寛大さが必要

(6-7-98)

随分奥さんの事を心配されていて苦労なさっているのですね。
私は全然こういう環境に関係ないものなのですが、なんとなく大変そうだなぁって思いました。
ただ、奥さんは例えマインドコントロールされていると思っていても、私は結局は一人の人間に
過ぎないと思うのです。彼女も愛情や思いやり、また辛い時の支えは必要だと思います。
それが旦那さんである事は彼女もきっと理解しているんだと思います。
そういった面で彼女が何を求めて何を知りたがっているのかを知るのが一番いい関係に繋がると
思うのですが、どうでしょうか。神様はいるかいないかは特定の宗教批判によって知り得るものでは
ないと思います。自分がどう思うか、自分が探す事が必要だと思います。沢山の人の意見も
大切ですが、私は生の自分をそのままぶつけてみつけていく事が一番いいと思っています。
そして宗教批判として彼女の信仰を拒否するよりか、自分の中でもまだ解決されていない”神様”という
存在について考えるよいきっかけを見つけたと思えればずっと夫婦の関係は円滑になって行くと思います。
マインドコントロールされていると思われるほど奥さんが悲しむ事はないと思うんです。
自分が神様の次の存在だと嘆くことと同じように、奥さんを正気を失った存在として見るものまた
同じくらい悲しい事です。
だから私はこういう特定の宗教批判のリンクを覗くたびに思うのです。
もっと生身の人間として受け取る関大さが必要なのでは・・・と。
それはやっぱり無理なのでしょうか?

図々しい意見を述べちゃってすみません。
これからも頑張って下さい。

《編集者より》
おっしゃることには確かに一理あります。私事ですが、エホバの証人の妻との夫婦関係は、想像されるほどひどいものではありません。エホバの証人の夫の中にも、確かに家庭が破壊されて苦悩の生活を送っている方々は沢山いますが、あなたのおっしゃるように、これをきっかけとして、聖書をひもどき、自分自身の信仰を考え直す人もかなりいます。私は妻について悲しむことを卒業し、今は世界規模でエホバの証人の情報提供をすることに興味を持っています。確かに宗教批判だけで神に近づけるものでないということは、全く同意します。このページはエホバの証人に関する情報を提供することが目的であり、その情報がものみの塔協会の知らせたくない情報である限り、結果的にものみの塔宗教批判となっています。宗教批判はエホバの証人が実は最も活発に行っており(もちろん、エホバの証人以外の全ての宗教の批判)、神が「いるかいないかは特定の宗教批判によって知り得るものではない」というあなたの言葉はそのままエホバの証人にも向けられるでしょう。エホバの証人の方々が、生身の人間としてエホバの証人以外の宗教を受け取る寛大さを身につけてくれることを祈っています。